第318話・届く気持ち。5
スレイは泣き出したい気持ちも、叫び出したい気持ちも、必死に抑えて黙り込んでいた。
木箱の中の暗闇に、隙間から入り込む僅かな光が見える世界の全てだった。
自宅の玄関先で母親が殺された。それでも声を上げなかったのは、倒れた母親の指先が最後の瞬間まで『ヤクッ』のハンドサインを結んでいたのが、目に焼き付いていたからだった。
家の中へと勝手に入り込んでくる小柄な軍人、ヒグツワ・シゲル。
そのヤスリのように尖った細い目が、扉の外を見ながら声をあげた。
「あ、その男はもう良いぞ、暴れる前に壊しとけ」
その命令の直後、スレイの父親を拘束していたエクリプスが、激しい金属音をあげて真横へと吹っ飛んでいった。
扉の向こうに、太い腕とボルトのくい込んだ拳が覗いており、大きな体格の男がエクリプスを一撃で殴り飛ばしたのだと分かった。
そして大柄な男が入口の前に立つ。
それはまた僕の知っている顔だった。それはノリコを殺したジャスティス。ヤツは拳を擦りながら、プロメティダの死体を見下ろした。
「……殺してよかったのか? 受けた依頼は誘拐だろ?」
シゲルは歯抜けの歯を噛み合わせながら笑っていた。
「はあ? あの男の家の……クローベル家にいる女を連れてこい。って言われただけだろ、死んでた方が運びやすい」
シゲルは言いながら腕を肥大化させて、プロメティダの死体を巨大な拳でひと握りにして担ぎあげた。ジャスティスはそれを見て、出口の前から身を引いた。
「『連れてこい』は普通、生かして連れてこい。だと思うがな」
「馬鹿が、俺に殺すなって言わねぇアイツが悪ぃだろ。ギャハハ!!」
ジャスティスとシゲルの会話はそれだけだった。それだけのやり取りをすると、二人はスレイの村を襲う銃火器と砲弾の飛び交う戦場の奥へと去っていった。
スレイはそれから三日間、木箱の中から出なかった。服も体も汚れ切ったが、木箱の中に入っていた生米を食べて飢えをしのいでいた。三日が過ぎて出て来たのは、渇きに耐えられなかったからだった。彼女は掃除用の桶水を飲んで渇きを潤したが、家からは絶対に出なかった。寝る時には必ず木箱へと戻る生活を続け、合計二十日間をそうして過ごしていた。
「エィブラム ヤクッ……エィブラム……ヤクッ……」
スレイは木箱の中で唱え続けていた。
母親の言葉をただ忠実に信じて守り続けていた。
しかし、ついには水も食料も底を尽き極限を迎えた。
スレイは朦朧とした意識のまま、襲撃後に初めて外に出た。
スレイの町は砂埃の吹き抜ける乾いた町で、粘土とレンガで平屋建てが所狭しと並んでいる貧しい町だった。
戦闘の痕跡はあったが死体は存在せず、人は誰一人として残っていない。
積もった砂についた足跡は、スレイのものだけだった。
そしてスレイは、黒い装甲の塊を見つける。
それはスレイの父親が拘束されていたエクリプスの残骸だった。
「パパ……」
父親の死体は取り外されており、装甲の周りにへばりついたエクリプスの肉が腐ってゼリーのように溶け始めていた。
スレイはその肉の中に、生米サイズの白い塊を見つけた。ギリギリで意識を保っていただけの彼女は、その白い塊を指につまんで見つめる。それはスレイの柔らかな指に刺さるように食い込む、白い粒だった。
「お米……?」
そして彼女は希望と錯乱の入り交じった思考のままに、それを口へと運んだ。木箱の中で生米を食べ続けた事を思い出しながら。生米は前歯で噛めばズレてしまい、奥歯で噛んでも溝に埋まる。
犬歯を使って、噛み砕く。
スレイはそれを意識しながら、噛み砕いた。
「まず……お米じゃない」
僕はその感覚が共有された瞬間に、様々な思考が一気に繋がった。
ネオさんは言っていた。『エクリプスを食ったら即死』だと。
ゲーブルトのファイルには書かれていた。『エクリプスのコアを移植すると、心核能力者になる』と。
