第342話・アギカの祝杯。
ゲーダントは僕の目の前で炭となって砕けた。
その男が最後に投げた、顔のない少女の遺体。
僕はそれを落とさないように両手で受け止めた。
「僕が奪った……何を?」
僕の体の芯が震えていた。
少女の体にはまださっきまで生きていたという温かみが残り、そして30kgの水袋のようなハッキリとした重みが僕の身体を揺らしていた。
僕の背後から、メリーアンとネオルが駆けてくる。
メリーアンは声を裏返していた。
「ゲーダントは、どうしたの……!?」
「これも、お前の呪術……!?」
ネオルも腰を落としながら、声を震わせている。
「違います、コレはゲーダントが一人で……!!」
窓の外から風が吹きこみ、ゲーダントの炭となった身体の一部が転がって僕の靴先へと当たった。
「だって、奪ったのは、コイツじゃないっすか……!! 人格を奪って、命を奪って、心を踏みにじって……!!」
ゲーダントは最初から僕という存在に恐怖していたようだった。それは否めない。ヤツはアギカの祝杯を使った大量殺戮による少女の蘇生を企んでいた訳だし、僕にとって憎いだけの敵であるゲーブルトと、世界が違うだけで同一存在だ。
そうだとすれば、僕がいた世界……。
ナラクとデフィーナの世界のゲーブルトも、病気の子供の蘇生か治療を試みていたのだろうか。
だとしても、アイツの行為が許されることなど無いのだが。
メリーアンが僕の腕の中を覗き込む。
「どうしたのこの子……コレはっ!!」
ネオルが口を押さえて目を細めた。
「ゲーダントの蘇生対象だろ、シラバとか言ってたか……何故顔が……」
「シラバ……シロハタ……」
僕は呪文のように、繋がりを探って唱えていた。
ゲーブルトがチャイルドオファーの発動を見たと言う、クランケNo.2の名前が『タイコ シロハタ』だった。タイコさんの事は知らないが、その娘が心臓の病だったという。
ならば娘の名前もシロハタだ。
僕が今抱き抱えている、顔の無い遺体、シラバとその母親。
「それが、ゲーブルトの……核心」
少女の遺体を掴むその手に力が加わった瞬間、窓際に立ち尽くしていた僕に、テラスから影が伸びてきた。
いつの間にか、テラスに大きな男が立っている。
そこから太く低い声が僕へと投げかけられた。
「アギカの祝杯を使ったのは、誰だ?」
唐突な登場と、唐突な質問。
そもそもココは三階のテラスであり、外では逃げ惑う声が小さくなる一方だ、いきなりそこに立っているというだけで普通の人間じゃない事は確かだった。だが僕はその声に聞き憶えがあった。
僕は顔を上げた。
そこに立っていたのは、僕と殺し合いをした走者、『須賀見カイ』の大きな肩を張った学ランの姿だった。
「須賀見……カイ……」
カイは露骨に顔を歪めて、冷たい視線を落とした。
「あ? なんで俺の名前知ってんだよ。この世界じゃ、アルハ以外に名乗ってねェけどな」
言いながら、左へと視線をずらす。
「おいアルハ、なんだコイツは」
それに反応して、テラスのヘリの向こうから、銀髪ショートの少女が飛び出してきて、カイの隣へと並び立った。
「知らないわよ。一般人じゃないの? アギカの祝杯は、一般人にも使えるように作られてるんだから……」
その鋭いナイフのような目と、揺れる銀のアホ毛はデフィーナのものと同じ形をしている。明らかに、この世界の支持者だった。
僕は一瞬考える。
この世界ははるか昔の物語、今の僕のドグマのほとんどの体積は、カイが壊してきた46の世界の記憶の集合体だ。その物語にカイが出て来る事自体には、なんの不思議も無い。
だがそれもまた、僕が一方的に知っているだけの未来の事象だ。僕はこの過去の過去のカイに対して、名乗りはしなかった。
するとカイはテラスのヘリから飛び降りて、無防備に胸を張りながら前進してきた。
「なんでもいいや、アギカの祝杯を使ったって事は、テメェの願いは叶ったんだろ。返してもらおうか、それは元々、俺たち神々の使いの所有物だからな」
