第44章:陰謀
本章をお読みになる前に、第1章から読み返していただくことをお勧めします。物語の大筋は変わりませんが、加筆修正した箇所がかなり多くあります。
また、3ヶ月以上休載してしまい、更新が遅れたことをお詫び申し上げます。
タイトルやあらすじを頻繁に変更したり、章全体を何度も改稿したりしてしまったことも申し訳ありません。ですが、このような改稿は今回で最後になりますのでご安心ください。
執筆の励みになりますので、ぜひ評価や応援をお願いします。
それでは前置きはこのくらいにして、どうぞお楽しみください!
……
あいつらも僕のようにチート能力を手に入れたのだろうか?
「どうした、リアム? あいつらの知り合いか?」
ガレンとディナも僕が見つめていた人物へと視線を向けた。
「ううん」
僕は首を横に振って答えた。
「ただ、見た目があまりにも目立っていたから」
「ふむ、確かにそうね。あんなに真っ黒な髪の人たち、今まで見たことがないわ。東方大陸から来た人たちなのかしら?」
ディナが言った。
「東方大陸?」
僕は繰り返した。
ファンタジー作品にいかにもありそうな定番の設定に聞こえる。
「ええ、東方大陸よ。そこへ行ったことのある冒険者や探検家たちの話では、私たちが暮らす地域とはまるで違う場所らしいわ」
ディナが説明を付け加えた。
「文化も、人々の外見も、私たちとはまったく異なっているんですって」
「僕たち、今は世界の最東端にいるんじゃないの?」
僕は不思議に思って尋ねた。
「俺たちが世界の最東端にいるなんて、どこで知ったんだ?」
ガレンは眉間に皺を寄せて聞き返してきた。
ディナも仲間の問いに同意するように頷いた。
「先生からだよ。先生、魔王の侵略の歴史と、ミリス領が最東端の地だって話をしてくれたじゃない」
僕は素直に答えた。
「そうなの? そんな結論を出すとは思わなかったわ」
ディナは首を振りながらため息をついた。
「俺から説明してやろう。こういうことを知っておくのも、後で生き延びるために大事だからな。将来お前がそこへ行く機会があるかもしれないしな」
ガレンが口を挟んだ。
僕は真剣な表情を作って耳を傾けた。
「ミリス領は確かにアタナシア大陸の最東端の地だが、世界の最東端ってわけじゃない。東方大陸は大洋の向こう側、この陸地よりも遥か東にあるんだ。そこは最果ての地、正真正銘の世界の果てと呼べる場所らしい。だからアタナシア大陸は、西の魔大陸とは違って、東方大陸と陸続きにはなっていないのさ。広大な海で隔てられているからこそ、あいつらの身体的特徴や文化は俺たちと大きく違うんだろうな」
ガレンはあの一団を横目で見ながら説明した。
「そうなんだ。よくわかったよ」
僕は何度も頷いた。
「理解できたなら何よりだ、リアム」
ガレンが返した。
ディナが再び口を開いた。
「十中八九、船に乗ってやって来たのね。大洋を渡るために、どうしてあんな危険な賭けに出たのか理解に苦しむわ」
「その海がどうかしたの?」
僕は尋ねた。
海が凶暴な魔物で埋め尽くされているとか、そういうことなのだろうか?
「大洋という名前の通り、途方もなく広くて波が恐ろしく荒い海なのよ。木造船だけでそこを渡るなんて完全に自殺行為だし、その上クラーケンや海竜のような巨大な海の魔物がうようよ生息しているのよ」
ディナが説明した。
「クラーケンに海竜?」
物語でお馴染みの伝説の怪物の名を二つも耳にして、僕の好奇心に火がついた。
「いつかクラーケンや海竜を見てみたいなあ」
僕は呑気に呟いた。
「俺がお前の立場なら、そんな恐ろしいものに出くわしたいなんて口が裂けても願わんぞ」
ガレンが素早く口を挟んだ。
「どうして?」
「命が惜しいからに決まってるだろ! 海原の船の甲板の上で戦うのと、陸地で戦うのとじゃわけが違うんだ。よく肝に銘じておけよ、リアム」
ガレンは釘を刺した。
「ガレンの言う通りよ、リアム。海竜やクラーケンはSランクの魔物で、昨日話した赤竜と同等の脅威なんだから」
ディナも警告した。
その事実を聞き、こめかみに冷や汗が一筋つうと流れた。
「それじゃあ、今の言葉は取り消すよ。生涯あの二匹の魔物にはお目にかかりませんように」
僕は両手を合わせて祈る仕草をしながら早口で言った。
そのあまりに変わり身の早い反応を見て、ガレンとディナは揃って吹き出し、僕の態度の急変を笑った。
「ところで、さっき船で来たんだろうって言ってたけれど、アタナシア大陸から東方大陸への定期航路はあるの?」
話を逸らしながら尋ねた。
「航路の話はまた今度だ、リアム。ジュリア王女殿下が到着されたようだ。早く集まるぞ」
腰を上げながらガレンが言った。
その言葉に従い、僕も立ち上がって勇者レオンの像の階段を離れた。モニュメントの周囲で休んでいた他の人々も動き出し、集合場所へと集まり始めた。
群衆の前に、一人の女性が立っていた。背後には騎士や魔術師たちが完全武装で控えている。
髪と瞳は澄んだ空色をしていた。黒い手袋をはめた黒の軍服を纏い、腰には金色の柄頭と黒い鞘を持つ一本の剣を佩いていた。
彼女は……あの夜見かけた人物じゃないか?
ただ者ではないとは思っていたが、てっきり王国の女将軍かと思いきや、王女だったのか?
