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「あなたの手は取らない」と突き放したあの夜這いから十年、女王となった私に執着騎士と無能王子が膝を折るまで  作者: 中田かすり
十年がかりの献身──君の隣で笑って生きていく

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遠ざかる船影──君がいるべき、光の方へ








頬の熱は、とうに引いていた。


薄暗い離れ。母、マリカの部屋だった床に寝そべり、窓から冬の月を眺める。


ヴァルハルトから投げ付けられた通知を思い出す。


ルカの身柄の引き渡し。

かつて、母を救ったあの狸公爵の仕業だろうか。

母だけでなく、その子、ルカまで拾い上げるつもりか。



──だが、何のために。



ルカは生まれてから今まで、自身がこの世に存在する意味など見出したことはない。


父に掠奪された母。

その心を死ぬまで繋ぎ止めていたのは、公爵の残したあの一節だけだった。



『永久のやみに閉ざされようとも、光は死なず』



「オレは光なんかじゃない」



ルカの小さな声が、月明かりの中に落ちた。


かつては顔を隠せと言われ、その通りにした。

顔を晒した後も、自ら「無能」という仮面を被り続けた。


ルカはなぜここに存在しているのか、いや、存在していいのかすらわからない。


ルカ自身が、この国が積み上げた汚辱の結晶だというのに。



(……ノルズランド。母様の祖国。……本当はゆっくり過ごしてみたかったな……)



ルカは、ガレリアを完全に終わらせるため、最後までここに居座り、奴らの足首を掴み続けるつもりだった。


父である王も、兄も、この腐り果てた国も。


自分という呪いを抱かせたまま、沈める。


自分諸共この国を完全に消し去るまで、この腕を離すつもりはない。



(オレも、この国も、一緒に消えればいい。……だが)



道連れに、この命が必要なら、喜んで差し出すけれど。

ただ、一つ。心残りがあるとすれば。



(……カイル。あいつはオレと同じじゃない)



ルカをルカとして唯一見てくれる、柔和な目元の友人。

難解な本ばかり好み、口が悪く、それでいて案外涙脆い。

伝えたことはないけれど、彼こそがただ一人の友人であり、兄であった。



彼だけは、この沈みゆく泥舟から放り出さなきゃいけない。


冷えた床に頬を押し当て、ゆっくりと目を閉じる。


遠くで、蹄の音が聞こえた気がした。



──統制された、暴力的な響き。

十、二十……。



(……多いな。まさか、もう工房へ……)



ルカが薄く目を開けたのと同時だった。


格子の嵌まった窓の向こう、夜の帳を不自然な橙色が染め上げる。

 


「……あの方角は……」



扉が跳ね飛ぶ衝撃音が打ち砕いた。



「──殿下! 逃げるぞ!」



闇を裂いて飛び込んできたのは、肩で息をするカイルだった。

なりふり構わずルカの腕を掴み、強引に引き立たせる。



「カイル、アーサーが……! あの火は……」



「いいから走れ!」



カイルが叫び、ルカの肩を抱いて裏庭へ駆け出した。


待機させていた一頭の馬に、ルカを放り上げ、自身も背後に飛び乗る。



「しっかり掴まっていろ!」



腹を蹴られた馬が、夜の静寂を切り裂いて疾走を始める。

 

背後で、爆発音が響いた。

 