言いながらカイは学ランの背を覆うマントから無数の針を突き出して、僕とメリーアンとネオルへと突きつけた。
「きゃあ」「コイツ……!!」
メリーアンとネオルも短く反応するが、二人は針が絡み合いように身体を覆って拘束され、動けなくなっていた。
針は僕達の輪郭をなぞる様に精密に皮膚を押し込んでおり、殺そうと思えば今ので殺せたと言うのは明らかだった。
しかし、カイが神々の使いなんていうのは嘘だ。
カイは自分が物語の奴隷である走者である事を、痛いほどに分かっている。カイの冷たい目は、彼が既に20回以上はシゲルに敗北した後だと言うことを、僕に悟らせていた。
僕はひとつの身動きも許されない針の檻の中で、カイのことを睨み返した。
「ぼ、僕が……使いました。この子を、生き返らせたくて……」
僕は顔のない少女を抱き抱えるその腕の影で、アギカの祝杯と同じ形をドグマで生成した。カイとは未来に殺し合い、そしてカイは既にデフィーナに殺されている。今僕という存在をカイに認識されては、世界がどうなるのか分からない。
それが先決だと判断していた。
僕がアギカの祝杯の形を作って少女の遺体の下から差し出すと、僕らを纏っていた針は一斉に引いて回収され、メリーアンとネオルもその場に崩れ落ちた。
カイは顔をにやけさせて堂々と前進してくる。
「物分りが良いってのは助かるぜ。この世界じゃ魔術ってのがあるんだもんな、ちっとくらい勘の良い奴がいてもおかしくねぇってな」
そしてカイは僕へと手を伸ばしながら、銀髪のアルハへと振り向いた。
「なぁ……アギカ?」
僕はそれを聞いて、目を丸くして身を乗り出していた。
「アギカ……!? その支持者が……アギカ!? 祝杯のアギカ!?」
カイは目を細くして見下しながら、僕が差し出したニセの祝杯を掴んだ。
「そう、この世界じゃ、世界を作った天使だなんて語られてるがな、コイツは悪魔さ。人を生贄にして力を集める為に、世界の裏から派遣された夢喰らいの女……」
謂れも無い紹介だった。
カイの支持者に対する価値観は既に歪みきっている。支持者は強い命令に強制服従させられる。この支持者であるアギカは、既にカイの命令によって服従する以外の道が無いのだと察した。
それがアギカの震える唇と、強く握りしめた拳から伝わってきた。
僕はそれを見た瞬間に、カイに掴まれていた祝杯のレプリカを強く握って引き返した。
「僕には世界を見る目の魔術があります。あんた、そうやって息巻いてると、いつか足元すくわれるっすよ」
『世界を見る目の魔術』なんていうのは嘘だ。
そもそも僕はこの世界の魔術と言うのを見た事すらない。
カイは眉間にシワを寄せて、唇を固く尖らせていた。
「あ? 魔術? それも祝杯から生み出されたって設定だろうが。なんも分かっちゃねぇなお前は」
これ以上彼と会話したところで、意味はない。
僕はアギカの目だけを見て、呪文のように唱えた。
「終わった世界に対して僕が成せることなど何も無いっすけど、デフィーナの目から見た世界が、この物語の行く末の答えになってますから……」
「ああ!? ワケ分かんねえな、この世界のアホ共の言う事はよぉ!!」
カイは怒鳴った。
カイには、僕の言ってることは分からないのだろう。
祝杯を掴むその手に更なる力を込めて、無理やりに引き抜こうとしている。
しかし僕へと気だるそうな光の無い目をしていたアギカの瞳に、たしかに強い輝きが宿っていた。
僕は『デフィーナ』という名前を出した。
カイにとってはどうでもいい未来の支持者の一人だが、アギカは『デフィーナ』を認識したことで『アルハの目』によって、デフィーナの記憶を全て検索出来るようになったハズだ。
それがきっと、アギカにカイの最後と、僕がアギカの世界のドグマを継承している事を見せたのだろう。
僕の背中で、メリーアンが声を高くした。
「何をしてるの、それを早く渡してしまえば……っ!!」
僕はメリーアンへと振り向いて、小さく笑った。
