第329話・誰の力が誰を成す。4
僕はそれが敵だと分かっていた。
ノリコの姿を奪ったゲーブルトによる精神的攪乱だと理解していたのに、僕の本能は目の前で湿った女の顔となった偽ノリコの表情に、瞬時の判断が間に合っていなかった。
眼前で『虎』へと変身をしたゲーブルトの大きな牙が、僕の顔を削り取ろうとしていた。
その時、背後から伸びてきた影が僕の襟首を荒々しく引っ掴んだ。
デフィーナだ。
影潜航から飛び出した彼女が、ギリギリのタイミングで僕の身体を後ろへと引きずり戻していた。
「グルルァッ!!」 目の前で噛み合わされる、猛獣の鋭利な牙。
間一髪、僕の鼻先を虎の牙がすり抜けて、凄まじい風圧が肌を叩いた。
デフィーナは僕と入れ替わるように空中で鋭く身を翻すと、専用のクロスソードを閃かせ、虎へと変貌したゲーブルトの首筋を容赦なく両断した。
「グォオオ……ッ!」
鮮血を撒き散らしながら、虎の頭部が空中を舞う。
それと共に、デフィーナは僕を後方へと突き飛ばす。
「アホなことしてないで、真面目に殺しなさい」
冷徹にそう吐き捨てると、デフィーナは首を失ったノリコの胴体へ流れるような回し蹴りを叩き込んだ。凄まじい衝撃波を伴った一撃がその身体を吹き飛ばし、背後のコンクリートの壁へと激突させる。
そしてデフィーナは、着地と同時に再び自身の影の中へと溶けるように消えていった。
僕はその場にバランスを崩して尻もちをつき、痛みが走る。
「すみませんっす、デフィーナさん……」
だが冷たい床に打ちつけた尻の痛みよりも何倍も、皮膚の内側を無数のムカデが這いずり回るような、吐き気を催す悪寒が全身を駆け巡っていた。
そして鼻の脇、虎の牙にかすめられたわずかな裂傷から、タラリと血が伝い落ちる。
「まさか……」
零極さんが警告していた敗北条件。『僕とデフィーナの姿を奪われてはならない』。ほんのわずかな皮膚を摂食された事によって、ゲーブルトは変身条件を完全に満たしてしまったのだ。
その紛れもない事実が、身体の芯から恐怖を沸き上がらせる。
壁にもたれかかるノリコの胴体。そこから切り離されて床に転がった虎の頭部が、グチャリと生々しい音を立てて舌なめずりをしながら、ノリコの声で呟きだした。
「スゴミ・ヒサヅカ……。スゴミ・ヒサヅカねぇ。ふーん」
その声は徐々に澱み、濁り、男の声へと変質していく。
グチュグチュと肉がうねり、骨格が組み替わる不気味な音。虎の頭部が人の顔へとグチグチに変形し、やがて、そこに浮かび上がったのは、他でもない僕自身の顔だった
土臭い地下密室のコンクリートの床に、転がった僕の顔が、僕へと声をかけてくる。
「なぁおい『上位互換』って言葉、知ってるか?」
僕の声で話すゲーブルトの首から、赤と青のミミズのような構造が、二重螺旋を描いて絡まりながら伸びていく。
「お前の持っている知識、能力、感情……。それらを全て兼ね備えた上で、更に俺には不死身の身体と、俺が集めてきた能力達がある」
そこに筋肉が生えて、皮膚が形成され、首から下の胴体部分が形成されていく。
「ブリアンもノリコも、なんの能力も持たない一般人だったのによぉ、衣装を纏う事で能力を使いこなしやがる。それがお前の能力なんだろ? なんの力も無い一般人を、手軽に兵隊に変えることが出来るなんてさぁ、スゲェよなぁこの能力はよぉ!!」
完全に僕を再現したゲーブルトは、立ち上がって高々と拳を掲げた。その身体から僕が着ているダサいTシャツから、紺のジャンバーまでもが生えてくる。それを身体の一部として纏っていた。
ブリアンが後ろから声を裏返して迫る。
「まずいわよスゴミ!! どうするのコレって……!!」
確かにまずい。
だがまずい以前に、僕は一つだけ訂正したくて、それを叫んでいた。
「僕は兵隊なんて、作って無いっすよ!!」