その佇まいからして、ジュリア王女は十九歳から二十一歳くらいに見えた。この世界の高貴な王女といえば、一般的な西洋風ファンタジーのようにお淑やかで華美なドレスを身にまとっているものだとばかり思っていた。
「よし、皆集まったようだな」
目の前の冒険者たちの海を見渡しながら、ジュリア王女が口を開いた。薄い微笑みを浮かべて小さく頷く。
「長々と演説を垂れたり、士気を煽るような講釈を垂れるつもりはない。お前たちがそうした退屈な話を好まないことくらい、先刻承知している」
その率直な言葉に、列をなす人々は一斉に同意して頷いた。
「今回の遠征に伴う危険については、お前たち自身が誰よりも熟知しているはずだ。撤退を望む者にはすでに機会を与えたし、同行を強要する気も毛頭ない」
ジュリア王女は真摯かつ真剣な眼差しで目の前の群衆を見つめた。
「ゆえに、私から念を押したいことはただ一つだ」
周囲が一瞬にして静まり返った。
「自らの命を大切にせよ。家に残してきた家族が待っていることを忘れるな。各自の小隊長の指示を常に遵守し、浅はかな英雄気取りの暴走は慎め。手柄を立てようと焦る駆け出しの冒険者がここに混ざっていることも承知しているが、自重せよ。仲間を救える状況なら救え。だが、不可能であり危険が大きすぎる状況ならば、見捨てよ。いかにあろうと、今回の遠征の至上命題は、我らの故郷たるヴェニンブルクの街に対するゴブリンの脅威を根絶することにある」
ジュリア王女は一息置いた。
「私からは以上だ」
彼女は片手を胸に当てた。
「神に祈りを捧げよう。我ら全員が無事に生還し、この遠征が恙無く完遂されんことを」
王女の仕草に倣い、広場にいた全員が一斉に手を挙げて頭を垂れた。
その光景を眺めながら、僕は異世界の民衆に宗教の影響がいかに深く根付いているかを改めて実感した。
異世界のアニメやライトノベルでは、中世風の住人が宗教や神に対して冷淡であるかのように描かれがちだ。信仰心を持つキャラクターはごく一部で、残りはまるで無神論の現代地球人のように振る舞うことが多い。だが、現実はこれだ。僕の周りにいるこの人々が、信心のない人間に見えるだろうか? ディナ自身、極めて敬虔に頭を垂れている。
そもそも地球の歴史を振り返ってみても、中世における宗教の影響力は凄まじいほど根深いものだった。ましてや魔術や超常の力が実在するこの世界において、民衆が無神論や不可知論を掲げる方が不自然なのだ。
僕も両手を合わせた。
この遠征が無事に成功しますように。
ありきたりな願いだが、現実が思い通りに運ぶことなど滅多にないことは分かっている。こんな素朴な祈りが戦局を左右するわけではないにせよ、胸の内の不安を和らげるには十分だった。
「祈りは終わりだ! 各自の隊列へと速やかに移動せよ! 各小隊の隊長が冒険者のランクに応じて点呼を取る。今回の遠征に参加した義勇兵たちは、この場に留まれ!」
ジュリア王女が静寂を破って号令を下した。
人々は整然と隊列を組み替えるために動き始めた。
「リアム、私、先に行くわね。さっきの殿下の言葉を忘れないで、小隊長の指示に従って無茶はしちゃダメよ。あなたなら絶対に乗り越えられるわ。あ、それとこれを持っていて」
ディナが僕のもとへ駆け寄り、別れの挨拶をした。
彼女は突如として、見慣れない物を僕の手のひらに押し込んできた。
手を開いてみると、手品師のステッキほどの大きさの細身の木の杖があり、先端には赤い宝石が嵌め込まれていた。
「先生、これって……?」
それを見つめ、僕の目が丸くなった。
「そうよ、魔導杖よ。一番安いタイプだけどね。ごめんね、こんなのしか買ってあげられなくて。本当は昨日渡すべきだったんだけど、仕方のないことにお金が今日になってやっと工面できたのよ」
ディナは気まずそうにくすくす笑いながら説明した。
「本当にありがとう、ディナ……」
僕は彼女を見つめた。
この贈り物を断るのはあまりに不作法だ。だが、今日になってようやくお金が足りたという告白を聞くに、まさかこの武器を僕に買ってあげるためにお金を工面するような無理をしたのだろうか?
僕がこれほどの優しさを受ける資格なんてあるのだろうか?
「どういたしまして」
ディナは親しみを込めて微笑み返した。
「でもね、さっきみたいに『先生』なんてつけずに、直接名前を呼んでくれる方が好きなんだけどな」
「それはダメだよ、先生。さっきのはうっかり口が滑っただけだから」
小さく笑いながら僕ははぐらかした。
「その道具を大切に使えよ、リアム。ディナから聞いたぞ、お前は魔術の才能がずば抜けてるってな」
隣に立つガレンが言葉を添えた。
「うん。絶対に大切にして、有効に使うよ」
僕は真剣に答えた。
「よし。それじゃ、俺たちは先に行くぞ!」
前方の隊列へと徐々に遠ざかっていく二人の背中に向かって、僕は手を振った。
「おい、あんた」
突然、肩をポンと叩かれた。僕は反射的に体を反転させ、その人物めがけてAK-12の銃口を突きつけた。
「落ち着け、落ち着けって! その危ない物、下ろしてくれよ、な?」
「お前……?」
慌てて両手を宙に挙げている目の前の少年に、僕は目を見張った。地球から来たと推測していた、あの黒髪の一団の少年だった。
さっきの連中じゃないか? どうしてこの隊列にいるんだ?
あ、待てよ。ガレンの話では、義勇兵は遠征の輜重隊を護衛する任務に回されるはずだ。
あいつらはDランクかFランクの冒険者なのだろうか?
少年の脇にいる何人かを観察した。空気が一瞬で張り詰めた。黒髪の長い少女は腰に差した鞘入りの刀の柄に手をかけており、他の者たちもそれぞれの短剣を固く握りしめていた。僕が構えている銃器を見て、全員が警戒の構えを取っている。
「おい、貴様ら! そこで何をもめている?!」
鋭い叱責の声に、僕はとっさに武器を下ろした。目の前の少年は安堵の息を吐き、乱闘騒ぎに発展しなかったことに仲間たちも胸を撫で下ろした様子だった。
「何でもありません、殿下! 同郷の知人に挨拶をしていただけです」
温和な顔立ちの別の少年が慌てて割って入り、取り繕った。
その弁解を聞き、ジュリア王女はわずかに眉をひそめた。互いに武器を突きつけ合っていた先ほどの光景は『同郷の再会』とはおよそ程遠かったが、それ以上追及しないことを選んだ。
「そうか。今回の無作法は不問に付そう」
ジュリア王女は淡々と言った。それから背後の頑強な男へと視線を向けた。
「ジョージ卿、この若輩者どもを預ける。適切に統率せよ」
指示を下すと、王女は亜人の護衛を連れて別の隊列へと歩み去った。去り際、その亜人は威圧的な眼差しで僕を一瞥していった。
くそっ、軽率すぎた! よりによって高貴な王女の前で反射的に銃を突きつけるなんて?!
ジュリア王女が寛大にも無礼を許してくれたのは、本当に幸運だった。並の封建貴族が相手だったなら、暗殺未遂の咎でとっくに首と胴体が泣き別れになっていたところだ。
すべてはあの夜のクソチンピラどものせいだ。あいつらのせいで、他人にここまで過敏に警戒するようになってしまったのだ。
「悪かったな。過剰に反応しすぎた、僕が悪かったよ」
少し頭を下げて謝罪した。
「あ、気にすんなって! 急に肩を叩いて驚かせた俺も悪かったしな」
少年はあっけらかんと返した。
「俺の名前は山田健太。健太って呼んでくれ。あんたは?」
彼は気さくに続けた。
黒髪の少年の親しみやすい態度を見て、僕は名乗りを返した。
「リアム・アシュフォードだ」
「うわ、マジで外国人じゃん! どこ出身? アメリカ? ヨーロッパ?」
彼は身を乗り出して尋ねてきた。
なんなんだ、この鬱陶しいくらいの馴れ馴れしさは?
