蝕みの血脈──金緑色が見据える先は
冬は六度、来るたびに、ノルズランドの白を赤く染めた。
開戦当初、ノルズランド軍はひたすら防衛に徹していたが、あの木箱が届いて以来、戦局は劇的に変化した。
降り止まぬ雪はガレリアを疲弊させ、銃器を錆び付かせ、兵士の身も心も凍らせる。
その絶望を血肉に変えるかのように、クラウスは圧倒的な戦果を積み上げ、一兵卒から始まった自らの地位を、今や雪原の全軍を統べる指揮官へと押し上げていた。
相次ぐ補給拠点の崩壊を受け、ガレリア王から満を持して送り込まれたのは、老将カスパール。
彼はこれまでの全戦況を冷徹に分析し、ノルズランドの獣たちが次に牙を剥く地を、完璧に捉えていた。
「おそらく、次はここだ。奴らを迎え撃つぞ。小賢しい細工をさせる前に、ガレリアの威信をかけた火器で、焼き尽くせ」
本国から自ら運び込んだ火器と、それらを使いこなす精鋭たち。
カスパールの手に握られた黄金の飾銃は、一点の曇りもなく冬の陽光を反射していた。
ガレリア軍の精鋭たちは一晩中、闇を睨み続けていた。
夜毎、路面に細工を施しに来る白い獣どもを捕らえ、焼き尽くすために。
だが今夜、雪原を乱す影は一つとして現れない。
「……肩透かしだったか」
将軍が吐き出した息が、白く凍って砕ける。
極限の緊張から解放され、将校たちが凍りついた体を解こうとした、その瞬間。
正面。暁光を背に、雪煙が爆ぜた。
小細工も、夜陰の紛れもない。
朝日を浴びて銀色に輝く雪原を、白い一団が矢のような速度で突進してくる。
先頭を駆けるのは、クラウス・ランカスター。
その名は今、雪原を切り裂く「戦鬼」として、絶望と共に敵陣へ轟いていた。
「放てっ!」
カスパールの鋭い号令が雪原に響く。だが、返ってきたのは地鳴りのような咆哮ではなく、湿った、あるいは乾ききった不規則な破裂音だった。
十に一、あるいは二。
まばらな銃声が虚しく霧散する中、カスパールは自身の黄金の銃を構え、引き金を引き絞った。
一発。初弾の衝撃がカスパールの肩を打つ。
だが、クラウスは銃口が火を噴く寸前、わずかに頭を振った。
空気を焼き切る弾丸は、首筋ひとつ分だけ逸れ、彼の左頬を深く、鋭く掠め取った。
すかさずカストールが次の一発を放とうとしたその刹那、黄金の装填部は、岩のように固着して一ミリも動かなかった。
「……っ! なぜだ……次が、入らん……!」
凍てつく風に赤い鮮血を散らしながら、クラウスが目前まで迫っている。
必死に突き出た取っ手を掴み、力任せに引き絞るが、熱を帯びた銃の内部からは、本来あるはずのない潮水の焦げた臭いが、異質な熱気と共に立ち昇る。
その瞬間、彼の脳裏を、これまでに読み飛ばしてきた夥しい数の報告書が、猛烈な勢いで意味を持ち始めた。
寒さによる不具合。重なる整備不良。
これまで「不運」として切り捨ててきた事象のすべてが、血脈のように今、カスパールの眼前で動脈へと合流し、巨大な「死」の予感となって脈打ち始めた。
自分が万全と信じて運び込んだ銃器。本国で自ら検分したはずの、あの透き通った不凍の潤滑剤。
(……偶然ではなかったというのか……!)
握っていたのは威信をかけた武器などではない。
数年前から、あるいはもっと前から、国の中枢を密かに浸食していた、作為の結晶。
ガレリアはすでに、その内側から音もなく食い破られていたのだ。
「不発を捨てろ! 動く銃を持つ者は火線を維持! 残りは抜剣――肉の壁となれ!」
カスパールは沈黙した愛銃を躊躇なく雪に投げ捨て、指揮刀を抜き放った。
動く銃を持つ者が必死に弾幕を張る傍らで、残された兵たちは一斉に抜き放った鋼の音を響かせ、白兵戦の構えをとる。
生じた致命的な綻びを、老将の意地と兵の命で埋める。その苛烈なまでの即応力が、殺気となって膨れ上がった。
だが、クラウスは止まらない。
弾丸の雨を潜り抜け、沈黙した砲列の間を、吸い込まれるような速度で駆ける。
「……っ!」
必死の覚悟で斬りかかってくるカスパールを、クラウスは鋼の鳴る一撃で正面から叩き伏せた。
精鋭たちが築いた肉の壁すら、今の彼にとってはもはや何の意味もなさない。
六年の歳月は、かつて無謀だった少年が、冷酷な指揮官に変貌するには十分過ぎる時間だった。
クラウス・ランカスター。
祖国の期待を背負い、死力を尽くす将軍ですら、彼の金緑色の瞳には映っていない。
クラウスは返す刀でカスパールの矜持ごと、その身体を深く切り裂いた。
ガレリアの猛将が崩れ落ち、断末魔と共に雪原が赤く溶けていった。
※※※
クラウスの勝利の一報が届く前、王宮では、戦争の重圧に耐えかねた、リーゼロッテの父である国王が譲位を決めた。
長年寄り添った宰相コンラートもまた、友である彼を支えるために身を引いた。
リーゼロッテは、一切の迷いを削ぎ落とした純白のドレスに身を包み、白銀の王冠を戴く。
「──祝杯は不要よ」
戴冠式の熱気が冷めぬまま、彼女は玉座に深く腰掛け、淡く命じる。
「まずは一手を。……素直に受け取ってくれればいいのだけれど」
手元にあるのは、ガレリア王宮への最後通牒。
新宰相となったアルバート・ランカスターが、それを恭しく受け取った。
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