第332話・誰の力が誰を成す。7
吸血ノミへと姿を変えたゲーブルトが、既に僕たち三人の皮膚に付着していた。
信念を再定義した僕と、支持者であるデフィーナ。細胞がひとつでも摂取されれば、再び僕らの姿はヤツに奪われてしまう。
その緊急の刹那に入り込んできた、零極さんの時間停止会議。
全てを凍らせると選択を迫る冷徹な声に、ノリコの高い声が割り込んでくる。
「いやいや、虫なんだよ、焼き払うしか!!」
二人の意見はもっともだった。
ヤツに姿を奪われる事は、僕たちを不利にしかしない。
だが僕は、ゲーブルトの心の深層、その醜悪で孤独な核心を知り、すでにひとつの答えを導き出していた。
「いや、ゲーブルトに僕を奪って貰います」
「えっ!? 何言ってんのさラブたん、次奪われたら、さっき更新したのも意味なくなるんじゃないの……!?」
「……かもしれないっすけど、それでも僕は僕の全てを、ヤツに渡します」
零極さんの声が、わずかに揺れて問いかけた。
「何か作戦があるのですか」
「作戦ってか……賭けですね」
「……内容を教えて頂けますか」
僕の手の中で青白く光輝くドグマが、地下室の中で、僕の決意を帯びた顔を明るく照らし出していた。
「今の僕の意思を……ドグマの海に沈めます」
時間停止した意識の中で、冷静な零極さんの青い瞳が困惑に震えていた。その深い碧い光は、まるで氷の下で揺れる炎のように、心の音を感じさせなかった。
「意識をドグマの海に沈めるって、スゴミ君……それがどういう事なのか、分かってて言ってるんですよね?」
僕は迷いなく彼女の目を見つめた。
「分かってます。前にノリコちゃんに全身を明け渡した時に、僕はドグマの中にいしきを沈めました。そこには何人もの走者達の意思が重なり合って、悲哀、願い、憎悪……がぐちゃぐちゃになっていて、僕も僕自身が溶けていく感じがしました」
「知っているのならば、何故……」
「ゲーブルトは、今から僕を奪います。だから僕はドグマに意思を溶かして、アイツにドグマの全ての記憶を食べさせます」
ノリコが眉を寄せ、唇を尖らせる。
「ドグマ全部って、それこそ、敵に塩を贈るどころの騒ぎじゃないんじゃないの!?」
「零極さんは言ってたっすよね。ドグマにはものすごい数の細胞が含まれているって……」
「はい、生源細胞……人が生まれながらにして持つ、意思の核心……」
そこまで言いかけて、零極さんの瞳が見開かれ、僕の肩を両手で強く揺さぶった。
「まさか、ゲーブルトに人々の記憶を読み込ませ、オーバーフローを起こさせようって言うんですか……!?」
ノリコが引き気味に喉を震わせた。
「えっ、どういう事……?」
僕はまっすぐに答えた。
「零極さんの言う通りです。ドグマの中にある、何兆って人間の情報をゲーブルトが読み込めば、あいつは自分を保つ為の数パーセントってのを残せなくなって、自分を見失うと思うんすよ」
それを聞いてノリコが身を乗り出す。
「おお!! マジ!? それって人海戦術って事!?」
「え……? まあ、そんな感じ。かも」
僕が控えめに答えると、零極さんはふっと目を逸らした。その表情には冷徹さと、恐怖が同居している。
「理屈は分かりますが、ゲーブルトが自我を保てなくなるという、勝算は……」
「勝算って程でも無いですけど、あいつって能力者じゃない人を取り入れるの嫌がるじゃないっすか、別に確保してから使わなきゃ良いだけなのに」
僕はドグマの光を瞳に乗せながら、見つめていた。
「それに何より、あいつはもう、本当の自我ってやつが、無いと思うんすよね」
ノリコが腕を組んで頭を傾げる。
「……そう? めちゃくちゃ自己中で、強欲だと思うけど」
僕は顔を上げてノリコを見つめた。
「アレはアイツの上っ面ですよ。きっとタイコって人の手術してから今までの間、アイツは『悪の科学者』ってのを演じてるだけで、本心なんてどこにも無いんすよ……」
僕は拳を握りしめていた。爪が食い込み、痛みで確信する。ゲーブルトはあんな最悪の男なのに、僕にはアイツの芯が分かってしまう。
それがとてつもなく、悔しかった。
「タイコさんと見た目が同じだったネルケさんに、プロメティダって名前を付けて傍に置いたのも、きっと自分の後悔を認めたくなくて、本心を誤魔化してるからだと思うんすよ」
零極さんは腕を組んで目を閉じた。
