第01話「落つるか落ちぬか二つの鳳」
ずっと書きたかった司馬懿ちゃんを百合オチさせるための三国志モノです!
三国志を知らなくても読めるように頑張っております。漢字は雰囲気を守りたくて、慣れない人にはやや難しいかも……。
一方で三国志にわか知識ではあります。しかし、今書けてる3~4話の赤壁編が百合的にすごく良い出来なので、それまではしばし読んでいただければ幸いです。
また、すごい駆け足で書いておりますので、三国志ファンからしたら相当な端折り矛盾具合が出るかと思いますが、ご承知ください。
ボクは知っていた! この坂で、師匠が死ぬことを……!
両側を崖に挟まれた細い道が、目の前で口を開けていた。ボクらの軍がそこへ差し掛かろうとした瞬間、背筋を氷のような汗が伝う。
「ここは……落鳳坡……っ!?」
赤い目を見開き、声が、みっともなく震えた。
斜めパッツンの銀髪が風に煽られる。後れ毛を、いつもの癖で耳にかけ直す。指先に触れた耳飾りの冷たさに、少しだけ気を落ち着けた。
転生者として、この地名は忘れようがない。三国志演義で龐統が矢に射られて死ぬ、まさにその場所……。
「今さら地名を確かめるまでもなかろう。早うせねば敵に逃げられるぞ。先を急ぐ」
白馬に跨がり、怪しい帽子の下で銀髪天然パーマを揺らす軍師が言う。少年のような顔立ちに老成した口調の少女――その緑の目が、鷹のように鋭く光った。ボクの師匠、龐統だ。
ボクと並んだ銀髪の二人、人は我々を『銀翼の二鳳』と呼ぶ。女性兵たちはその二羽の背を、必死に追っていた。
「おい、軍師殿。あまり前に出るな。護衛の私が追いつけん」
馬を寄せてきたのは、赤みがかった長い髪をひとつに結んだ、背の高い武人だった。護衛隊長の魏延。彼女のまた男装がよく似合う麗人で、軍装の胸元をぴしりと締めている。表情は硬いが、目だけが落ち着きなく崖の上を睨んでいた。
「魏延よ、貴様まで止める気か。ワシは急ぐ」
「止めてはおらん。ただ、この道は……なんだか、うなじがぞわぞわする」
魏延は自分の首の後ろを撫で、心底不満そうに眉を寄せた。
流石は百戦錬磨の猛将。理屈じゃなく勘で危険を嗅ぎ取ってる……!
師匠を止めなきゃ……。ここで止められなければ、蜀漢の夢も、ボクが司馬懿ちゃんを百合雌落ちさせる計画も、全部水泡に帰してしまう……!
「いけません師匠! この土地、鳳が落ちるなんて名前は我々に不吉だ! ボクの話を聞いてください!」
「ならぬ。武功を上げるにふさわしい好機ぞ! なぜ見逃せと言うのじゃ我が弟子よ! それを『不吉』だのと……。神子と崇められ『祈祷』のし過ぎで、気でも触れたか!」
「それは……」
かつての戦いでは風向きを読み、祈祷のお飾りをしたのは事実だ。あれはすべて理屈の上の芝居だった。だが今、師匠に「不吉だから」は通じない。
大きく息を吸う。師匠の白い頬が、怒りで赤い。ここで感情をぶつけても火に油だ。まずは冷静に、戦況判断を共有せねば。
「まずは休憩としましょう。この乱れた隊列では、逃げる敵に追いついても先駆けが討たれるのがオチです!」
「ふむ、それは一理あるのう。……皆、小休止じゃ!」
師匠が馬を降りた。よし、話を聴く姿勢だ。
ボクは踵を返すふりをして、傍らの兵に低く命じる。
「忍者隊を呼んでください。崖の上を、気配を殺して確かめさせて」
ボクが密かに育てた隠密部隊をそう呼んでいる。師匠には「また変な名前を」と呆れられたが、崖をも厭わぬその身軽さと静かさは本物だ。
「おい変な弟子、妙な部隊を動かしたな」
魏延が腕を組んで、じろりとボクを見下ろした。
「変な弟子は余計ですよ、魏延さん」
「事実だろう。だが……」
魏延は崖の上を顎で指す。
「私も同じところを疑っていた。任せる。私は師匠殿の白馬の横についているから、好きにやれ」
口は悪いが、協力的だ。ボクは小さく頷いた。
「それで? ワシを納得させるだけの理由なく逃したとなれば、お主の処罰も辞さぬぞ?」
脅しの声は少し本気だ。だが、聴いてくれる。ボクは切り立った崖を見上げた。
「まず、鳥です。崖の上をご覧ください。この刻限なら、ねぐらへ帰る鳥が飛ぶはずなのに、一羽もいない。鳴き声もしません。人がいるからでしょう」
「ふむ……」
「……鳥、か」
魏延がぼそりと呟き、空を見上げた。師匠の視線も、つられて崖の上を追い始める。
「斥候は『伏兵なし』と言いました。ですが、馬で駆けながら、この高い崖の上まで見られるでしょうか。あの報告は、『確認できなかった』の言い換えです」
「なるほどの……」
「さらに、この先は騎馬が二頭並べない細道だと聞きます。進むしかなく、退くこともできない。そこで待ち伏せされたら、逃げ場なく討たれます」
「……そうかのう」
矢継ぎ早に言い、あとの一押し。ボクは、最後の札を切る。
「そして師匠のその白馬。我らが総大将、劉備将軍からいただいた位のある証です。そんな目立つ馬で細道に入れば、敵は真っ先に師匠を狙います。矢はどうしても、将軍首に集まるんです」
言い切った。理屈は全部出した。
しばらくの沈黙のあと、師匠は鼻を鳴らし、ボクを見くびるように目を細めた。
「ふんっ。……くだらん」
「なにを……!」
「結局のところ、伏兵が居るか居ないかは、ここからでは分からぬ。分からぬものを根拠にはできぬよ。ワシは武功を立てる。ゆく」
白馬の手綱を握る手に、力がこもっている。怒りのような、憎しみのような、そして泣き出しそうな複雑な顔だった。
これだけ積んだ理屈で押し切れないなんて……! 理系女子の名折れだ!
