第338話・それが私の物語。
むかしむかし。
なんて話し出しではどうだろうか。
『むかし』と言うとどれくらいか。
人によっては10年だったり20年だったりするのだが、私は年寄りの『むかし』程、長期間な傾向がある事を知っている。
私はブリディアナ帝国で大臣を務める、ゲーダントと言うものだ。
むかし……。
そう、私にとっての『むかし』である30年前。
それは私が10歳になる頃だった。
私はふと思った。
『国王になりたい』
少年が良く妄想にふける類のものだ。
王者、制覇者、最強。と言った些細な夢物語。
だから私は、勉強をした。
なるのならば、医者が良い。
しかも腕利きで、信頼のある医者だ。
著名な資産家、政治家を顧客として迎え、金と権威を身につけていく。
それが私の描いた妄想への基軸であり、そして私は今、帝国の『大臣』として立っている。
正に王手の一歩手前と言うわけだ。
さて、では話を戻して『むかしむかし』について考える。それは一体、どれくらいの期間なのだろうか。
それは百年かも知れないし、 千年かも知れない。
だいたいの場合は、想像すらもつかない、遠い昔と言うことだ。
それはつまり『むかしむかし』というのは、聞き手にとってはなんの関係もない話。それがおとぎ話だろうが史実だろうが『どうでもいい話』ということだ。
そして私は『ヤツ』にとっての『むかしむかし』の中にいる。
ことの発端は国王の一人娘が、年頃を迎えたと言う話に遡る。結婚相手を決める為、姫には様々な国王や王子との見合い話が設定され、彼女はそれに望んで頂いていたのだ。
だが姫は一度も首を縦には振らなかった。
「ゲーダントっ! 最低だわっ!! 相手の方ってば、半日も風呂に入らず、私に会いに来たのよ!!」
「それはそれは、不潔は身の大敵。断るのが姫様にとっても最善の道でしょう」
「そうっ!? そうよね!! みんな気にしすぎだって言うの!! みんながおかしいんだわ!!」
姫様はその日も声を裏返して早口だった。
それもそのはずだ、見合い相手には替玉、欠場を駆使して、姫の気に入りそうな相手には一切合わせてはいなあか。
私は姫が五歳の頃から彼女の事を知っており、既に彼女の好みもわがまま癖も知り尽くしている。
彼女の結婚。
それは私が十三年待った、王座へのチェックメイト。
私の夢の総仕上げだ。
ものにするしか無い。
そう思っていた。
だが、狂気の祭典は、始まってしまった。
「そうだわゲーダント!! 国民の中から最も優秀な男性を見つけるというのはどう……!?」
「流石は姫様、良きお考えでございます。ならば手配は全てお任せ下さるよう……」
「ええ、お願いねっ!! 私、お父様に伝えてくるわっ!!」
私はこの時の事を後悔している。姫様が一般市民に興味を持つハズも無ければ、この国で一番に優秀な男は、この私だ。その程度の揺れで、私の計画が揺らぐことは無いと考えていた。
そして姫様の婿探しと称して、国中の男に召集がかけられた。始められたその大会は一週間。
国民男性全員に機会が与えられる為、人生の一発逆転を狙うほぼ全ての国民の男が集まった。
集まった男たちは王城の前の広場をウジの群れのように埋めつくし、城壁まで埋まるほどの密度と熱気が渦巻いており、姫様がバルコニーから顔を覗かせると、歓声が王城の窓を叩き、石壁すらも振動していた。
そして姫様が、その中からまずは見た目で候補を指さすというわけだ。
城から離れた者など顔すら見えず、姫様も足元の見える範囲しか探してはいない。
「メリーアン様!! メリーアン様!!」
男どもは姫の名を叫ぶ。大声を張って我先に見初めてもらおうと騒ぎ立てる姿は、蝉かコウロギか。所詮は有象無象のロクな連中ではない。
メリーアンは、それを見て悦に浸っていた。
「どうしましょう、こんなに居ると、迷うわね」
王族の小娘の残酷な酔狂と言ったところか、だが三日も経つとそれにも飽きたようで、バルコニーへと向かう彼女の足は重くなっていた。
「ゲーダント、ダメだわ……一般の方って、粗暴と言うかなんというか……」
「姫様、大衆などと言うのは、そのようなものです。しかし祭典でありますので、少し顔を出すだけでも、ご決断ください」