まあ、今の僕の外見は確かに白人風だし……というか訂正、この世界じゃ僕は正真正銘の西洋人枠なのだが。
「ごめんね、リアム。そう呼んでいいかな?」
さっきジュリア王女の問いに答えた別の少年が口を挟んだ。
僕は静かに頷いた。
「俺は光ヒロ。ヒロって呼んでくれ。さっきの健太の不躾な質問は許してやってほしい。あいつ、口が悪くて直球すぎるけど、根は悪い奴じゃないんだ」
ヒロは苦笑いしながら友人の首に腕を回して言った。
「おい、ヒロ! 離せよ、苦しいだろ!」
健太が暴れて抗議した。
「健太、静かにしなさい。ジョージ卿が見ているのが分からないの?」
さっき刀に手をかけていた長い黒髪の少女が、冷淡な口調で咎めた。
その言葉を聞いて、健太はすぐに抵抗をやめた。
僕も自分たちに向けられる鋭い視線を感じ取っていた。ジョージという男だけでなく、周囲の他の義勇兵たちも、苛立ち混じりの冷ややかな視線を投げかけていた。
「チッ、役立たずの素人どもめ。さっきからふざけ合ってばかりいやがる」
隣の列の筋骨隆々の男が嘲笑った。
「このガキども、この危険な遠征を森へのピクニックか何かと勘違いしてんじゃねえのか?」
別の男が嘲りを重ねた。
「これだからガキと同じ隊列は御免なんだよ。ギルドもなんでこんな連中を受け入れたんだか。義勇兵だからって、少しは人選を考えろってんだ!」
その辛辣な当てこすりに胸の内で苛立ちが募ったが、古参の冒険者たちの目には僕たちの立場が頼りなく映っているのも事実だと理解し、自重することにした。健太たちを盗み見ると、彼らも不快感を露わにしながらも口を閉ざす道を選んでいた。
「そこまでだ! 無駄口をやめろ!」
重々しく厳格な声がそのざわめきを一刀両断した。ジョージという中年の男が隊列の前へと進み出た。
「全員、よく聞け。これから貴様らの任務、そしてこの遠征において許される行為と禁ずる行為を申し渡す!」
……
長々とした説明を聞き終え、数分待機した後、遠征隊はついに出発した。
僕は最後尾の隊列に配置され、先ほどの少年少女たちと共に輜重馬車の護衛として行軍していた。正直なところ、この集団の真ん中にいるのはかなり居心地が悪かった。
名前や容姿からして、あいつらは日本人だな。
並んで歩く彼らをちらりと横目で見た。
だが、あいつらはどういう経緯でこの世界に来たのだろう? よくある異世界転移もののように、勇者召喚の儀式で呼ばれたようにも見えない。それに、どうしてあいつらは生身の体ごと転移してきて、僕は見知らぬ他人の体に転生しなければならなかったのか?
僕たち全員がこの世界へ送り込まれる原因となった、何らかの事件でもあったのだろうか?
それに……あいつら、僕が地球出身だと一瞬で見抜いていたな。
身につけている服装と、右肩に背負った銃器のせいに決まっている。
視線を落とし、自分が着ているグレーのアディダスのジャケット、黒の長ズボン、足元の白いスニーカーを見下ろした。
くそっ。これほど露骨な格好じゃ、この世界の原住民だとシラを切り通すのは無理がある。
まあいい、後であれこれ詮索されたら、転生者だと言い訳すればいい。あいつらみたいに肉体ごと転移してきたのではなく、前世の記憶を持ったまま生まれ変わっただけだと主張すればいいのだ。
「ねえ、リアム君」
「何?」
僕は横を向いた。声をかけてきたのは、背中に弓と矢筒を背負った少女だった。ショートヘアに茶色の瞳をした可愛らしい顔立ちで、典型的な日本の女子高生といった雰囲気だった。
確か、八奈見凛という名前だったか。
「あんたが背負ってるそれ……本物の銃なの?」
ヤナミは疑念と好奇心が入り混じった表情で尋ねてきた。
他の仲間たちも興味津々で視線を向けてきた。いずれにせよ、このような中世風のファンタジー世界で近代兵器を目にするのは異様極まりない光景だ。ファンタジーの世界観を根本からぶち壊している。
肩にかけたスリングを少し直しながら、銃身に手を添えた。
「うん、本物の銃だよ。本物を見るのは初めて?」
僕は尋ねた。
「うん、生で見るのは初めて。動画で見るより本物の方がずっと格好いいわね」
ヤナミは感心したような声で答えた。
「八奈見さんも銃が好きなの?」
僕は首を傾げて尋ねた。
しかし、ヤナミが答えるよりも早く、別の声が僕たちの会話に割り込んできた。
「それ、あなたの加護によるものよね?」
声の主へと視線を向けた。問いかけてきたのは、すらりとした長身に美しい容姿を持つ、黒髪ストレートロングの少女だった。アニメに出てくる名家の令嬢キャラクターを彷彿とさせる出で立ちだった。
めちゃくちゃ美人だな。
いやいや、僕は心の中で慌ててかぶりを振った。
落ち着け、リアム。その美貌に簡単に惑わされるな。僕には先生がいるじゃないか。そう、先生の方が彼女よりずっと綺麗だ。
「うん」
僕は淡々と答えた。
誤魔化しても無駄だと判断した。彼女たちがその単語を知っているということは、この世界における固有能力の概念をすでに学んでいる証拠だ。彼女たち自身も僕と同じように加護を宿している可能性が高い。
それに加護は、厳重に秘匿される魔術の知識とは違って、隠すべき秘密というわけでもない。
なら、彼女たちの加護は何なのだろう?
雪乃という上品な少女の腰に佩かれた、優美な装飾の施された黒鞘の刀をちらりと見た。
「いいよなー。そんな格好良くて強い加護を持っててさ。クソッ、近代兵器を使ってファンタジーの魔物をぶっ放すなんて……昔RPGやってた頃の最高の妄想だったぜ。マジで羨ましすぎる」
健太は僕の小銃を羨望の眼差しで見つめながらぼやいた。
「みんなが想像してるほど都合のいいものじゃないよ。この武器を手に入れるのにも、それ相応の対価を払わなきゃならないんだから……」
僕は苦笑いを浮かべて答えた。
こいつ……加護を持っていないのか? それとも戦闘には役に立たない能力なのか? 僕は目を細めて彼を値踏みした。
「対価があるのは当然だろ、この世にタダ飯なんてあるわけないんだからさ。強力な加護を持ってるヤナミや雪乃だって弱点が――痛っ! いってえな、クソッ!」
「ミユキ! なんで脇腹をつねるんだよ?!」
健太は痛みに顔を歪めて怒鳴った。
「他人の秘密を見知らぬ相手の前でペラペラ喋るんじゃないわよ、このバカ!」
ミユキと呼ばれたもう一人の少女が苛立たしげに怒鳴りつけた。
口を滑らせたことに気づき、健太は瞬時に口を噤んで硬直した。
「彼って、普段からこんなにおバカなの?」
僕は呆れて尋ねた。
「ああ、普段からこのくらいバカだよ」
僕の隣を静かに歩いていた眼鏡の少年が答えた。
「ほら見なさい! 子供にすらバカだって見抜かれてるじゃない、健太! あはは!」
ヤナミは大声を上げて仲間をからかった。
「うるせえ!」
健太は恥ずかしさで顔を真っ赤にして言い返した。
仲間たちの小競り合いを見ていたヒロは、僕に向かって愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「妙ね……」
「何が妙なんだよ、雪乃?」
健太が不思議そうに尋ねた。
「気づかないの? この森に入ってからというもの、周囲があまりにも静まり返りすぎているわ」
雪乃が説明した。
「君の言う通りだ、不自然だね」
夏木涼が鼻の上の眼鏡を押し上げた。
「前回僕たちが森に入ったときは、外縁部だけだったけれど、動物の声が聞こえたり小型の魔物がうろついている姿を見かけたりした。でも今は本当に奇妙だ、生命の気配がまったく感じられない」
「俺たちの人数がめちゃくちゃ多いんだから当然じゃないか?」
健太は前方に続く輜重馬車の長い列や馬の群れ、兵士たちの隊列を見渡しながら反論した。
「この遠征に参加している正確な人数は知らないけれど、隊列の長さから見ても千人以上は確実にいるだろ。動物や雑魚の魔物がビビって逃げ出したって不思議じゃないさ」
「……あんた、本当に健太なの? あんたの口からそんなまともな分析が聞けるなんて思わなかったわ」
八奈見凛は信じられないといった目で彼を見つめてからかった。
「おい! どういう意味だよ?!」
健太が怒鳴り返した。
「それでもやっぱり腑に落ちないよ。ここは魔物の巣窟である黒い森なんだ。こんなに静まり返るなんてあり得ない」
涼は不安げな面持ちで槍を強く握り直した。
彼らの議論を聞き、僕も口を挟むことにした。
「ジュリア王女が、野獣や下級魔物が遠征隊に近づかないように特定の結界魔術でも張っているんじゃないかな?」
「ファンタジーゲームにはよくそういう呪文があるでしょ? 宮廷魔術師たちがそれを発動させているのかもしれないよ」
場の空気を和らげようと僕は言った。
「その可能性はあるね」
ヒロが同意して頷いた。
いずれにせよ、僕たちは魔術の機微についてまだ無知なのだ。だがこの世界に魔術が実在する以上、そのような結界呪文が存在したとしても決して不思議ではなかった。
「それでも確証はないわ。警戒は怠らない方がいい。ヤナミ」
雪乃が仲間を呼んだ。
ヤナミは機敏に頷いた。
彼女の視線が前方の隊列へとまっすぐ注がれた。一瞬、彼女の視界に別の光景が重なって映し出された――十秒後の未来に起きる出来事を捉えた視覚映像だ。
「何もないわ、雪乃。進路は安全よ」
ヤナミが報告した。
「よし、ご苦労様」
雪乃が答えた。
今、何をやったんだ?
