第317話・届く気持ち。4
ドラキール市街、エクリプス襲撃の惨状が広がる都市の一角で、プロメティダとの闘争は加速していた。
ストームが僕の背後で大剣につけられたエンジンを駆動させ、爆音と共に吠える。
「戻ってきたなぁ!! ぶっ殺す!!」
一方で、僕も戦う意志を持って戻ってきてプロメティダに対面していたのだが、右隣でへたり込むスレイちゃんの動揺に完全に飲まれていた。
「ママ……プロメティダが、お母さん!?」
プロメティダを『ママ』と呼ぶスレイちゃん。言われれば髪の色も目の色も同じな二人、しかしこんな所で親子が偶然の再会……有り得るのか? そんな疑念の方が、僕の心の中では支配的だった。
スレイちゃんが、抱え込んでいたスナイパーライフルを手放した。
「そうだよ、だから……だから外れたんだ。背中が……なんか変って、思ったの! ママの、耳が……っ!!」
スナイパーライフルが床へと転がる、寂しい音が僕の耳に届く。
プロメティダは瞳を冷たく細めて、血の垂れる耳を指で隠した。
「ええ……耳を撃たれました。狙撃は、危険ですので……」
瞬間、デフィーナが叫ぶ。
「上よっ!!」
僕は即座に真上を確認した。スレイちゃんの頭上でエメラルドの粒子が輝き、ワープリングが出現し、みるみる内に広がっていった。そこから先程僕が受けていた大量の剣が、滝のように降ってきた。
「スレイちゃん……!!」
僕は伸ばしていた右腕でスレイちゃんの拘束衣をつかみこみ、抱き寄せるようにして思い切り引っ張った。
そこにストームが突っ込んでくる。
「ソイツは卑怯だろうがァ!!」
ストームは大剣の一振りで、剣の滝の三割程をプロメティダへと向かって弾き飛ばした。プロメティダは剣の飛んで来る所にだけワープリングを生成して、剣がすり抜けるようにワープさせて回避。
余りの剣がストームや僕の足を掠めたが、塊としての重みが分散した為、小さな切り傷を残すだけに収まった。しかし窮地だ、僕達はその場に倒れ込んでしまっている。
僕は無我夢中に叫んだ。
「プロメティダ! あんた何者なんすか! 本当にお母さんなら、こんな事……っ!!」
プロメティダは忌々しげな、力の入った表情で僕たちを見下ろしながら頭を抱えていた。
「厄介な……記憶を穢す男と、危険な狙撃手。私は神格将軍、プロメティダ・ヴァングリフ。それ以外の経歴は……持たないっ!!」
スレイちゃんは泣きながら僕の胸に縋りついた。
「嘘だよ、だってママ……!! そのお洋服、おばあちゃんと作ってたやつだもん……!!」
プロメティダは頭を押さえる手を離し、羽織っていたクリーム色のカーディガンに手をかけた。それは毛羽立った毛糸で編まれた牧歌的で地味な洋服だった。
「誰だ、お前は……っ!!」
一方で下に着ている黒のドレスは、全身のボディラインを強調するような妖艶さで黒の光沢を放ち、レースが象られており、いかにも高級そうな装いだった。着合わせ的にもおかしいと、僕はこの時初めて気づいた。
「本当じゃないんすか!! だったらやめて下さいよ、こんな事……!!」
プロメティダは右手で顔を引っ掻くように隠し、左手の指輪をこちらへと向けていた。
「やかましい、誰だ私は……!! 記憶にない!人の記憶を、踏み荒らすな……!!」
再び僕らの真上に、特大のワープリングが開いた。
その向こうは真っ暗で、何を出す気なのか全く分からない。
僕が戦慄に震えてスレイちゃんを抱えて起き上がろうとする時、スレイちゃんは僕の胸を押さえつけるようにして、声を裏返した。
「ヤクッ!! エィブラム ヤクッ!!」
その瞬間、僕の全身を稲妻のような刺激が駆け抜けた。その感覚に覚えがある。これはスレイちゃんの精神との、共感覚だ。それはすぐに分かった。死にかけのウサギや、王子への信頼を裏切られた時のブリアン姫と同じ感覚だった。
僕が触れている相手の意思の純度が100%ひとつの物事に集中した時、共感覚は発動する。
僕の意識はワープリングが広げる黒い天井を見つめたままで、スレイちゃんの記憶の中へと沈んでいった。
溶ける意識が、幼いスレイちゃんの身体へと融合をしていく。
身体が、手が小さい。
6歳くらいの頃の記憶だろうか。
ぼんやりとした視界が、次第に鮮明になっていく。
ほんのり肌寒く、霧のような雨が降っていた。
