第349話・僕とヤツとの最終決戦。
『ゲーブルト・ヴァングリフ』
僕がその核心を追い続けていた男の名を、サザナさんは呪文の一部であるかのように、高らかに唱えた。
僕の目の前でドグマのちゃぶ台に背をつけたまま脳天を貫かれ、絶命していた丸山院長の指先が動き出し、白髪染めのブラウンに包まれていた頭髪が次々と抜け落ちて、内側から血とも炎とも形容しうる赤い頭髪が生え揃っていく。
「ゲーブルトを、呼び出したんすか……!?」
信じられなかった。僕が追っても追ってもたどり着けなかった男が、今目の前で再生されようとしている。
「サザナさん、ドグマ使えないって言ったじゃないっすか……!! 蘇生みたいな、そういうの使えるって事なんすか!?」
思わず引いた腰が漣 響子の机に当たり、コップのようなペン入れが倒れて床にボールペンが散乱した。サザナさんは蘇るゲーブルトの体を前にして、スっと立ち上がり、腰に手を当てて首を傾げ、呆れたような顔で笑いをこぼす。
「無いと言ってるだろう。ドグマを扱えるのは、走者であるお前だけだ」
言いながら、背を向けて破壊された病室を後にしようと歩き出していた。その背中で片手を上げると、ヒラヒラと手を動かして、指で文字を書くように動かした。
「だが、君がどういう物を『それっぽい』と思い、信じて実現してしまうのか。その辺は経験則で知っている」
サザナさんは止まらずに廊下へと踏み出していた。
僕の目の前で、ゲーブルトに変わっていく丸山院長。その背中を見るほどに、言い知れようのないざわつきが、肺の奥を引っ掻いているようだった。
「じゃあこれ、僕が呼んだって、事っすか……」
廊下の奥に見えなくなりそうなサザナさんを追うことも出来ず、僕はただ声を荒らげていた。
「どうするんすか、ゲーブルトを呼んで……!! 勝手に呼ばせて、勝手に行かないで下さいよっ!!」
廊下の奥に見えなくなったサザナさんは、その姿を見なくても顔が分かる程に、軽快な高笑いを返してきた。
「はははっ!! それはお前が追っていた男だろう。あとはどうにかしろ。私は君が死んだら、次の君に召喚されて、同じ事を繰り返すだけだからなっ!!」
開いた口がふさがらなかった。
……めちゃくちゃだ。
サザナさんは僕を患者だとか、治すだとか言っておきながら、結局のところは『僕という台本』しか見ていない。僕という個人、今この場にいる、この僕自身にはそこまで執着が無いのだと理解した。
きっと、このシグマの物語が展開され続けるどこか並行した世界の僕か、僕っぽい僕じゃ無い走者が、サザナさんの望む通りの者になれば良い。
「じゃあ僕は……実験動物って事じゃないっすか」
目の前のゲーブルトが、寄りかかっていたドグマのちゃぶ台から頭を揺らして俯いた。ぐったりとしていた手を持ち上げて、前髪を分けて頭を押さえると、軽く指でかき始める。
「ああ……最悪だ。そうか。そうだったな。あの魔女が、俺に全てを与えたんだ……」
そして額に刺さっていた、黒い破片を自分の手で引き抜いた。
「ゲーブルト・ヴァングリフ……」
僕は彼の背中の支えとなっている、ドグマのちゃぶ台へと手を伸ばしていた。
ヤツの足が、床を引きずって折れ曲がる。
「そしてお前だ。お前が……。走者と呼ばれる小僧が、俺の全てを奪いに来る……」
その腕が骨の形を無視して折れ曲がり、僕が触れようとしていたちゃぶ台を掴んだ。
「エクリプスの……醸成コアの結成……。そう、ドグマだ」
ちゃぶ台を掴んだその指に力を込めると、指が外側へとパキパキとへし折れて、真っ赤な血液で白い机を汚し始めた。
伸ばした僕の手は震えて止まり、息を飲む音が内側から鼓膜を刺激する。
ヤツは頭を揺らしながら、鼻歌のように呟き出した。
「人間は、平等ではないからなぁ……。生まれもって、足の速い者、毛量、血液、視力、聴力、色の有無……。全てが遺伝を持って差別的に生成されているんだよなぁ」
ゲーブルトの首が『ゴシャリ』と骨を折って180度回転し、血色の悪い灰色の肌で僕を睨んだ。
充血した目から血の涙を流しながら。ギリギリと張って震えている。
「ところが走者? お前はなんだ。全てを与えられ、全てを奪い、そして王たる器すらも、扱いきれぬと廃棄する」
「な、なんの事を……言ってんすか」
僕がヤツの顔を見下ろしながら言葉を漏らすと、ゲーブルトは折れた両腕でねじ曲がった首を持ち上げて首を取り外し、残った身体から赤と青のミミズのような二重螺旋を伸ばして、自身のクビへと繋いだ。
そしてその顔が赤髪灰肌の中年男性のものから、血色の良い焦げ茶髪の少年の顔へと変わっていく。澱んだ緑色の瞳。それはまるで鏡を見るかの如く、僕自身の顔だった。
「くはははっ!! なんの事を言ってんすかぁ!? なんの事ぉ? なんの事ーッ!!」
僕の顔を再生したヤツは、白目を向きながらヨダレを垂らして声を裏返しておどけ始める。
