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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第8章・帝国編

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第344話・アトラスと天使。

「すまないね、患者についての情報は、教えられないんだ。仕事上な」


 サザナさん似のサザナミさんは、長い黒髪を揺らしながら緩い微笑みを持ってフッと息を吐いた。

 そして幼い僕が手にしていた、アトラスと天使の紙束を摘んで取り上げた。


「君が私の絵本を気に入ってくれたと言うのでね、チョットだけ嬉しくて本について語っただけの事さ、コピーは取ってるんだから、こいつは回収して良いだろう?」


「あっ……」


 幼い僕は口惜しそうに、本を見あげていた。

 僕はそれを見て腰の裏に隠していた、零極さんが集めてくれた『アトラスと天使』の本を、幼い僕へと手渡した。

 僕の腰元の幼い僕は、目を輝かせてその表紙を見つめていた。


 あの頃の僕にとっては、毛虫の絵本もウサギの絵本も退屈な物語だった。ムキムキのアトラスはカッコイイと思ったし、真っ白な天使は傷ついていて愛おしい。

 そしてアトラスが黒い魔物を相手に無双すると言う、単調な展開。


 それこそが僕の見たかった物語。


 僕が憧れた世界そのものだった。


 僕は幼い僕の肩へと手を添えながら、サザナミさんへと視線を返した。

「はい、もちろんです。その、なんか……すみませんでした」


 サザナミさんは笑ったままで取り上げたアトラスと天使を丸めると、白衣のポケットへと差し込んだ。

「それにしても君、酷い怪我じゃないか。私は外科の研修医でね、どうせもうすぐ休憩だったし、ちょっと診てやろう」


 あまりに気さくな物言いに、僕は腰が引けていた。

「良いんすか……。なんか院長は、怒ってましたけど……」


 僕が廊下の奥を見ると、丸山院長は既に廊下から姿を消していた。サザナミさんもそちらへと軽く視線を向ける。

「構わんさ、私が給料貰ってるのは、あのオッサンからじゃ無いしな」


「そうなんすね……」


 僕はサザナミさんの誘いに乗る事にした。

 ゲーブルトと同一的存在である丸山院長の核心、病院内にいる可能性の高そうな病気の少女。色々調べなくてはいけないが、追い出されては元も子もないし、何より普通に背中は痛かった。