零極さんは教えてくれた。『エクリプスの核はドグマである』と。
スレイは口の中で広がる粉末と化したドグマを飲み込むと、一瞬にして気を失い、その場で睡眠に入った。
そして僕は確信した。
スレイちゃんはシゲルと同じで、ドグマを経口摂取して心核能力を得た能力者だ。
能力は恐らく『狙撃』とか『命中』とかだろう。
代償は不眠症と睡眠発作。
それならいつもボケーっとマイペースだったのも、幼くして狙撃の腕が神がかっていたのも、完全に説明がつく。
それに気づいた瞬間、スレイちゃんの身体の中にいる僕の意識に対して、彼女本人が呼びかける声が聞こえた。
「スゴミ……? アタシの中に……いるの?」
その言葉を聞いた瞬間に、僕の意識は覚醒した。
共感覚による記憶の再生は解除され、僕は仰向けで胸の中にスレイちゃんを抱きしめている所だった。
そして眼前の上空には、プロメティダが大きなワープリング。
今まさに僕たちへと飲み込んで、どこかへと飛ばそうとしている。あの状況だ。
共感覚を発動してから、一秒も経っていない。
その範囲の外で、プロメティダは顔を険しくして左手を振り下ろし、ワープリングの転送範囲を僕達へと叩きつけようとしていた。
僕はスレイちゃんを抱きしめたままで、右腕をワープリングに向けて伸ばした。
「ドグマ解放────女神の円卓!!」
上から落ちてくるワープリングの直径は、僕の身長を全て飲み込んだ上で余りある。3mくらいあるだろう。
だが僕はそれに対して直径4mの円盤盾を繰り出した。
コレならワープリングを通す事は出来ない。
ワープリングが僕の円卓に激突し、ガリガリと押し付けられる音がする。
僕はプロメティダに向かって叫んだ。
「プロメティダ!! 分かったんすよ!! お前が誰か、教えてやるっすよ!!」
「……何がだ! お前が、私の……何を知っている!!」
「ネルケ・クローベル!! それがあんたの名前だろ!! 」
プロメティダは僕の呼びかけに、一瞬目を丸くして硬直した。
しかし額に激しく爪を立てて、皮膚にくい込ませた。
「誰だっ!! 誰の名前を言っているんだ、お前はっ!!」
「あんたの名前っすよ!! 何をされて記憶無くなったのか知らないっすけど、あんたは本当は、こんな事をする人じゃないハズっすよ!!」
デフィーナが後ろから、声を裏返す。
「い、いきなり何を言ってるのスゴミ……!?」
「見てきたんすよ、記憶を全部……!! ネルケ・クローベルは家族を愛して、命の繋がりを大切にしてる人だった!! それが……それがこんな虐殺や誘拐、するハズが無いんすよ!!」
腹の底から出した僕の叫びと共に、涙が弾けとんだ。
彼女の全部が間違っている。
将軍プロメティダも、ワープ能力も、エクリプス召喚も、今の彼女の存在の全てが、彼女自身に対する冒涜だ。
僕は女神の円卓を押し上げた。
ワープリングに押さえつけられている感覚はあるが、押し上げられる。押し戻せる。
僕とスレイちゃんの挟まれた僅かな空間、その領土を広げていく。
スレイちゃんは僕の胸の上から這い出して、四つん這いのままでプロメティダを見あげた。
「ママ……っ!! 『ヤクッ』て、ママが教えてくれたの……!! ずっと信じてたの、ママはどこにいても、繋がっているんだって……!!」
スレイちゃんも目からボロボロと涙を流していた。
プロメティダは額へと食い込ませていた爪で顔を引っ掻き、皮膚を強引に引き裂いて血を吹き出させた。
「ああ! やかましいっ!! 私を、この私を侮辱するつもりかっ!!」
彼女の左手が踊って舞い上がる。その動きに合わせて、円卓に打ち付けられていたワープリングが急上昇する。
蝶のように揺れて昇る手のひらが天を掴むように掲げられると、今度は熊の爪のような荒々しさをもって一気に振り下ろされた。
それと共に、ワープリングが直径20m程にまで爆発的に広がり、全てを飲み込むように落下し始めた。
