第348話・奪う者の痕跡。
スゴム君の能力は、物理法則なんて完全に無視していた。
僕のドグマの盾も物理法則なんてものは無視しているのだが、僅か5歳の子供が雑に一振りしただけのおもちゃの剣が、雷そのものの如き『傷心さん』と、一般住宅をひと踏みで瓦礫と化す巨大エクリプス二体を、文字通り空の彼方へと消し去った直後だった。
その光景に絶句する僕を前に、僕と同じ顔をした目の前の子供は、恐ろしいまでに冷静に『当然の事をした』ような顔をしている。
「君……そのドグマ能力って……」
僕は彼が手に握る『アトラスの剣』を見つめていた。僕がスゴム君の遺体から回収した時のドグマの形『アトラスの剣』。殴った物に絶対加速の効果を与える理不尽武器のひとつだ。
スゴム君は、キョトンとした顔で僕の方へと振り返った。
「え、能力……?」
言ってる言葉が通じない。
そもそも彼はまだドグマの使い方はおろか、それが何なのかすら説明を受けていない。
僕は後頭部に手を当てて、幼い彼に対して引きつった笑顔を見せた。
「いや、その……君が掴んだのがドグマで、それは意思で形を変える物……って言うか……」
何を説明してるんだろう。説明するのは支持者の役割だし、僕のドグマの中の過去であるこの世界は、既に終わった物語だ。これ以上、彼には介入しない方が良いかも知れない。
そんな意識が脳裏をよぎった瞬間に、僕の背中からアルハが飛び出してきて、スゴム君の肩を掴んだ。
「ちっ、騒ぎ過ぎたわ……だるいわね」
「えっ?」
背の低いアルハの、更に半分程の身長であった彼を、アルハは脇へと挟んで抱えあげた。
「ちょっと向こうで説明するから、大人しくしてなさい」
「ちょ、ちょっと……!!」
僕とスゴム君の反応が完全一致で声を被せる。
だがアルハは気にするでもなく、二階の窓から素早く飛び出して行った。
彼女の黒髪が揺れて破壊された壁の向こうに消える瞬間、僕の背中から追うように低い怒鳴り声が届いた。
「お、お前かっ!! なんだ、ここで何をしていたっ!!」
それはこの医院の院長である『丸山 啓人』であり、僕が追い続けて来た『ゲーブルト』の、この世界での姿だった。
彼は白衣姿に点滴を固定する為の台を武器のように手にしており、息を切らしていた。
「爆弾か……!? 怪しいヤツだとは思っていたが、許さんぞ、貴様……!!」
僕は振り向きながら後退した。
「い、いや!! 僕じゃないっすよ!! 天使が来て、壊して行ったんすよ!!」
院長はガシャリと点滴台を振り回して僕へと向かってきた。
「つくなら、もっとマシな嘘をつけ!! この……疫病神がっ!!」
僕はその一振りに、腕を出しての防御しか間に合わなかった。
「痛……っ!!」
金属の棒が僕の骨を直接叩く痛みに、僕は弾き飛ばされるようにして漣さんの机の前に倒れ込む。
院長は倒れた僕へと、容赦無い追撃を加えるべく、点滴台を振りあげていた。
「秘密の食卓……!!」
それに向かって50cmのちゃぶ台を生成、防御姿勢を取る。彼が振り下ろした点滴台の金棒が、ちゃぶ台を叩いてガチリとはじかれた。
空間固定されたちゃぶ台は、衝撃を一切吸収しない無限の防御力だ。丸山院長はその反動に手を痺れさせて、点滴台を手放して転がした。
「つ……っ!! なんだ、それは……っ!! 兵器……!?」
目を丸くして後退りしだす彼は、ゲーブルトの面影など無い程に一般人だった。
そしてドアまで後退して壁へと手を当てる院長の、その背中にサザナさんが立っていた。
『漣 響子』の身体をそのままに、表情だけが本来の彼女の物ではなく、サザナさんの超然とした笑みを映し出す。
「ふふふ……乱暴は良くないですよ、院長。その子は、私の患者なのですから……」
言ってる事は優しげだったが、その目は猫じゃらしに夢中な猫のように丸く見開き、口は笑うのを堪えるのが限界と言った具合に釣りあがっている。
しかし、院長はそれに振り向いて、即座に怒鳴り声をあげる。
「サザナミ!! お前……っ! 患者の避難を命令しただろっ!!」
