第330話・誰の力が誰を成す。5
あれは記憶に鮮明な、秘密の夜だった。
彼女と二人で並んで座り、二の腕同士が触れ合う体温。
健康的な張りのあるほっぺに、小さく尖った唇。白のTシャツの丸い襟首から覗いた、皮膚を尖らせる鎖骨。緩やかにシャツを天幕へと押し上げる胸。
僕よりひとつだけ歳上で、だけどそんな事を感じさせないくらいに隣に居てくれて、夜食を食べながら、あの時の辛さを全部受け止めてくれて、泣き出す僕を抱きしめてくれた。
僕が絶対に壊されたくなかった、二人だけの聖域『秘密の食卓』。
そう名付けた白くてダサいちゃぶ台が、その夜の象徴だった。
絶対不可侵の聖域は『走者以外はドグマを操作出来ない』というルールに従って、ドグマを空間に対して固定させることで無限の防御力を発揮する、僕の最初のドグマ変形だ。
それが今、ノリコの姿を騙った敵、ゲーブルトが叩きつけた剣撃によって侵食されていた。
「入らせるか!!」 僕は両腕を突き出して、ちゃぶ台の足を掴んでいた。
ノリコ姿のゲーブルトは、剣を食卓に食い込ませたまま手放した。
「入るに決まってんだろ!! 俺はお前本人だ、そして同時にノリコでもある!!」
そしてフリーになった片腕で、ちゃぶ台の端を掴んだ。ノリコの声色で叫ぶ。
「この場所はウチらのものだ、そうでしょ、スゴミっちぃ!!」
言いながら手を引くと、食卓の空間固定はあっさりと解除され、彼の手の中で球体のドグマとして再生成された。
僕の頭の上のゴーグルノリコが叫び出す。
「有り得ないってラブたん!! なんで奪われてんのさ!! 信念は、ラブたんの信念じゃないの……!?」
僕だって信じたくはない。だがこれ以上は判断の猶予も無い。
ゲーブルトは光り輝くクリティカルソードを再生成して、左からの横薙ぎで振り抜いてきた。
それに対して、僕は左半身を零極さんへと明け渡す。
青髪が揺れて黒い装甲に包まれたエクリプスの身体として顕現したその姿で、左から正面へとかけて氷の壁を生成した。
クリティカルソードの光の熱は氷の壁を溶かして進むが、その動きを僅かに遅くしてくれる。僕は氷の壁を思い切り蹴飛ばして、後方に構えるブリアンの横にまで飛んで転がった。
「どうしたのスゴミ、あなたの盾が破られるなんて……っ!!」
ブリアンが息を切らしながら顔を青ざめさせていた。
それと同時に、影潜航していたデフィーナが息継ぎに上がってくる。
「スゴミ……!! ドグマ奪われて、それじゃ、どうしようも無いでしょ!!」
氷の壁の向こう側、ゲーブルトは振り抜いた剣を引き、手元で振り下ろして空気を燃やすような爆音を響きわたらせた。
「ヘナちん野郎が、女に囲まれて鼻の下伸ばしやがってよぉ」
偽ノリコの顔が歪んで、身体は女のままで顔だけ僕のものに変わった。
記憶を読む為だろう。変わるとすぐに目を細めてデフィーナを見つめた。
「そいつはアルハ……? 胸は小さいけど、僕は最重要人物だと思ってるっす……?」
デフィーナが自身の胸を軽く押さえて、僕へと振り向いて睨みつけた。
ゲーブルトは僕の顔のままで記憶を朗読する。
「アルハさんには、アサシンハートが似合うっす! アサシンハートは闇の魔法少女っす……?」
ゲーブルトの顔が難解への苛立ちを表しながら、唇の形を引き攣らせていく。
「はっ、結局はブリアンと同じ、衣装着せただけの一般人かよ。要らねぇな、くだらねぇ……」
そしてノリコのグローブの指で、デフィーナの股のビキニアーマー部分を指さして目尻を歪めた。
「スゴミが見てるのは、テメェのケツだけだってよぉ。他にはなんの面白みも可愛げもない、なんか怖い人。くらいにしか思われてねぇぜ。お前はよぉ」
デフィーナは股のほぼ剥き出しのビキニアーマーの黒ショーツを片手で軽く隠して、肩を震わせながら瞳を閉じた。
「……あっそう」
