第39章:赤竜
僕たちは地上数百メートルの上空に浮かんでいた。
距離のせいで視界は限られていたものの、遠くで揺らめくオレンジ色の光は、眼下で何かが激しく燃え盛っていることを示していた。
焼け焦げた馬車の残骸らしき影が見え、その周囲には黒い点々が無秩序に転がっていた。まるで何かから逃げ惑う途中で命を落としたかのようだった。
「先生、下りないの?」
隣のピンク髪の少女へと視線を向け、僕は尋ねた。
「まずは状況を観察しているのよ」
ディナは呟いた。そのエメラルドの瞳を細め、極度の警戒心を持って僕たちの真下の領域を見渡していた。
ああ、なるほど。彼女は視力を強化するために、眼球に魔力をまとわせているに違いない。
そのやり方に気づき、僕はすぐに真似てみた。目を固く閉じ、視神経へごく微量の魔力を送り込むことに意識を集中させた。
集中しろ、リアム。集中するんだ。さっきの特訓とまったく同じようにやるんだ。
ゆっくりと、まぶたを開いた。
突如として、世界の解像度が劇的に跳ね上がった。
さっきとは百八十度一変し、視界が恐ろしいほど鮮明になった。立ち上る煙や地上の残骸が、まるで自分の眼球のレンズが軍用双眼鏡に換装されたかのように、極めてクリアに見通せた。
「すごい……これが魔術の力なのか?」
しかし、その感嘆は一瞬しか続かなかった。
「痛っ、痛たた! 目がめちゃくちゃ痛い!」
激痛に顔を歪めながら僕は悲鳴を上げた。砂でも撒かれたかのように、突如として猛烈な熱気と痒みに襲われたまぶたを、両手で反射的にこすった。
「すぐに目への魔力の供給を止めなさい、リアム!」
僕の軽率さに気づいたディナが、即座に僕の肩を強く叩いた。
慌てて眼球への魔力の供給を遮断した。じわじわと、あの焼けつくような苦痛と痒みが治まり、荒い呼吸と少し涙ぐんだ目が残された。
「一体……僕の身に何が起きたの?」
視界をはっきりさせようと瞬きを繰り返しながら尋ねた。
「魔力操作の制御技術がまだその段階に達していないのに、無茶して視覚器官に魔力を流そうとしたからよ」
ディナは厳しい表情で小言を言った。
「でも、さっき水弾の魔術を使ったときは、こんな副作用なんて起きなかったよ?」
目尻に残った涙を拭いながら抗議した。
「あれは体外に具現化させたからよ」
ディナは長いため息をつきながら説明した。
「あなたのその異常な魔術神経の本数が魔力操作の基礎の習得を早めてくれたとはいえ、まだその安定性を完全に掌握しきれていないの。眼球のような極めて繊細な急所の器官に魔力を流すのは、開けた空間で魔術を形作るために魔力を集中させるのとはまるで次元が違うのよ。乱れが生じれば、その損傷の反動はそっくりそのまま自分の肉体に跳ね返ってくるんだから」
「そうだったのか……ごめんなさい、先生。魔術神経が多いことに慢心して、先生の指示もないのに危険な技術を勝手に試してしまったよ」
深い反省を込めて頭を下げながら言った。
「いいのよ、いい教訓にしなさい」
ディナは再び視線を眼下の黒煙へと戻した。
「身構えて、今から下りるわよ」
ディナは飛行魔術の浮力をゆっくりと操作し、僕たちを降下させて、やがて僕の靴底は黒焦げになった大地を再び踏みしめた。
