第347話・物語の傷跡。
過去の『僕』というのは、『僕』なのだろうか。
何も、哲学的な話をしているわけじゃない。
僕の背中には今、何も知らない純粋な正義感を持っていた、五歳の頃の僕がいる。
これはドグマに記録された、過去の物語。
なのに僕が知らない、僕の歴史だ。
そこへ僕自身が介入したせいで、物語が変わってしまったのだろうか。そんなことは知る由もない。
それでも僕の中には一つだけ、ハッキリした意思があった。
『背中の子供を守りたい』
それだけだ。
だが彼は僕だ。
それを守ることは、自衛になるのだろうか。
そんなことすら、もう分からない。
天使として描かれていた『病の少女』から顔を奪った出来事は、僕のドグマの発動と繋がっているようにしか思えない。
もし本当にそうなのだとしたら。
ドグマを掴んだ瞬間から、僕は誰かを傷付けた側だったのかもしれない。
その罪悪感だけで、身体が潰れそうになる。
僕が僕を守る理由なんて、とっくに失われているはずだった。
だけど僕は立ち上がっていた。
この手にドグマを握って、戦う構えを取っていた。
彼が僕だから、僕の過去を守りたいんじゃない。
何も知らない子供が、物語にきずつけられるのを止めたかったんだ。
だから今、僕がこのドグマを誰のために構えているのか、その答えだけは、曖昧なままだった。
「下がって。コイツは、天使なんかじゃないんすよ!! 壁を壊したの、見てたっすよね!!」
僕は幼い僕へ向かって叫んでいた。
すると、その背中からアルハが前に出て、幼い僕の肩を乱暴に押した。
「何言ってんのよ!! 逃げるな!! 逃げたら敵が厄介になるのよ!!」
そしてドグマで作られたメスを握る、彼の腕を掴んで突き出させる。
「殺せ!! 今すぐ、このナイフで突き刺して、あんたの手で殺しなさい!!」
「え……っ!? えっ?」
幼い僕は目をきょろきょろと泳がせ、困惑した声を漏らした。
無理もない。
僕の目の前にいる白銀の天使『傷心さん』は、生の心臓を晒け出したような見た目をしているが、『傷の天使の物語』である『アトラスと天使』にハマっている彼からすれば、憧れのヒロインが空から舞い降りたとしか映らない。
それを突然出てきた、目つきの悪い毒舌女に「殺せ」とキレられ、怒鳴られている。
僕の序章もそうだった。
僕の前に現れた『天使さん』は、僕の大好きなマジカルエンジェルそのものの姿で、殺すなんて選択肢はいくら殺されかけても出てこなかった。
ドグマの発動が早すぎる事で起きる、シグマの物語のバグのごときこの展開。
獅子神 七楽も発動に一週間かかったし、須賀見 魁なんて半年も発動しなかった。
僕も幼い僕も、妄想力が高すぎて、妄想と現実の区別がついてない。だから起きてしまう、ドグマを使うものとしての異常値の発現。
こんな子が戦えるわけがない。
それは、僕が誰より知っている。
だから僕は、僕の過去に介入しようと、傷心さんの攻撃を止めることに集中していた。
「ドグマ開放────秘密の食卓!!」
僕は手のひらの白球を変形させ、小さなちゃぶ台を手のひらの正面に生成した。
それを見て、アルハが叫ぶ。
「え……っ!? ドグマ!? なんで走者が二人もいるのよ!!」
彼女に説明している暇なんて無かった。
僕の視線は、傷心さんの手の動きを見ることで精一杯だ。
だが傷心さんは、僕を存在しないものみたいに無視していた。
白銀の槍……メスのような形をした矛先だけが、真っ直ぐ幼い僕へ向けられている。
「君の強くて逞しい所を、傷心さんに見せてください」
静かで、感情のない声。
「君は英雄。選ばれし者。傷付いた者を助け、傷付ける者へ立ち向かう、勇気ある者」
幼い僕は、その言葉を受けて目を輝かせていた。
まるで映画のクライマックスを見るみたいに、口を開けたまま、ただ見上げている。
傷心さんの槍が太陽の光を集め、白く、白く輝き始める。
「君の信念を……」
その声だけが病室に響いた。
「君の信念を、私の前に立ち上げて!!」