そこは地下都市ではない、ネズミ色の雲がどこまでも広がる空の下だった。いる場所は集合墓地。日本の墓のように立派な大理石の墓ではなく、鉄パイプをワイヤーで十字型に縛り付けただけの簡素なものが、地面に粗雑に打ち込まれる形で、所狭しと並んでいる。
周囲には大人の影が無数に揺れて、啜り泣く声が、夏の夜の虫の音のように、繰り返し聞こえていた。
そしてスレイちゃんの手を、大人の手が握っていた。優しい温かさと柔らかさを持った手のひらだった。
スレイちゃんは大人を見上げて、質問をした。
「ねぇ、おばあちゃんは、なんで死んじゃったの?」
大人はしゃがんで、スレイちゃんと視線を合わせた。
その顔が、プロメティダだった。
肩からは毛糸のカーディガンがかけられており、それは手編みの粗さは若干あったが、糸の毛羽立ちも無く、薄手の麻布の服と共に、綺麗に着こなされている。
彼女は優しく微笑んで、スレイの頭を撫でた。
「おばあちゃんはね、この世での役目を終えたのよ。私を産んで、あなたが産まれた。そして私達の幸せを願って、頑張ってくれたのよ」
プロメティダの瞳が潤んで、短く鼻をすすった。
スレイは無邪気に返す。
「どうして頑張ると、死んじゃうの?」
プロメティダは一瞬、言葉に詰まってから語り出す。
「頑張ると死ぬんじゃないわ。いつか死ぬから、頑張るの。それはみんな、同じことなのよ」
「みんないつか、死んじゃうの?」
「そう……いつかはそうね。みんな、いつかは死んでしまうわ」
「みんなって、ママも死んじゃうの?」
スレイの問いかけは連続していた。『なんでも聞きたがる子供』それを体現しているようだった。
母親のプロメティダは、その質問に目を細め、考え込むように目を逸らした。しかし、スレイを真っ直ぐに見つめ直した。
「そう、ママもいつかは、死んでしまうわ。でもそれは……」
「やだっ!!」
スレイは話をぶった切って声を震わせ、プロメティダの胸の中へと飛び込んだ。
「ママが死んじゃうのは、やだっ!!」
その時のプロメティダの顔は、体感しているスレイの視線からでは見えなかった。しかし、彼女の両腕がキツくスレイを抱きしめると、全身を包む温かさと共にその顔がスレイの肩の上へと乗っかり、涙の雫がポタポタとスレイの首筋を濡らした。
「スレイ、今じゃないわ。いつか、いつかの話よ……。全ての命は、エィブラムから生まれて、エィブラムへと還るの」
「……エィブラム?」
「そう、エィブラム ヤクッ。命は死んで、土に混ざり、水に混ざり、風に乗って世界を巡り、そしてまた新しい命になる。私たちが生きているというのは、エィブラムから命を借りている。それだけの事なの」
「……どういうこと?」
プロメティダは抱擁を解いて軽く両目を擦ると、スレイの両肩を掴み、目を合わせて微笑んだ。
「ふふっ、難しいわね。お勉強をしましょう。私達が強く生きる為にね」
「アタシ、お勉強、やだー!」
プロメティダは再びスレイの手を取って立ち上がった。
「ダメよ。私達はおばあちゃんと繋がっているの。そんな事では、頑張ったおばあちゃんに失礼でしょ?」
「んー!! んー!!」
スレイは手をバタバタさせて腰を振り、母親に対しての小さな抵抗を繰り返していた。
そこへと、墓地の奥から黒髪で整った顔の、見知らぬ男性が近寄ってくる。スレイの意識は、その男を父親と認識していた。
「あっ! パパ!」
明らかにゲーブルトでは無い、優しそうな顔だった。
「ネルケ、埋葬が済んだよ。最後にお祈りをして、帰ろうか」
「ええ……。あなた」
そうして三人の家族は、墓地の奥へと歩いて行った。
プロメティダは『ネルケ』と呼ばれていた。彼女の本名だろうか。
背の低いスレイの視線からは、ちょうどプロメティダの手のひらが目の高さにあった。
その薬指には、現実で彼女が僕達へと向けている、銀のリングに小さなエメラルドのはまった指輪が、既に付けられていた。
僕の意識はスレイちゃんの身体の中で、それを見て感じていた。
「繋げる……能力。空間接合の、核心……」
薄ぼんやりとした記憶の風景に、冷たい霧雨がスレイの頬をシトシトと濡らしていった。
そして溶けていく静かな景色は、突如として爆弾の破裂音に飲まれていった。
パンッ!タタタタ……ッ! ババババ……!
