↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
24/45

第24章:強盗


 魔王と勇者、か……。


 茜色を失い始め、陰鬱な濃紺へと移り変わっていく夕暮れの空を見上げた。


「あんな古典的な物語が、本当にこの世界にあるんだな」


「リアム、どうして急に先に行っちゃうの?」


 背後から少し息を切らしたディナの声が聞こえた。立ち止まって振り返る。彼女は唇を尖らせ、頬を少し膨らませながら歩み寄ってきた。


「もうすぐ暗くなるからね」

 ますます暗くなっていく空を指差しながら、僕は答えた。


「それに、早く家に帰りたいんだ。今夜、魔術を教えてくれるって約束しただろ?」


「ふーん」

 ディナは腕を組んだが、口元は笑いを堪えるようにわずかに緩んでいた。

「さっきは自分から勇者レオン様の像をすごく興味深そうに眺めてたくせに」


 僕たちは再び並んで歩き出した。建物の区画を抜ける近道を通ることにした。この路地は苔の生えた高いレンガ壁に挟まれていた。街灯の明かりはここまで届かず、薄暗く圧迫感のある空気が漂っている。鼻を突くアンモニア臭と生ゴミの腐敗臭に、僕は顔をしかめた。


「ごめんごめん。続きは家で聞かせてよ」

 彼女の機嫌を取りなだめるように、僕は言った。


 ディナが口を開きかけたそのとき、細い路地の先に何かの気配を捉えた。前方から、硬い革靴の底が濡れた石を擦る足音が聞こえてきた。


 僕たちの足がピタリと止まった。


 腐りかけた木箱の山の影から、三つの人影が姿を現し、この路地の唯一の脱出口を塞いだ。


「おい、ガキ。そこの綺麗なお姉ちゃんもよ」


 甲高く鼻にかかった、癪に障る声だった。骨と皮ばかりの痩せた男が一歩前へ踏み出してきた。壁の松明の光がその顔を照らす。栄養失調のようにこけた頬、油でべたついた白い髪、そして尖った歯。その眼差しは欲望にまみれていた。


「手短に済ませようぜ。金を出しな。そうすりゃ見逃してやらんこともない」


 男の後ろから、さらに二人が現れた。一人は僕と同年代に見える坊主頭で、殴り飛ばしたくなるような嘲笑を浮かべていた。もう一人は……太った男だったが、贅肉の下にある腕の筋肉は引き締まって見えた。


「リアム」

 ディナは声を落とし、僕の腕をきつく掴んだ。

「早く私の後ろに隠れて」


「嫌だ」

「僕も手伝うよ」


「リアム、聞いて」

 ディナの声は真剣だった。

「魔物相手と人間相手じゃ違うのよ。ただのチンピラに見えても、狡猾で平気で人を殺す連中なんだから」


「でも――」


 ディナは僕の腕を離し、前へ踏み出した。


「今すぐここから立ち去りなさい!」

 狭いレンガ壁に声を響かせ、ディナが威嚇した。

「さもないと大声で叫んで街の衛兵を呼ぶわよ!」


 痩せた男は鼻で笑った。背中からナイフを一本引き抜く。


「へぇ? 叫びたけりゃ叫べばいいさ、アマが」

 彼は極めて手慣れた様子でナイフをくるくると回しながら嘲笑った。

「このナイフがお前の喉を掻っ切るのが先か、ノロマな衛兵が駆けつけるのが先か、試してみるか?」


 彼は脇に唾を吐き捨てた。痰の混ざった唾液が水たまりに落ちる。


「だからさっさと金を出せ、クソが。そのガキが銀貨を何十枚も持ってるのは知ってんだよ」


 どうして知っているんだ!?


 さっきの飲食店から僕たちをつけていたに違いない。


 右手がおもむろにジャケットの内側へと滑り込み、指先がグロック17の冷たいグリップに触れた。


 抜く。狙う。引き金を引く。


 頭の理屈は単純な手順を命じていた。ゴブリンの頭を撃ち抜いたときと同じだ。オークの顔を消し飛ばしたときと同じだ。


 だが手が……僕の手が激しく震えていた。


 冷や汗が手のひらを濡らし、ポリマー製の銃把を滑りやすくさせていた。胸が締めつけられる。


 僕に殺せるのか?

 人間に向けて引き金を引けるのか?


 悪臭を放つ理性のない緑色の魔物ではない。相手は人間だ。顔があり、言葉を話し、家族がいて、僕と同じ赤い血が流れている。引き金を引けば、奴らは死ぬのだ!!


