第334話・誰の力が誰を成す。9
船内の通路は薄暗かった。
外からは黒ひげが甲板を直すハンマーの音が、鳴り響いている。
日が暮れて電灯もない船内で、僕らの道を照らすのは、女海賊ノリノが手にした燭台のロウソクの明かりだけだった。
彼女は軽妙な口調でこの船のルールについて語ってくれた。
まず彼女は船長ではなく、その娘であるということ。生まれた時から海賊で、陸地にいた時間よりも、船上で過ごした時間のほうが長いらしい。
そして、先ほど騒いでいた『フィフティフィフティ』という制度の正体。それは、捕虜が二人いる場合、最寄りの港でその二人に略奪勝負という酔狂な競走を行わせるとの事だ。
「勝ったら晴れてウチらの仲間!! 敗けたら刻んで釣りの餌ってワケよ!!」
「あ……じゃあ僕、その日までの命って事っすね……」
底抜けに明るく、そしてどこか狂気じみた説明をするノリノに対し、僕は心底引っ込み思案な感想を漏らした。
ノリノはニヤリと笑うと、僕の肩をバシバシと力強く叩いた。
「なーに言ってんのぉ! ウチは医者も居ないけど、ジィ様の代からの由緒正しき海賊家業でね、居るのは古株ばっかて、何より若さってのが足りないのさぁ!」
さらに彼女は顔をグッと近づけ、シャツの上から僕の頼りない腹筋を無遠慮に指先で撫で回してきた。
「期待してるよぉ、パンいちボーイのモクズ君っ!!」
初対面であるはずなのに、この距離感を完全に無視した異様な馴れ馴れしさ。
少し日焼けした滑らかな肌に、サラサラとした髪から漂う淡い塩の香り。その感覚に触れるたび、脳裏の奥底で、かつてどこかで感じたことのある『デジャブ』が、心の奥底のの分厚い扉を、内側から激しく叩いて呼んでいるような気がしていた。
やがて重厚な木製の扉の前に着くと、ノリノは勢いよくそれを押し開いた。
「オヤジぃ! 連れてきたよぉ!」
中に足を踏み入れた瞬間、空気が一変した。
そこは、純金製の装飾品や宝石の山が無造作に積み上げられ、壁一面に無数の銃器やサーベルが掛けられた、視覚を圧迫するような異様な空間だった。
部屋の中央に置かれたクラシックな肘掛け椅子には、身長2メートルに迫ろうかという巨体の黒いコートの男がどっしりと腰掛けいていた。その瞳の底のない漆黒を見ただけで、呼吸の仕方を忘れてしまいそうなほどの圧倒的な威圧感が、部屋の隅々にまで満ち満ちていた。
そして、その男の姿を見た瞬間、僕の口が勝手に名前を紡ぎ出した。
「ジャスティス……いや」
僕は咄嗟にノリノを心配して見ていた。
海賊とはいえ、気の知れた父親のように接するノリノ。
別に何も心配する事などは、無いはずなのに。
大男はゆっくりと細めた目を僕らに向け、低い声で語り出した。
「ジャスティン・ホーネットだ。俺は水平線で跳ねた魚の微かな音すら、聞き分ける事が出来る。甲板での話は全て、聞かせてもらった」
赤髪のウミノは、恐怖を押し殺すように一歩前へと踏み出した。
「はい、でしたなら、病気の者がいると、聞いたのですが……」
ジャスティンは無言のまま、ゆっくりと右へと視線を流した。
その視線の先を見ると、山積みにされた黄金の首飾りの陰に、小さなベッドがひっそりと置かれており、そこに一人の子供が横たわっているのが見えた。
子供の顔や露出した肌は、生きている人間の血流を疑うほどに黄色く変色し、それを見たウミノは息を呑んで歩き出そうとした。
「黄熱病では……!? それも末期症状……出血はあるのですか……!?」
だがジャスティンは腰元から瞬時にピストルを抜き放ち、ウミノへと突きつけた。あまりの抜刀の速さに、まるで彼の手のひらから直接銃が生えてきたかのような錯覚にとりつかれる。
「近寄るな。俺が信用するのは、仲間の儀式を終えたものだけだ」
男は椅子の傍らに置かれた机の上に広げられた古い海図へと片手をかざした。
