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「あなたの手は取らない」と突き放したあの夜這いから十年、女王となった私に執着騎士と無能王子が膝を折るまで  作者: 中田かすり
十年がかりの献身──君の隣で笑って生きていく

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因縁の連鎖──燻る残り火、冷えた石床








王宮から馬車で半刻ほど下った運河街に建つベルマン商会の工房。



「旦那! 道中お気をつけて。次の精製分も、きっちり仕上げてお待ちしておりますぜ!」



ハワード商会の主人の馬車が通りに消えるまで、アーサーは如才ない笑みを浮かべて見送った。


御用商人が受注し、手間のかかる実務をベルマンが引き受ける。そうやって泥臭く実績を積み、信用を得てきた。それが創業以来アーサー・ベルマンがこの町で守り通してきた姿だった。


やがて、蹄の音が石畳から消え、工房に重苦しい静寂が戻った、その刹那。


アーサーの顔から、調子の良さそうな商人の笑みが霧散した。

彼はただ無機質な眼差しで、揉み合わせていた自分の手のひらを見つめる。


国も家も奪われて以来、五十年にわたって同胞たちが繋いできた、息を潜めて生きるための術。

アーサーがこの商会を構えたのも、受け継がれる技法とサリナールの灯火を、勝機へ繋げるための器に過ぎない。



「……さて、撤収だ」



先程までの、愛想の良い響きは微塵もない。

地を這うような低い声で独り言ちると、彼は作業着の裾で一度だけ強く手を拭い、工房の奥へと足を向けた。


工房では、数多の職人たちが黙々と手を動かしている。

アーサーは樽の中、塩の結晶が溶けた不凍液を次々に古布に吸わせていった。


王宮の『協力者』から指示があったのは数日前。


皇太子ヴァルハルトが戦地で使われていた不凍液を検分したとのことだった。


不凍液の発注元であるハワード商会が、身に覚えのない不手際で処分されるのは時間の問題だった。今はそのわずかな猶予を使い、すべてを消す。


アーサーはそれを、じっと見届けていた。



(……母上。五十年のときが、ようやく動き出しそうだ)



アーサーの工房に、初めてカイルが現れたのはもう随分前のことだった。


サリナールの塩を、ガレリアを欺き、海外へ流す手筈だった。その工作が露見したのだと、アーサーは静かに背筋を伸ばし、いつも通りに笑みを浮かべた顔を作る。



『おや、騎士様。場違いなところへ、迷い込まれたようだ』



だが、現れた若き騎士は、心底くたびれたように溜息をついた。



『……ったく。なんで俺の周りはこんな奴ばっかり。……アーサー・ベルマン。あなたにもっと完璧な演技を教えられるお方がいるけど……興味はないか?』



『……。……はは。……何の、劇団の勧誘ですか?』



如才ない笑みが、アーサーの頬に張り付く。だが、背中には嫌な汗が伝い、作業台を握りしめた指先は白く強張っていた。



『……母上のことは残念だったと、言伝を預かっている』



その瞬間、アーサーが何年もかけて塗り固めた商人の仮面が、音を立てて剥落した。


母、ベアトリスが死ぬまで案じていた、無能を演じる落胤の王子。




──それ以来、アーサーはこの国にサリナールの呪いを仕込んできた。


他国へ逃れた同胞たちと密かに通じ、ガレリアの喉元へ、かつての栄光であった結晶を流し込む。


ルカとは一度も顔を合わせたことはない。

だが、カイルが運んでくるあの薄氷色の瞳を思わせる冷徹な指示書に、アーサーは狂おしいほどの共鳴を感じていた。


作業着の袖で煤を拭ったアーサーの視界に、もう見慣れた男の姿が映る。



「おや、騎士様。本日はどのようなご入用で?」



アーサーの言葉に鋭くカイルが返す。



「すまない、アーサー。すぐに、ここにも手が回る」



カイルの歪んだ顔を見ながらアーサーが何でもないように答える。



「承知の上です」



「……すまない」



「……代替わりですか?」



「……ああ。恐らく、まもなく。……これまでのようには動けなくなる。無論、あの方も」



沈黙があたりを包む。



「……では、私は私のすべきことを……」



背を向けようとしたアーサーに、カイルが言葉を投げる。



「……アーサー。頼みたいことがあるんだ」



振り返ったアーサーは、カイルの年相応の顔を、初めて見た気がした。



「船を出せるか」



言葉を返す代わりにアーサーは、静かに、だが深く頷いた。


そしてそんなアーサーの背中を、彼によく似た瞳の色を持つ少年が、食い入るように見つめていた。




──ガレリア王宮が、ノルズランドに新女王が誕生したとの報せを受けたのは、その数日後のことだった。




※※※





「ノルズランドに、女の王が立っただと?」



リーゼロッテ即位の報がガレリア王宮を揺るがした夜、皇太子である第一王子ヴァルハルトは動いた。



「カスパールは死に、雪原の軍は惨敗! 敗軍の将にすがり、冬の寒さに怯える時代は終わったのだ!」



王宮にヴァルハルトの野太い声が響き渡る。


傍らには、たった今、実の息子から戦況悪化の責を問われ、半狂乱で引き摺られていくガレリア王の無様な姿があった。


ヴァルハルトは、腰に佩いた大剣を玉座の足元へ放り投げ、血の気の引いた廷臣たちを、獣のような眼差しで睥睨へいげいした。


逃げようとする老臣の首根っこを掴み上げ、その顔を覗き込んで言い放つ。



「今日より、ガレリアの法は俺の『力』だ。不平がある者は、その首を置いていけ」



秩序が死に、純粋な暴力が産声を上げた。


王宮の片隅、乱入してきた兵士たちに囲まれながら、ルカはその狂乱を静かに見つめていた。



「おい、無能。厚顔無恥な北の小娘が送りつけてきた。読んでみろ」



ヴァルハルトが投げつけた書簡を、ルカがたどたどしく拾い上げる。



「……えっと……。ええと、これは……」



ばしんっ、という乾いた音と共に頬を張られ、ルカの体が床に叩きつけられた。



「お前、文字も満足に読めぬのか」



「いや……あはは、ごめんなさい!」



「笑うな!奴らはお前の身柄が欲しいそうだ。何もできない、何もしていないお前の、戦争の責を問うためにな……。だが、俺は騙されんぞ。所詮は女の浅知恵。お前のその『顔』を手に入れたいだけだ。……反吐が出る!」



「……あはは、兄上……。まさか、そんな、ことは……」



再び、重い衝撃がルカを襲う。頬はもう痛みを通り越し、熱さで眩暈がするほどだ。

抵抗する力もなく倒れたルカを見下ろし、ヴァルハルトは忌々しげに唾を吐いた。



「俺はお前の兄ではない。二度とその名で呼ぶな」



ヴァルハルトは、大剣を掴み取ると廷臣たちへ向き直る。



「今すぐお前を斬り捨ててもいいが……何かに使えるやもしれん。……連れて行け! こいつの離れにでも放り込んでおけ!」



殴られた頬の熱が、冷え切った王宮の廊下へ引き摺られていく。



(あ、冷たくて気持ちいい)



外気に冷やされた頬が、痛みを伴いながら脈打った。


















最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。



もし少しでも続きが気になる、と思っていただけましたら、下部の【評価★】やブックマークをいただけますと幸いです。


皆様の応援が、物語を最後まで描き切るための何よりの原動力です。



次回もよろしくお願いいたします。

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