槍が振り下ろされる。
次の瞬間、巨大な光の刃が病室を埋め尽くし、世界が真っ白に染まった。
「女神の円卓……!!」
僕はちゃぶ台盾を、即座に拡大出来る大型サイズの4mの円盤へと変化させた。無論狭い病院の天井は3mも無く、円卓は床と天井を突き破って、部屋を覆うほどの壁となっていた。
しかし、傷心さんの放った槍の閃光の白が、目を焼いていた。
僕は目を開けられないままに円卓を押さえて幼い僕の姿を手探りで探していた。
敵の第一の攻撃は防いだ。
部屋は大きく振動して縦に裂け、傷心さんの攻撃の斬撃範囲が過剰な被害を出そうとしている事は言うまでもなかった。
僕らのいる部屋の蛍光灯が、ブブブという音と共に弾け飛んで割れ、停電がおきる。
それと共に、激しい揺れに反応して、病院の奥から一般患者たちの悲鳴が聞こえてきた。
「地震!?」「いや音が……!!」「車が突っ込んだんじゃ!?」
さらには、窓の外からは野次馬の声。
「なんだアレ、天使……!?」「待って、攻撃ドローンじゃない!?」
混沌として来た状況、その中心で病室の壁から出たホコリの中に屈む僕は、再びドグマの食卓へと手を触れた。
「ぶっ飛べ、ファルコンストライク!!」
4メートルあった食卓は即座に50センチへと縮小。
バイクの超速ロケットブースター『ファルコンストライク』の推進力と熱量で、傷心さん目掛けてぶっ飛んで行った。
傷心さんはそれを見ながら避ける素振りすらも見せなかった。
彼女の右半身にちゃぶ台が当たると、その腕と片足を容赦なくえぐって弾き飛ばし、白銀の装甲まみれの手足が、太陽の光をギラギラと反射しながら遠くへ飛んでいく。
傷心さん本体は、僅かによろけるのみだった。
「ああ、君の勇気を止めないで。君の勇気は、何度だって立ち上がれるのだから……」
悲しみのような言葉の中に、期待と信頼が籠っているのを感じた。
その真っ赤なスリットが入った血のような瞳から、涙がポロポロと零れ落ちてくる。
そしてその瞳はただ一人、幼い僕だけを見つめており、それ以外の一切の興味を持たない事を決意しているように思えた。
僕はがむしゃらに叫んだ。
「お前、序章の敵なんすよね!! この子まだ、何にも説明受けて無いんすよ!!」
天使級エクリプスは、基本的に褒め称えながら全力で殺しに来るが、全く会話が出来ないというワケでは無い。その目的は走者へと試練を与えて成長させること。そこまでを分かっているからこそ、僕はその話し合いで時間を作れるのではないか、そう考えていた。
「ちょっと、そこで待っててくれないっすかね!! あんたが止まっていられる分だけで良いんで!! あと攻撃する時、ちゃんと攻撃するって言ってくださいよね!!」
僕の怒鳴り声を聞いて、背後のアルハが声を裏返す。
「な、何を言ってるの……!? 敵と話してる場合じゃないわよ!!」
だが僕はアルハの言う事など、全く耳には入れていなかった。
ただ見つめるのは目の前の天使級エクリプス『傷心さん』の唇が、どう動くかと言う事だけだった。
すると、氷のように冷たい無表情を決め込んでいた彼女の唇が柔らかく開き、口角が上がって白い歯を見せた。目は嬉しそうに細まって、透明な涙が更にボロボロと零れ出てきて、頬のスリットを伝って行った。
「信じています、君の、君だけの英雄性を。私を君だけの『傷』にしてください」
彼女の吹っ飛んだ腕と足が、即座に再生された。
そして飛んで行った白い手足が黒く変色して、空中で肉が膨れ上がり、真っ黒な蜘蛛足と仮面を携えたエクリプスの形へと姿を変えた。大きさは四階建てのビル相当であり、それらは重力に従って住宅街へと落下すると、その場に合った民家を踏みつける形で破壊した。
僕はその光景に鳥肌が立って、足を竦ませるばかりだった。
しかしそんな僕の横を平然と歩んで進む、小さな影があった。
ヒーロー戦隊のプリントされた子供向けTシャツに、可愛いモンスターのプリントされたマジックテープの靴を履いた、幼い僕の姿だった。
