第345話・物語の発動。
それは記憶に無いとかではなく、明確に僕が知らない過去だった。
僕が初めてドグマを掴んだのは、16歳の高校の裏通りだ。
5歳の時に病院で発動しているなんて言うのは、ありえないことだった。
幼い僕はドグマの存在を知っているはずもなく、自身の小さな手のひらに握りこんだドグマの白い球体を転がして見つめた。
「なにこれ、光ったけど……」
そして、その瞬間だった。
僕の目の前で絵本を片手に持っていたサザナミさんが、呻き声をあげて頭を押さえだした。
「うあぁ……うぅ!!」
その顔から大量の汗を吹き出しながら、顔を苦悶に歪め出す。
僕はうずくまる彼女の背中へと手を伸ばそうとした。
「大丈夫っすか……っ!!」
だがしかし、近寄ろうとした僕の指先が硬直して停止する。
サザナミさんの長いストレートの黒髪が、黒い霧を吐き出して脱色していくのが見えたからだった。
髪の毛が一本一本、黒から淡い紫色へと変色していく。
その髪の色は僕がよく知っている、サザナさんの髪の色そのものだった。
「サザナミ……さん!?」
僕は震えだしていた。
ここはドグマに記録された記憶の世界だ。ドグマを使って意識を溶け込ませた僕自身がここに居ることや、ブリアンの祈りがメリーアンとの精神の根を繋がった事、ロゥファやアギカといった、別世界の支持者達がデフィーナを観測した事とはワケが違う。
僕と行動を共にしていなければ、特殊な能力もない彼女自身がここに現れるなど、ありえない事だった。
幼い僕が彼女の顔を覗き込む。
「ねぇ、大丈夫……?」
そして俯いたままのサザナミさんは、震えを止めて顔を覆っていた手をゆっくりとどけて、幼い僕へと視線を送った。
「ああ、問題ない。入ってくる情報量が多くて、頭痛がしただけだ」
それは間違いなくサザナミさんの声だったが、超然とした重みを含む口調は完全にサザナさんであり、ここまでサザナミさんと会話してきた僕が、感じる事の無いものだった。
そして彼女はスっと腰を上げて真っ直ぐに立つと、羽織っていた白衣をスルリと脱いで黒のタートルネック姿になり、紫色に変わった前髪が跳ね上がった。
「サザナ……さん?」
困惑に震える僕へとクールな視線を当てて、彼女はその胸の上へと乗っかる『漣 響子』の名札を引きちぎって床へと投げ捨てた。
「やあ、どうも、君達の親愛なる私だ」
次に小さなドグマを手にした、幼い僕へと視線を落とす。
「フフフ……どうやらコレは、中々に興味深い展開のようだな……?」
僕の思考が、追いつける限界を超えた。
幼い僕がドグマを発動して、サザナさんが現れる。
意味不明の展開が僕にもたらす感情は、恐怖の一色のみだった。
「どうして……サザナさんが、ここに……」
そして床に脱ぎ捨てられた白衣の上の『漣 響子』の名札へと視線を送る。
「ってか、サザナミさんは、どうしたんすか?」
サザナさんはタートルネックの首元に空気を送り込むように引っ張って首を揺らす。
「スゴミ君、ここはドグマの記憶の中なのだろう……?」
その視線がさっきとは違った、残酷なまでの鋭い冷たさを持って僕へと向けられた。
「ならば答えは明白。全てが死んで抹消されたからこそ、この記憶は君のドグマの中にある」
僕は立っているのすらおぼつかない程に、足の震えが止まらなかった。さっきまで座っていた椅子を足に引っ掛けて蹴飛ばしながら、足をもつれさせて床へと尻を落とす。
「ち、ちが……そういう事を、聞いているんじゃ無くて……」
サザナさんは転がる僕の正面へと足を進める。
「ではなんだ? 私が漣 響子の身体を乗っ取って、彼女を亡き者にしたと、そういう答えが欲しい感じかね……?」
彼女は僕の正面で胸を張って立つと、蛍光灯を背にした逆光の中で足を揃えた。
「残念だが、そうだったならば、君にとってはまだ幸福だったかもな」
タイトなスカートを膝裏で折り曲げて、膝を揃えて僕の前でしゃがみこみ、倒れた僕を引き上げるように手を伸ばした。
「実際のところ、私は何もしていない。コレは嘘では無いから安心して聞いてくれ」
僕は困惑と恐怖が胸の中で渦を巻いていたが、差し出された彼女の手を素直に握り返した。