 僕とサザナミさんは幼い僕を控え室へと送ると、小さな病室の中で二人きりになった。


「さてと、では脱いでくれ」


 サザナミさんは救急箱を片手にロッカーを開けて、無地の白いTシャツを一枚取り出し、椅子の腰掛けへと被せた。


「はい、お願いします……」


 僕は燃やされてボロボロになった上着を脱いで、上半身裸の背中を彼女へと向けるようにして椅子へと座った。


「染みるぞ」


 サザナミさんはそう言うと、僕の背中へと消毒液を塗り始めた。スーッと沁みるような痛みに、体が思わず飛び跳ねる。


「痛……っ」


「ははっ、男だろ。我慢我慢……」

 言いながら動かす彼女の手に、先程ポケットに入れていた『アトラスと天使』が引っかかる。

「これは、ちょっと邪魔だな……」


 サザナミさんはポケットから飛び出した絵本を掴むと、無造作に机へと放り投げた。本は開く形に折れ曲がり、机の上で伸縮して跳ね上がって床へと落ちた。


 僕はその余りに雑な扱いを受ける本を見ながら、サザナミさんに聞いていた。

「自分で描いた作品じゃないんすか……? ソレ」


「ん……? まあ、そうなんだが、ソレは目的を果たせなかった、失敗作の物語だからな」


「そうなんすか……」


 僕はその内容まで全て完全に覚えていた訳では無いのだが、僕にとっての大切な思い出であるソレが雑な扱いを受けているのに少しの不快感を覚えていた。


「でも、僕はその物語……好きでしたけどね」


「ははっ、なんだお世辞か? 君のような歳の子に向けて描いたものではないけどな」


「いや……僕は……」


 言葉に詰まった。


 この世界は僕が5歳の時の物語。

 今の僕はそれから11年先の未来人だ。会話の筋が通るはずもない。


 するとサザナミさんはガーゼを取って、僕の背中へとあて始めた。

「まあ、でも、ありがとう。自分の描いた作品は、自分の分身のようだ。否定されれば自分でも価値を見失い、肯定されればなんだか可愛くも見えてくるものだな」


 僕は動く事を許されない状況の中、机の裏の床から表紙をはみ出させる絵本のタイトル部分を見つめていた。


「なんで……タイトル『アトラスと天使』なんすか?」


 サザナミさんはメディングテープをハサミで切りながら、軽く答えた。

「そりゃあ、アトラス医院の先生が、手術で悪い病気をやっつけてくるよ。って意味さ」


 僕は机の影に隠れた表紙のイラストを思い出していた。

 小さい頃の僕は気づかなかったが、アトラスが持っていた剣は、剣でも槍でもなく『メス』だった。


 そして少し引っかかる。

「あれ、丸山院長って、人の怪我は見ないんじゃなかったんすか……?」


「サザナミさんはガーゼをテープで固定しながら笑っていた。

「ははっ、それは大人の事情ってやつさ……」

 そこから声色を変えて、飄々とした態度で語り出す。

「君はアトラスって、どういう意味か知ってるかな?」


「なんか、ギリシャ神話の人って事くらいは……」


「んん、人ってか神なんだけどな。世界を永久に支える罰を課されて、それに従事していると言われる、巨人の神さ。だから人々を支える医院って事で、アトラス医院と名付けた」


 成り立ちも成り行きも余りに単純。

 僕がハマっていた物語の、あまりにも現実的で普通過ぎる真相が、紐解かれていく。


「神様なのに、罰を受けるんすか……?」


「それはな、ギリシャ神話の神様達ってのは、ずっと権力争いをしているんだよ。最終的な勝者である、全能の神ゼウス。ソイツに刃向かった奴は全員『重罪』と言うわけだ」


「へぇ……そうだったんすね」


 正直、あまり興味が無かった。


 僕はなんとかしてゲーブルトの核心と、顔のない少女の謎へと迫らないといけない。そんな気持ちが湧き出してくる中、サザナミさんは口軽く僕へと質問を投げた。


「だが、おかしいとは思わないか? 世界を支えるなんて大役を、罰とは言え敵勢力の一介に課すと言う、この物語のの構造!!」


 僕は僕の背中で熱く語り出すサザナミさんの温度感にはついていけなかった。

「まあ……言われてみたら、サボられたらヤバそうな感じでは、あるっすね」


「そうだ、いいな君は、話が合うな!」

 サザナミさんは楽しそうに声を弾ませて、次々と薬液付きのガーゼを貼りつけてくる。

「だが実際はな、アトラスは世界を支えてなどいなかったんだ」


「……え?」


「アトラスが課された罰は、世界の天蓋の下へと永久に監禁される。それだけであり、世界を支える使命や責任などは、どこにも無かった」


「じゃあどうして、世界を支えてる。なんて言われてるんすか?」


「それは、そっちの物語の方が、格好いいからだ」


「え……いや……」


 彼女の語る口調が早くなってくる。

「物語は語られ、次の時代の者が書き換え、常に編集をされながら受け継がれてゆく。根暗な神話は英雄譚に脚色され、卑猥な神話は規制を受ける。そうして後世の人々が楽しめるようにと、物語は変化していくワケだ……」


 サザナミさんはそう言うと立ち上がって椅子の背もたれからシャツを掴み、僕の肩の裏からかけてきた。

「さて、済んだが応急処置のようなものだ。少し休んだら、しっかりとした外科で診てもらって来なさい」


 僕はその柔らかく白いシャツを受け取り、自身の胸の前で開いた。

「ありがとう……ございます」


 サザナミさんの言ってることは、分かるようでもあり、分からないようでもある。その語りからサザナさんの空気を感じると共に『物語の面白さ』に固執している所が、強い共通点のような気がしていた。


 そしてふと思った事を、そのまま口に出す。

「アトラスがただの罪人で、別に世界支えていないなら……。絵本を描くにしても、なんでアトラスを主人公にしたんですか?」


 聞きながら振り向くと、サザナミさんは腰を曲げて顔を近づけ、目を細めて微笑んでいた。甘いファンデーションの香りが鼻孔を這い上がって来る。


「君は本当に話が合うな。もう十年早く、同い歳で出会いたかったものだ」


 その距離の近さに僕は思わず目を逸らした。

 するとサザナミさんは砕けた顔で距離をとる。

 アゴに手を当てながら歩きだし、机の脇へと落ちた『アトラスと天使』を拾い上げた。


「アトラスが罪人と言うのは、ギリシャ神話が勝者サイドを主人公に据えた物語だったから。歴史に知られない勇者は、実は一人を守る為だけに戦っていた……」

 冊子のページをめくり始める。

「そんな『IF』を込めて、私の勝手な妄想を絵に落としてみた。この本の元ネタは、そんな感じさ……」


 サザナミさんは、ひとつのページを開いて見せた。


 そのページに綴られた物語はこうだった。


【天界《てんかい》の王《おう》が降《お》りて来た。

 天使《てんし》を連《つ》れ去《さ》りに来たんだ。

 天界《てんかい》の王《おう》はカミナリを降《ふ》らせてくる。

 ピシャ!ゴロゴロ……

 だけどアトラスは負《ま》けないよ。

 君《きみ》が行か《い》ないでくれるなら

 アトラスは何度《なんど》だって立《た》ち上《あ》がるからね!】


 そこに描かれたイラストは、黒い雲の上に立つヒゲのオジサンの絵だった。当時の僕は何も思わなかったが、それは一般的な『ゼウス』のイメージを悪役として出しているとしか言いようのないものだった。