外では連日のコールが合唱団のように揃い、終始あのやかましい『メリーアン』コールが、鳴り響いていた。
そしてその日、姫がバルコニーから顔を出した瞬間に、事態が動いた。
姫様が疲れにふらつく足で石畳のバルコニーを進み、民衆へとその顔を晒すと、まず湧き上がるのは、わぁだの、あぁだのの、言葉にも無い歓声。
そしてその最初のひと波が沈みかけた瞬間、『ヤツ』がこの城の時間を止めた。
それは集まる者達が、いつまた『メリーアン』コールに切り替えるのかと機を伺っているような、そんな音の合間だった。
ヤツの声だけが一体化する民衆の中を逆らって、バルコニーで佇む姫の耳を動かした。
「ちょっと!! やっぱり女神さんじゃ無いっすか……!! な、なにやってんすか、似合わない事やって……!!」
その言葉が飛ぶと共に会場は一瞬、静まり返った。
しかしそれをかき消すかのように、群衆のコールが始まる。城の前を埋め尽くす蛮声を前にしては、やつの声が聞こえる事はもう無かった。
その直後、メリーアン姫が血相を変えて、場内へと向かって駆け出し始めた。
私はその奇行にすぐに身体を立てて道を塞ぎ、姫様へと問いかけた。
「姫様、どこへ行かれるのですか、具合でも悪くなられたのですか……っ!!」
メリーアンは首を振って瞳を震わせて私を見あげていた。不安と焦り、この脳天気な箱入り娘が、今までに見た事の無い表情を作っていたのを見て、私は僅かに体を引いていた。
メリーアンは両手を胸に載せながら語る。
「あの人、私の事……女神って言ってたわ!! だって私、そんな呼ばれ方、した事ないもの!!」
私は目を細めていた。
この小娘の突飛もない空想の跳躍と飛躍。そんなものには、今までに幾度と無く付き合わされて振り回された。この思考の欠片も見せない空虚な迷走に、私は苛立ちこそ覚えても愛嬌などを覚えたことは一度たりとも無かった。
「姫様、落ち着いてください。彼もまたみすぼらしい庶民の者、近寄るにはあまりに不潔です」
「そんなの、お金がないなら仕方ないでしょ!? 洗えばいいんだわっ!!」
我々が言い争っていると、気づけば三階のベランダのヘリの上に、声の少年が立っていた。
窓の外から、騒がしい声が続々と湧き上がってくる。
「アイツ……とんだぞ!!」「衛兵ーッ!! 衛兵ー!! 侵入者だ!」「追えっ!! 追えーッ!!」
私は姫を背中へと回した。
「姫様、この者、危険です……!! お下がりを……」
「いえ、ゲーダント!! この人は、特別なんだわ!! 私、心に感じるの……っ!! 運命的な……そう、運命ってやつじゃないの、これが……!!」
「な、何を言ってらっしゃるのですか……っ!!」
昼前の陽光を背中に受けた少年の顔は影に沈んでいたが、擦り切れたシャツに、ほつれだした上着。靴からは親指が息をするように頭を出している。
とても姫に近づけていいような身なりではない。
……いや、だが当然だ。
身なりの悪い者ほど城の近くへ配置するよう、私が手配したのだから、城の近くに居るのはコイツのような小汚い男だけなのだ。
その中から姫に選ばせるのだから、望む相手を見つけることはできない。そこまでが当然の事だった。
「お前、分かっているのか、この神聖なるブリディアナの城に、そのような身なりで乗り上げて……っ!!」
私にとって、この男の存在は未知数だ。少なくとも城の三階まで飛んできたというのだから只者では無い。
私は腰に携えた刀剣へと片手を添えた。
すると少年は、突然私に向かって怒り、髪を逆立て始めた。
「お前ゲーブルト……!! やっぱりこの世界に来てたんじゃ無いっすか!!」
「人違いでは……?」
何を言っているのか分からない。気が狂っているとしか思えない。それでも私は冷静に返していた。
しかし少年は私の事を強烈な叫びを持って指さした。
「一緒に物語を渡ったと思ったら僕一人で……探してたんすよ、めちゃくちゃ……!! そんでメリーアン姫が結婚するとかって噂流れてきて、女神さんなんじゃ無いかって、ようやくここまでたどり着いたんすよ……!!」
その叫びに、私の後ろからメリーアンが強く反応をしていた。
「あなたは誰なの……!? 私、女神なんて呼ばれた事ないのに……っ!! 何故かそう呼ばれる事を、ずっと待っていたような……そんな気がするの!!」