声のトーンは完全に静かな怒り。だがデフィーナはフッと体の力を抜くと、影の中へとゆっくりと沈み始めた。
「スゴミはアホだからね、そんなもんでしょ。別に驚くほどの事では無いわ」
「デ、デフィーナさん!?」
僕が焦って手を持ち上げると、デフィーナは目を開けて僕を睨み返した。
「スゴミ、今までのドグマの使い方ではダメよ。ドグマを次のステージに移すの。そうしなくては、あなたはあなた自身を……超えられない」
「次のステージ……って、なんすか!?」
デフィーナは胸の辺りまで影に沈んでいた。
「分からない。ただ、今……支持者としてそれを認識した。だから考えるのよ、あなたの方法で……この男を殺す道筋を……」
そう言い残すと、デフィーナは大きく息を吸って影へと潜航して姿を消した。
「今考える……って、言っても……」
正面を見る。
僕の顔だったゲーブルトは、ノリコの顔に戻しながら、ふんぞり返りながら僕を見下した。
「なんだ、ドグマの新ステージってのは? お前ら分かってねぇよな。俺はお前らの出来る事は全て出来る」
右手を前に出して、首を傾げた。
「なにやったって無駄なんけどよ。どうせなら見せてくれよ。それもすぐに、俺の力にしてやるさ!!」
僕はゲーブルトを睨み返していた。
この男のこの余裕、これはコイツの遺伝子再生による不死身の身体からくる油断と傲慢ではあるが、それは僕の姿を奪って記憶を覗き見た結果『殺す手段がない』と判断したからなのだろう。
ゲーブルトはこの戦いの初撃のあと、すぐに透明人間になって部屋の脱出を計っていた。
あの時点では僕の力が未知数で、戦うリスクを避けたかったからなのかも知れない。
プロメティダも『ゲーブルトは逃げる』と言っていた。
だからこの地下深くの密室へと僕たちを送り込んだんだ。
僕は左手を持ち上げて、手の下にちゃぶ台を生成した。
「ドグマ開放───秘密の食卓」
頭の上のゴーグルノリコが、それを見てビヨンビヨンと跳ねて暴れる。
「ラブたん、もうそれ、ゲーブルトに効かないし……!! なんにも新しく無いから……っ!!」
それでも僕は、揺るぎなくゲーブルトを見つめていた。
「このちゃぶ台は『秘密の食卓』。僕がノリコちゃんとの絶対に守りたかった時間を具現化したものです」
ゲーブルトは口角を釣り上げさせた。
「ああ、見たから知ってるぜ!! 狭い部屋に二人きりでなあ、あの状況で何も手を出さねぇなんて、弱気のへなチン極まれりって感じでなぁ!!」
「……そうっすね、僕は引きこもりで、女の子と関わる事なんて無くて、自分に自信も無くて……」
僕はちゃぶ台の台の上を柔らかく撫でた。
「でも僕もあのままブリアンの護衛を無事に終えて、エリオットも事件を起こさずに結婚式を見届けて……。ネオさんの拠点で生活する事になって、ノリコちゃんが生きてたら、そういう関係になってたんじゃないかって……思いますよ」
「スゴミ……?」
僕の真横でブリアンが震えながら一歩引いた。
「でも、そうはならなかった。ノリコちゃんは死んで、ネオさんの拠点は爆破され、ブリディエットはエリオットの陰謀の手に堕ちた……」
ゲーブルトがノリコの顔のままで鼻をほじり出した。
「なんの話してんだ、お前」
「僕とノリコちゃんの話です。あの時僕の気持ちには、確かに『帰りたい』って気持ちが無かったんすよ。それはノリコちゃんと二人で過ごしたあの短い時間の中に、僕の帰る場所を見出していただと思います」
ゴーグルノリコのグラスの形が、への字を描いて悲しみを示した。
「ラブたん……」
ゲーブルトはただ退屈からくる苛立ちを隠しきれず、クリティカルソードを振り子のようにぶら下げて、太ももを叩き続けていていた。
「はあ……で?」
「僕はあの時、ノリコちゃんが帰る場所になってくれる事、この世界でその先を夢見る、最高の相棒になってくれるって、それを期待してたんすよ……」
ゴーグルノリコは突如として左右に振れて慌てふためきだす。