彼女は僕の身体を引き起こしながら、優しい微笑みをかけて質問をする。
「君は、教科書等に、『落書き』をした事はあるかな?」
質問の意味は分からなかったが、僕はとりあえず聞かれたままに答える。
「学校行ってなかったんすよ……。落書きくらいなら、図鑑にした事ありますけど……」
それを受けるとサザナさんはニッコリと笑って、もう片手に持っていたアトラスと天使の表紙を僕へと向けた。
「私の存在と言うのは、落書きのようなものだ。それを書き換えたのは君であり、そんな事が出来るのもまた、ドグマを扱える君以外にいない」
僕はそれを聞きながら彼女へと向かう体勢の中で、絵本の表紙がさらに変化している事に気が付いた。
今までムキムキの鉄仮面の戦士と、真っ白な天使だったその表紙のキャラクター達が、真っ白な髪の槍を持つ戦士と、金髪で草の冠を被った少女に置き変わっていた。
「あれ……絵が変わって……」
それは僕が今までに全く見た事の無い絵だった。絵の異変に気付いて、起き上がりのバランスを整えようとした僕に、サザナさんは目を細めて呟いた。
「シグマだ。私が考えた、オリジナルの『アトラスの物語』。その主人公である、アトランティスの戦士だ」
全身が凍りつくようだった。
僕がこの物語とかいう理不尽な構造に巻き込まれ、何度も死にかけ、最初の世界の人達も、アルハも、ノリコも、メイアさんも、他にも何人も殺された。
その原因こそが全て『シグマの物語』だった。
「シグマを……サザナさんが……!?」
感情の昂った僕は、姿勢を制御できなかった。
前のめりになりかけていた身体は、そのまま彼女を巻き込んで押し倒し、二人の身体が床の上で重なった。
僕は彼女の柔らかなタートルネックに埋もれるように収まっていた顔を引き抜くと、床へと両手をついて彼女の真上で怒鳴り声をあげた。
「サザナさんが作ったんすか……!! この『物語』とかいう、最低な構造……っ!!」
サザナさんは押し倒されたままで両手は無抵抗に床に転がしたまま、薄ら笑いを浮かべていた。
「……大胆だな、子供がみてるぞ」
僕たちの頭の側では、幼い僕がその光景を顔を歪めて見つめてる。
だが、そんな事はどうでもいい。
「なんでそうやって、すぐに適当な話に逸らそうとするんすか!! あんた、自分が何をやったのか、分かってないんすか……!!」
そう勢い任せに声を荒らげると、サザナさんは真剣な目をして僕を睨み返した。
「自分が何をしたのか、一番分かってないのは、お前だろう」
そしてその顔は、みるみると狂気の笑顔へと変貌していく。
「さあ。始まるぞ、次の物語が……!! 私にもっと、面白い物を見せてくれ……!! ヒサヅカ スゴミ君!!」
僕は床についていた手を離して、拳を固く握りしめてふりあげていた。
「あんたはそうやって、悪びれもなく……っ!!」
サザナさんは拳を見て、目を細めた。
「殴るのか!? 熱血物語のように……!?」
僕の呼吸が止まる。
サザナさんの床に投げ出された手が、ギュッと握られた。
「なんだ、犯すのか? エロ本のように……!!」
僕の意識が彼女を言葉を理解すると共に、僕の額から汗が一気に噴き出して、握る拳の力が失われていった。サザナさんはそれを見ると両手を自身の頬に当てるように窄めて、歯を見せて笑った。
「ああ、そうだ。出来ない、出来ないなスゴミ君!! 君にはそんな普通の展開は……。ありふれた、在り来りの展開などでは、君はここまで生き残れなかったもんなぁ……!?」
僕は覆いかぶさっていた彼女から身を起こして、距離を離して見下ろした。
「結局……何をしに来たんすか、あんたは……」
サザナさんは寝そべって足を広げたままで、天井を遠く見つめていた。
「だから、言ってるだろう。私にはドグマは扱えない。故に、何もする事は出来ないと」
何を言っても、何をやっても先回りされている気がする。
僕は彼女から視線を反らした。
「してるじゃないっすか、ドグマが使えなくても、僕の傍に現れて、それで、手助けしてくれたりとか……」
僕は返す言葉が纏まっていなかった。
彼女の発言の一言一言が重くて、次を聞くのが怖くなっている。
「それなのに何故あなたがシグマなんて生み出して、僕のドグマの記憶にまで割り込んで来るんすか……」