※※※




港には、埃にまみれた作業員の格好に扮したルカとカイルの姿があった。


今ごろ王宮では、行方のわからなくなった第二王子についての報告が、ヴァルハルトの元へ届けられている頃だろう。

だが、混乱の最中、誰もこの煤けた作業員がその王子だとは気づかない。



「殿下、行くぞ」



先に船に飛び乗ったカイルが、こちらへ向かって力強く手を伸ばす。


つい先ほどまで周囲を射抜くようだった鋭い眼差しは、今はもう、いつもの穏やかなそれに立ち戻っていた。


その手さえ掴めば、すべてが終わる。

地獄のようなガレリアも、欺瞞に満ちた無能の演目も、すべてを過去にできると確信した瞳。


船は真っ直ぐ、フェリテ公国を目指す。


カイルが、ルカの伸ばした指先を掴もうとした、その瞬間。


カイルの胸に、容赦のない衝撃が走った。


全力で突き飛ばされ、彼は甲板に尻もちをつく。

かつて、厩舎で初めて出会った十歳のルカが、自身の孤独という聖域を守るためにそうしたように。


その掌は、救いを求めるためのものではなく、他者を拒絶し、遠ざけるためにこそ、これ以上ないほど冷徹に振るわれた。


船は、その拒絶の重さに急かされるように、岸壁を離れ始める。


ルカが深く被っていた帽子を脱ぐと、月光の下、人外と謳われたその美貌が露わになった。



「君は世界を見たいんだろ?」



カイルがかつて、唯一の共犯者として語った夢を、ルカが静かに口にする。

飛び起きたカイルが、引き裂かれるような声で叫んだ。



「殿下! おい! 何してんだあんた!」



カイルの必死な声が、潮騒に混じって響く。



「おい! あんたはどうするんだよ! おい!」



ルカの声は、もうカイルには届かない。


背後からは、逃走を察知した兵たちが、抜剣の音を響かせてルカを包囲し始めていた。


カイルは船縁から身を乗り出し、視界から消えていく主君へ向かって叫び続ける。



「やめろ! ……殿下! おい、嘘だろ……これじゃ、何の意味もないじゃないか!」



最後に振り絞った叫びは、夜の海へと吸い込まれていった。


立ち尽くすルカを発見した兵たちは、侮蔑と安堵の混じった声で告げる。



「第二王子殿下、即刻王宮へお戻りください。ヴァルハルト陛下がお待ちです」



ルカは何も答えず、ただ遠ざかる海を見つめていた。 船の影は闇に溶け、完全に見えなくなっていた。




※※※




ヴァルハルトの前に突き出された途端、ルカの膝が折れた。

彼は床に額を擦り付け、子供のように肩を震わせながら、あろうことか「密告」を始めたのだ。



「……ずっと、あの男から言い寄られていたんです。一緒に暮らそうって……。愛してるって……。なのに、なのに……っ! ボクの全財産を持ったまま、あの男は一人で船に……!」



震える声と、身悶えするような醜態。

ヴァルハルトの眉が不快に跳ね上がり、床に激しく唾を吐き捨てた。



「……気色の悪い……!」



周囲を取り囲む兵士たちも、顔を見合わせて困惑に包まれる。 勇猛な騎士が、戦時下にまさか主君とそんな関係にあり、挙句に金を奪って逃げたなどという痴態……。あまりに低俗な話に、その場の空気は一気に冷え切った。



「……お前。……『ベルマン商会』を知っているな?」



冷徹な追求に対し、ルカは涙に濡れた顔を上げ、きょとんとした表情を浮かべた。



「……ベル、マン……? もしかして、カイルがボクにお菓子を買ってくれてたとこかな? また食べたいなあ。あはは、あのお菓子、美味しかったんだ」



「っち……!」



舌打ちをしたヴァルハルトの元へ、兵が駆け寄る。


ベルマン商会の工房が全焼し、証拠はすべて灰になったこと。そして焼け跡から、会長一家と思われる数躯の遺体が発見されたこと。



「裏切り者は、死をもって清算したか……。身の程知らずどもめ」



ルカの喉の奥で、ひゅっと乾いた音が鳴った。



「動ける奴は、一人残らず戦地に叩き込め。剣を握れぬなら、死体になっても壁になれ。……ガレリアのすべてを注ぎ込み、あの雪国を叩き潰す」



ヴァルハルトは、足元で蹲るルカには目もくれず、周囲の兵たちに顎で示した。



「それを連れて行け。監視を増やせ。二度と、俺の視界を汚させるな」



そして振り返ることなく、ヴァルハルトは王の政務室へと歩みを早めた。

















最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



もし少しでも続きが気になる、と思っていただけましたら、下部の【評価★】やブックマークをいただけますと幸いです。


皆様の応援が、物語を最後まで描き切るための何よりの原動力です。



次回もよろしくお願いいたします。



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