「今夜、港町に到着する予定だが、その町で略奪を行う。お前がフィフティフィフティに勝利したならば、その子を見ることを許可しよう」
ウミノは冷や汗を流しながら一歩退がり、悔しげに拳を握りしめながら、背後に立つ僕へと重い視線を落とした。
ウミノと僕、どっちかが死ぬ戦いを、僕らは避けられないようだ。
室内の空気が氷点下にまで冷え切ったかのような静寂の中、ベッドに横たわる子供の苦しげな呻き声だけが小さく響いた。それは小さな女の子だった。
「うっ……うぅ……はぁ……」
浅く、荒い呼吸で苦しげに掛け布団を上下させるその小さな影を見た瞬間、僕の足は、誰に言われるでもなく一歩前へと踏み出していた。
カチリ。
ジャスティンの持つピストルのハンマーが起こされ、即座に僕の額へと冷たい銃口の向きが変わった。
だが僕は
「だったら、僕が船降りるっすよ。僕は略奪なんてやりたくないし、そしたらウミノさんの勝ち決定で、その子の病気……見れるんすよね?」
僕が意を決してそう提案すると、ジャスティンは軋む椅子からゆっくりと立ち上がった。天井に頭が届きそうなほどの巨体が、冷酷な眼差しで僕を見下ろして、僕の頭へと直接銃口を突きつけた。
「負けると決めるなら、ここで死ね」
冷え切った鉄の銃口が、僕の頭蓋骨をさらに奥へと押し込み、その物理的な痛みが全身に凍てつくような寒気を走らせた。
「なんで死ななきゃ……いけないんすか……」
「それが勝負だからだ。だが貴様からは何か、常人ならざる者の、凄みを感じる」
「僕はスゴミじゃなくて、モクズですけど……」
ちぐはぐな言い返しに、ジャスティンの表情が固まった。
「……は?」
「……え?」
自分でも何を言ったのか分からなかった。ただ何となく、名前を間違えられると苛立つ。そんな感覚だけが口から滑りでていた。
僕は僕の名前なんて覚えていないし、名前を呼ばれてすらいないのに。
するとジャスティンは、逃げ場を立つように銃口にさらに力を込めた。
「お前が勝った場合、ノリノの世話係について貰おう。他の連中じゃ我欲が強くて危険しかないからな、お前くらいの方が丁度いい」
ジャスティンの人差し指は、いつ引き金を引いてもおかしくないほどにトリガーにくい込んでおり、そこに一切の躊躇がないことが肌身にしみて伝わってきた。
「まあ、生き残ったらの話だがな」
極限の緊張感で全身の血が逆流しそうになる僕の横で、なぜかノリノは、気まずそうに身体をくねくねと揺らしていた。
「ちょっとオヤジぃ! それは露骨すぎて恥ずいじゃんかぁ!!」
そんな会話をしていると、船長室の背中の窓の外で、重厚な鉄塊が海へと投げ入れられた。バシャンと爆弾の破裂のような音が鳴り響き、鎖の音が続いて船体が揺れる。
ジャスティンはピストルを下ろして背中へと振り向く。
「錨が降りたか、始めよう」
そして僕たちの方へと振り向くと、部屋の壁にかけられた銃やらサーベルやらを見せつけるように、大きな手のひらで仰いで見せた。
「部屋からひとつだけ、好きな物を持っていけ。銃には弾は入っていない。撃ちたきゃ自分で奪え」
その一言を受けると、ウミノは躊躇いながらも壁にかけられていた大きめの青龍刀へと手をかけた。
「ではこれを……」
それを見ながらジャスティンは、懐からメリケンサックを取り出して、拳で握りこんだ。
「そんな大物、扱いきれるのか?」
「私は剣は知りません、なのでせめて、射程のあるもとをと……」
そしてジャスティンの鋭い目が僕を捉えた。
「お前もさっさと選べ」
それに対して僕は、脇の化粧台の上に置かれていた、銀色でエメラルドのはめ込まれた、小さな指輪を手にとった。
「じゃあ……コレで……」
ジャスティンは眉間に皺を寄せる。
「ふざけているのか」
改めて僕は部屋を見渡した、黄金の山と武器まみれの、金属臭の漂う部屋。
「好きなもの持ってけって言いましたけど、金のやつ貰ったら悪いし……」