僕はノリコとの一体化ヒーローハートを、ゲーブルトの精神攻撃によって解除させられていた。
そして再装着は出来ない。その確信があったので、右手にアトラスの剣を生成して握りこんだ。
だが、今の僕はヒーローハートのような激しい動きは出来ない、普通の身体だ。
ゲーブルトの高速な能力が来た場合、対応できるかすら怪しい。
だが、拳を突き上げたままの姿でゲーブルトの動きが固まった。
僕の顔であるソイツは、目を強ばらせ、青い顔をして震えている。
「……は? 能力……無しだと……?」
掲げていた拳を顔の前まで下ろして開く。
「僕は、イジメられて、引きこもってただけだ……?」
その視線が泳いで、僕へと流れてくる。
「帰りたいだけなのに、世界が壊れて、人が死ぬ……。僕は帰りたい。帰りたい。逃げたい、嫌だ。帰りたい……!?」
ゲーブルトである僕の顔が、激怒の色に染まって猛然と吠えた。
「てめぇ!! 何を考えてこんな所まで戦いに来たんすか!! ふざけてんのかお前ぇ!! テメェは弱気で惨めでみっともなくて、なんにもできない、クソッタレのゴミカスじゃねぇっすか!!」
ブリアンが僕に寄って来て袖を掴んだ。
「えっ!? どういうことなの、スゴミ……!?」
僕は僕の顔に向かって、負けずの温度で言い返した。
「い、いや、そんなの……こっちが聞きたいくらいっすよ!! 僕は女神さんを助けに来ただけなんすよ!! それなのに、またエリオットの陰謀で虐殺始まってるし、プロメティダはなんだか放っておけないし……!! ってか、だいたいお前が全部原因じゃないっすか!! お前が悪いんじゃ無いっすか……!!」
負けずの早口を、勢いに任せて叩きつける。
それに対してゲーブルトは頭を抱えた。
「いや、それはその……すみませんっす……」
かと思えば、再び腕を降って身体を起こす。
「じゃあねぇんだよ!! 勝手に謝るな、謝罪を反射でしてるんじゃねぇ!!」
僕の顔のゲーブルトが、顔を歪めて更に額へ手を当てる。
「ダメだ、気が滅入る、欝だぞ、この身体!! なんでこの能力無しの精神軟弱のクソ外れの身体が、あんな能力を……っ!!」
僕は左手にノリコのちゃぶ台、秘密の食卓を生成した。
「な、なんだかだんだん、イライラしてきたっすね……。馬鹿にされてるみたいで……」
「ああ!? 馬鹿だろうが実際!!」
僕は返す言葉の代わりに、ちゃぶ台へとアトラスの剣を叩きつけて、絶対慣性の力で撃ち放った。
「ドグマ開放───地獄千本ノック!!」
ちゃぶ台は轟速の砲弾となり、ゲーブルトの胴体へと向かって一直線に突撃した。
それを僕の顔のゲーブルトは視認していた。
「……ドグマ!?」
その声が届いた瞬間に、ヤツの顔が僕の形のままで愉悦に歪んだ。
「そうか、ドグマ……ドグマってやつの力か!!」
ゲーブルトはちゃぶ台を土手っ腹に受けて、壁に叩きつけられながら、大量の血を吹き出した。しかし血塗れの僕の顔で、ニヤケながらちゃぶ台に手を触れていた。
「ドグマ開放───秘密の食卓ね。なるほど、ノリコとか言う一般人が力を得ていたのも、このドグマっていう外部装置の力という訳か……!!」
絶対慣性を持つはずの僕の秘密の食卓が、ヤツの手のひらの中でピタリと停止していた。
「そしてお前の能力は、ドグマを扱える事……。そしてドグマは意思の形に動かせるもの……と。思なるほどコイツは便利が過ぎるぜ……!!」
ゲーブルトの隣には先程デフィーナが吹っ飛ばした、ノリコに変身していた時の首なし死体が転がっていた。ゲーブルトはそのノリコの身体の部分を、腕を掴んで拾い上げた。
「ノリコは、妄想の存在であるヒーローハートをイメージしたのか! 一体化なんつって、女の身体で遊んでたって、テメェもそういう訳だよなぁ?」
僕の左目が血走って痛みを訴えていた。
零極さんの忠告が、脳内を駆け巡る。
