最果ての墓標──くせえ馬着を、被り直して
ガレリア国第二王子、ルカの自室にて。
「つっかれたあああぁぁっ」
ルカがベッドに飛び込んで叫ぶ。
「いやあ、弾丸日程でしたね……」
カイルも自身の尻をさすりながら同意する。
なにしろガレリアに滞在した二日間より、馬に乗っている時間の方が遥かに長い。
「王子になったって何も変わんねえな……」
「あぁ。使節団長言ってましたもんね、『無能な落胤ごときが、馬車に乗れるだけでもありがたく思え』でしたっけ」
「舐め腐りやがって」
そう言い捨てると、ルカは先ほど脱いだばかりの外套を再び羽織り、自室のドアに向かう。
「おい、どこ行くんだ」
「母様のとこ」
「……あんまり一人でうろうろすんなよ」
カイルがそう言うと、背中を向けたままのルカが、肩の横で左手をひらひらと振って、扉から出ていった。
※※※
王宮の喧騒が遠のき、鼻を突く馬糞の臭いと湿った土の冷気が混ざり始める。
誰もが忘れたような王宮の外れの離れ。ここで、ルカは育った。王が陵辱の限りを尽くし、身籠ったと分かった瞬間に放り出した「北方の玩具」の壊れかけの箱。
扉を開ければ、今も、母の細い咳の音と苦い薬草の匂いが漂ってくる気がする。
王がここを訪れることは、一度もなかった。
腹を痛めて子を産み、若さと健康を同時に失った母に、あの「獣」が二度と食指を動かさなかったのは、ルカにとって幸運以外の何者でもなかった。
誰も来ないからこそ、ここはルカと母だけの、息のできる唯一の場所だった。
離れの裏の、墓標の前に立ち、ルカはそっと目を閉じる。
脳裏に蘇るのは、母が大切に、大切に語り聞かせてくれた「寝物語」だ。
貧しい生家にとって、母の美しさは生の糧だった。
当時何があったか、生涯語られることはなかったが、奴隷商の檻で発見されたことで、察するに余りある。
救い出したのは、精悍な貴族の青年。
後日、馬車に同乗した自称「おともだち」に、一通の封筒を渡された母は、尋ねたのだという。
「あのひとは、おうじさまなの?」
「あー。……まあ……似たようなもんだな」
そう言って「おともだち」は、母の頭からすっぽりとヴェールを被せ、「言いつけ守って、達者で暮らせよ」と目的地まで送り届けた。
「おうじさま」は気が付いていたのだろうか。
母が字すら読めないことを。
行く先も、助けてくれた人間の名前すらわからないまま、ただ一瞬、差し伸べられた眩しい光だけに縋って、祖国を後にした幼い少女の思いを。
母は修道院時代、手紙を読み解くためだけにノルズランドの古語を独学で学んだ。顔を隠しながら、目立たぬように生きる母が望んだ、ただひとつの余暇だったと言う。
『永久の雪に閉ざされようとも、光は死なず』
彼は知ろうとしただろうか。
美しい蝶が、虫籠の中でどう死んでいくのかを。
ルカの目に映る母は、いつでも優しく、そして美しかった。
ルカを抱きしめ、その細くて骨ばった指先で、いつまでもルカの髪を漉いた。
どんなに蔑まれようとも、どんなにその身を病が蝕もうとも、母はずっと、美しくあった。
ただ、美しいだけであったのだ。
「……母様? 母様の故郷に、行ってきたよ。
母様の言ってた通りの、美しい国だったよ」
彼は知っているのだろうか。
ガレリアの王宮の片隅。
かつて彼が被せた、色褪せるストールに身を包み、この墓標の下、静かに眠る母の姿を。
夜風がルカの身体を震わせた。
その瞬間、バサッという音と共に視界が遮られ、全身が暖かく包まれる。
「……カイル」
「はい、殿下」
「これ、なに」
「そこの厩舎から掻っ払ってきた馬着です」
「くせえ」
「懐かしいでしょう?」
ルカは、右足をカイル目掛けて振りかぶろうと持ち上げたが、途中でやめた。
カイルが、母の墓標に向かって、短いが丁寧な黙祷を捧げていたからだ。
ルカが静かに口を開く。
「暖かいけど馬くせえ」
「あんたも、そんなもんだったぜ」
ルカは、さっき途中まで振りかぶった右足で、カイルを、蹴り上げた。
「いってえ!……ったく。……あ、今後の交渉、ノルズランド側はランカスター公爵に一任らしいっすよ」
「おまえ、タイミング絶対おかしいよな!……でも、……ま、順当だな」
ルカはそう呟いて、馬着をしっかりと被り直しながら王宮の自室へ足を向けた。
「ま、まさかそのまま戻るとか言わないよな……?」
「戻る。これ、今のオレにちょうどいい」
「……ったく。あんたって人は」
「文句あるか」
「ねえっす」
すたすたと歩くルカの背を、剥ぎ取ろうとして結局諦めたカイルが、苦笑混じりに追いかけていく。
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