4. カイト・レミングス②
あたしが半分泣きそうになっていた、その時だった。
「・・・え?」
練習場の反対側が、ざわついた。
最初は誰かが転んだのかと思った。
でも、空気が違う。
「どうしよう・・・!」
六年生のミキさんが、顔を真っ青にして走ってきた。
「ナナちゃんが倒れて・・・息、してないかもしれない」
一瞬で、周囲の空気が変わった。
さっきまで笑っていたみんなの顔から、笑顔が消える。
ナナさんは、ミキさんと同じ六年生。
二人で練習していたらしい。
「先生は?」
カイトがすぐに聞いた。
「一年生の子が足をひねって、医務室に連れて行ってる・・・」
ミキさんの声が震える。
「呼んでくる?」
「いや」
カイトは迷わなかった。
「間に合わない」
そして。
「俺がやる」
その一言だけ残して、ナナさんのところへ向かった。
周りには六年生もたくさんいる。
でも、こういう時、みんなが頼るのはカイトだった。
カイトはナナさんの横にしゃがみ込むと、すぐに状態を確認した。
「ミキさん」
「は、はい・・・」
「救急隊に連絡して。あと、周りの人を少し離れさせて」
さっきまであたしとくだらない言い争いをしていた人と、本当に同じ人なのかと思った。
声が違う。表情も違う。
いつもの意地悪そうな笑顔は消えていて、そこにいるのはただ冷静に状況を判断している人だった。
「結花」
「え?」
突然呼ばれて、あたしは反応が遅れた。
「あそこにオレンジ色の箱があるだろ」
カイトが指を向ける。
そこには壁際に設置された箱があった。
「中身を持ってきてくれ」
「分かった!」
考えるより先に走っていた。
今はカイトに言われたからじゃない。
ナナさんを助けるためだ。
箱のところまで行って、扉を開ける。
その瞬間。
ピィィィィィッ!
大きな警告音が鳴った。
「ひっ・・・!」
一瞬、身体が固まる。でも・・・。
「箱を開けたら大きな音が鳴るけど、気にするな!」
さっきカイトが言っていたことを思い出した。
あたしは箱を抱えて、急いで戻る。
「これ!」
「ああ、ありがとう」
カイトは短く答える。
そして、すぐに機械を取り出した。
後から知ったことだけど、カイトがやっていたのは胸骨圧迫というものだった。
心臓が止まった人に対して、胸を押して血液を送り続ける処置。
簡単に見えるけど、実際にはかなり体力が必要らしい。
カイトは汗を流しながら、それを続けていた。
その姿を見て。
あたしは少し戸惑った。
ナナさんは六年生。
あたしたちよりずっと大人に近い女の人だ。
そんな人に、男子であるカイトが触れている。
もちろん、命を助けるためだっていうのは分かっている。
でも、さっきまでとは違う意味で、あたしは迷ってしまった。
「カイト・・・」
声をかける。
「服・・・」
カイトは一瞬だけこちらを見る。
「AEDを使うには必要なんだ」
そう言って、また作業に戻った。
でも、あたしは気になってしまった。
「でも・・・女の人だから」
言った瞬間。
カイトの手が少しだけ止まった。
「じゃあ誰がやるんだ?」
「え?」
「誰かがやらなきゃいけない」
カイトの声は怒っていた。
でも、それはいつもの嫌味な怒り方じゃない。
「『誰か』って言うだけなら簡単だ」
「・・・」
「代われる奴がいるなら、いつでも代わってやるよ」
周りを見る。
あたしたちの小学校では、高学年の人たちはみんな、年に2回ぐらい消防署の人が来て、救命の講習を受けている。
だけど、六年生の女の子たちは、みんな顔が青ざめている。
特にミキさんは、心配で泣いてしまっていた。
誰も動けない。
怖いんだ。命がかかっているから。
「結花」
カイトが言った。
「お前がやるか?」
「・・・」
身体が動かなかった。足が震える。
さっきまで、敵と戦う魔法少女になるんだって。