「なるほど、ゲーブルトに有効足りうると言うのは、私にも理解できました」
そして吹っ切れたように、毅然として僕を睨んだ。
「ですがスゴミ君……。今のスゴミ君のドグマには、およそ5000兆程の生源細胞が使われて居ると推測出来ます」
5000兆の生源細胞、それは5000兆人の可能性の死を意味している。天使さんによって消された無数の世界、その犠牲者達の成れの果てが、僕の手の中のドグマという力、そのものだ。
「それは、鬱になる……話っすね」
「人間の細胞は多くて40兆程度、故にゲーブルの自我を押し出すには、十分な量だと言って差し支えないでしょう……」
零極さんの冷静な分析に、ノリコがダブルサムズアップで踊り出す。
「良いねぇ!! 国民的迷子ちゃんって感じでぇ、行っちゃってぇ!!」
そんなノリコを尻目に、零極さんの目が更に細まる。
「飛び込む場所は、スゴミ君も同じです。君は自我を、保てるのですか……?」
ノリコは零極さんの肩をポカポカとたたいていた。
「大丈夫、大丈夫!! 前の時もラブたん戻って来たし!!」
「それはドグマの中の、まだ表層……走者の意識の数は49分の1でしょう。スゴミ君がこれか
ら行くところから帰ると言うのは、広大な砂浜に落ちた、たった一つの砂粒を、目隠ししたまま一発で拾い上げられるか……。そういう確率なんですよ」
僕の手のひらが、自然と後頭部へと運ばれる。顔を伏せながら、申し訳なさげに、言葉は滑りでた。
「はい……。それは確かに、難しいとは思うっすけど、でも、僕は帰りたさだけなら誰にも負けませんし……」
そしてふと気付き、顔を上げた。
「僕が帰ろうと思ったら、君たちが居ますから……」
僕は遠慮気味に笑顔を作った。図々しさと、気恥しさで心は揺れていたが、それ以上に彼女達が僕の希望になると、僕はそう願っていた。
そして間を置かず、零極さんから真顔の反応が返ってくる。
「……好き」
「……え、いや、その……!?」
僕の体が一瞬跳ね上がった。思考回路が一時的にショートする。冷徹なエクリプスのハズの彼女の瞳が海のように潤って、白い肌を薄桃色に染めているのを直視して、突然心音が早くなる。
するとノリコが零極さんと僕との間に、強引に顔を割り込ませた。
「あっ、あのぉ……!? ラブたんが意識飛ばすなら、ラブたんの身体のお留守番は、ノリコちゃんがすればいいかなぁ!?」
質問と言うには、あまりにも大きい声に、僕はピシャリと背筋を伸ばして苦笑いをした。
「あっ、それなんですけど、僕の体を零極さんに融合させて、待っててもらおうかなぁ……なんて」
それに対して零極さんは、両手を揃えて深々と頭を下げた。
「もちろん慎んで、お受け致します」
ノリコは焦って僕と零極さんを見比べた。
「ええーっ!? だったら交代するの、ノリコちゃんで良くなぁい? なんでここでゼロちゃんなのさっ!! デフィちゃんが怒るよっ!!」
「……だってそれは、零極さんなら何かあっても、あの部屋から脱出とか出来そうですし、それに万が一の時があっても、僕はもう、ノリコちゃんを奪われるのは嫌なんすよ」
ノリコはクラクラとして手首を目に被せた。
「はぁ〜!! やだ、好き……」
僕はこれから命懸けの作戦に出るというのに、拍子抜けになってきた場の空気に、頭の上をポリポリとかいていた。だが、この奇妙なほどの軽さが、今の僕には必要だったのかも知れない。
「……とにかく、僕の意思をドグマに溶かして血を吸わせるんで、二人とも、後のことは頼んだっすよ……」
「任せろラブたん、合点だぁ!!」
「はい、全てはスゴミ君の意思のままに……」
敬礼するノリコと、祈るような零極さん。
二人の声が重なると共に、僕は停止した時間の中で、右手の先で光るドグマに意識を集中させた。
「僕の全てを、ドグマの中に。人々が生きた物語の海に、僕の物語を沈めます」
時間停止が溶ける瞬間、僕の肌に飛びついていたノミ状態のゲーブルトが、禍々しい生首の姿で顕現し、腕に食らいついていた。
「貰うぜ、今のテメェをよぉ!!」
歯茎を見せてニヤけるゲーブルトの顔を、僕は冷めた目で見おろしていた。
「それは良いっすけど、僕は帰りますからね」
