第307話・帰るべき場所。
僕がデフィーナの罪を裁く。
僕が彼女に感じ続けていたフラストレーション。それは本物だった。そして同時に、デフィーナに助けられたという恩情。それもまた本物だった。
僕の無理発言に気持ちを揺らし、僕に裁かれることを許容したデフィーナの贖罪の光は落ち着いて、空を埋める巨大ピラミッド『ムー』の影が、僕たちへの太陽光を遮り、冷えた空気を届けた。
デフィーナの顔は、僕の頭部から発する『贖罪の光』によって薄く照らされていた。
「スゴミ……。でも、あんたの贖罪の光は……」
僕は一瞬考えた。脳の中心が熱くなって、光の槍が脳内から生成されるというのを感じる。しかし、デフィーナの贖罪の光を抑えた今、自覚の在り方こそが贖罪の光を止める唯一の道だということが、感覚として分かっている。
「頭の中心から光が出るって、これもしかして……ドグマの力を暴走させてるんじゃないっすか……?」
「贖罪の光が……ドグマの力?」
「そうっすよ。頭の中心の、何とかって器官にドグマはあるんすよね……?」
「……松果体ね」
「だとしたら、一般の人は別として、僕は走者。ドグマの動きは僕自身がコントロール出来るハズっすよ……」
僕はデフィーナの背中から手を離し、自身の顔へと右手を触れた。
そんな僕を、天使さんは興味ありげに覗き込む。
「わぁ! スゴミ君はやっぱり天才だねっ!! 天使さんはスゴミ君に助かって欲しいからね、なんでもお手伝いをするよっ!!」
僕は天使さんの白毛に包まれた、真っ赤な瞳を見つめ返した。
「でも天使さんは、この世界のすべての人間を消して、そして、この世界自体も消しちゃうんすよね……」
ヒメガミさんが倒れた場所にも、ノリコが倒れて土を引きずった場所にも、既に彼女達がこの世界に生きていたという痕跡は無くなり、彼女達の体の形に削れたグラウンドも足跡も、平らに戻っていた。
「うんっ! 天使さんは、物語を白くする為に呼び出されたからね、頑張って物語を綺麗にするんだよ!!」
天使さんはシグマによって呼び出されたハズの存在だ。それなのに本人はエクリプスじゃなくて、僕だけの天使さんだと言う。世界の消滅を嬉々として語るその態度も分からないし、結局ほとんどの事が何も分からない。
「そうっすか。僕は世界を消すのをやめて欲しいんすけど、この記憶は既に終わった出来事だから、今からやめてって言っても、止められないんすよね……」
「うん! もう少ししたら、天使さんから綺麗な光が、パァって広がるからねっ!!」
「天使さん、僕はアルハを守れなくて、この世界を失った事に、すごい罪悪感を感じてるんすよ……。天使さんがなんと言おうと、僕のした事は最低。それだけは間違いないと思ってるんすよ……」
「天使さんはね、スゴミ君の選択を信じているよっ! ああ、スゴミ君が生きててくれて良かったなぁってね、天使さんは嬉しさでいっぱいだよっ!!」
天使さんにマイナスの感情は存在しない。だからこそ損失も悲しみも理解はしてくれない。まともな会話が成立しないのも仕方のない事だ。
僕は天使さんの顔から、黒インナーに包まれた豊満な胸へと視線を落とした。先程まで僕に押し付けられていた、その柔らかさの局地は、ピンと張って完全なる造形を主張し続けている。
「天使さん、僕の小学校二年生の時の罪って、何か知ってますか? さっき記憶を見てきたんすけど、結局、何か分からなくて……」
その質問をすると、天使さんは胸を隠すように手を当てて、瞳を震わせて口を結んだ。
しばらく回答が無いので、僕は彼女の胸から顔へと視線を上げる。
「……天使さん?」
天使さんはフッと宙へと飛び上がり、足を揃えて両手を広げた。
「それはスゴミ君の心の奥底に眠る、封印された物語だよ。天使さんはね、その物語を洗い流す為に、生まれてきたんだよ」
彼女はそう言うと、両手から激しい光を発し始めた。七色がギラギラと暴れて、空の色までも変容させていく。そして天使さんの背中から白い円の光が広がり始めると、周囲の空気が台風のように天使さんへの流れを作り始めた。