彼は小さな手のひらに、ドグマで生成した医療用のメスを掴んで突き出していた。
僕は即座に彼の肩を掴もうとする。
「……危ないっすよ!!」
だが彼は、僕の言う事になど全く耳を傾けなかった。
僕も良く何かに夢中になっている時にお母さんに話しかけられると、全く聞こえていなくて、お母さんが『何度も呼んだのに!』と怒った状態から話しかけられたことが何度もあった。
彼の集中力は、まさにその状態だ。
幼い僕はメスを両手で掴んだ。
「こんな事して、怪獣軍団まで連れてきて……!! お前が天界の王だな!!」
「天界の王……」
絵本の話だ。
漣 響子が描いた、個人向けの小さな物語の中に出てくる、髭面のオッサンの敵。
エクリプスとは言え、真っ白な美女の姿で出てくる天使級の『傷心さん』とは似ても似つかないが、どうやら彼の妄想の中では、それで辻褄が合うらしい。
「アトラスは戦ってたんだよ!! さっきまで居て、僕はその戦う音を聞いてたんだ!!」
どこからともなく『ピッ……ピッ……ピッ……』という、心電図の音が響いて来た。
幼い彼のドグマが、この世の物理法則の正しさを何も知らない彼の妄想が、現実と物語の境界をごちゃまぜにさせた状態で具現化させている。
「ドグマの……暴走!!」
僕はその音に焦りを感じていた。
高校生の僕は、サンタクロースも英雄も、それらが非現実の物語であるという事を、確信として根づかせている。とても彼のように、本気で絵本の内容を信じ切る事なんて出来ない。
だが、彼は違った。
その小さなメスが、僕が持ち込んだ『アトラスと天使』に描かれた、西洋風のオモチャの剣の形へと姿を変えていく。
それを見て傷心さんは益々目を見張って愉悦を強め、さらけ出された心臓のような胸へと手を当てた。
「ああ、英雄の光!! 君の信念を、君の神話を立ち上げて!!」
傷心さんが手に持った長槍を天に向かって掲げると、快晴で真っ青だった空が突如として暗雲に支配された。黒い雲からは電気がほとばしり、ゴロゴロと雷の音が響き渡り始める。
まるで『アトラスと天使』の天界の王のページを再現したような光景だった。
住宅を踏みつぶした黒い装甲のエクリプスも、その背中から猛然と突進を始めた。
外の駐車場では、先程まで物見の野次馬たちだった声が、ただの悲鳴一色に塗り替えられていた。
傷心さんの槍に稲妻が落ちて来て、天と彼女を光で繋げた。
バチバチと飛び散る火花は、高圧電線などとは比較にならず、目の前で大玉花火の塊が引火事故を起こしているような騒音を弾き出していた。
空気が振動して光が院内を覆い、コンクリートの壁がボロボロと剥がれて空中を空へと逆流していく。
「イカレてるんすか!! コイツは……!!」
そのあまりの発光に正面を向く事すらままならない僕だったが、幼い僕は剣を構えて、その爆裂する光の中へと迷いなく突っ込んでいった。
「僕にアトラスが宿ったんだ!! だから僕は負けないよ!! だってアトラスには皆を守る、シンネンがあるからね!!」
僕は目を細めながら、その音だけを聞いていた。
走者って言うのは、みんなこうなんだろうか。
彼はきっと『僕』じゃない。
何かを踏み外して戦えなくなった僕と、勇気だけで心を汚染できる彼とでは、そもそも根底に根差しているものが違うんだ。
そう思った。
そして、彼が傷心さんに向かってアトラスの剣を振りぬく瞬間、傷心さんの声が短く響いた。
「ああ、ヒサヅカ スゴム君!! 君は、最高だったよ!!」
それが彼女の断末魔だった。
病院の丸く切り取られた残りの壁を全てぶち破って、凄まじい衝撃波が傷心さんと大型のエクリプスをまとめて吹き飛ばす。
まるでギャグ漫画の敵のやられシーンのように、傷心さんは暗雲を突き破って蒼天の彼方に一直線に飛んで行き、キラリと光る小さな星となって消滅した。
そして僕は、彼の名前を初めて聞いた。
「き、君が……スゴム君?」
それは僕のドグマの中に眠る、僕では無い僕に似た者の名前だった。