スレイの記憶が切り替わる。それは戦場の音だった。
スレイは7歳だった。家の中で震えながら、小さな身体がギリギリ収まる、食料保存用の木箱の中へと押し込められていた。
「ママ……ッ! ママ、怖いよ……!」
その視線の上で、母親のプロメティダが恐怖に顔を歪めていた。
「大丈夫、もうすぐパパが帰ってくるわ、そうしたら一緒に逃げるの! 良いわね」
「じゃあアタシ、ここから出るっ!! 袋にね、食べ物入れて、用意するの!!」
スレイは木箱から飛び出そうとしていた。
それをプロメティダは無理矢理に押し込んで、蓋を閉じようとした。スレイの頭に、硬い木の蓋の感触が押し付けられる。
「ダメよ! あなたはこの中に隠れていないとダメ! 何があっても……何があっても、ここから出ては、いけないのよ!!」
スレイは幼かったが、それがプロメティダの自己犠牲だと言うことを、ハッキリと理解していた。家の中には大人が入れそうな木箱は無いし、ベッドもキッチンもひとつの部屋の中に収まっている、狭くて簡素な住宅だった。
「やだよ、だってママ……死んじゃうよ! 敵の人達来たら、殺されちゃうから!!」
プロメティダは右手でスレイの頭を押し込みながら、左手でハンドサインを作って見せた。親指から中指を曲げて、薬指と小指だけを立てる、見たことの無いハンドサイン。
「ヤクッ……。言ったでしょ。私達はどんな形になっても、エィブラムの元でひとつに繋がっている。恐れないで、ママを信じて。あなたはここに隠れているの……」
彼女が目を潤ませて、震える身体を必死に抑えながら言っているのが分かった。そう言って木箱の蓋を閉じかけると、家のドアの先で父親の声が聞こえた。
「うぉい! あけ……開けてくれぇ……!!」
「パパだわ……!!」
プロメティダは希望に満ちた顔で振り向いた。
スレイも木箱を飛び出そうとする。
しかしプロメティダは再びスレイを押し込んだ。
「まだダメよ! 少し隠れて待ってて、状況だけ聞いて来るから……!!」
プロメティダはいそいそと家の入口へと向かい、迷いなくドアの鍵を開けて自ら扉を開いた。
スレイは木箱に収まりながら、木箱の噛み合わせの僅かな隙間から、その状況を確認していた。
そして扉を開くと、その向こうには確かにスレイの父親の黒髪の男が立っていた。しかしその身体は血まみれで筋肉が異常膨張しており、片腕は折れて骨だけを剥き出しにした、ゾンビのような姿に変貌していた。
その背中には、黒い骨組みの組み合わさったような、大きな影が蠢いていた。
僕の認識は、それが何か、即座に認識出来た。
エクリプスだ。
黒い装甲の骨組みに、緑色のラインが発光し、爪のような足が無数に生えて、男性の身体を釣り針のようなフックで磔にするように固定している。
プロメティダは叫んだ。
「あなた……どうしたのよコレは、あなた!?」
エクリプスに拘束された父親は、呻き声をあげた。
「うぉ……家、私の家に、帰る……」
言いながら父親は、剥き出しになった腕の骨を勢いよくプロメティダの胸へと突き刺した。
「いあっ……ぐぷっ!!」
彼女の短い断末魔を引き裂いて、白い骨が赤い血を帯びて、彼女の背中から突き出していた。
スレイは思わず木箱を飛び出しそうになる。
だがプロメティダは、断末魔よりも大きく、木箱へと視線を合わせて叫んだ。
「ヤクッ……!! ヤクッ……!!」
それは木箱の中のスレイへの、最後のメッセージだった。スレイは本能的にそれを察して、木箱の中で身を潜め続ける事を決意した。
そして倒れるプロメティダを見下ろすように、別の男が家の中に侵入して来た。
「ヤク? ギャハハ、薬中なのか、コイツらよぉ」
男はハリネズミのように髪が逆立った、小柄な軍人だった。
僕はその男を知っている。
僕の左半身を不随へと追い込んだ、狂気の宿敵。
ヒグツワ・シゲル。見間違えようのない、最悪の下卑た顔だった。