「ふざけてんすか……!!」
僕は意を決して、ちゃぶ台へと手をかけて引っ張りあげた。そのちゃぶ台の端に、ヤツの手が重なる。
「ドグマの話だろうがっ!! いい加減に自覚しろ、このクソ馬鹿マヌケのスカタン野郎が!!」
僕の顔のままで浴びせられるその罵声。
僕は訳の分からないままに、ドグマのちゃぶ台を掴む指に力を込めた。
「言ってりゃ良いっすよ!! 僕はなんと言われようと!! そう、だって僕は、帰るためにここに来た、サザナさんがあんたを呼ばせた!! だからお前の核心を……」
ちゃぶ台が光を帯びて、僕の身体が前のめりにヤツへと接近した。もはや引くことも無い、ここで何かに決着をつけるしかない。僕はそう思っていた。
だが、僕が接近した瞬間、狂ったような僕の顔だったヤツから、突如甘くて心地よい香りが漂ってきた。女の子の香りだ。
僕の目の前にいたゲーブルトの顔は、金のツリ目の緑のショートボブ少女、デフィーナへと変わっていた。
「ったく、本当にだるいわね」
キレのある端正な彼女の声が、その喉から発せられると共に、僕の発言は喉の奥へとしまい込まれる。
「走者を自覚して、出てきた敵はさっさと殺せと、何度も何度も言っているのに、あんたと来たら優柔不断で迷ってばかりで、何も決められない」
「……はぁ!?」
反射的な反応しか出来ない僕を置いて、ヤツの顔は更に変形していく。その顔は髪だけを伸ばして、ネオさんの顔になった。その目は強くありながらも、悲しげだった。
「殺す殺さねぇなんてのは、てめぇのエゴでしかねぇだろ。必要なのはやるべき事を決めて、それを自覚してこなす事じゃねぇのか。お前はそうやって、仲間も信頼も失って行くのかよ……」
「お、お前っ!! 人の顔で、勝手なことを……!!」
そしてその顔は次にブリアンへと変わる。
彼女の顔は声を震わせて、僕に視線を合わせなかった。
「あ、あのね? 私、本当は、そこまで期待していないって言うかね……? 国を守るなんてのも重荷だったし、その、人並みに幸せなら良いかなぁって、思ってるんだけどね……?」
「……くっ!!」
その少し弱気そうな本音に、僕の息が止まった。
その瞬間にヤツの顔が真っ白な髪と肌を持つ、美しい女性の顔へと変わっていく。それはゲーブルトが妻と称してそばに置いていた神格将軍、プロメティダの顔だった。
その顔は感情的に泣き崩れて、青い瞳から涙をボロボロと流し続けていた。
「あなたが殺したの……? アルハを……私の、私のたった一人の、娘を……っ!!」
僕はその勢いに負けてちゃぶ台を手放し、床へと倒れ込んでいた。
「はぁ!? アルハ……? アルハ? あなたの娘が、アルハ……!?」
意味が分からないというのに、僕は既に気が動転して、過呼吸を起こしていた。身体中から吹き出す汗が止まらない。
するとゲーブルトは身体を縮めて、プロメティダの白い髪のままで顔を落として、5歳ほどの少女の姿になった。成人男性の着ていた白衣とワイシャツが、ダボダボになって肩に引っかかっている。
そしてやつは、緩んだワイシャツから胸元を僅かに開いた。
そこには真っ白な肌の上に浮き出た、赤赤とした手術の切り口と、縫合跡が刻まれていた。
その傷まるで『アトラスと天使』の天使の胸のアスタリスクのように、真っ赤なクレヨンのように白い肌に滲んでいた。
ヤツが顔をゆっくりとあげた。
そこに、顔などは無かった。
真っ白な長髪を分けて覗くその顔に、目も鼻も無ければ僅かな凹凸すらもなく、僕はまるで卵に睨まれているようだった。
「あっ、うぁぁああああ!!」
僕はただもがくように逃げ出そうとしていた。呼吸が整わない。むしろ呼吸なんてしてたくない。心臓も勝手に動くし、目だって見たくないのに景色を脳へと無理矢理に送り込んでくる。
ここではないどこかへ逃げたい。ここでないなら、どこでも良いと思っていた。
海底でも、氷山でも、宇宙空間でも、ここでないならどこでもいい。
僕が終われるならば、僕が追われないならばそれで良いと、思考が選択を迫っていた。
そして、顔のない少女は白衣からメスを取り出すと、顔の中央に真横の傷を深々と刻み始めた。
その切り口から血が流れ、柔らかく開いて真っ白な歯を見せた。
「自覚がないならさ、終わらせようよ。スゴミ君」
バタつく僕は抜けた腰のままで破壊された窓へと後退しようとしていた。
顔の無い彼女の口から落ちる血液が、白いちゃぶ台にぽたぽたと垂れている。
「君は物語を、えがかない。この物語は、やめにして、そうだね、別のお話しにしたら、いいんじゃないかな?」
彼女の目のない口だけの顔が、僕の方へと振り向いた。
「や、やめろっ!! く、来るな!!」
出た言葉はそれだけだった。
僕の願いを断るかのように、彼女の小さい素足が動き出す。
『パキリ』と小さな音を立てて、白い足が床に散らばるガラス片を踏み割った。