それを受けてサザナさんは、彼の顔へとおもむろに手を広げ、両頬を挟むようにして掴みこんだ。
「イヤですねぇ、院長。頭が悪くなったんですか? だからその子は私の患者で、ココから出す為に来たんじゃないですか」
「お、お前なぁ……っ!!」
院長の額に血管が浮き出る程、その顔が強ばっていく。
僕は痛む腕を押さえながら、立ち上がろうとしていた。
「サザナさん……っ!!」
するとサザナさんは腕を一度引き込んでから広げるように離して、院長の体をコチラへとよろけさせて来た。
院長は僕のドグマのちゃぶ台盾に寄りかかるようにして倒れ込んで来る。
「ぐあ……っ!」
僕と院長がちゃぶ台ひとつを隔てて近距離で睨み合うその背中から、サザナさんはハイヒールを鳴らして、ファッションモデルのような足取りで進んでくる。
「スゴミ君。君がここに居るということは、君はこの顔の男と違う世界で殺し合い、そしてドグマの記憶の海に身を落とした。そうなんだろう?」
彼女はタイトなスカートを履いていることを気にするでもなく足を高く上げ、ハイヒールを院長の背中へと突き刺す勢いで突き立てた。「ぐぁ」と、声にならない院長の声と苦悶の表情が、僕の前へと差し出される。
しかし僕は、それすらも気にならないほどに、サザナさんの質問に驚愕していた。
「なんでそれ……知ってんすか? だってサザナさん、朝に別れたきりで……」
そうだ。
今朝始まった、ブリアン救出の為の旧ドラキール潜入作戦。
僕はそこで彼女と別れてから、戦い続けていた。
彼女と連絡など取っては居ないし、彼女の行方すら知らない。
しかも僕がゲーブルトと戦っていたのは、プロメティダのワープでしか入って来れなかった地下室で、それを知ってる人間はデフィーナとブリアンのみ。
どう考えても、サザナさんが知っている理由が無い。
だがサザナさんの紫色の瞳が、高い位置から確信めいた強さで僕を見下ろしている。
「私は、見てきたからだ……」
そのセリフを切るように、院長はちゃぶ台を掴み込み、無理やりに体を引き起こした。
「人を踏みつけたまま、話をするなぁ!!」
院長は振り向きざまに腕を降ったが、サザナさんは一瞬踏みつける足を離してかわすと、再び院長の胸へとハイヒールを突き立てて、ちゃぶ台へと押し付けてきた。
「いいじゃないですか、女の足に触られるのは、好きでしょう?」
「ぐ……っ、貴様っ!!」
院長は僕に背を向けたまま、サザナさんの足を両手で掴みこんでいた。しかしそれでもサザナさんは踏みつける足に体重を乗せ、その軸をブレさせはしなかった。
「院長、あなたは、王にまで、あと一歩で、届かない男」
「な、なんの話を……!!」
「夢の話ですよ、院長」
サザナさんが彼を踏みつけたままで腰を曲げて顔を近づけた。
「夢うつつの、物語の、お話です」
「……あ、はぁ!?」
怒りに任せて声を荒らげる彼の向こうで、サザナさんの瞳が僕へと集中した。
「そしてスゴミ君。君は、あと一歩で、帰れない男」
「か、帰れない……? 僕が……っすか?」
「そう、君は幾度となく、この王に成れない男と死闘を演じ、ドグマの記憶の海に身を落として、そして……脱出出来なくなってきた」
僕は完全に立ち上がり、踏みつけられて動けないままの院長の後頭部へと視線を落とした。
「見てきたって何をっすか……? サザナさんって、未来予知の能力とかあるんすか……」
彼女は目を閉じて、肩で笑いながら首を振った。
「ないない。私には能力は無いと、何度も言っているだろう?」
そして目を開くと、ずっとポケットに入れていた手に、黒く鋭い破片を掴んで取り出した。
「私が見てきたのは、『ヒサヅカ スゴミ』と言う、一人の少年が持つ台本……それだけだ」
「僕の、台本……?」
サザナさんは僕の反応を見ながら、院長の額へとその黒い破片を突きつけた。
「な、何をする……! 離せ、おい……っ!!」
必死に暴れる彼を気に止めるでもなく、サザナさんはその破片を彼の額へと押し込んで行く。