僕は好奇心を抱いてヤナミの挙動を観察した。
僕たちはさらに数キロメートルにわたって道を進み続けた。数日前に僕が初めてこの黒い森に足を踏み入れたときのような豪雨こそ降っていなかったものの、空は少しも晴れていなかった。今にも雨を降らせそうな分厚い灰色の雨雲が重く垂れ込め、朝からずっとこの陰鬱な空模様が続いていた。
右の手首の腕時計を確認した。針は十一時十二分を指していた。
「リアム君、それって地球から持ってきた物なの?」
ミユキが不思議そうに尋ねてきた。
その問いに、僕は静かに首を横に振った。
「違うよ。僕の加護によるものなんだ。その力を使って、様々な現代の道具を具現化できるんだ」
僕は正直に答えた。
あいつらに能力を隠す必要はないと判断した。これだけ頭の回る連中なら、僕の持つ現代の道具と加護の関連性くらい簡単に察するはずだ。それにいずれはこの世界の住人に現代の商品を売り捌くつもりなのだから、僕の力も遅かれ早かれ秘密ではなくなる。
それに連中の立ち振る舞いを見る限り、他人の秘密を軽々しく言いふらすようなおしゃべりなタイプには見えなかった。顔つきや態度から人の性格を見極めることに関しては、それなりの自信があった。
「あなたの加護はとても特別なものなのね、リアム君」
今言葉を挟んだのはミユキではなく、雪乃だった。
「あ、いや、そんなことないよ」
別に可笑しくもないのに、僕は愛想笑いを浮かべて答えた。
「クソッ、マジで羨ましいぜ」
それを耳にして健太がぼやいた。
「ヒロ、さっきお風呂セットを買いたいって言ってたわよね? この世界の質の低い品物を買うくらいなら、リアム君から買い取ったらどうかしら?」
雪乃が仲間に目を向けて提案した。
「それは名案だな」
ヒロは同意して頷いた。
「どうかな、リアム? お前からお風呂セットを売ってもらえないかい?」
「石鹸やシャンプーのこと?」
確認のために尋ねた。
「ああ」
システムで買える最安値の商品は、銀貨一枚相当だ。僕にとっては微々たる金額に思えても、彼らにとっては決してそうではないはずだ。
彼らのみすぼらしい装備や防具を見る限り、銀貨一枚が彼らにとって決して小さな金額でないことは容易に想像がついた。システムのカタログでは石鹸やシャンプーのボトルは一本一〜二ポイント程度だが、銀貨一枚の換算レートは五ポイントに相当する。
「うーん、どうだろう……僕の能力、タダじゃないんだよね」
少し気まずそうに答えた。
「いくらか値段を言ってくれればいいわよ」
ヤナミがあっさりと言った。
「一番安くても、銀貨一枚だ」
「はぁ?! そんな値段なら、いっそ俺たちから強盗でもした方がマシだろ?!」
健太は目を剥いて叫んだ。
「高すぎるわ……」
ミユキが力なく呟いた。
「ごめん、でも元々そういう相場なんだ。これでも一番安い計算なんだよ」
僕はありのままに返した。
この時代の品物を遥かに凌駕する現代の石鹸やシャンプーが銀貨一枚というのは、実際には破格の安さだ。貴族階級に売り込めば、莫大な暴利を貪ることができる。最初から僕の商売のターゲット層は彼らのような庶民ではなく、豪商や貴族階級なのだ。
とはいえ、下層階級の市場価値を無視するつもりも毛頭なかった。いずれにせよ、平民の人口はこの王国において、いや全世界において最大のパイを占めている。それほど広大な市場を見逃すのはビジネスとして愚の骨頂だ。
地球の大学時代、経済学の講義を真面目に聞いてばかりいたわけではない。だが、これほど初歩的な論理くらいなら当然理解できる。
僕の計画では、まず貴族への販売益で資本を蓄積する。十分な資金が集まった後、システムから技術マニュアルや原材料を購入し、この世界に近代的な工場を建設するのだ。現地の生産ラインを通じてこそ、システムの換算価格よりも遥かに安く価格を抑え、一般庶民でも買えるようにできる。
何より、生き残るためにいつまでもシステム一本に頼り続けるわけにはいかないのだ。
「そうか……その値段なら仕方がないな」
ヒロは残念そうにため息をついて呟いた。
他の面々もその価格を聞いて肩を落とした。だが、無理に懇願したり強引に値切ったりしないだけの分別は持ち合わせていたようだ。出会ってまだ数時間の仲だ。厚かましく要求を押し通すのは、自らのプライドを傷つけるだけだと弁えているのだろう。
僕たちの足音は前方へと伸びる輜重隊の列に追従しながら、その後の数キロメートルにわたって道を進み続けた。さっきの気まずい会話のせいか、口火を切る者は誰もいなかった。
広がる沈黙の中、周囲の森の気配が次第に狂い始めているのを感じた。
僕のような素人にさえ、この息の詰まるような静寂が明らかに異常であることは肌で感じ取れた。
最初はジュリア王女が野獣を遠ざけるために魔術でも使っているのかと思っていたが、この静けさはあまりにも異様すぎた。この一帯に野生動物や魔導生物がまだ生息しているのかどうかすら疑わしくなってきた。鳥のさえずり一つ聞こえてこないのだ。
クソッ、一体この森で何が起きているんだ?!