「何をぼさっとしてやがる、間抜けが?! さっさとそのバッグを寄こせ!」


 僕と同じくらいの背格好の坊主頭のチンピラが怒鳴った。一歩踏み出し、吐き気を催すほどの優越感に満ちた目で僕を見下ろしてくる。


「この野郎……」

 僕は低く呻いた。恐怖が次第に怒りと混ざり合っていく。


「苦労して手に入れた金を、どうしてお前らみたいな社会のゴミ屑に渡さなきゃいけないんだよ?!」

 ジャケットの中で震える手を隠すように、僕は声を張り上げて叫んだ。


 坊主頭の顔が怒りで真っ赤に染まった。


「何だと、このクソガキが?!」


「アニキ、やっちまおうぜ!」

 坊主頭は痩せた男を振り返った。

「このガキ、俺たちを舐めてやがる。顔を切り刻んで、女を連れて行きましょう!」


 ディナの周囲の空気が急激に熱を帯びた。


 彼女の背中が強張るのが見えた。右手が持ち上がる。


 何をする気だ?!


「ずいぶんと舐められたものね」

 放たれる熱気とは対照的に、ディナの声は凍りつくほど冷徹だった。

「今は杖を持っていないけれど、だからといってあなたたちを灰にできないとでも思った?」


「ファイヤーボール!」


 ディナは長い詠唱もなくその魔法の名を叫んだ。彼女の手のひらから、パチパチと不規則に爆ぜる赤い炎が一瞬で凝縮した。拳ほどの大きさの三つの火球が路地の暗闇を切り裂いて放たれ、壁の苔を目も眩むようなオレンジ色の光で照らし出した。


「魔術?!」

 痩せた男は目を剥き、ありありと動揺を露わにした。

「避けろ!」


 ドォン! ドォン! ドォン!


 杖なしで放たれたせいか、火球の精度は低かった。三人のチンピラはぬかるんだ地面に身を投げ出した。火球は奴らの肩をかすめて外れ、背後の木箱の山とレンガ壁に直撃した。


 耳をつんざく爆発音が響いた。燃え盛る木片とレンガの粉塵が飛び散る。その熱風が僕の顔を撫でた。


「チッ、外れた」

 ディナが舌打ちした。


 痩せた男が立ち上がった。その顔は埃と怒りに塗れていた。

「気をつけろ! このアマ、魔術師だ!」

「いつも通りにやるぞ!」

 後ろの太った男に向かって怒鳴った。

「了解です、アニキ」


 太った男が頷いた。そして不意に、大地が揺れた。奴が前へと突進してきたのだ。


 僕はすぐさまジャケットの内側から拳銃を引き抜いた。


 信じられない思いで目を見張った。速すぎる! あの巨体で、どうしてあんな動きができるんだ!


「ディナ! 危ない!」

 僕は叫んだ。


 ドカッ!


 太った男は肩からディナに体当たりし、彼女の体を地面へと激しく吹き飛ばした。ディナが起き上がる隙も与えず、男はその体重で彼女をねじ伏せた。二つの大きな手でディナの手首を固く掴み、地面に押さえつける。


「私の体から退きなさいよ、このクソ豚!」

 ディナは暴れ、両足で虚空を蹴りつけた。


 太った男はただニヤリと笑い、腰から短剣を引き抜くと、ディナの白い喉元へとその刃をゆっくり近づけた。


 不味い! 不味い!

 この状況は危険すぎる!

 何とかしなきゃいけない!


 僕は両手でグロック17を構えた。だが黒い銃口は上下に小刻みに震え続けていた。目の前では太ったチンピラがディナを押さえつけ続け、痩せた男と坊主頭の男が短剣を抜いて僕めがけて一直線に走ってくる。


「そのガラクタで何をするつもりだ、ガキ?」

 震える僕の手を見て、痩せた男がせせら笑った。


 ディナの命が危ない。倫理観なんかで躊躇している場合じゃない!

 ディナを助けなきゃ!


 僕は片目を閉じ、奥歯を噛み締め、引き金を引いた。


 プシュッ!


 反動が手首を後ろへ押し戻した。サプレッサーの鋭い風切り音が路地の喧騒を切り裂いた。


 カキンッ!


 だが手が震えていたせいで、弾丸は大きく逸れた。九ミリ弾は痩せた男の頭の横にある赤レンガをかすめただけで、石の破片を飛び散らせたにすぎなかった。


「あぁ?」

 壁の弾痕を見て、痩せた男は一瞬足を止めた。そしてその瞳が濃密な殺気に染まる。

「それが何の道具かは知らねえが、今俺を殺そうとしたな?!」


 奴は再び走り出した。今度は先ほどよりも速かった。


 速すぎる!


