第二章 『召集令状』⑥
岩手県の中央部に位置する盛岡市は、人口約三十万人の城下町である。市の北西を眺めれば、近接する八幡平市、雫石町、滝沢村の三つの市町村に広がる岩手山を臨むことができる。岩手山の標高は、二千三十八メートル。現在も活動を続ける活火山だ。盛岡城主であった南部氏の名から“南部富士”や、傾斜の残雪が鷲の形見えることから“巖鷲山”など、様ざまな別名を持つ山でもある。
盛岡駅から出るとすぐに開運橋がある。真下を流れるのは北上川だ。それを渡って通りを直進すると、岩手公園へと着く。この公園の中には国指定史跡の盛岡城跡があり、残った石垣がかつての城の面影を現代に残している。
七月七日、午後六時。山川清次郎は、岩手公園にいた。腕を組んで見つめる視線の先には歌碑があった。
『不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸はれし 十五の心』
石川啄木の短歌だ。因みに、歌碑の書は金田一京助のものである。
この日は、清次郎の十五歳の誕生日だった。まさに“十五の心”を持つ年齢になったのである。
清次郎には夢があった。山川道場の再建だ。
江戸時代に暗殺術の修行所として闇でひっそりと始まった山川修練所は、明治に入り、総合格闘術を教授する山川道場として表舞台に出てきた。しかし、時代を追う毎に門下生は減り続け、彼が五歳の時、とうとうひとりもいなくなってしまったのだ。
清次郎は、空を見上げた。暮れ始めの梅雨空は、儚げで物悲しく彼の目に映った。
十五の決意を胸に焼きつけるように、そっとその瞳を閉じる。
その時、彼は背後に人の気配を感じた。木々の陰に隠れ、じっとこちらの様子を窺っている。
他に気を取られていたとはいえ、あんなに分かり易い見張りに気づかないとは情けない。清次郎は自分を恥じた。しかも、見張りは一人や二人ではなかった。方々に、最低でも七、八人はいるのだ。
「何のつもりだべ? あいつら……」そう考えてはみたものの、答えなど出るわけがなかった。直接聞いたほうが早いに決まっている。
やおら振り向くと、彼は、一番近くに潜んでいる者へと向かって叫んだ。
「隠れてねぇで、出てきたらどうだ?」
すると、その声に呼応するかのように、ひとりの男が姿を現した。黒スーツを身に着け、サングラスをかけている。
清次郎は尋ねた。
「おめたち、オラに何の用だ?」
男はそれには答えず、代わりに右手を高々と上げた。
次の瞬間、周囲で隠れていた者たちが、一斉に彼へと襲い掛かってきた。
「な、何だ!」
清次郎の緊迫した声が盛岡城跡に響いた。
まだ修行中の身とはいえ、清次郎は山川流総合格闘術の師範代だ。相手が大人であっても二、三人程度ならどうということはない。しかし、此度の敵はその三倍強。流石に多すぎたのである。
それでも彼は、真っ先に掛かってきた男を前蹴りで倒すと、すかさず二人目の首筋に手刀を打った。三人目は、背後から羽交い締めにしようと腕を持ってきたところを、逆に袖を取って一本背負いで投げ、顔面に突きを入れた。
だが、優勢だったのはそこまでだ。四人目の男は麻袋を持っていた。網で捕らえられる蝉よろしく、彼は、頭からそれを被せられた。もがいてみたが、最早どうしようもなかった。やがて麻袋は、彼の足までをすっぽりと飲みこんだ。
清次郎が入った麻袋は、紐でしっかりと結ばれた。
袋の中にいる彼の耳に、外から声が聞こえてきた。
「やはり、盛岡に十人集めたのは正解でしたね」
「あぁ。だが、渋谷のほうは二人では足りず、拳銃を使ったそうだ」
「え? 撃ったんですか?」
「いや、素直に召集に応じたため、発砲には至らなかったらしい」
……拳銃? ……発砲?
警察官でもない限り、日常生活ではあまり使われない言葉だ。
清次郎は、自分はとんでもないことに巻きこまれたのだと予感した。麻袋に入れられたまま車まで運ばれ、彼はトランクに押しこめられた。
十八時二十分。岩手県盛岡市にて山川清次郎確保。
竹田恭也。
早坂千鶴。
山瀬亜依。
綾乃瀬レオ。
小柳豊。
山川清次郎。
以上、黒崎剣一の指揮の下、『MC』との交渉の場に出る六名が全て揃った。
彼らは、その日の内に都内各所の国有施設へと個別に身柄を移され、そこで眠れぬ夜をすごした。
そして、翌日七月八日。六人は、黒崎の待つ霞が関の研究施設へと連行されたのだった。