胸の内に不安がじわじわと這い上がってきた。
僕はすぐに肩から小銃を下ろし、セーフティを射撃位置へと切り替え、人差し指を引き金のすぐ脇に添えた。
僕の行動を見て、雪乃、ヒロ、ミユキ、ヤナミ、涼、健太、石川も警戒度を一気に引き上げた。それぞれの武器を戦闘態勢のまま固く構え直す。
「これは本当に異常だ」
ヒロが不安そうに呟いた。
……
「王女殿下、この状況は極めて異常です」
銀の鎧を纏った一人の騎士が、茶色い馬をジュリア王女の乗る白馬に並ばせた。
ジュリア自身は先頭を静かに進み、両脇には同じく騎乗した親衛隊がぴったりと付き従っていた。
「わかっている、サー・ジョージ」
ジュリアは淡々と答えた。
「魔術の影響に違いない」
「私もそう推測いたします、殿下。しかし魔物の仕業か、魔術師によるものかは判然としません」
ジョージが応じた。
「ならば、第一中継地点まで進軍を継続する。到着次第、直ちに野営地を設営し、かの五つのゴブリンの巣を監視するための斥候隊を数隊放て。不審な動向がなければ、当初の作戦通りに事を運ぶ」
ジュリアは簡潔に命じた。
「御意。直ちに全軍へ伝令を回します」
ジョージは一礼すると、馬を走らせて離れていった。
「殿下、これは奴らの仕業でしょうか?」
すぐ隣を馬で並走していた腹心の部下が尋ねた。
その問いに、ジュリアの唇にかすかな笑みが浮かんだ。
「奴らとは誰のことだ?」
「もう、ジュリア様。誰のことか分かっていらっしゃるくせに」
猫耳の護衛は唇を尖らせて不満げに言った。
「あり得ぬ話ではない」
ジュリアは静かに答えた。
「それに、不自然だとは思わぬか? なぜ当初から何の兆候も察知されぬまま、突如として五つもの大規模なゴブリンの巣が現れたのだ? 街の民からは家族が行方不明になったという届け出など一件たりとも出ていないのだぞ」
ジュリアは分析を続けた。
「周知の通り、これほどの規模のゴブリンの巣が形成されるには、大量の人間が失踪していなければ辻褄が合わぬ。一つの村が丸ごと滅ぼされ、ゴブリンが繁殖の苗床として女を拉致してコロニーを急拡大させるのが常だ」
「ゴブリンが発覚を免れてヴェニンブルク領内へ潜入する手立てなど、城壁の下にトンネルを掘るか、下水道の排水溝を這い進むかの二つしかない。大城壁の周辺も水路も兵に調べさせたが、掘削の痕跡も被害者の形跡も一切なかった」
「だが、報告によれば、黒い森の川へと通じる市外の地下排水溝周辺で、夥しい数の人間の足跡が発見されたという」
「では殿下の仰る意味は……外部の何者かが故意にこのゴブリンの巣を繁殖させたということですか?! 他所から捕虜を運び込んで繁殖の奴隷にしたと?!」
「そうでなければ、他に筋の通る説明がつくか? この地において、ゴブリンなど黒い森の中でしか生き延びられぬ。それ以外は私がすべて殲滅したのだからな。仮にヴェニンブルク領内に小規模な群れが残っていたとしても、住民の通報で把握できるはずだが、その手の報告は皆無だ」
ジュリアは冷ややかに言い放った。
「王国内地のゴブリンの群れが、わざわざこの国境の僻地まで大移動してきて、我らの目と鼻の先にこれほど巨大な巣を築くなどあり得ぬ話だ」
「下劣な外道どもめ! そんな腐った人間ども、生きたまま皮を剥いでやるべきです!」
猫耳の護衛は拳を固く握りしめて激怒した。
「街から殿下を誘い出すための罠だと分かっておきながら、なぜ奴らの筋書きに乗られたのですか?」
猫耳の護衛は不安げに尋ねた。
「選択肢がないからだ」
前方をまっすぐ見据えながら、ジュリアが答えた。
「街の中に引きこもっていれば、遅かれ早かれゴブリンどもは雪崩れ込んでくる。ヴェニンブルク領に致命傷を与える奇襲を指をくわえて待つくらいなら、私をおびき出す罠だと承知の上で、脅威が膨れ上がる前に叩き潰す道を選ぶ」
ジュリアは手綱をゆっくりと引いた。
「それに、この遠征の勝利を利用して辺境の民衆の間で自らの名声を高め、来月の王位継承者選定に向けて地方貴族の支持を固めることもできる」
「ただ……王位選定が正式に始まる前から、奴らがこれほど露骨に私を始末したがっているとはな」
ジュリアの青い瞳が冷たく光り、馬を静かに歩ませた。
「しかし殿下、これほど手の込んだ筋書きを描いてまで殿下の命を狙う者など、一体誰なのでしょう?」
猫耳の護衛はしばし口を閉ざした後、おずおずと尋ねた。
「まさか……第二王子か第三王女でしょうか?」
「第二兄上や第三姉上が、私をそこまで買いかぶって大きな脅威と見なしているとは思えぬがな」
ジュリアは顎に手を当てた。
だが王位継承争いにおいては、脅威と見なされているかどうかなど関係ない。生きている競合相手が減れば減るほど、奴らの立場が有利になるのは自明の理だ。
「まあよい。黒幕が誰であろうと、私に喧嘩を売った落とし前は後できっちりつけさせる」
ジュリアは断固として言い切った。
「今は遠征を終わらせることに集中する。片が付き次第、この陰謀の首謀者を白日の下に引きずり出してやるまでだ」
……
遠征隊はついに第一中継地点へと到達した。
当初の予定では、ここに野営地を設営し、翌日になってから森の奥深くへと進軍することになっていた。険しい地形のせいで車輪が通れず、馬車をこれ以上奥へ乗り入れることができないからだ。
だが、道中で感じた森の不気味な静寂を思えば、野営の計画がこのまま維持されるのか、突如変更されるのか、僕自身疑わしく思っていた。
僕は馬車から補給物資を一つずつ下ろすのを手伝った。
幸いにも、先生から教わった魔力操作のおかげで、疲労はまったく感じなかった。足へ一定の魔力を流し続けている限り、十数キロの行軍すら軽く感じられた。
この能力は本当に凄まじい。この技術を習得していなければ、子供の身体でこれほどの長距離を歩き通せたか怪しいものだ。
その証拠に、ヒロたちは汗だくになり、息を切らして疲れ果てていた。
「なあ、リアム……お前、子供の体なのにどうして全然疲れてないんだ? 子供の体力は底なしだって噂、マジだったのか?」
健太は息を切らしながら木箱を地面に下ろし、尋ねてきた。
「そんなわけないだろ。僕が疲れてないのは、魔力操作で体を強化しているからだよ」
別の物資の袋を置きながら僕は答えた。
「やっぱりな……」
健太は力なくぼやいた。次の瞬間、その目が輝いた。
「リアム、俺にもその技術教えてくれよ!」
その唐突な頼みに、僕は一瞬言葉を詰まらせた。
魔力操作は魔術の基礎だ。軽々しく他人に魔術を教えてはならないと、先生に誓いを立てたばかりだった。
「それについては……ごめん、教えられないんだ」
僕は当たり障りなく断った。
