第02話「桃酒の誓い」
前世の私は社会人一年目。社会の理不尽さに絶望しながらハマった『三国志夢想』というゲームで、敵をバッサバッサと斬り殺していた。
そこで出会った司馬懿というキャラ……つり上がった目、整った顔立ち、高慢な態度。
司馬懿ちゃんが私を狂わせた。
「あははははっ、司馬懿ちゃん! この私が君を女体化させて百合雌落ちさせてあげるねぇっ!」
社畜生活の合間に睡眠を削った第一作。無名であるのに売り上げは上々であった。とは言っても十数部。しかし、その薄い束が、私をさらに燃え上がらせた。
次はもっと深い知識や歴史を学び、いかに司馬懿ちゃんを戦略で完敗させて悔しがらせられるか……。そんなインプットとアウトプットの夜更かし生活で、エナジードリンクを主食にする日々。
「司馬懿てぇあん……待っててぇ……」
過労死して転生したのはまさかの三国志時代。戦うのは女で、武将が皆男装女子という最高のおまけ付き。
この天から恵まれたような環境……生かさぬ手はない!
そうして赤子の頃から男装女子の武将を目指し、脳と筋肉を鍛えているうちに三歳である。もう私の準備はバッチリだ。発語も早く、その理解力の高さから天より遣わされた「神子では?」と囁かれるように。
歴史改変を恐れて目立たず生きるか、知識チートを隠すべく妖術使いとして生きるか迷ったが。
答えは自然と『神子』となる。
「おなかいたい! おなかいたいよぉ!」
「あらやだ。朝のお水が良くなかったのかしらねぇ」
「おゆ……! あっついのがいい……!」
「あたたかいのね。沸かして冷ましたお湯があるから、それを飲みましょうね」
ふはははっ!!!
これぞ、天下に名高い『お腹痛い痛い大作戦』である!
こうして家庭内に一度沸騰させた水を飲むという習慣を自然に植え付けることに成功したのだった。
父親も「この子は神童……いや、山の神の子か?」と大事に育ててくれた。幸い、実家は名家・鳳一族の分家で、酒屋として片田舎でそこそこ繁盛している。
金がある、子どもが遊び学ぶ余裕があるというのは幸いである。生まれは大成功と言えた。
*
「お父さん! この壺に木管を繋いで、冷たい水で冷やしながらお酒を温めたら……すっごく良い匂いのお酒ができるんじゃないかな?」
「なんだ……子どものお遊びだと思っていたらなんという技術……! やはりこの子は天より授かった神子に違いない……」
幼子の無邪気な「お遊び」のフリをして、私は古代中国に『高濃度蒸留酒』を完成させる計画を着々と進めるのだった。
そうこうしているうちに十二歳、まさかの運命の時が来てしまった。
武術、知略と両面で鍛え、関羽のような活躍を出来れば自然と劉備軍に入れるだろうという憶測で鍛え続けたが、その噂を早くも聞きつけた少女のような男装女子が来た。
「ほう、ここかい? 話を聴きたがりの『神子』が居るという酒屋は」
「貴女は……!」
怪しい旅人のような帽子、セミショートからミディアム位の長さで強いウェーブの銀髪が光を乱反射させている……。そんな姿を、今まで見たことは無かったというのに、その風貌だけでなぜか、何者か察せられた……。
「まさか鳳雛と名高い……龐統様……!?」
「ほう、我が名を知っておるかい。お主が鳳蓮だね? 胡散臭い神子の真似事をするという」
「……胡散臭くなどありません。ボクの力は天より賜った力です!」
ドキリとした心の中を見透かされるようだ。どんなに未来の知識があっても、こういう人間の直感力というのは、この時代の人々相手では敵わない事も多い。
「ともかく、酒屋に来ていただいたのですから、お酒を飲んでいただきましょう。お話をいっぱい聞かせてくださいよ」
「ふむ、それも悪くはないのぉ」
幾らか話したあと、酒飲みが始まった。ボクは成人前なので自粛の桃の絞り汁……。
「んっ……!」
「ケケケ……。酒を混ぜさせてもらったよ」
なんて大人だ……! いや見た目はショタか……いやロリかっ! このとんでもショタジジィ(女)がっ!
