第346話・僕とアルハの物語。
「あんたの玉を見せなさい」
黒髪赤目の少女が現れるなり、吐いたセリフは短かった。
僕と幼い僕の二人の病室に、彼女は入口を塞ぐように立っていた。
それは、僕にとっては聞き覚えのあるセリフだった。
走者となる者が概念を掴もうとしてドグマを手にすると、最初に支持者がやってきて、ドグマを確認してから物語の説明を始める。
『シグマの物語』に記された順序そのままの、通常の工程、この支持者の登場は定められた台本だった。
幼い僕は振り返って不思議そうな顔をしていたが、素直に掴んだドグマを小さな手のひらの中に包んで持ち上げた。
「玉って、これ?」
ビー玉程の無機質な白球。それにアルハの視線が定まると、彼女は鋭い目を細めて歯を見せながら舌打ちをした。
「ちっ……こいつが走者なの? 子供すぎるわ、だるいわね……」
僕はそんな彼女の不遜な態度を見ながら、自身の肩へと爪を立てて震えていた。
サザナさんが残していった言葉、ドグマによる『配役』の再編成というシステム。
漣 響子は、シグマの物語のノイズである、『落書き』の配役を持つサザナさんに上書きされて、存在を取って代わられていた。
ならばサザナさんが『ヒロイン』と定義していたアルハは、一体誰が成り替わったのだろう。アルハは『エクリプス』であり、シグマの物語が生み出した存在だ。体は完全に人間だが、厳密に人間では無い事は分かっている。
「顔の無い少女……シロハネ アルハ……」
僕は無意識に近く、そう呟いていた。
ゲーブルトを追ってきた、このドグマの記憶の海の旅の中で、僕が感じ取ってきたもの。
物語の配役という構造。
ブリアンは『姫様』。
ネオさんは『技師の騎士』。
ゲーブルトの配役は『野心家の医者』。
プロメティダの配役は『病気の子供の母親』。
そして顔を奪われた存在……『病気の子供』。
僕は、その子供の名前を知っている。
プロメティダの配役に課された名前が『シロ』であるならば、僕の世界でそれは『シロハネ』であり、僕が死にかけた記憶の中で見た、小学校の黒板に書かれたいたずら書きの相合傘の中で、僕の隣に書かれていた名前も『白羽 歩波』だった。
「君が僕の……ヒロインの配役……?」
僕の足は自然と、アルハへと向かって歩き出していた。
「君は顔の無い少女から生まれた、シロハネ アルハ……?」
アギカは言っていた。
顔の無い少女は『アルハの残骸』であると。
だとすれば、少女から顔という存在を奪って支持者を生成し、鼻と口を奪って絶命させたのは、他ならぬドグマを掴んだ者。
走者しかいない。
サザナさんは言い残した。『自分がした事を一番分かってないのはお前』だと。
ゲーダントは言っていた。『お前が俺から全てを奪った』のだと。
零極さんは言っていた。『君はもっと絶望する事が出来る』
僕の心の端から、黒い感情が墨のように滲み出していた。
「支持者が生まれて、だから全部……失われたって事っすか……」
すると黒髪アルハの赤い瞳が、僕を鋭く睨みつけた。
「はあ? 気安く呼んでんじゃ無いわよ。誰よあんた、出てってくれる?」
突然現れて、いきなりの横暴さを見せる彼女。
既にデフィーナとも和解して、何人もの支持者達と交流をしてきて、理解したつもりだった僕だったが、今、この場に限っては、彼女に対する感情に抑えが効かなかった。
「アルハさんは……知ってたんすか、ドグマの配役で、自分が誰かの存在を奪って出てきてたって事を……」
アルハの目がさらに細くなり、口元が固く結ばれる。
「……はあ?」
僕は声を荒げながら、肩を揺らして進んでいった。
「支持者はみんな、自分がどうやって生まれたのか、知ってるんすか……!!」
アルハは迫る僕を避けるようにして、幼い僕の手首を強引に掴んだ。
「いきなり何言ってんのか、分かんないんだけど、頭おかしいわけ?」
そしてアルハは、彼の手を引いて自身の胸元へと引っ張り込む。
「話があるのはコイツだけなのよ。この部屋うるさいし、ちょっと来なさい」
幼い僕は、目を閉じて痛みを堪えていた。
「いたたっ! な、何するんだよ!!」
僕は更に彼女へと迫り、幼い僕の腕を掴むアルハの腕を、外から掴み込んだ。