 ドカッ!


 腹部に激痛が走った。硬い革靴がみぞおちにまともにめり込んだ。肺の空気が一瞬で吐き出された。


「がはっ……!」


 見開いた目から涙が滲んだ。グロック拳銃が手からこぼれ落ち、金属音を立てて濡れた地面へと跳ねた。僕の体は後ろへ大きく吹き飛ばされ、泥水の中に転がった。息が詰まるほどの激痛に、目から涙が零れ落ちる。


「さっきは偉そうにしてくれたじゃねえか、あぁ?!」


 坊主頭のチンピラがすでに僕を見下ろしていた。その乱暴な手がニット帽を剥ぎ取り、そのまま無理やり僕の髪を鷲掴みにした。首が折れそうなほどの力で頭を後ろへ乱暴に引っ張られる。


 バキッ!


 強烈な拳が僕の頬骨に叩き込まれた。視界が激しく回転する。耳の中でけたたましい耳鳴りが鳴り響いた。口の中が一瞬で血の錆びた味で満たされた。


「もういっぺん言ってみろよ、このクソガキが!」

 奴は僕の顔の前で怒鳴りつけた。


 焦点が定まらないうちに、痩せた男が横から助走をつけた。


 ドカッ!


 奴の靴の爪先が、僕の右の脇腹を全力で蹴り上げた。


「ぐあっ!」


 僕は悲鳴を上げ、血の混ざった唾液を吐き出しながら、泥の上で体を丸めて転がった。


 やり返さなきゃいけない! 手が地面を探り、ざらついたレンガの破片を掴み取った。坊主頭の男が再び殴りかかろうと前屈みになった瞬間、僕はそのレンガを奴の膝に叩きつけた。


「ぎゃあああっ! この野郎がぁぁっ!!!」

 坊主頭は膝を押さえながらよろめいて後退した。


「まだ逆らう気か?!」

 痩せた男は完全に我を忘れた。僕の背中を踏みつけ、顔を泥水の中に押しつけた。


 呼吸が乱れ、汚れた泥水と自分の血の鉄の臭いが鼻腔に入り込んだ。


 奴の乱暴な手が金髪を無理やり掴み、頭を乱暴に引き上げた。


 くそっ……この生ゴミ野郎が! 殺してやる! 殺してやるぞ!


 胸の内で怒りが爆発した。


「ゴミ屑が! 何だその反抗的な目は、あぁ?!」

 奴は叫び、僕の脇腹をもう一度蹴り上げてから、顔の前にしゃがみ込んだ。


 ドスッ!


 硬い拳が僕の左顎を容赦なく殴りつけた。頭が真横に弾かれる。視界がかすみ始め、耳の中で激しい耳鳴りが鳴り響いた。


「奇跡でも起きて形勢逆転できるとでも思ってんのか、あぁ?!」

「よく聞け……あの連れを見ろよ」

 奴は下唇を舌で舐め回し、遠くのディナを貪るような目で見つめながら下卑た笑みを浮かべた。

「すげえ滑らかな肌してやがる。ただ殺すだけじゃ勿体ねえよな? お前の骨を全部へし折って動けなくしてやった後……お前の目の前でたっぷり楽しんでやるよ」


 奴は身をかがめ、僕をまじまじと見つめた。

「快感をたっぷり味あわせてやるさ……やめてくれって泣いて縋るまでな。だが止めるわけねえだろ? あんな体してんだからよ!」

「ああ……たまんねえな、最高に気持ちいいに決まってる!」

「でお前は? この泥水の中で無様に喚き散らしながら、指をくわえて見てるだけだ!!!」

 嘲笑に満ちた声で奴は吠えた。


「その人に……触るな、クソ野郎がぁぁっ!!」


 僕は咆哮し、口から血と唾液を撒き散らした。怒りが恐怖を焼き尽くしていた。足に力を込め、飛びかかろうとした。


 ドカッ!


 立ち上がるよりも早く、強烈な蹴りが脇腹にめり込んだ。情けない音を立てて再びぬかるみに叩きつけられる。冷たい泥が顔を覆い、口の中へと入り込んだ。


 奴は腰から短剣を引き抜いた。


「最初は金だけ巻き上げて、這いつくばって帰してやるつもりだったんだが……その減らず口と目つきが反吐が出るほど気に入らねえ……」

 奴は短剣の切っ先を僕の顔に向けた。

「……ここでくたばれ!」


「ぐっ……!!!」

 体の隅々から悲鳴を上げる激痛を無視して歯を食いしばった。残った力を振り絞り、激しく震える両手で体を支え、もう一度立ち上がろうとした。

 こんな所で死ぬわけにはいかない! こんなクズ野郎の手でたまるか!