「師匠から直接教わった技術でね、魔術協会の許可なしに誰にも魔術を教えてはならないって厳しく言われているんだ」
「魔術を教える? 待て、お前、魔術も使えるのか?!」
健太は目を丸くして僕を見つめた。
「言ってなかったっけ?」
「聞いてねえよ、バカ! クソッ、なんで良いところ全部お前が独り占めしてんだよ?! 才能のない俺にも少しはその幸運を分けてくれよ!」
健太は悔しそうにぼやいた。
僕が魔術を使えるという事実に、ヒロ、ヤナミ、雪乃、ミユキ、涼、石川も一様に驚愕した。
無理もない。この世界に来て以来、彼らは冒険者ギルドの大広間で魔術師を見かけたことすらなく、まして杖から火球を放って戦う冒険者など目にしたことがなかったのだ。森の中で他の冒険者とすれ違った際も、その戦い方は剣技や体術に終始していた。
最初は、この世界が魔術のない、剣と武術と加護だけに頼るローファンタジーの世界なのかと疑っていたほどだった。だが後に、魔術が魔術協会やエヴァ教会、王室といった巨大組織によって厳格に独占されているため、魔術師が極めて希少な存在であることを知ったのだ。
平民の間で魔術を広めることは法律で固く禁じられており、学ぶ資格と幸運に恵まれるのは、選ばれたほんの一握りの人間だけなのだ。
そしてその幸運な一握りの人間が、今、彼らの目の前に平然と立っている。
どう見ても、この子は私たちとはまるで違う。特別な加護に、魔術の才能……この世界は本当はこの子だけを喚び寄せたのであって、私たちは不運にも巻き込まれただけなんじゃないかしら? 分からないけれど。
健太がその子の肩を揺さぶりながら教えてくれとせがみ、リアムが気まずそうにうなじを掻きながら愛想笑いを浮かべる姿を観察しながら、星名雪乃の脳裏にそんな思考がよぎった。
ここ数時間リアムを観察した結果、雪乃はこの子が極めて聡明であるという結論に達していた。その言葉遣いは同年代の子供のそれとは到底思えない。欧米の子供は普段からこれほど賢く大人びているものなのかしら、と疑問に思ったほどだった。
子供特有の無邪気さや世間知らずな一面が見当たらない。思考回路は成熟しており、自分たちと同等の水準、いや、子供じみた振る舞いの抜けない健太と比べれば遥かに大人びている。
それにもかかわらず、リアムには社交不安の傾向が見受けられた。特に異性と接する際、相手の目と直接合わせるのを避けるように視線を下へ落とすことが多かった。話し方も時折ぎこちなく緊張した様子になり、長い間他者との交流を絶っていた人間のようだった。
奇妙なことに、健太のような同性の男子と話すときは、そうしたぎこちなさを一切見せず、ずっとリラックスした態度を見せるのだ。
一連の観察から、雪乃はリアムが過去に何らかのトラウマを抱えているのではないかと推測した。
ただ一つ確信できたのは、この子が根は優しい少年だということだ。普段は冷徹で固い彼女の表情に、薄い微笑みが静かに灯った。
「見ろよ! 雪乃が今笑ったぞ! もうすぐ雨でも降るんじゃないか?!」
健太は大声を上げて大笑いした。
「あはは、確かにそうだな!」
それを見たヒロも吹き出し、他の仲間たちも笑みを浮かべた。
仲間たちの反応に、雪乃の頬が一瞬で赤く染まった。
……
「お前たちも気づいている通り、この森に入ってからというもの、周囲が静まり返りすぎている。明らかに異常だ」
招集に応じた上位ランクの冒険者たちを前に、ジュリアが告げた。
「魔術師の仕業でなければ、加護の使い手による所業に違いない」
ジュリアはピンク髪の女性へと顔を向けた。
「ディナ・オクタヴィア、魔術師としての貴殿の見解を聞きたい」
その問いを予期していたディナは、すぐに一歩前へ進み出た。
「野獣や魔物を操る魔術は確かに存在します。ですから、この現象の裏に魔術師がいる可能性は十分に考えられます」
ディナは一息置いた。
「この手の魔術師に対処するには、本体を見つけ出して直接討ち取るしかありません。操られている魔物を相手にしても体力を消耗するだけです。黒い森に蠢く他の魔物をいくらでも呼び寄せられますから。平原での全面衝突に応じるのは、甚大な被害を出す最悪の選択肢です」
その説明に、ジュリアは納得して頷いた。開けた戦場で傀儡使いの敵と対峙するのは、あまりにも危険が大きすぎる。
「ならば、最優先事項はその魔術師の痕跡を追跡することだ」
ジュリアは断固として言った。
「それと並行して、かのゴブリンの巣の現状を確認せねばならぬ。貴殿ら二人は以前にあの巣へ足を踏み入れているのだから、斥候隊へ合流せよ」
「御意、殿下」
ガレンとディナが揃って応じた。
ジュリアは目の前に直立する冒険者たちの列を見渡した。湿った森の風が彼女の髪を揺らす。
「残りの者はこの一帯を捜索せよ。森の周辺にいる魔術師、あるいは不審者の足取りを追うのだ」
「遭遇した場合は速やかに捕縛せよ。生け捕りが不可能な状況であれば、その場で斬り捨てて構わぬ」
「以上だ」
「御意、殿下!」
冒険者たちが応えた。
冒険者という稼業において、本来は雇い主の前でここまで硬苦しく振る舞う義務はない。だがすべては依頼主が誰かによる。ジュリア王女のような大貴族が相手であるならば、王国の正規兵さながらの礼儀作法と軍規を示すことが義務づけられるのだ。
万が一にも無礼を働けば、手痛いしっぺ返しが待っている。貴族がギルドに正式な苦情を申し立てれば、ギルド側は問題の冒険者に対して容赦なく重罰を下す。数日間の依頼受託停止、資格剥奪、あるいはさらに最悪な口座の無期限凍結だ。そうなれば、冒険者として汗水垂らして稼いだ貯金は一銭たりとも引き出せなくなり、ブラックリストに載って二度と再登録すら叶わなくなる。
最悪の場合には、その貴族の手によってその場で即座に処刑されることすらある。ギルド側もメンバーを守るために動くことはできない。元はといえば冒険者側の落ち度だからだ。最初からギルドは厳格なマナーと規範を定めている。冒険者の軽率な行動は完全に自己責任であり、ギルドは取り決められた規則を執行するにすぎない。
不条理に聞こえる規則だが、仕方がない。それが現在この世界を支配している現実なのだ。
指示を終えると、ジュリアはその場を離れて次の天幕へと向かった。
「作戦が根底から覆ったようだな」
剣の鞘の位置を直しながら、ガレンが口を開いた。
「単純なはずだったゴブリンの巣の掃討が、急転直下でこんな非常事態になるとはな。まさか最初から何かの陰謀の一部なんじゃないだろうな?」
「その可能性はあるわね。間もなく行われる王位継承者選定の時期とあまりにも近すぎるもの」
隣を歩きながらディナが返した。
「そうか……」
「でもあの子のことが心配だわ。後方部隊で無事でいるかしら?」
ディナは不安げな表情で尋ねた。
