仮面の綻び──無能王子の背中を追って
貴賓室の扉から、ルカが勢いよく飛び出して、走り去っていく。
廊下で待機していたカイルにとって、その光景は信じがたいものだった。
(おいおい、マジかよ)
これまで、どんな仕打ちを受けても、ルカがこれほどまでに「仮面」を剥がされた姿を見たことがない。
「殿下っ!!!」
慌てて追いかける。振り返ると案内係の足がもつれ、体勢を崩していく姿が見えた。
「殿下!まだ走れたんですね!」
叫んだ先のその背中は、余裕など微塵もなく、ただひたすらに「何か」から逃げ出そうとしているように見えた。
中庭で、この国の王女と公爵令息が、何やら話し込んでいるのが目に入る。
普段のルカなら、そんな「使える情報」を見逃すはずがない。
だが今の主人は、一瞬だけ彼らに目を向けたものの、まるで何かに追い立てられるように足を止めず、自身へあてがわれた客間へと突き進んでいった。
部屋の扉が閉まった瞬間、ルカが吐き捨てた言葉。
「おっそろしい古狸だったなあ……」
その声はわずかに震えていた。
カイルはあえていつものように、手元の資料をめくりながら、茶化すように応じる。
「ランカスター公爵……ノルズランドの名実ともに最高位の貴族ですね。王の信頼も厚い。長男が次期当主に決定、次男が次期王配候補……」
「中庭で邂逅した男か」
ルカが呟く。その目はまだ、貴賓室で見た「何か」を凝視しているようだった。
カイルは確信する。
老獪な宰相が、何重にも纏っていたルカの鎧を一瞬にして剥ぎ取り、その最も柔らかで守るべき核に触れたのだと。
(母君……か)
もうお役御免だと、帰り支度を始めたルカの、荷造りを手伝いながら、カイルは出会った頃の、泥にまみれた彼を思い出していた。
もう随分と前。無能の仮面を付けるずっと以前のことだった。
初めて会った時、カイルはルカのことを、どこかの下働きの女が産んだ娘だと思った。
騎士見習いの朝は早く、厩舎の掃除をしようと鍵を開けるとルカが寝ていたのだ。
ガレリアの人間にしては珍しい、冷たい色をした髪。それを雑に束ね、何日風呂に入っていないのか想像もしたくないほど、ひどく臭かった。
「おい!起きろ!こんなとこで寝てんじゃねえぞ」
蹴飛ばす代わりに放った言葉に、ルカはゆっくりと目を開けた。汚れだらけの顔の中で、その大きな瞳だけを、パチパチと瞬かせて。
そして次の瞬間、強い衝撃に身体がのけぞる。尻餅をついたカイルの脇を、ルカが素早く通り抜け、全速力で逃げ出したのだ。
その後、そいつが王の子で、王宮の片隅で息を潜めるように母親と暮らしていると聞いて驚いたが、それ以上に、小さな娘だと思っていたそいつが、十歳の男だったことに衝撃を受けた。
(もっと幼いガキだと思ったのに)
あの時見た、薄汚れた顔に怯えるように揺れた瞳と、涼しい顔を装いながら、荷造りしているルカが重なる。
もう頭の中は、今後の策を講じ始めているのだろう。
(……ったく。世話の焼ける主だよ)
カイルは口元に微かな笑みを浮かべ、再び荷造りへと手を動かした。
「ま!だから、やめらんねえんだけどなっ」
「……なんだ。ずいぶんデカい独り言だな」
「なんでもねえっす!」
「変な奴」
あんたがそれを言うのかよ、という言葉をカイルはぐっと堪えた。
ガレリア国第二王子、ルカ・ガレリア。
ノルズランド王国初訪問。
その滞在日数、わずか二日。
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