「スゴミ君、走者としてのドグマを操作する権限が奪われています。私はコレを……最も避けたかった」
追うように泣きそうなノリコの声も、意識に深く刺さってくる。
「アイツを止めて、ラブたん……!! ウチ嫌だよ、またウチの身体が、アイツにあんな風に扱われるの……!!」
だがドグマも効かない、僕の強い意思で固められた秘密の食卓が、こうも簡単に奪われているとなると、僕のあらゆる攻撃は、ゲーブルトにドグマを分け与えるだけの行為になってしまう。
「もち……もちろんです……けどっ!!」
僕が手をこまねいている間に、ゲーブルトは首の無いノリコの身体を乱暴に抱きしめて、その胸の中へと顔を埋めた。
「うぇっへへ!! ノリコちゃぁん!! 僕と一体化してくださいっすよぉ、ってかぁ!!」
ゲーブルトが作る歪んだ僕の顔がノリコの胸の弾力に包まれる中で、ゲーブルトの身体が光を帯びて変身を始めた。始まるのは魔法少女マジカルエンジェルの、ヒーローハートの変身シーンだった。
僕のシルエットのままで衣服が弾け飛び、女性の形が七色にローリングし始める。キラキラと光る流星のようなバックライトの中で、グローブ、レギンス、スカート、プレートメイル、ハートのバッジが光の中から現れて、ティアラが頭の上に乗っかって、魔法のステッキを掴んでキメる。
何百回と視聴して僕の脳に焼き付いた、ヒーローハートの完壁なる変身バンクだった。
「ははっ、陰気なクズ野郎より、こっちの身体の方が面白ぇや」
ノリコの声が粗野なセリフを吐き捨てて、舌なめずりを行いながら、ステッキから伸びたクリティカルソードが僕に向かって構えられる。
「それでぇ? 大事な大事なドグマとノリコちゃんを奪われたら、どうする気だったっすかぁ?」
ゲーブルトがノリコの顔で顎を持ち上げながら僕を見下して、クリティカルソードに熱の光を籠らせる。
僕の頭の上では、ゴーグルのノリコが騒ぎ立てていた。
「ラブたん、もう一回一体化だよっ!! ヒーローハートになってないと、身体がうごかないでしょ!?」
僕は地面へと転がる、玩具のようなヒーローハートの鎧を見つめていた。僕はノリコとの一体化は出来ないと確信していた。
ゲーブルトの暴露によって与えられた情報、ノリコが僕の事を好きでいてくれた事は嬉しいし、分かっているつもりだった。そして志しも半ばに命を奪われた彼女が、生きる僕の幸せの為に、好きな気持ちを抑えて、死者に引きずらないように配慮してくれていた。
これも混じりっけのない、本心なのだと思った。
僕の意思の中で、過去のノリコの意識へと交信を続けているという、今の関係。
ノリコは『楽しい』と言ってくれたけど、これがノリコの一番ではないことは容易に分かる。
「来るわよスゴミ……!!」ブリアンが叫ぶ。
ノリコが居たかったのは、このブリアンの位置だ。
僕と並んで共に生きる。彼女にとってそれこそが一番だったはずだ。
ノリコが作った夜食を囲み、共にナラクの部屋の弾丸の飾りを眺め、おにぎりを半分こしたあの夜。
その続き以外の展開など、彼女が望んでいたはずがない。
ヒーローハート・ノリコと化したゲーブルトが、クリティカルソードを掲げて、部屋を明るく照らしながら飛びかかってくる。
僕は秘密の食卓の空間固定の自動防御を掲げ、クリティカルソードの灼熱の振り下ろしを受け止めた。メシメシという音と共に、秘密の食卓の表面に食いこんだ。
「食卓が……っ!!」
空間固定による、無限の防御力にくい込んでくる攻撃。こんな事は物理現象では有り得ない。ゲーブルトが僕と言う存在を取り込み、ドグマへの操作権を獲得したからだ。
ノリコの顔がせせら笑う。
「なぜだ、僕の防御は絶対のはずなのにぃ!! ってかぁ? くははっ!! くははははっ!」
僕は身を守る為の最後の砦である食卓に、全神経を集中していた。