「おいおい、心配しすぎるな。あいつなら自分の身くらい守れるさ。お前が魔力操作を教え込んだんだろう。混乱が起きたとしても、逃げ出すくらいは朝飯前だ」
ガレンは相棒を安心させようと言った。
「そうだといいけれど……」
ディナは静かに呟いた。
……
「あそこが巣です、ジョージ卿」
切り立った崖の下に広がる巨大な窪地を指差し、ガレンが言った。
「……大規模だとは聞いていたが、まさかここまでの規模とはな」
ジョージは表情を険しく硬直させ、眼下の集落を見下ろした。
その巣は何千匹、いや一万匹ものゴブリンがひしめき合えるほどの広大さだった。五つの異なる巣が意図的に一つの広大な縄張りへと統合されたことは明白だった。
『ブラック・フェンリル』パーティーのAランク冒険者であるライアンも、その光景に息を呑んだ。
「これほど巨大なコロニーが、どうして今まで俺たちの目を逃れてきたんだ? 最近ゴブリンに村が壊滅させられたなんて話、耳にした覚えもないぞ」
ライアンは眉間に深い皺を寄せてぼやいた。
「でも妙だわ。前回私たちがここへ来たときは、見張り台に何匹かのゴブリンが立っていたはずよ。でも見て、今は空っぽだわ」
崖下の木造小屋の列を指差しながらディナが言った。
「まだ真昼間よ。少なくとも境界周辺を巡回しているはずなのに、何の動きも見当たらないわ」
「貴殿の言う通りだ」
ジョージも同様の違和感を覚え、静かに頷いた。
「なら、突入するまでだ! こんな崖の上で突っ立っていたって何の答えも出やしねえ!」
ライアンは剣を鞘から引き抜きながら叫んだ。
「ライアン、もっと慎重になるべきよ。あの巣の雰囲気、絶対に普通じゃないわ」
ニーナが不安そうに引き止めた。
「ニーナ、急に何をビビってやがる? 相手はたかがゴブリンだぞ! どれだけ群れていようが、大した真似などできやしねえ。俺はAランクの魔物であるフェンリルを討伐した冒険者だぞ! この俺が下等な害虫の群れに怯えろってのか?!」
ライアンは苛立たしげに舌打ちした。
「怖気づいたならそこにいろ。俺は先に行く!」
誰の指示も待たず、ライアンは崖の斜面を一気に飛び降り、身軽に駆け下りていった。
「あの愚か者が……!」
その向こう見ずな暴走を目の当たりにし、ジョージは唸り声を上げた。
「うちの隊長をお許しください、ジョージ卿。いつもああやって猪突猛進してしまうのです」
二十代半ばの茶髪の男が、気まずそうに頭を下げて謝罪した。
「よい、気にするな」
ジョージは苛立ちを噛み殺して応じた。
「だが、ライアンを先行させるのは悪い手でもないと思います」
ガレンが仲裁に入った。
「あいつが安全か危険かの合図を出すまで、俺たちはここで様子を見ればいい」
ガレンは私見を付け加えた。
「それにライアン自身、正剣流・達人級の剣士だ。並のゴブリンが何百匹いようと相手にならんでしょう。状況が悪化したとしても、逃げ延びる力くらいはあるはずです」
「よかろう、まずはここから監視する」
ジョージが決断を下した。
ガレンは周囲の戦力を見渡した。『ブラック・フェンリル』はAランクパーティーであり、正剣流・達人級の剣士であるライアン、腕利きの弓兵ニーナ、さっき口を開いた槍使いのギオン、そして見知らぬもう一人のメンバーで構成されている。そこにジョージ騎士と二人の配下の兵士、さらには水剣流・中級の自分と、三級魔術師のディナがいる。
単なる偵察任務にしては、この戦力は十二分すぎるはずだった。
「ライアンが合図を出したわ」
不意にディナが声を上げ、全員の視線が一斉に彼女へと集まった。
「進路は安全だから合流しろ、と言っているわ」
崖の上から遠くのライアンの口の動きを読み取り、ディナが補足した。
ディナが飛行魔術を詠唱した。全員が素早く術式の範囲内へと身を寄せ、ディナは彼らをふわりと浮遊させて険しい崖を下り、地面へと滑らかに着地させた。
ギオンが強張った両腕を伸ばしながら小さく息を吐いた。
「パーティーに魔術師がいるってのは本当に羨ましいな。うちにも魔術師がいれば、クエストの達成もずっと楽になるんだが」
「ディナのような頼もしい仲間がいるのは、俺たちのパーティーの自慢さ」
ガレンは誇らしげに少女の肩をポンと叩いた。
「ガレン、やめてよ、恥ずかしいじゃない」
顔を赤らめてディナが窘めた。
「このような地形において、魔術師の存在は実に心強い」
ジョージもディナに深い敬意を向けて同意した。
彼らは先端の尖った丸太で作られたゴブリンの巣の門へと歩み寄った。入り口の前では、ライアンがすでに腕組みをして待ち構えていた。その顎は強張り、表情には緊張が張り詰めていた。
その異変に気づいたジョージは、一行に先んじて進み出た。
「どうしたのだ、冒険者ライアン? 中で何事かあったのか?」
「ああ」
重々しい声でライアンは短く答え、彼らに歩み寄った。
「さっき中に入って巣全体を何度か調べて回った。ゴブリンが一匹もいやがらねえ」
その報告に、全員の眼差しが一瞬にして警戒の色へと塗り潰された。
ジョージが足を止めた。
「奴らがどこへ向かったか分かるか?」
「地面の足跡を見る限り、大慌てで巣を捨てて森の奥へ移動したようだ」
踏み荒らされた藪を指差しながら、ライアンが説明した。
ガレンが進み出て、門の隙間から鋭く中を見据えた。
「さらわれた被害者たちはどうなった? 見つけたのか?」
ライアンは一瞬口を閉ざした。木々の方へと視線を逸らし、答えるのを躊躇っているようだった。
「それについては……自分たちの目で直接見た方が早い」
ライアンの顔に浮かんだ躊躇いだけで、全員にとって最悪の予兆として十分だった。ガレンは拳を固く握りしめた。
クソッ。
その感情の激変に気づいたディナが、心配そうに相棒の肘に触れた。
「ガレン?」
「大丈夫だ」
怒りを必死に抑え込みながら、ガレンは素早く遮った。
ジョージは巣の門をしばし見つめた後、全員に向けて手で合図を送った。
「ならば、直ちに内部を調査する」
彼らはガタつく木製の門をくぐり抜けた。巣の中に足を踏み入れた途端、息の詰まるような空気の異変が首を絞めるように襲いかかってきた。湿気のこもった空気には、鼻を突く血生臭さと腐乱死体の臭気、排泄物の悪臭が濃密に充満していた。ぬかるんだ地面の上に、乱雑に建てられた高床式の木造小屋が立ち並んでいる。泥の水たまりには何千もの小さな足跡が無秩序に刻み込まれ、そのすべてが森へと通じる裏門の方向へと一斉に向かっていた。
ニーナは手の甲で鼻を覆いながら、その足跡を見つめた。
「ひどく慌てて逃げ出したみたいね。私たちがここへ攻め込んでくることを知っていたのかしら?」
「そうは思えぬ」
ジョージは泥の中の足跡の深さを調べるために膝をついて答えた。