「すみませんっす、女神さん。僕は結婚しに来た訳じゃないんすけど……。そのドレスはどうか、君が持っててくださいっすよ」
……止められない。
カイが居るということは、この世界でもカイは一ヶ月以内にシゲルに負けて、アギカは死んで、天使さんが世界を消滅させに来る。
それは既にドグマに記録された、確定された物語。
記された大筋に、僕は触れることは出来はしない。
ただひとつ、手掛かりを得た。
僕は顔のない少女の遺体を、強く胸の中へと引き込んで抱きしめた。
そしてその体に、アギカの祝杯を重ねた。
「僕の帰る道は、ここにある」
少女の遺体の上で、祝杯と化したドグマが光を帯びた。
「『病の少女』の核心へ……!! ゲーブルトの、やつの起源を見せてくれ!!」
それに対してカイは身を翻しながら顔を覆った。
「な、何してやがる、てめぇ!!」
「呪術なんすよ。一般人でも祝杯があれば、力を使えるんすよ!!」
それは脅しとハッタリだった。
だが僕は、カイの恐怖と生への執着を知っている。
コイツを脅すには、コレで十分だ。
「僕の魂を触媒としアギカに捧げる。答えろ祝杯、この城に居るものを傷つけた者には、死の呪いを与えろ!!」
カイが顔を歪める目の前で、僕の身体は光になって消滅した。
ネオルが身を乗り出して叫ぶ。
「アイツ……!! 命を捨てて私達の盾に……!?」
「そんな、そんな事って……っ!!」
メリーアンは着せられたウエディングドレスのドグマを握りしめて震えていた。
カイは城のテラスで尻もちをつきながら、アギカへと震える視線を移した。
「なんだ今の……!? おいアルハ!! アギカの祝杯ってのは、今のは有効なのかよ!?」
アギカは問いかけには振り向かず、遺体と共に光になって消えた僕のいた場所を、遠くを見つめるような瞳を輝かせて沈黙していた。
その静寂に、カイが焦って命令する。
「答えろアルハ!! 今のは有効なのかって聞いてんだよ!!」
アギカは目の光を失い、カイへとゆっくり振り向いた。
「知らないわよ。使ったやつがそうだって思ったなら、そうなんでしょ」
この物語から脱出した僕は、彼らのその後の事は知る事は無い。
ただ結果だけは知っている、それが消去される運命にある物語だったと言う事だけは。
世界を去った僕は、まるで水族館の水槽の中のように、流れ続ける記憶の海の中を漂っていた。
そんな僕の意識に、アギカの声が届いた。
「ヒサヅカ スゴミね。デフィーナの記憶を見たわ。私も私達のドグマの行く末、あなたの物語を見つめているわ……」
その声は冷淡、支持者は全員冷淡なので珍しいことでは無いのだが、僕はアギカの声に他の支持者には無い、僅かな温かさを感じていた。
「私の最初の走者は、千年前に祝杯を作ったわ。人々の希望が、祝杯を輝かせるだろう……だとか言ってね」
言葉に詰まる。少しの間が、彼女の悲しみを訴えているようだった。
「しかし、私の走者は死んだ。祝杯は人の手を渡るうちに、悪意と欲望だけを溜める器となってしまったわ……」
僕はその悔しそうな声を聞きながら、小さく返した。
「アギカさんの手元には、無かったんすか……」
「支持者は希望なんて持たないもの。祝杯は私には答えてくれないわ……」
返す言葉も見つからなかった。
彼女との意識の隙間に、僅かな静寂が走る。
そしてアギカは告げた。
「あんた、さっさと帰りなさいよ。デフィーナは零極を目の前にして、殺したいのを我慢しながら、あんたの帰りを待ってるわよ」
「はい、それはもちろん……。あと少しだと思いますんで……」
アギカは口を重くして返した。
「そう……」
そして次の言葉が、僕がアギカから聞いた、最後の言葉となった。
「じゃあ、意味があるかは分からないけれど、伝えておくわ。あんたが抱いてた顔の無い少女、アレは、支持者の残骸よ」
「……っ!?」
聞き返す間もなく、記憶の海は濁流となって、僕の身体を飲み込んでいった。