「龐統様いけません。ボクは神子とて、まだまだ勉強中の見習いの身。日中から不必要に酒なぞ飲めないのです」
「こんなに良い酒がありながら飲まぬとは、もったいない事よのぉ」
まったく、この龐統という少女。一応はずっと年上のはずなのに、子どもを相手にしているような、悪戯心が満載であった。
彼女は飲み干し、次はボクお勧めの桃の果実酒を注文する。
「それで? この質の良い酒の出所はお主だと聞くな。どうやって作った? なぜその技法が浮かんだ」
「ボクは神子。夢の中で天より知恵を授かるのです」
「ペテンよのぉ。お主は試行錯誤の技術開発をしていると聞いたぞ? 中身は神子なぞではなく泥臭い技工士ではないか。しかし、知識の出所は気になる……」
「……それが天より授かった知恵でございます」
「なるほどのぉ」
誤魔化しが効かないか? 天命などを信じないタイプなのかもしれない。
龐統は帽子を取った強いウェーブの髪を、もしゃもしゃと手櫛に掛けながら彼女は考える。
「ならば、その知恵の出所を見極めさせてもらいたいところじゃ。お主、ワシの弟子にならんか?」
「弟子……!? なりたいです……!」
願ってもない事だ……。軍に志願する手間が一気に省けそう……!
しかし、ボクの期待に燃えた赤い目を見て、彼女は頭を振った。
「いや、やっぱやーめじゃっ」
「え、なんで……!」
「お主、かなり鍛えておるじゃろう。知恵も若くしてなかなか。しかし、この乱世で生き延びる事が出来ようか……。覚悟が足らぬように見えてな……?」
「何を……!」
ボクはその為に今まで鍛え学んで来たというのに……!
「そういうところじゃ」
「そういう……ところ?」
「乱世を甘く見ておるじゃろう? 知恵や技術があっても、人を殺し、人を裏切り、血にまみれる覚悟のない者が、この荒れた世を生き抜けるものか。それならば、ここの地域の『神子』としてまつられた方が幸せというものじゃ。お主の目はまだ、綺麗すぎる。お遊びの延長のようでな。弟子というのはワシの好奇心だけであった。心を乱して済まなかったのう」
龐統はふいと顔を背け、酒を残したまま立ち上がろうとする。
くっ、こんな転機、逃す訳にはいかない……!
人を殺す覚悟……? そんなもの、あの高慢ちきで美しい司馬懿ちゃんを百合雌落ちさせる野望の為だったら――ッ。
安いものだっ……!
「お遊びなんかじゃありません……!」
ボクは龐統の細い腕をガシッと掴み、壁際に押し倒すような形で引き留める。少女ながら既に百六十センチはあるボクよりも、十は背が低く見えた。
「なっ……!?」
余裕を崩した彼女の緑の目が、大きく見開かれる。
「弟子にさせてください! ボクには、絶対に果たさなければならない野望があるんです! どんな血にまみれようと、人の命を奪うことになろうと……このボクの邪魔をするやつは、たとえ歴史だろうと、天下の英傑だろうと、誓って、この手で屈服させてやる……!」
グイと酒混じりの桃絞り汁を飲み干す。ボクの心には、自分でも底知れない執念と狂気が宿っていた。
それはただひたすらに、司馬懿ちゃんの為に。
しばらくの沈黙のあと、龐統はハッと息を呑み、そして――ふっと、今まで見たこともないようなゾクッとするような笑みを浮かべた。
「ほほう、豹変したかと思うほどの妖艶……。お主、目が狂ったな。いやいやいや、これは面白い。その器は、真面目な優等生なだけとは限らんかったか」
驚きを隠せない顔のまま、 龐統はボクの頬にそっと手を添える。その指先はわずかに震えていた。
「屈服させてやる、か……。その瞳だけでこのワシがビビってしまった。その泥臭い執念、気に入ったぞ。よかろう我が弟子よ。その狂気、最後まで見せてもらおうじゃないか」
息がかかるほどの距離で、龐統は悪戯っぽく、しかしどこか蕩けるような声で囁いたのだった。