「スゴミ君はドグマの記憶の海へと意識を落とし、ブリアンとデフィーナと、一人の敵性エクリプスは君の帰りを待ち続けた。しかし、スゴミ君は帰って来られなかった」
「うあああっ!! 痛っ!! やめろ、やめろぉ!!」
僕は院長を刺そうとするサザナさんの行動が理解できないまま、身を乗り出そうとしていた。
「な、何してんすか……!?」
サザナさんは益々黒い破片を握る拳に力を入れて、押し込んでいく。
「君の台本を語っているのさ。君はドグマの意識の海から復帰することが出来ない。それを敵性エクリプスが感じ取って、動き出す」
「敵性エクリプスって、零極さんの事っすか……!?」
彼女は答えず、ただ目を細めて僕を見つめ直した。
「君のいない世界であれば、彼女の絶望を埋められるものなど何も無い。敵性エクリプスは君の体を持ったまま、慈しむように世界を氷結させて、永久の停止へと導いてゆく……」
サザナさんが突き刺していた黒い破片、15cm程の長さがあったそれが、丸山院長の額の中央を貫いていた、彼は白目を剥いて口から泡を噴いて痙攣している。
それを見て院長の胸からハイヒールを退けると、サザナさんは膝を揃えてしゃがみ込んだ。
「私は君と言う名の台本がドグマを掴む度に、その世界の『漣 響子』の役割へと当てはめられて呼び出される。そうして私の記憶は積み重ねられていくのだ。ただ一人の、物語の傍観者として……」
鋭い目線が僕を睨みあげた。
「この世界でそれをしたのが、5歳のヒサヅカ スゴム君だ……。まぁ、彼は死ぬんだがね。普通すぎて」
僕は一歩、片足を引いていた。
「僕の台本が、サザナさんを呼び出してる……?」
そんな事があってたまるか。
それが率直に出て来た僕の思考だった。
僕は漣 響子と会ったことがあったとしても、そんな事は覚えていないし、『アトラスと天使』だって、その内容は薄ぼんやりとしか覚えていなかった。
それがこんなに明確に漣 響子の存在を消し去って、サザナさんに上書きしているなど、目の前で起きている事実だったとしても、それを認めたくなどはなかった。
そして僕の思考は、逃げるように次の絶望へと踏み込んでいた。
「え……じゃあ、病気の少女は……?」
確信などしたくないのが半分。
だが僕は考えるより先に、疑問が口を滑りだしていた。
その質問にサザナさんは、目を細めて微笑みを作った。
「安心しろ。顔の無い少女を殺したのは、スゴム君であって、君じゃない」
僕は胃の中身が全て吐き戻りそうだった。
溢れ出る吐き気に口を押さえながら、漣 響子の机に片手をかけた。
「え……? だってそれは、僕の最初の世界にも……居たんじゃ無いんすか? 病気の少女って……」
「……それは、消えた世界の話だろ?」
「論点……っ!! ずらさないで下さいよっ!! ぼ、僕が聞きたいのは……!!」
口を押さえながら声を荒らげる僕を前にして、サザナさんはスゴム君が落として行った、僕が持ち込んだ方の『アトラスと天使』の冊子を手に取り、1ページ目を開いた。
「彼女は手術を恐れていた。また胸の傷が増えるんだと。痛い、怖い、もう嫌だとな……」
そのページのイラストを指でなぞった。
水色の輪郭で描かれた、泣き虫天使の胸にある、赤いクレヨンのアスタリスク。
「だが、患部にメスを入れねば、治るものも治らない。当然の事だ。分かるよな、スゴミ君……?」
「え……? いや、はい…………え?」
突然の落ち着いた、慈しむような視線に、僕はただただ困惑に飲まれていた。
そしてサザナさんは、院長の遺体の頭に刺さった破片へと手を伸ばした。
「だから私は、患者の患部にメスを入れる。黒く滲んで毒を帯びた君の物語を、摘出せねばならんからな……」
再び彼女の視線が、下から僕を射抜くように持ち上がった。
「スゴミ君。君は……私の患者だ」
「な、なにを……」
黒い破片に触れるサザナさんの指先に鮮烈な光が灯った。
「ドグマ開放────君が追った男は、ここに居る。地底の王の肩書きを借りて、この場にその名を示せ。ゲーブルト・ヴァングリフ」
完全に停止していた丸山院長の遺体の指先が、ピクリと動き始めていた。