悔しい。でも、わかった。師匠が聞きたいのは、理屈じゃないんだ。
「お願いです、龐統様……!」
気づけば、ボクは師匠の手綱を掴んでいた。
「ボクは、死地かもしれない場所で師匠を失いたくない! 博打なんて、打って欲しくないんです!」
「博打なものがあるか! ワシは、ワシは……」
師匠の声が裏返った。見開かれる緑の目。
「近年はずっと、伏龍と呼ばれる諸葛亮の陰で、鳳雛として、二番手に甘んじざるを得なかった……! お主なら、この悔しさがわかってくれるじゃろう! ここで敵を取り逃したとなれば、お主の師匠は一生の笑い物じゃ! お主の陰にも隠れ、二度と、諸葛亮と肩を並べられぬではないか! 頼む、いかせてくれ……!」
懇願する少年のような顔。だがその瞬間、ボクの中で何かが決壊した。
師匠の想い、しかしそれが暴走して死地に走ろうとしている。死んでしまう……!
計算なんかじゃなく。この人がいなくなる世界を、ほんの一瞬想像しただけで、視界が滲んだ。ボクには珍しい感覚だ……。
「並べなくたっていいじゃないですか!」
熱い雫が、頬を伝う。
「成人の折に、子鳳の字をくださったのは龐統様です! ボクと肩を並べればいい! 諸葛亮先生がどんな鬼才でも、ボクと二人で、先生をワッと驚かせてやればいいんです! ボクと二人じゃ……いけませんか……!」
ぎゅっと、手を握りしめる。周りがしんと静まり返る。
師匠が、息を呑んだ。
「お主……ワシを、そこまで……」
先ほどの怒りとは違う種類の赤が、師匠の耳から頬へと広がっていく。声が、かすかに震えていた。目を逸らそうとして、逸らしきれず、視線が泳ぐ。
いつもの、どこか食えぬ悪戯少年の顔ではなかった。ボクが初めて見る、少女のような顔だった。
傍らで、大人びた魏延が「うわ」と小さく声を漏らして目を逸らした。耳の先が、ほんのり赤い。
「……私は何も見ていない。何も聞いていない」
「魏延さん? どうかしましたか?」
「なんでもない! 末恐ろしい弟子殿だな……」
「……まあ、ボクの戦況判断に掛かれば?」
変な褒め言葉にボクはカッコつけながら言う。
しかしその時、崖の上の空気が裂けた。忍者隊の斥候が、風のように駆け戻ってきたのだ。
「報告! 崖上に敵影、多数! 弓兵が伏せております! 物見が気取られ、こちらへ向かって参ります!」
やっぱり、いた! 間に合った!
「やはりな。我がうなじの勘は当たる」
魏延が舌打ちし、槍を握り直した。
「殿の軍は私が務める。軍師殿、変な弟子殿よ、走れ!」
ボクは涙を袖でぬぐい、師匠に向き直る。
「師匠、ご決断を! ボクと一緒に帰りましょう!」
師匠は、一拍だけボクの顔を見つめ、それから叫んだ。
「うぬぅ……引け、引けぇ! 全軍、退却じゃ!」
「良いご決断です! うわっ、危ないなぁ!」
馬首を巡らせた、その直後、空が鳴ったのだった。
矢の雨が、ついさっきまでボクらが立っていた場所に降り注ぐ。地面に突き立つ無数の矢羽根。その中心には、白馬の影が伸びていた。
あそこに、師匠がいた……!
背筋が凍る。だが、魏延の殿が盾兵を密集させ的になったおかげで、ボクらはなんとか崖の射程の外まで駆け抜けていた。
少し離れた野に馬を止め、荒い息を整える。隣で、師匠が黙って矢の落ちた場所を見ていた。
「……鳳蓮」
「はい、師匠」
「お主がおらなんだら、ワシは、あそこで……」
言葉が続かない。嫉妬への後悔だろう。代わりに、師匠は、ボクの袖の端を、きゅっと摘んだ。
「……今日のことは、忘れぬ」
怪しい帽子で目を隠したまま、耳まで赤くして、師匠はそう呟いた。
傷? 熱だろうか。あとで消毒など処置した方がいいかな。
「おい、変な弟子」
殿から戻った魏延が、馬上から小声で言った。
「今のは、治療で治る類のものではないぞ」
「え? やっぱり傷、ありました?」
「……もういい。先が思いやられる」
魏延は空を仰いで、深いため息をついた。
三国志での鳳は、たった一人落鳳坡で落ちた。だがこの世界の鳳は――二羽で落ちなかった。
歴史が、メリメリと音を立てて曲がっていく。
この武将皆が男装の三国志世界で、ボクが妄想した物語が、ここから本当に始まるのだ。蜀漢を復興させ、そして司馬懿ちゃんを篭絡する為の物語。ふふふ……待っていてね?
……そして、そのすべてのきっかけは、酒屋の娘として転生した小さな日々から始まっていた。