サザナさんは依然として大の字で天井を見つめている。
「それは、配役だからだ……」
「配役……?」
「そう、配役だ。シグマの物語が開始されると、物語は配役を割り振り始める」
彼女はその身をゆっくりとおこした。
「主人公は走者。ヒロインは支持者。敵はエクリプス。と言う、所謂ボーイミーツガールの、バトル系物語が展開される」
サザナさんは幼い僕へと視線を移した。
「君達は主人公だ。敵を倒して物語を終結に導く義務がある」
幼い僕は首を傾げていた。
「敵……?」
サザナさんの言っていることは、薄々分かっていはいた。
だとすれば、ハイテンション枠にノリコ、姫様枠にブリアン、技師枠にネオさんが配役されているという事になる。
そこまでは理解は及んだ。
だが、分からなかった。
「じゃあ、サザナさんは、なんなんすか……」
「それもさっき答えたんだがな」
サザナさんは落ちていた『アトラスと天使』の本を拾って立ち上がると、脇にあった机から黒の油性マジックを取って、表紙へと書きなぐるようにマジックを走らせた。
描かれたのは、おどけたピースサインをした、デフォルメされたサザナさんの顔のサインだった。
「私の役割は『落書き』。シグマの物語をめちゃくちゃにしてやろうという、君のたった一人の共犯者だよ」
「落書き……?」
そんな物が配役として成立するのか。
僕がまっさきに思ったのは、そんな考察だった。
しかし僕は、だからなんだとか、だからどうしようなどと言う所までは、考えが及ばなかった。
すると言葉を返す間も許さず、幼い僕が開けた部屋の扉の向こうで騒がしい声が動き出していた。
「口を皮膚が覆っている……!! 人工呼吸器を……!!」
「使えないぞ……っ!! ココは外科では無い!!」
「装置はあるだろ!! 元々外科医院だ!!」
声の主は一人は若い男性の声だった。そしてもう一人は丸山院長の声だ。
二人は車輪付きの担架で患者を運んでいるようだった。その声に、僕達三人は振り向いていた。
すると開きかけの扉が勢いよく開き、見知らぬ若い男性の医師が身を乗り出してきた。男は扉のノブを掴んだままで、サザナさんへと視線を送る。
「響子っ!! 緊急手術をする、手伝ってくれ……!!」
サザナさんはアトラスと天使の本をその場で床へと放り投げ髪を揺らし、すぐさま部屋の出口へ振り向いた。
「分かった。行こうか」
出ていこうとするサザナさんに対して、扉の向こうからさらにもう一人、女性が顔を覗かせた。
「は、早くしてくださいっ!! この子、顔が無くなってから、もう全然息をしてないんですっ!!」
その顔は見覚えのある顔だった。
出てくる人物のほとんどが黒髪の、普通の日本の世界の中で、その一人だけが異様なまでに白かった。白の長髪に、スラッとした儚げな雰囲気を持つ女性。彼女はスレイちゃんの母親である、プロメティダそのものだった。
僕は揺れるサザナさんの後ろ髪を見ながら、目を強ばらせていた。
「顔の無い、子供……? タイコ シロハタ……。 シラバ……」
病気の子供の母親として出てくるのがプロメティダ。
海賊ジャスティン・ホーネットの部屋にも、プロメティダの指輪があった。
ジャスティンに託されたのは、病の子供。
ゲーダントが蘇生した、顔の無い少女。
全てが『白』が関わる、その名前。
僕の最初の世界で、名前に『シロ』を冠する者。
「シロハネ……アルハ?」
僕が呟くと、プロメティダ顔の母親は、涙ぐむ顔で僕へと一瞬、視線をよこした。
だがサザナさんが部屋の扉を抜けると、担架は一気に走り去り、彼女もそれについて去っていった。
そしてサザナさんは、廊下へと消える最後の横顔で、僕へと告げた。
「漣 響子は、配役に存在を奪われし者だ。だが、それを決定するのはドグマを掴んだ者……。走者であるお前だと言うことを覚えておくと良い」
彼女が立ち去る病室に、唖然とした僕と、幼い僕が残されていた。
「配役を、奪われし者……」
すると、入れ替わるように扉の向こうから新しい人影が現れて、入口の前へとまっすぐ立った。
それは黒い髪に赤く鋭いナイフのような瞳を持つ、無表情な少女。
紛れもなくこの世界の、支持者だった。