 ディナを助けなきゃならないんだ!!!


 だが、両膝を立てるよりも早く……


 ドカッ!


 靴の爪先が、もう一度僕の顔面に叩き込まれた。

 視界が回る。耳鳴りが響く。再び泥の感触を味わった。


「暴れるのをやめろって言っただろうが、クソが! そうやって喚いたところで何ができるってんだ、あぁ?!」

 痩せた男は近づき、無力に倒れ伏す僕を見下ろしながら、余裕たっぷりに短剣を回した。

「そうやって痛がって叫べば、誰かが助けに来てくれるとでも思ってんのか?」


 奴は笑った。その下卑た笑い声が狭い路地の壁に反響する。

「目を覚ましな、ガキ……血を吐くまで叫んだところでな、誰も助けになんか来やしねえんだよ!」

 奴は短剣を高く掲げ、狂気じみた目を見開いて僕の顔の苦痛を楽しんでいた。

「お前は死ぬんだよ、ここで! 今日な!」


 僕は濡れたレンガ壁に背をもたせかけた。激痛に耐えながら顔を上げ、奴の目をまっすぐに見据えた。

「お前みたいなドブネズミには……」

 苦痛のただ中で、僕は無理やり口元を吊り上げ、嘲笑の笑みを作って見せた。激しく咳き込み、奴の足元の地面に赤黒い血の塊を吐き捨てる。

「……一生理解できないさ」


「てめえ……!!」


 痩せた男のこめかみに青筋が浮き出た。僕の笑みを見た奴の顔が、抑えきれない怒りで醜く歪む。怒りの咆哮を上げながら奴は右足を高く掲げ、僕の首元へ向けて踏みつけようと振り下ろした。


「その汚い足をリアムから離しなさいッッ!!!!」


 怒りに満ちた甲高い叫び声が路地を切り裂いた。


 気圧が激変した。骨身に染みる刺すような冷気が突如として路地を吹き抜けた。


 いつも優しく微笑んでいた彼女の顔は、純粋な殺意の形相へと一変していた。その緑色の瞳がおぞましい光を放つ。

「死ね、ゴミ屑がぁっ!」


 ディナは歯を食いしばっていた。わずかに開いた口元で、コインほどの大きさの白く透明な空気の塊が凝縮し、猛烈な速度で回転を始めた。


 彼女を押さえつけていた太った男が目を見開いた。その傲慢な顔は崩れ去り、純粋な恐怖に染まった。体を起こして逃げようとする。


「ウィンドランス!」


 ゴォォォッ! グシャッ!


 ドリルの刃のように回転する極限まで圧縮された風の槍が、零距離から撃ち放たれた。


 肉が裂け骨の砕ける生々しい嫌な音が響いた。その魔術は、太った男の顔面のど真ん中を真っ直ぐに貫通した。


 男の後頭部が赤黒い血の飛沫とともに弾け飛んだ。飛び散った脳漿、眼球、頭蓋骨の破片、千切れた舌が、背後のレンガ壁に不気味な音を立てて降り注いだ。


 ディナの腕を掴んでいた力が一瞬で失われた。百キロを超える頭部を失った肉体が横へと崩れ落ち、自らの血だまりの上にドサリと倒れ伏した。


 息の詰まるような静寂が狭い路地を包み込んだ。聞こえるのは壁から水たまりへと滴り落ちる血の音と、ディナの荒く重い呼吸の音だけだった。


 ディナは嫌悪感を露わにその死骸を押し退けた。ゆっくりと立ち上がる。服は血に染まり、ピンクの髪の一部が赤黒く染まっていた。


 僕のそばで硬直している二人のチンピラへと彼女が顔を向けた。

「次はあんたたちよ」

 ディナの眼差しには純粋な殺意が宿っていた。


「ア、アニキ……」

 膝から血を流す坊主頭が唇を震わせながら後ずさりした。頭にぽっかりと穴を開けられて死んだ仲間の姿を見て、顔面蒼白になっていた。


 僕の首元にあった足を、痩せた男はゆっくりと下ろした。短剣を握る手が激しく震えている。まるで地獄から這い出てきた悪魔を見るかのように、奴はディナを見つめていた。


 ディナは右手を宙に掲げた。指先から血が滴り落ちていたが、気にする様子もない。魔力を集中させ、鋭く唸る風の渦を巻き起こし、チェーンソーのように回転する透明な刃へと圧縮していった。