僕の冷たい言い返しと共に、ゲーブルトは腕から肉と皮膚を強引に食いちぎった。赤い飛沫が空間を汚し、僕は零極さんとの入れ替わりで、自分の身体が黒装甲の女性の姿へと急速に塗り替えられていくのを感じていた。
デフィーナは自身についたゲーブルトのノミを剣で弾きながら、即座に声を裏返した。
「零極……ッ!?」
ゲーブルトは僕の皮膚を口に含みながら、笑っていた。
「スゴミの中の、氷のやつか!! 変わるのが一手遅かったなぁ!!」
ゲーブルトが僕の腕から弾かれるのを、零極さんは黒装甲のエクリプスの爪で、ガシリと掴みこんで刃を食い込ませた。
「遅くありませんよ。世界の絶望を知りなさい」
ゲーブルトの生首は、零極さんの爪が頭蓋骨にめり込んで行くのも気にせずに、僕の血に濡れた皮膚をベロりと舌をしならせて口に含んだ。
そして次の瞬間、ゲーブルトの瞳が白黒と反転し、狂ったようにあらゆる色へと変色し始める。
「あ、ああ……!? な、なんだこれは……!?」
その野太い声が、急遽として恐怖の一点だけを絞り出していた。
「コイツ何人食って……違う、国か!? た、大陸……いや、惑星っ!?」
その反応を見てブリアンが顔を青ざめさせる。
「なに、何がどうしたっていうの!?」
そして最後にゲーブルトは、その口から粘り気のある泡が噴き出した。
「こんな、ニンゲン……。ゴミの……海が。い、一般人……」
その言葉を最後にして、ゲーブルトは白目を剥いて痙攣し、完全に意識を失った。
ブリアンが震える声で反応する。
「あなた、エクリプス……!? もしかしてエクリプスの毒の肉を食べさせたって事なの!?」
零極さんは冷たい目で、首から血を流すゲーブルトの頭をじっと見つめていた。
「いいえ、彼が食べたのはスゴミ君と、そのドグマが有する全ての情報です」
デフィーナは声を裏返しながら、零極さんへと詰め寄る。
「どうしたのよ、スゴミを……!! ついにエクリプスの本性をあらわしたのね!!」
零極さんは黙ってゲーブルトの首を床へと放り投げると、その場に正座してデフィーナとブリアンへと静かに手を伸ばした。
「違いますよ。スゴミ君が願ったのです。さあ、祈りましょう。スゴミ君が私達の元に……帰って来られるように」
ブリアンは目をおよがせながら、縋るようにデフィーナを見た。
「てか、誰なのこの人……。何度かスゴミの半分から出てきてたみたいだけど……!!」
「敵よ」デフィーナは短く答える。
「敵なの……!?」ブリアンは一歩引く。
零極さんは、黙って手を伸ばし続けていた。
すると零極さんの頭の上で、僕の体から唯一存在を残したゴーグルノリコが雄叫びをあげた。
「だぁーめっ!! この子はゼロちゃんっていってね、ラブたんご指名の信頼おける味方なのっ!!」
「味方なの……!?」 ブリアンは僅かに身を乗り出す。
ゴーグルノリコは零極さんの腕を伝ってブリアンへと向かうと、その手にゴムバンドを引っ掛けた。
「 さぁさ、怖くないから、みんなで輪になって、ラブたんの帰りを願って、祈って、歌いましょおー!!」
ブリアンは震えながら、慎重に手を伸ばした。
「な……なんだか分からないど、説明はして貰えるのかしら?」
「もちろんですよ、スゴミ君は覚悟を持って、戦いに行ったのです。それをお話ししながら、待ちましょう」
零極さんはブリアンを見上げて優しく微笑んだ。
デフィーナは唇をとがらせてそっぽを向きだす。
「あのアホは、また騙されてるんだわ……」
それをノリコは厳しくしかった。
「デフィちゃんもダメよっ!コレはラブたんが発案した、作戦なんだからね……!!」
「スゴミの……作戦?」
「そそっ!! デフィちゃんもラブたんを信じるなら、ちゃんとお祈りに参加しないと、帰って来れなくなったら大変でしょ!!」
デフィーナは鋭い瞳で睨み返した。
「ちっ……。支持者には信じるって感情はないのよ」
そんなデフィーナの手を、ブリアンが拾い上げた。
「デフィーナ、状況は分からないけれど、私はノリコの言う通りにするべきだと思うわ。スゴミがどうしたのか、話だけでも聞きましょう」
デフィーナは目を泳がせながら、汗をかいていた。
「零極、嘘ついたら、もう容赦しないわよ……」
「ご安心を、あなたも一番に知っている通り、エクリプスは嘘をつけませんから」
その言葉を受けると、デフィーナはブリアンの手を取ってから、膝を床へとつけた。
「はあ……だるいわね……」