しかし、間近で出迎えた光景に胃袋の中身が激しく波打った。この一帯は小さな地獄と化していた。粉々に粉砕された馬車の残骸から、硫黄と焦げた木の臭気を孕んだ黒煙が立ち上っていた。周囲の地面は炎に焼かれて黒ずんだ泥炭と化している。さらに酷いことに、焼け焦げた肉の甘ったるく吐き気を催すような臭いと、新鮮な血の生臭さが混ざり合い、真っ直ぐに鼻腔を突き刺してきた。
僕の精神的な防壁は一瞬にして崩壊した。
「おえっ……」
僕は前屈みになり、胃の中身をすべてぶちまけた。さっき美味しくいただいたばかりの麦パンとミルクの残りを、黒焦げの地面の上に吐き戻してしまった。
ジャケットの袖で口元の吐瀉物の残りを拭いながら、目の前の惨状を無理やり直視した。
「一体……ここで何が起きたの?」
「巨大な爪痕が残された攻撃の痕跡、それにこの一帯の火魔術の残滓から漂う異常な高熱の残留物から見ても……」
ディナはしゃがみ込み、指先で黒焦げの大地に触れた。
「間違いなくレッドドラゴンの仕業よ!」
その伝説的な怪物の名を耳にした瞬間、心臓が止まるかと思った。僕は顔面を蒼白にして彼女を振り返った。
「赤竜? その怪物は、黒い森を支配している黒竜と同格の強さを持っているの?」
「いいえ、私が言っているこの竜は真竜の位階には属していないわ」
ディナは首を横に振りながら説明した。
「一般亜種の竜よ。真竜の血統と遺伝的な繋がりを持つ生き物ね。分類するならワイバーンに近いけれど、捕食者としての階層はずっと上よ。要するに、Aランクの魔物、何百年も生き抜いた個体ならSランクにすら達するわ」
AランクやSランクの魔物だと?! 冗談だろ! ガレンを手こずらせたあのゴブリンロードですら、たかがCランクだったんだぞ!
焦りが瞬時に理性を塗りつぶした。
「それなら先生、早くここから逃げ出そうよ! あの巨大な怪物が引き返してきて、僕たちを追加の朝食メニューにしたらどうするんだよ?!」
「あら、リアムはもう正式に魔術師になったんでしょう? この赤竜の出現は、あなたのあの水弾の威力を試す絶好のチャンスじゃない?」
ディナはその唇に珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべてからかった。
「こんな生死の瀬戸際で冗談を言わないでよ、先生!」
僕は絶望的に叫んだ。
「魔術師になって数時間の初心者に、いきなり竜と戦えだなんて命じる狂人がどこの世界にいるんだよ?!」
「あはは、もちろん冗談よ。ごめんなさい、あなたの緊張をほぐそうとしただけよ」
ディナは小さく笑い声を漏らした。歩み寄り、僕を落ち着かせるように頭を優しく撫でた。
「でも心配いらないわ。あの竜はもう飛び去ったはずよ。竜のような魔物は、普段なら腹が膨れればすぐに自分の巣へ戻るか、新しい狩場を求めて移動するものよ。私の知る限り、この周囲には奴らの空腹を満たせるような巨大な魔物は生息していないしね」
ディナは周囲に無残な姿で転がる死体へと視線を向けた。
「この人たちは、竜が通りかかったときに不運にも出くわしてしまっただけよ。だから肩の力を抜きなさい、リアム」
不運、か……。
二次被害の危険がないことを確かめた後、ディナは馬車の残骸へとゆっくり歩み寄った。地面に散乱する犠牲者たちの遺体を目にするたび、彼女の表情は険しく引き締まり、顎が固く結ばれた。
「彼らの着ている粗末な服はすごく画一的だし、それにこれを見て……」
死体の一つを指差しながら僕は言った。
「みんな、首にまったく同じ鉄の首輪をはめられている」