「よくも……よくもリアムにあんなことをしてくれたわね……!」

 ディナは声を絞り出した。その声の震えは恐怖からではなく、溢れ返る純粋な怒りによるものだった。


 ディナは腕を振り抜いた。

「ウィンドブレード!」


 二つの三日月形の風の刃が、鋭い風切り音を立てて空気を切り裂いた。


 痩せた男は咄嗟の身のこなしで横へと身を投げ出した。だが風の刃はあまりにも速すぎた。その魔術は奴の顔の右側を引き裂き、口角から耳の下まで頬を抉り取った。血が噴き出し、顎の骨が外気に剥き出しになる。


 二撃目の刃が坊主頭の太ももを薙ぎ払い、筋肉と肉を切り裂かれた奴は絶叫を上げながら地面に倒れ伏した。


「ば、化け物! この女、化け物だ!」

 痩せた男は恐怖に金切り声を上げた。指の隙間から大量の血を吹き出す顔を押さえる。激痛が欲望を吹き飛ばした。奴は振り返り、脚を切断された仲間を引きずりながら逃走した。

「覚えてろよ、アマが! これで終わりだと思うな! いつか絶対に殺してやる!」

 遠くから捨て台詞が響き、その声は暗い路地の奥へと消えていった。


 僕は激しく咳き込み、口から血と泥を吐き出した。呼吸をするたびに肺が激痛を訴える。肋骨が折れたようだった。


「リアム!」


 ディナが駆け寄ってきた。泥水の中に膝をつき、服や膝が汚れることなど露ほども気にせず、彼女は身を投げ出した。汗と敵の返り血に濡れたその優しい手が、腫れ上がり青あざのできた僕の顔を包み込む。


「リアム、しっかりして……ごめんなさい、油断しててごめんなさい……」


「僕……平気だよ……」

 気を失いそうな激痛に耐えながら、僕は無理やり微笑んで弱々しく言った。


 ディナの肩越しに視線をやると、頭部を失った太った男の死骸が目に入った。飛び散った頭部の残骸が赤黒い粘着質な水たまりを作っている。空気に触れて変質した血の臭いと、ぶちまけられた脳漿の臭いが強烈に鼻を突いた。蹴られて痛んでいた胃袋が激しく波打ち、耐え難い吐き気が込み上げてきた。


 ディナも僕の視線を追った。彼女は少し黙り込んだ。

「このゴミ屑の死体をここに残しておくわけにはいかないわね」

「街の衛兵に見つかったら面倒なことになるわ」


 ディナは立ち上がった。先ほどの乱闘のせいで足取りは少し覚束なかったが、太った男の死体へと近づいた。目を閉じ、唇で短い呪文を唱える。


 手のひらに小さな火が灯った。普通の火のようなオレンジ色だったが、奇妙なほど異様な熱気を放っていた。彼女はその火球を血まみれの死体の上へと投げ放った。


 肉に触れた瞬間、炎は爆発するように広がり、太った男の全身を包み込んだ。凄まじい高温だった。肉も骨も衣服も、ほんの数秒のうちにジュウジュウと音を立てて溶け、燃え尽きていく。周囲の血だまりすら蒸発し、焦げ臭い黒煙へと変わった。


 瞬く間に、レンガの上に残ったのは一握りの黒い灰だけとなり、それも街の夜風に吹かれてすぐに吹き散らされた。


 ディナが僕の元へ戻ってきた。右腕を優しく取り、自分の首に回させる。

「おぶさって、リアム」


「でも……服が汚れてるし、血と泥だらけだし……重いよ……」

 僕は手を引っ込めようとして弱々しく断った。


「こんな時にごちゃごちゃ言わないの」

 ディナはきっぱりと言い放った。彼女は体を低くし、僕の下へと潜り込んだ。


 ディナは力を込めて僕の体を持ち上げ、温かい背中に僕を背負った。


 僕はあざだらけの顔を彼女の首筋にうずめた。

「ディナ……」

 まぶたがひどく重くなる中で呟いた。

「……地面の武器を、拾ってくれないか」


 ディナは少しかがみ込み、泥に汚れた僕のグロック17拳銃を拾い上げた。

「はい」


「ありがとう」


「いいのよ」

 ディナは優しく答えた。僕の太ももをぎゅっと抱え直して体を安定させると、暗い路地から抜け出すためにゆっくりと歩き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。