少年はバルコニーのヘリから飛び降りて、こちらへと近寄りながらメリーアンを見つめていた。
「僕はスゴミ。ヒサヅカ・スゴミ。遠い未来の遠い世界で、君のような人と縁を持った……そのなんか……そういう感じの人っすよ」
私は更に身を引き、姫を部屋の奥へと押し込むようにして下がった。
「イカれてるのか、近寄るな!! 呪術師か、魔導師の類のものか……っ!!」
少年は手のひらの中から、イカの触手のような軟性の白い物体をひねり出すと、それを水晶のような真球として再現しすると掴んで見せた。
「あんたも今度は、なんの役やってんすか、貴族的な何かっすか、どうせまた悪い事を、企んでるんすよね……!!」
私はその白球を初めて見たが、それが何故かとてつもなく怖かった。この白球は私から全てを引きずり出して、私を奪う。
そんな薄く寝ぼけた夢の先から呼びかけられるような感覚が、私への破滅を宣言している。
そんな鈍い確信だけが、私の目を白く焼いていた。
「企んでるとは……なんの事だ……!!」
違う。
私が言うべきなのは、そんな質問では無い。
『無礼者がっ!』の一言ですぐさま叩き斬るべき。
なのに口が先に、その先を求める。
「貴様こそ、何をするつもりだっ!!」
腰の剣を抜き、建前を口にして一振をかけるだけ。
幾度と無く練習をした動き、人を治すよりも、殺す方がよっぽど簡単な事だ。
そう、簡単であるはずの一閃が、私には出せないでいた。
「僕は、帰りたいんすよ」
ヤツの瞳が、強い力を宿して私を捉えている。退路は無い、コイツはおそらくどこまでも着いてくる。
それを感じさせるだけの凄みを、私は感じていた。
「くはははっ!! 帰る? 王城に単身で殴り込み、姫の命でも狙っているとでもいうのか……!! ただでは帰さんぞっ!!」
私の腕が、震えを押さえ込んでようやっと剣を引き抜くことが出来た。
「いけないわ、ゲーダント!!」
しかし私の背中から飛び出したメリーアン姫が、シルクの手袋越しに私の剣を掴みこみ、構えを下げさせていたのだ。
「姫様、危ないですぞっ!!」
姫は金属を触りたがらない。
姫は武器が嫌いだ。
姫は傲慢だが臆病で、危険な所へは絶対に踏み出さない。
私が持っていた彼女の認識が、そこで大きくひっくり返った。
姫は剣を地面へと押さえつけながら、息を荒らげていた。
「私……祈りが聞こえたの……。スゴミ、帰ってきて……スゴミ、帰ってきて……スゴミ……」
その瞳が涙を貯めて持ち上がり、彼の方へと向いた。
「私は、彼の道標。彼の女神として、ここにいる」
そして彼女の次の一言が、私の未来を断ち切った。
唇が、何かに操られたかのように、震えて動く。
「きっとこれは、私が求めた、私自身の物語……」
「何を仰ってるのですか、洗脳……? いや、これは……!!」
─────彼は、私の肩を掴んだ。
強い力で、掴んだ剣以上に、その肩が痛みを覚えた。
ゲーダントはいつも私の言うことを、なんだって聞いてくれて、私が何を言っても、否定をしなかった。
家来もそう。
お父様もそう。
私は全てを認められて生きてきた。
満たされて生きてきた。
だけど心は砂漠に吹く風のように乾ききり、潤いを知らなかったの。
「私を女神と、呼んでくれたの……?」
私は名も知らなかった少年へと視線を移した。いえ、名前なら知っている。彼はスゴミと名乗ったんだから。
心の奥から叫び続ける女神の声も、彼をよびつづけているのだから。
「すみません、世界が違うから、人が違うのは分かるんすけど、どうしても女神さんの思いが、そこにある気がしてしまうんよね」
何故だろう、そう呼ばれるだけで、私は心との奥の水源から、暖かな潤いが溢れ出してきて止まらなかった。
そしてカチャリ。ゲーダントの剣先が。石畳の床を僅かに傷つける音が室内に響いた。
「やっぱり、全てが嘘の上なんだわ……。嘘の上の飾り物、それが私の人生だった」
「姫様……お気を確かに」
ゲーダントの優しい声が、肩を通して降りてくる。
だけどその優しい声は、私の水源に泥を投げ込んでいるようなものだった。
だってゲーダントは、私が剣を掴んでいると言うのに、剣を握る強い拳を一切緩めることはしなかったんだから。