「先生、この一団は戦争の捕虜か何かなの?」
震える声で尋ねた。
血だまりを避け、あまりにも凄惨な何十もの死骸の間を通り抜けながら、足取りは強張り、吐き気を懸命にこらえた。中には巨大な石柱にでも押し潰されたかのように、ミンチになって平たく潰れているものすらあった。
体格や顔立ちから判断するに、ここの犠牲者の大半はまだ二十歳にも満たない若者たちだった。
小さな塊に目が釘付けになった。嘘だろ、頼むからやめてくれ……内臓が無残に引き裂かれ、黒焦げになった哀れな幼子たちの遺骸の傍らを通り過ぎざるを得なかった瞬間、再び胃が激しく締めつけられた。
焦げた肉塊の臭気、排泄物、新鮮な血、大気中に漂う尿の刺激臭が混ざり合い、胃袋を再び激しく波打たせた。さっき吐き出したばかりだというのに、この光景を前にして、耐え難い吐き気が再び込み上げてきた。
「うっ……!」
僕は再び地面に膝をつき、食道を焼き尽くす苦い胃液を吐き出した。
「この人たちは奴隷の隊列よ。進んでいた方角から見ても、目的地は王都か近隣都市の奴隷市場だった可能性が高いわね」
ディナは努めて冷静を保とうとする声で答えた。
ディナも息を殺し、目の前の痛ましい惨劇を目にするたびに顔を背け、懸命に吐き気と戦っている様子だった。
彼女は馬車の残骸を掻き分け、生存者の気配を探しながら木片を押し退けて進み続けた。僕は無理やり自分を奮い立たせ、その後ろをついていった。
「奴隷?」
聞き間違いではないかと僕は繰り返した。
「そうよ。特徴はあの薄汚れて粗末な衣服だけじゃないわ、この隷属の首輪を見れば一目瞭然よ」
ディナはしゃがみ込み、杖の先で血にまみれた分厚い鉄の首輪を突いた。
「これは奴隷と主人の間に契約魔術を結ぶために特別に作られた魔導具の一種よ」
「奴隷、か……」
深い同情と哀悼の念を込めた眼差しで、周囲の物言わぬ遺骸を見つめながら呟いた。
この世界は残酷だ。あのゴブリンの巣での一件以来、その現実は嫌というほど思い知らされていた。異世界アニメで描かれるような美しいおとぎ話などでは断じてない。
この世界では、奴隷制度や人身売買が社会的にごく当たり前のこととしてまかり通っているのだ。
苦い唾を飲み込んだ。
もし自分が無力なままでいて、抗う力を持たなければ……遅かれ早かれ、僕の首にもこの冷たい鉄輪がはめられることになるのだ。
ずっと重くなった足取りで、僕は再び無理やり歩を進めた。
「それで、先生……この放置された何十体もの死体はどうするの?」
目の前の死体の山を痛ましげに見つめながら尋ねた。
ディナは屈み込み、奴隷たちとは対照的な上等な麻服を着た男のポケットから、丸められた奴隷契約書の羊皮紙を抜き取った。身を起こすと、その眼差しは冷徹だった。
「全員、焼き払うわ」
眉間に深い皺が寄った。彼女の口から出たそのあまりに過激な言葉に、信じられない思いで僕は見つめ返した。
「そんな非難するような目で見ないで、リアム。彼らの尊厳を冒涜するつもりなんて毛頭ないわ」
僕の視線を受け止めながら、ディナは早口で釈明した。
「夜になるまで、いえ、あと数時間放置しただけでも、この遺体が野ざらしのままなら、大気中の魔力エネルギーが肉体に染み込んで、彼らはゾンビやアンデッドへと変貌してしまうのよ」
ゾンビにアンデッドだと?! 死者が蘇るような現象が、本当にこの世界に実在するというのか?!