「僕が聞いてるじゃ無いっすか!! 僕にも話があるんすよ……!!」
「……っ! 痛いわね!!」
アルハの反応は早かった。
「私には無いって、言ってんでしょ!!」
彼女は僕に腕を掴まれるなり、上着のポケットから彫刻ナイフを取りだし、僕の首を目がけて容赦なく振り抜いてきた。僕はそれに首を切りつけられて血が吹き出してきたが、間一髪で身を逸らし、切られた箇所は皮膚一枚分で済んだ。
しかし、確実に貫くコースだった。
避けなかったら頸動脈を貫かれていただろう。
「あ、危ないじゃないっすか!!」
僕は彼女の腕から手を離して、よろけて床へと倒れて転がった。
そこへ腕を掴まれたままの幼い僕が、僕へと手を伸ばす。
「だ、大丈夫……!?」
僕は尻もちをついたままで首から出る血を押さえてアルハを睨んだ。
「やっぱり支持者って、そういう感じっすよね……!!」
支持者は物語と自分の走者以外のものに固執しない。
さっき産まれたばかりであろう彼女は、誰の影響も受けず、その原則に忠実だ。
身を起こそうとした僕の手元で、紙がくしゃりと曲がる音がした。
サザナさんが捨てていった『アトラスと天使』の絵本だった。
既にサザナさんのサインが落書きされたその表紙に写る、二人のキャラクター。
白髪の槍使い『シグマ』。
そしてその隣に描かれた、草の冠を被った、金髪ショートのアホ毛の女の子。
僕はそのキャラクターと、目の前の支持者を見比べた。
髪の色こそ違うが、ショートボブとアホ毛のシルエットが、完全に一致している。
「これが……アルハ?」
僕はくしゃくしゃになった絵本の表紙を拾い上げ、自身の膝の上へと運んでいた。
「じゃあ天使さんは……どこに……」
消えている、白い天使のキャラクター。
真っ白な身体にウサギのような赤い瞳を持ち、胸に真っ赤なアスタリスクの傷を持ち、全ページでメソメソ泣いている女の子。
僕の初恋と言って過言では無い、二次元のキャラクター。
漣 響子は語った。
『コレは病気の子供を励ます為に描いた本』であると。
日本人とは思えないほど白かった、病気の子供の母親。
白い天使として描かれた、おそらく心臓の病気の子供。
幼い僕が『ヒロイン』として認定したのが、この天使のキャラクターだったとしたら。
その『配役』を差し替えるという行為が、会ったことすら無い病気の子供を対象としていたのだとしたら。
僕の唇が、震えを抑えることが出来なかった。
「てんしさん、てんしさん……。君が僕の、天使さん……?」
首から溢れ出る血液の流れすら気にする事なく、血の付いた手で、自身の額へと爪を立てて赤い筋を伸ばしていく。
罪悪感が……なんで?
僕が消したのか、天使さんを……?
僕は、悪いのか……?
僕は、選んだのか?
いや、 シグマでは?
物語は残酷にも、僕の無意識から配役を選び出し、病気の少女の存在は、ドグマの物語に飲まれて消えたのか?
「ああ……嫌だ嫌だ嫌だ……!! だからっすよ、だがら僕は最初から……!! 僕はずっとずっと言ってるんじゃ無いっすか」
僕はぐちゃぐちゃの絵本へと血の付いた顔を当て、床へと額を擦り付けていた。
「ああ、天使さん……。もう帰って……帰っていいっすか……」
理解不能の涙が絵本の表紙へと、小さなシミを作っていった。
もしそうだったのだとしたら。
僕の心にこの罪悪感を受け止めきるだけの器は、存在しない。
だが、うずくまる僕の狭い視界に、小さな踵が映りこんだ。
キャラクターもののダサい靴を履いた、小さな小さな足だ。
それは幼い僕の足だった。
「ダメだよ!! ケガさせたら!!」
幼い僕はアルハの腕を振り切って、僕の壁となって果敢に彼女へと対峙していた。
そしてその手には、どこから出したのかも分からない、医療用のメスを光らせていた。
「アトラスは、ケガした人を守るんだよ!! アトラスには、人を守る、シンネンがあるからねっ!!」
僕はそれを聞いて顔を上げた。
『アトラスと天使』の世界観にハマっていた僕も、幼い頃に同じセリフを口癖のように語っていたのだ。
そうだ。
幼い頃の僕は、何も恐れず、果敢で……無敵で。