「えっ? え……っ!? ラブたん、マジそれ、なんで今言ってんの……!?」
秘密の食卓の表面から、おにぎりの半欠片が浮き出してくる。僕はそれを掴んでノリコ姿のゲーブルトに向かって突き出した。
「だけど、ノリコちゃんは死んだんすよ。僕に生きて、それで良い相手見つけろって、僕に笑顔を託して死んだんすよ」
ゲーブルトが太ももを叩いていた剣を肩に担ぎ、姿勢を低くして構えた。
「かったりぃな、知ってる話を長々と語ってんじゃねぇよ。思い出して怒りに身を任せて何か目覚めるってなら、教えてやるよ」
その顔が再び目を細めて針金のように唇の端を跳ねあげた。
「ノリコを殺したジャスティスに、能力を与えたのはこの俺さ」
僕はそれに対して、顔色を変えることは無かった。
「……そっすか、でしょうね」
ゲーブルトは歯茎を見せて怒りを示し、足を大きく開いてクリティカルソードを掲げ、切りかかりの体勢に入った。
「くだらん話ならもう良いぜ。どうせだからブレイジングメテオってやつ、使ってみようか」
宣言すると共に、ゲーブルトの背中から天使の羽が生えて広がり、それが真っ赤な炎を噴き出して燃え始めた。部屋の温度が急激に上がり、零極さんの能力で固めた入口の氷塊の足元に、氷の溶けた水が溜まり出す。
僕の髪を熱風が巻き上げる。
ブリアンも長い髪を暴れさせながら、熱風に目を細めて防御姿勢を取っていた。
「スゴミ、早くしないと……!!」
僕は手のひらに包まれた半分のおにぎりのドグマを握り込み、ひとつのライスボールの形に整形した。
「僕はあの時、ノリコちゃんの事が好きでした。いや、死んだ今でも大好きです!!」
「ラ、ラブたん……!?」
「死んでひとつになれないからって、その気持ちって遠慮する必要あるんすか!!」
「え、え……!? これもしかして、ウチに向かって言ってたワケ!? だってウチは死んでて、身体も無くて!!」
「そうっすよ、ノリコちゃんに言ってます!! こんなパクった感情で人を知った気になってるオッサン、僕の眼中に無いっつぅ話っすよ!!」
その瞬間に、正面の形だけ完璧にノリコであるオッサンが、背中の羽をジェットブースターのように焚き上げて突っ込んできた。
「聞いてりゃ寒い色恋話かよ!! あの世で仲良くヤッてろや!!」
ゴーグルノリコが割れたグラスのままで、僕の目まで降りてきて重なった。
「うわーん!! ラブたん、だめウチ……! 好き好き好き!! 好き過ぎるんよぉおお!!」
僕はおにぎりを胸に当てて叫んだ。
「僕らのドグマはここにある!! ゲーブルト、お前に僕のノリコちゃんの思い出を、これ以上穢させはしない!!」
豪炎の剣が、僕の眼前まで迫っていた。
「だったらプロメティダが行方不明なんだ、今度はノリコを使役して、俺がたっぷり可愛がってやるぜぇ!! くはははは!!」
だが、僕の目の前まで到達した瞬間に、ゲーブルトはノリコの変身を解除して、爆炎も光も持たない、赤髪白衣の中年男性の姿へと戻っていた。
もちろん攻撃は僕には届かず、ゲーブルト本人の身体だけが、僕の目の前の空中に存在していた。
そして僕の姿は、ノリコのヒーローハートの姿を完全に取り返して、ゲーブルトの使ってきたブレイジングメテオをそのままの形でトレースしていた。
「必殺ハート・ブレイジングメテオーッ!!」
僕の業火の剣の横薙ぎが、ゲーブルトの胴体を真っ二つに叩き割って、その体を一瞬で真っ黒に炭化させた。
「何を……!? グオオオ!!」
吹き飛ぶゴミのような黒い塊に、僕は振り抜いた剣を突きつけていた。
「マジカルエンジェルの必殺ハートは、ちゃんと技名唱えてくださいっすよ」
僕の顔の上で、ゴーグルノリコもビシりと睨み付ける形に変形していた。
「ウチらの無敵の夜から、青春啜ってやろうだなんて不謹慎なヤツめっ!! 成仏したまえ、悪霊退散っ!!」