そんな僕を、ウミノは汗をかきながら見下ろしていた。
「武器を取れと言われたのでは……」
「え、僕は別に人殺しませんし、これで良いっすよ」
そして先端に緑色が光る指輪を目の前で見つめた。
「それにこの色……。なにか懐かしくて、帰る場所に届くみたいな、そんな気がしたんすよ、」
僕はそう言って指輪を握りしめ、ズボンのポケットへとしまい込んだ。
それを見てノリノは、呆れた顔で苦笑いをしていた。
「あっは、変なのー。オヤジぃ、コイツはウチのチームでやらせても良い?」
ジャスティンは腕を組んで鼻を鳴らした。
「ふん、好きにしろ。だがこれはフィフティフィフティだ。手は貸すなよ」
ノリノはサムズアップで返す。
「もっちぃ! 死ぬにしても、どう足掻くのか、気になちゃうのよねぇ、ウチは!!」
そうする内に、船長室に手下の海賊が転がり込んで来た。
「お頭ァ!! 行けますぜぇ!!」
────それから僕は、ノリノに連れられて、海賊船の甲板から縄ばしごを伝って海面に浮かぶボートへと飛び乗った。
船は街から離れた岩礁へと停められていた。そこから小舟を使って、五人一組で侵攻するらしい。街には薄い灯りが灯っていて、たしかにそこで生活している人達がいるという、呼吸を感じさせていた。
ノリノがボートの船頭に立ち、街に向かって手をかざした。
「火矢、放て!! 男は殺せ、女は攫え! この街を片っ端から喰らい尽くせ……っ!!」
悪漢たちの「うぉお!!」「うひゃはは!」という掛け声と共に、暗闇の海を無数の火の矢が灯りとなって照らした。それらは一矢乱れず街の奥の方へと飛んでいき、住宅地に真っ赤に燃え盛る一列のラインを描いた。
無数の五人乗りボート達が、僕らを追い抜いて散開し、街へと上陸していく。
ノリノはその光景を見ながら、僕に笑って説明をした。
「こうして街の全体と外側を分断して、火事に注目を集める。ウチらは火事よりこっち側にあるものを、根こそぎ頂くってワケよ!!」
「物騒過ぎる話っすね……」
僕は海賊なんてものは、豪快で、冒険して、宝島とかを目指すものだと思っていた。故に思っていた海賊像とはかけ離れていたのだが、うねる波のように次々と陸へと上がり、サーベル片手に突っ込んで行く男共を止める術など、僕は持ち合わせていなかった。
雄叫びを上げて興奮する海賊達、街の端では既に悲鳴が聞こえ始めていた。そんな喧騒の中で、ノリノの背中に黒い影がピッタリとついていた。
それは僕たちに最初に絡んできた、黒ひげの海賊だった。
「女は攫えってか、こんな所に一番活きが良いのが居るじゃねぇか!!」
「……はぁ!?」
黒ひげはノリノの背中から抱きついて、瞬く間に口にタオルを巻き付けた。
「んーッ! ふがァー!!」
僕はそれを見て、声を裏返していた。
「え……っ!? 何してんすか、その人は、船長の娘さんなんじゃ……!!」
黒ひげは暗闇の中で松明の灯りに照らされながら、ギラギラの金歯を光らせた。
「だから人質に取るんだろうが、俺達は今日みたいな日を待ってたんだ、五人組がノリノとてめぇみたいなカスで組まれる日をなぁ!!」
「俺達……!?」
その宣言を聞くと共に、僕の顔に強烈な拳が降り掛かってきた。「いだぁ!!」と叫びながら、僕はボートの上で無抵抗に転がるしかなかった。
殴ってきたのは、僕達のチームに入っていた二人の男の内の一人だった。
「う、裏切りっすか……!?」
「てめぇもカシラの部屋の財宝を見ただろう、アレを奪っちまえばこっちのもんよ、カシラは耳が良いから、船ん中じゃ窮屈でなぁ!!」
そのやり取りからして、このボートに乗った五人の内、三人が既に裏切っていたのだと理解する。
僕はその一発だけで気が遠のいて、揺れる小舟の振動以上に、意識がふわふわと船を漕いでおり、そして間もなく僕は気を失った。