どんな相手でも立ち向かうんだって。
そう思っていたのに。
目の前にある現実は、魔法でも必殺技でもどうにもならないものだった。
人の命。
失敗したら取り返しのつかないもの。
怖かった。
あたしはその場に座り込んでしまった。
「覚悟がねえなら」
カイトの声が響く。
「簡単に口出しするな」
悔しかった。
ムカついた。
でも、何も言い返せなかった。
その言葉が正しいと思ってしまったから。
しばらくして、救急隊が到着した。
そこからの対応も、ほとんどカイトが説明した。
何時頃倒れたか。何をしたか。AEDを何回使ったか。
全部、正確に。
救急隊員さんによると、カイトの処置がなければかなり危険な状態だったらしい。
何とかナナさんの心臓は動きを取り戻した。
後は病院で処置を受ければ大丈夫。
そう聞いて、あたしはやっと息を吐いた。
・・・なのに。
「へっ」
カイトが小さく笑った。
「魔法なんて、いざって時には全然役に立たねえじゃねえか」
「・・・」
「そんなのなら、やめちまえばいいんだよ」
その言葉を聞いた瞬間。
涙が出た。
さっき負けた時だって我慢した。
馬鹿にされた時だって我慢した。
でも、今は無理だった。
「なんで・・・」
声が震える。
「なんで、あたしにばっかり意地悪言うのよ・・・!」
カイトは何も言わない。
「魔法少女になりたいって思って・・・」
涙が止まらない。
「頑張ってるのに・・・」
あたしは顔を伏せた。
「でも・・・」
声が小さくなる。
「魔法少女は・・・やめたくないよ・・・」
「お兄ちゃん」
カナちゃんが間に入った。
「いくらなんでも言い過ぎ」
カイトはしばらく黙っていた。
そして。
「・・・悪かった」
小さく言った。
「別に泣かせるつもりじゃなかった」
あたしは顔を上げる。
「俺は・・・魔法少女が嫌いなんだ」
「え?」
予想していなかった言葉だった。
カンナさんの弟なのに。
魔法少女の近くで育ったはずなのに。
「でも」
カイトは少し目をそらした。
「お前個人が嫌いってわけじゃない」
「・・・」
「だから・・・まあ、合わせてプラスマイナスゼロだ」
意味が分からない。
いや、分かる。
なんとなく分かってしまった。
カナちゃんの今までの謎の通訳。
あれは全部、冗談じゃなかったんだ。
カイトは本当に・・・。
ただ、素直じゃないだけだった。
ナナさんを助けた時。
一瞬だけ見えた大人っぽい姿。
でも違う。
こいつは別に大人なんかじゃない。
ただの不器用な男子だ。
素直になる方法を知らなくて。
だから、わざと意地悪して。
相手の反応を見ている。
・・・たぶん。
あたしも相当鈍かった。
でも、今なら分かる。
だから決めた。
カイトが意地悪を続ける限り。
あたしは絶対に気付かないふりをしてやる。
だって。
やっぱり意地悪されるのは嫌だから。
でも、もしも。
いつかカイトが本当に素直になったら。
その時は・・・。
その時は、少しくらい考えてあげてもいいかもしれない。
そんなことを考えていると。
カイトが静かに口を開いた。
「人を救うっていうのはな」
「・・・」
「覚悟がいるんだ」
いつもの馬鹿にした声じゃなかった。
「覚悟がなければ、簡単なことでもできなくなる」
あたしは黙って聞いていた。
「さっきのお前みたいにな」
悔しい。
だけど否定できない。
「でも」
カイトは続けた。
「お前は、そこを意識するようになれば変われると思う」
「・・・」
「だから、もっと強くなれよ」
それは。
魔法少女をやめろという言葉じゃなかった。
むしろ。
一人前の魔法少女になるための言葉だった。
あたしはまだ知らなかった。
カイトがどうして魔法少女を嫌っているのか。
どうして、あたしにだけあんな態度を取るのか。
だけど、この日から少しだけ。
あたしの中のカイトへの見方は変わり始めたのだった。