 それをサザナミさんは指で示した。

「ゼウスだ。このページは、ちょっと上手く描けてないか?」


「はい……まぁ、普通に、上手いほうかと……」


 しかしよくよく見てみると、そのエラの張った輪郭に燃え立つような白い髪と太い眉毛を備えた顔が、ゲーブルト……もとい、丸山院長にそっくりだった。


「なんか……院長に似てます?」


 僕がポツリと呟くと、サザナミさんは目を丸くして手を返し、そのページの絵を見つめた。


「おおっ、分かる!? いやぁ、分かってくれるとはね、本当に上手く描けてたんだなぁ!!」


 年甲斐もなく嬉しそうにはしゃぐ彼女の姿に僕は困惑したが、さらにもうひとつ気になる事が出てくる。

「でも、あの人って、アトラス医院の院長ですよね……? なんで敵役なんです?」


 サザナミさんは自分で描いた絵を見ながら、口角をあげてニヤけたままでフッと息を吐いた。

「……だって私、あのオッサン嫌いだし」


 僕は膝の上へと両手を揃えた。

 たしかに院長は嫌な感じだったし、サザナミさんが別に尊敬とかして無さそうなのは初見の対応からしてすぐに分かった。


 だがそうすると、もうひとつ気になる事が出てくる。

「じゃあ、アトラスって誰の事なんです? 実際に居る医者の人なんですよね……?」


 僕がその質問をすると、サザナミさんは目を細めたままで本を見つめて、黙ってしまった。

 その沈黙が気まずくなり、僕は後頭部へと手を当てて立ち上がった。


「すみません、その……。答えられないやつなら、大丈夫っす……」


 僕が頭を下げると、サザナミさんは冷めた顔で振り向いた。

「いや、良いんだ。この医院は、元々別の者が建てようとしていたんだ。それが院長につけなくなったので、空いた席についたのが、今の丸山院長……」

 そして窓の外の『アトラス医院』の看板を見つめる。

「看板変えるのは費用がかかるってんでな、そのまま医院の名前になったのさ……」


 彼女が少し悲しみを帯びた目で、そう語り終わるか否かの所だった。


 僕達ふたりが入っている部屋のドアノブが、ガチャりと捻られた。

 ドアがゆっくりと開くと、その向こうから幼い僕が恐る恐る顔をのぞかせた。


 そして僕と目が合うなり、笑顔になって駆けてきた。

「ねぇねぇ!! アトラスと天使の本……交換してっ! 僕、そっちの剣の方が好き!!」


「え……?」「ん……?」


 僕とサザナミさんは、同時に彼が突き出している絵本の表紙へと視線を移した。


 彼が今持ってるのは、僕がこの世界に持ち込んだ方の『アトラスと天使』だ。

 その表紙でアトラスが握っている剣は、RPGでもよく見る両刃の一般的なロングソードだった。


 サザナミさんの手の中にある、元々のこの世界の『アトラスと天使』のアトラスは、メスを武器として構えている。


 サザナミさんの顔が歪む。

「む……おかしいな。カラーコピーじゃないのか?」


 僕の胸の中に、言い知れようのない嫌な予感が湧き出してくる。


「えっと、それは……」


 しかし、幼少の僕はサザナミさんの手に収まる本を見るなり、片腕を伸ばした。

「あ、それそれっ! 交換しようよ! 良いでしょ?」


 その図々しい態度と共に、幼少の僕は開いた手のひらから指先を曲げるために、僅かに動かした。


 その瞬間だった。


 彼の手のひらから弾けるような光が溢れ出してきた。


 僕はこの現象を、知っている。


 コレは、ドグマの発動。


 何かをつかもうとした瞬間に、走者《キュリオス》として物語に認定され、過酷な運命を歩き出す羽目になる、まさに終わりのはじまりだ。


 幼い僕の手のひらの中に、ビー玉程の大きさの白い球体が生成された。

 それは間違いなく、ドグマだった。


 そしてサザナミさんが持っていた絵本から『アトラス』の絵だけが、切り取られるように消え去っていた。

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