ストームがそれを見上げて唸る。
「デカすぎんだろ……っ!!」
「プロメティダァー!!」
叫んだが、避ける事など出来ない。
そのリングの範囲は建物内部の断面図を映し出し、僕達四人やプロメティダ本人までもを巻き込んで、落下してきた。
「どこっすか、ここは……!!」
言葉と共に、視界は暗闇へと移された。
僕達は薄暗い部屋の中へと転送されていた。
部屋の空中に出現すると同時に、落下が始まる。
僕は背中を打つことを警戒して落下していたが、僕の背中は何人もの手によって受け止められており、痛みは走らなかった。
薄暗い空間に、暑苦しいほどに人が集まって蠢いている。
その内の、知らない男性の声が聞こえた。
「驚いた。一度に四人来るとは……」
僕は周囲を確認した。
僕の身体は数名の大人が協力して腕を伸ばし、胴上げのように受け止めてくれている。スレイちゃんもコチラにお尻を向ける形で受け止められていた。
「ちょ、どこ触ってんのよっ!!」 そんな中で、デフィーナの声が裏返る。
どうやらデフィーナも受け止められているようだ。
そしてどよめく大多数の中に、ブリアンの声が響いた。
「デフィーナ……!? あなたも捕まったの!?」
その一言で、だいたいが分かった。
僕達が転送されたのは、ゲーブルトの実験材料となる人々を確保する為の牢屋だ。
それに気づいた頃、牢屋の外でネオさんの声がした。
「おいおい、ずいぶん時間がかかったか思えば、どうしたんだ我が妻よ。お前が負傷するなんて珍しい」
それに対して、プロメティダが冷淡に答える。
「少々、相手が厄介でした……。しかし、捕獲完了です。ヒサヅカ・スゴミ、記憶を具現化する能力。デフィーナ、影に関係する能力。ストーム、剣による高速移動」
そのやり取りを見て気づく。あれはネオさんではなくて、ネオさんに変身しているゲーブルトだ。ヤツは机の前で電球をつけて、大量の紙を散らかしながら資料を作っているようだった。
僕は受け止めてくれた人達から下ろしてもらい、牢屋の外を覗きみていた。
偽ネオは回転椅子に深く腰掛けながら、歪んだ顔でこちらへと振り向いた。
「四人来たって、言ってなかったか?」
「ええ、あと一人は……」
プロメティダの視線が、スレイちゃんへと定まった。
「名称不明の、狙撃手です」
それは余りにも冷たい、温度の無い報告だった。
「ママ……」スレイちゃんは震えながら小さくつぶやく。
そして偽ネオは立ち上がり、一番近くにいたデフィーナへと視線を移した。
「ってか、ブリアン連れてきた時点で思ったけどよぉ、お前らが生きてるって事は、ダートがやられたってワケだよな。よく倒せたもんだな」
それに対して、ストームが怒鳴り散らす。
「ああっ!? テメェもぶっ殺してやんよっ!!」
「ククク……威勢が良いな。『アネミ・シマクラ』」
偽ネオが謎の名前を宣言をすると、その顔がグニャリと変形を始めた。整えられていたネオさんの緑ポニーテールの中から、水色のハネ毛がピョコピョコと跳ね上がり始め、瞬時にその顔も凛々しいネオさんから、気怠そうな中年女性の顔へと変質していった。
ゲーブルトの変身能力だ。
そして低く落ち着いた声に変わると、手を軽く振った。
「ストーム、だよな? おやすみ」
ゲーブルトのひと挙動で、ストームは糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。
ストームは睡眠に落ちていた。恐らくは『おやすみ』と言われると寝てしまう能力だ。
アキュレの言っていた通りの現実を目の当たりにした瞬間だった。
ゲーブルトは遺伝子を取り込んだ他人へと完全に変身して、それらが持つ心核能力の全てを使いこなす。
ヤツの手札の数は137以上。次に何をしてくるのか全く分からない。
僕は動き出す事も出来ずに、ただゲーブルトの挙動を睨みつけていた。