そして何より、無知だった。
その状況に誰よりも早く動揺を見せたのはアルハだった。
「ちょっと、それ……!! ドグマ、発動してんじゃないの……!? なんでよ、あんた、早すぎる!!」
僕はそれを聞いて、砕けかけていた体に一気に力が漲り、床へと手をついて立ち上がっていた。
「君、そのメス……今作ったんすか!?」
シグマの物語のルール、走者がドグマを初めて発動すると、天使級のエクリプスが現れて、序章の戦いが始まる。
本来ならば、発動の仕方をアルハがゆっくり教えてから発動するはずだった。
シシガミ ナラクは発動まで一週間かかったし、スガミ カイに至っては半年も発動しなかった。
だが幼い僕は、僕と同じで掴んでからすぐに発動させていた。
妄想力が高すぎて、物語の世界にのめり込み、現実と妄想の区別がついてないからだ。
彼がそうだと確信したならば、ドグマはそれに答えて形を変える。
幼い僕は、自身の手に握られたメスを顔の前へともっていくと、口を開いて笑顔を見せた。
「わぁ!! アトラスの剣だ!! 僕もアトラスみたいに、戦えるのかなっ!?」
僕の身体が硬直する。
「戦い……?」
そんなものは、こりごりだ。
僕は戦いたくなんて無い。
だがしかし、ドグマの発動は無慈悲に条件を読み込んで、機械的にその運命のページをめくっていく。
次の瞬間、僕達がいる二階の病室の窓の外に、黒い影がさしていた。
僕は即座に振り向く。
「序章の敵だ……!! 天使さん!?」
それと共に、窓を含む病院の外壁が、丸くスパッと切り落とされた。轟音を立てて、二階の壁が内側から剥がれ落ち、窓の外にあった駐車場の自動車を容赦なく叩き潰す。
だが、窓の外に居たのは、僕が知ってる『天使さん』ではなかった。
僕の序章の敵は天使さんだったけれど、そこにいたのは白銀の鎧を身に纏った、機械的な光を走らせる、銀髪の長髪の天使の姿だった。
その目の脇からは、涙のように肌を割るスリットが入っており、まるで血の涙を流しているように見える。
そして荘厳な装甲の胸の部分だけが大きく開かれており、胸の中心へと向かって、赤いラインが集結して、ドクドクと脈動していた。
彼女は静かな落ち着いた声で、巨大な槍を持った手を前へと差し向けた。
「こんにちは。傷心さんが、君の物語を始めに来ましたよ」
冷めきった瞳で告げられる、物語の始まり。
同じだった。
いくつか見てきた序章の敵の開戦の合図と同じものが、幼い僕へと向けて宣言されていた。
しかし、幼い僕はその姿を目を輝かせて見つめていた。
「傷の……天使!?」
彼の顔は、希望の光を見たように唖然とする笑顔だった。
壁を破壊した天使は、見るからに機械的ですらあり、胸に集う心臓のような真っ赤な脈動は悍ましさすら感じさせるビジュアルであったが、『アトラスと天使』をさっきまで夢中で読んでいた幼い僕にとって、それはまるで絵本世界の『ヒロイン』が、現実に飛び出して来たような興奮なのだろう。
幼い僕の背中で、アルハが焦りながら叫ぶ。
「殺せっ!! 殺しなさい、それがあんたの敵なのよっ!!」
アルハの反応も同じだった。彼女はなんの理由付けも無く、『敵』『味方』『殺せ』だけでコミュニケーションを取ろうとしてくる、説明にもならない説明。
無論、幼い僕には、アルハの声など聞きたくない雑音として、全く届いていなかった。
僕だって最初に天使さんに物語の始まりを宣言されたあの太陽の下の出会いの瞬間は、望んだ憧れが目の前で息をして、僕に話しかけてくれているという、幸福でしか無かったのだから。
幼い僕はアルハへと振り向く。
「違うよっ!! 天使は傷付いてるからね、アトラスが守るんだよ!!」
『傷心さん』と名乗る天使級エクリプスは、それを聞いて頬の皮膚の裂け目に指をかけて目を細めた。
「ああ、果敢、勇敢……。君の勇気は、何よりも輝いているんですね」
僕は振り向き、手のひらからドグマを構築して、バスケットボール大の白球として構えた。天使級エクリプスは、走者となったものを褒め讃えながら、全力で殺しにくる。
それを分かっていない幼い僕を前にして、今の僕は、自分が盾になるしかないと思っていた。