アンデッドやゾンビといった死霊は、特定の魔術師の手によって人為的に生み出されるものだと思い込んでいた……それがこの世界では、ごく自然な自然現象だったとは。
「本当なら、衛兵や教会の関係者に通報して適切な埋葬をしてもらうこともできるわ。けれど手続きがひどく面倒になるの。目撃者として何時間も引っ張り回されて尋問されることになるわ」
ディナは続けた。
「ましてや、この奴隷馬車の正規の所有者である奴隷商人どもと関わる気なんてさらさらないわ。話が長引いて厄介になるだけよ。最悪の場合、私たちがこの強盗の黒幕だと濡れ衣を着せられる可能性だってあるの」
「だからといって、見なかったことにしてここで腐乱するまま見捨てるわけにもいかないでしょう?」
僕は静かに頷いた。
「だから、この場で一括して火葬することこそが、私にできる精一杯の最後の慈悲なのよ。それにエヴァンジェル聖典の戒律でも、通常の埋葬が不可能な場合や、こうした緊急時には火葬が明確に認められているわ」
エヴァンジェル聖典? この世界の聖書のようなものだろうか。
彼女の苦しい立場を理解し、僕は観念のため息をついた。
「それなら、早く火葬を始めよう、先生」
「ええ、すぐに始めるわ」
ディナが言った。
僕たち二人はゆっくりと後退し、折り重なる死骸の山から安全な距離をとった。
ディナは魔導杖を高く掲げ、火魔術の呪文を唱えようと身構えた。しかし、その唇から最初の一音が零れ落ちる直前、背の高い草むらから聞こえたかすかな擦れ音が、僕たち二人の意識を一瞬で奪い去った。
焼け焦げた藪の陰から、小さく震える一つの影がゆっくりと這い出てきたのだ。
その影は、僕と同年代に見える小柄な幼い少女だった。衣服は汚らしく、すでに死体となった奴隷たちと同じ粗末な布地を身に纏い、その細い首には奴隷の身分を示す鉄の首輪が固く巻きつけられていた。
金髪は男の子のようにひどく短く切り揃えられている。瞳は赤い虹彩の中央に黒い瞳孔を持っていた。白い肌は全身にこびりついた泥のせいでくすみ、汚れていた。そしてその短い髪の隙間から、僕のエルフの耳よりはやや短いものの、確かに尖った一対の耳が覗いていた。
その表情は絶望に染まりきっていた。僕たちを見上げるその泣き腫らした瞳には、恐怖と疑念、そして微かな脆い希望が綯い交ぜになっていた。
「嘘だろ……まだ生き残りがいたのか?」
思わず呟き、僕は一歩前へと踏み出した。
時間を惜しむように、ディナはすぐに杖を下ろした。さっき奴隷商人の懐から抜き取ったばかりの契約書の羊皮紙を再び取り出すと、力強い一引きで真っ二つに引き裂いた。
契約魔術の繋がりが断ち切られたのを確認し、ディナは震える幼い少女へと足早に駆け寄った。
「い、嫌っ! お願いです、お許しください! 何でもしますから、どうか命だけはお助けください、魔術師様!」
金髪の少女は半狂乱になって悲鳴を上げた。そのまま汚れた地面に身を投げ出し、ディナの靴先の泥の上に額を擦りつけて平伏した。
人間がそこまで自尊心を捨てて地面に額を擦りつける姿を見るのは、ひどく居心地が悪かった。僕は顔を背け、その痛ましい光景を直視できなかった。
怒鳴りつけるどころか、ディナは優しくしゃがみ込んだ。極めて穏やかな手つきで、その泥だらけの少女の体を温かく力強い抱擁で引き寄せた。
「よかった……生きていてくれて、本当によかった」
「え……?」
幼い少女は赤い瞳をしばたたかせ、唐突に注がれた慈愛に戸惑いを隠せなかった。
「もう大丈夫よ。あなたは安全だから、安心してね」
ディナはゆっくりと腕を解き、深く心を落ち着かせるような笑みを浮かべた。その手が少女の首元の鉄輪に触れる。契約書が破棄されていたため、首輪の魔導錠はカチリと小さな音を立てて開き、地面へと転がり落ちた。
「は、外れた……?」
少女は思わず呟き、冷たい鉄の戒めから解放された自分の首筋を手探りした。
「この瞬間から、あなたは自由よ。もう誰のことも恐れる必要なんてないわ」
ディナはいっそう笑みを深め、力強く言い切った。
自らの自由を奪い続け、自力では破壊することなど不可能だった鉄輪が無力に地面に転がっているのを見つめ、少女の涙の堤防はついに決壊した。彼女は声を上げて号泣し、ディナにしがみついた。
「ありがとうございます……うっ……本当にありがとうございます、魔術師のお姉ちゃん!」
ディナの肩に顔を埋め、少女はしゃくりあげた。
「私……すごく怖くて……」
「よしよし……泣いていいのよ。もう全部終わったわ。あなたは安全よ」
震え続ける少女の背中を優しく撫でながら、ディナは落ち着かせた。
死骸の山と黒焦げの大地の真ん中で繰り広げられるその光景を前に、僕はただ立ち尽くすしかなかった。気づけば、僕の口元にも安堵に満ちた穏やかな笑みが自然と浮かんでいた。
先生……君は本当に、優しい人だ。