「こちらの接近を察知していたとしても、普段のゴブリンなら死に物狂いで防戦するはずだ。これほどの巣穴をやすやすと放棄するような習性など奴らにはない」
「奴らを逃走させた別の要因が必ずあるはずだ」
不意に、小屋の一つの扉がギィと乱暴に開いた。ギオンが手の中に新鮮な赤い果実を掲げながら出てきた。
「おい、これを見ろ。中に小麦と果物が山ほどあったぞ」
ライアンが素早く振り返り、その果物に目を細めた。
「それ、リンゴじゃないか?」
「ああ、しかも信じられない量だ」
ギオンはそのリンゴを掲げて見せ、小屋の中を指差した。
「木樽の中に大量のリンゴが蓄えられてる」
ライアンは歩み寄り、眉をひそめて小屋の中を覗き込んだ。
「いつからゴブリンがこれほど精巧な木樽を作れるようになったんだ? 奴らはこんな道具を作れるほど知能が高かったか?」
「元より、ゴブリンは誰かに教えられぬ限りそのような器物を作る能力など持ち合わせてはおらぬ」
ジョージが淡々と説明した。
「下等な魔物ではあるが、新しい技術を学習し、巣の発展に利するものを模倣する程度の知恵はある生き物だ」
「ってことは、誰かがわざわざ奴らに教えたってことか」
ライアンは木造小屋の列を鋭く見据えて呟いた。
近くに立っていたニーナが困惑した表情で首を傾げた。
「でも、何のために人間の技術をゴブリンに教えたりするの? いずれ自分たちに跳ね返ってくる刃になるじゃない」
その通りだ。いずれ自分たちを殺すことになる魔物に知恵を授けるような正気の人間など存在するはずがない。
「知れたことではない」
ジョージは立ち上がりながら冷ややかに返した。
「確かなのは、何者であれ首謀者が救いようのない外道だということだけだ」
やがて、敷地の隅にある木造小屋の一つから、ガレンとディナが出てきた。ディナの顔は青ざめ、魔導杖を固く握りしめた両手は激しく震えていた。その隣を歩くガレンは呼吸を荒げ、顎をぎりぎりと噛み締めていた。
ジョージが急ぎ足で二人に近づいた。
「中の様子はどうだ?」
ガレンは静かに首を横に振るだけで、言葉で答えることを拒んだ。その瞳には煮え滾る怒りと激しい嫌悪が渦巻いていた。ディナは片手で口元を覆い、込み上げる嘔吐感を必死に飲み込もうとしていた。
その小屋の中の光景は、あまりにも凄惨を極めていた。全裸の数十人の女性たちが、引っかき傷だらけの痩せこけた体で無残に横たわっていた。短剣で刺殺された者もいれば、石で頭蓋骨を砕かれた者もいた。何よりも凄惨なことに、尖った木杭が下腹部から胸腔を突き破るように貫通して突き立てられていたのだ。捕虜のいたほぼすべての小屋で、同じような地獄絵図が繰り広げられていた。
「クソッタレが! この害虫どもがぁっ!」
ガレンは激怒のあまり叫び、近くの木壁を拳で殴りつけた。分厚い板が粉々に砕け散る。
ディナは地面へと顔を背け、全身の震えを必死に抑え込んでいた。
「理解できない……神様はどうしてこんな野蛮な生き物をお創りになったの?」
ディナは杖を持ち上げた。その先端から小さな炎の火花がパチパチと弾け始める。
「この呪われた場所、焼き払ってしまってもいいかしら?」
「待て」
ガレンは相棒の肩を叩いて制止した。
「ジョージ騎士の指示を待て」
ディナは力なくうつむき、小さく頷いて火花を消し止めた。
ジョージは、森の方から戻ってきたばかりの二人の部下の兵士へと視線を向けた。二人はジョージの全身甲冑とは異なり、簡素な銀の胸当て鎧を身につけていた。
「偵察の結果はどうだ?」
兵士の一人が短く敬礼してから報告した。
「ライアン殿の仰る通りでした。森の奥へ数十メートルにわたって足跡を追跡しました。我らの推計では、少なくとも五千から七千匹のゴブリンがまとまって移動しております」
二人目の兵士が重々しい声で補足した。
「ゴブリンだけではありません、隊長。オークやオーガと思われる巨大な足跡、さらには四足獣の足跡も無数に確認いたしました」
ジョージの顔が一瞬で強張った。
「それほどの大軍が一斉に隊列を組んで移動しているというのか? そのような事態が自然に起きるはずがない。野性の魔物が徒党を組むなど、三つの理由を除いてあり得ぬ。第一に、それらを屈服させる上位の魔物がいること。第二に、それらを操る魔術師がいること。第三に、それらを操る加護の使い手が存在することだ。いずれの可能性であろうと、我らにとっては最悪の状況に他ならん」
ジョージは毅然とした眼差しで一行を見据えた。
「ひとまず野営地へ引き返し、この情報を王女殿下へ報告せねばならん」
異論を挟む者は誰もおらず、全員が同意して頷いた。先ほどまで傲慢に振る舞っていたライアンでさえ、直面している敵がもはやただのゴブリンの群れではないと悟り、おとなしく頷くしかなかった。
一行は踵を返し、巣の出口の門へと早足で向かった。しかし、その歩みは道半ばで唐突に止められた。
小道の真ん中に見知らぬ二つの人影が立ちはだかり、退路を塞いでいたのだ。
一人目は、妖艶で成熟した色香を漂わせる美しい女性だった。短い白髪がその美貌を縁取り、一対の青い瞳がこちらを柔らかく見つめていた。胸元の深く開いたタイトな黒いドレスを身に纏い、豊かな胸の谷間とグラマラスな体の曲線があらわになっていた。ドレスの裾の下からは、黒いハイヒールがぬかるんだ地面の上で長い脚を支えている。濃い紅を引いた唇には、意味ありげな薄い笑みが浮かんでいた。年齢は二十代前半の若い女性に見えた。
その女性の隣には、身長百四十五センチにも満たない、およそ十二歳ほどと見受けられる幼い少女が立っていた。顔は黒い縞模様の描かれた白い仮面に覆われ、細いスリットの隙間から冷徹な眼差しを放つ青い瞳だけを覗かせていた。濃い青の髪は一本の三つ編みに結ばれ、背中まで長く垂れ下がっている。裾に白い花のレースがあしらわれた黒いスカート仕立てのドレスに、端正な白いネクタイ、薄手の透ける黒タイツ、そして艶やかな黒い靴を合わせていた。右手には、舞台の手品師が持つような短く細身の黒いステッキを握りしめていた。
黒いドレスの女性が、大人の女性特有の甘く艶めいた声音で、真っ先に口火を切った。
「あらあら、どうやらお客様がいらしたようね、リヴィア」
女性は首を少し傾げながら、胸の下で腕を組んで言った。
彼女の目は、目の前の武装した一行を頭から足元まで見渡した。そしてその笑みを深めた。
「でも、お客様方はずいぶんと慌ててお帰りのご様子ね? 少し立ち寄って、ゆっくり腰を下ろして、冒険者の皆様や兵士の方々、そして魔術師のお嬢さんが、文明から遠く離れたこんな人里離れた森の奥深くへ何をしにいらしたのか、聞かせてくださってもよろしくてよ?」