フェンスがガシャガシャと音を立て、砂煙が僕達の背を打って天使さんに向かっていく。そして天使さんの周囲は、球状の白い抹消領域が支配しはじめていた。
「もしかして、世界抹消……始めたんすかっ!!」
天使さんの足元のグラウンドの土が、球状に削られて消滅していく。
僕はデフィーナを連れて、天使さんから距離をとった。
記憶の世界ではあるが、天使さんは僕に抱きついてきて、確かな触感があった。彼女の存在がどこまでを現実として捉えているのか、全く分からない。
天使さんの表情は、いつもの優しい慈愛の瞳に戻っていた。
「スゴミ君、君が望んだから天使さんは、物語を白くするの。君が正しく進めるように、君が帰って来られるように、天使さんはずっとずっと、一生懸命、応援しているからね……っ!!」
彼女から広がる抹消空間が、フェンスの連なりを音もなく飲み込んで行く。
僕はその現象に対して叫んでいた。
「だったら、僕の罪の物語……。今は裁くの、待っててくれないっすか……!! 僕がちゃんと思い出して、その罪に向き合えるまで、消さないでおいて貰っても良いっすか!!」
「ああ、スゴミ君……!! それを決めるのはスゴミ君だからねっ!! 天使さんはただ信じて、君を待っているんだよ!!」
正直な所、僕の小学生の時の罪を本気で思い出せない。
さっきの記憶の映像で見た風景が、僕の認識の全てだ。
パーカー女子がいじめられていて、彼女の名は『白羽 歩波』。
僕はイジメ現場に乱入して、一人を殴って、シゲルに敗北した。
なんで僕が、それを罪だと認識しているのか。
客観的に見ても僕の行動は正義の側だった。
きっと、結果からだ。『最低』と言われたからだ。
でも、ひとつだけ分かった事がある。
僕は天使さんに確認だけをしたかった。
「そこが、僕の帰る場所……! 僕の帰りたかった場所なんすか!!」
「そうだよ、きっと!! 帰れると良いねっ! 帰っておいで……スゴミ君!!」
やはり、そうなんだろう。
僕の帰りたい場所に、アルハと天使さんが関係している。
そんな確信が僕の意思として固まる中、デフィーナは叫んでいた。
「世界が消える前に戻らないとっ!! それに贖罪の光、消えてないわよスゴミ……!!」
僕は自分の顔を右手で覆った。
すると僕の頭から発していた贖罪の光は落ち着いて、僕本来の顔の陰気な暗さが戻ってきた。
「戻りましょう。デフィーナさん……」
「えっ……!? あなたの贖罪の光は……!?」
「デフィーナさんの罪を僕が裁くって言ったのに、僕が先に死んでたら、いけないじゃないっすか。僕の断罪は止まってません。でも今は、しまっておきます」
僕は白い空間を広げる天使さんへと振り向いた。
空気が歪んで、吹き荒れる風が僕のシャツを揺らしていた。
「……こういうの、執行猶予って言うんすかね?」
「そうなのかなっ! 天使さんはね、面白くてね『おかしいね、おかしいね』って、笑っているよっ!!」
天使さんは弾けるような笑顔で赤い瞳を輝かせて、世界を消し飛ばしている。
天使さんにとって、支持者が死んだ世界の物語を抹消することは使命だ。
そして彼女は、それを悔しがる事も、悲しむ事も出来はしない。
僕の罪の物語が、これほどまでに純粋で可愛い天使さんに、こんな悲しい使命を負わせているのだとしたら、それこそ本当に『罪』なのかも知れない。
今は分からないけれど、シグマに会う時に聞かなきゃいけないことが増えた。
僕の認識はそうだった。
僕は世界を消し飛ばす天使さんから目を逸らし、デフィーナの小さな手を握った。
そして天を覆う影、漆黒のムーへと視線を上げる。
「聖典さん……!! 贖罪の光は耐えましたよっ!! 僕はあなたと、決着をつけたい!!」
僕が祈るように叫びあげた時、天使さんの抹消空間が広がって、僕達のいた場所を白く染め上げて虚無へと変換していった。
その瞬間に、僕の意識は覚醒した。
僕の足の側で、切り裂くような悲鳴が上がっていた。
「スゴミッ!! スゴミィー!!」
それはブリアンが泣き叫ぶ、悲痛な声だった。
僕の背中には、冷たいコンクリート。
胸の中には、暖かく小柄な肩を震わせる、デフィーナの身体。
僕は現実に戻ってきた。
ドラキール本国の市街地、聖典さんと対面していた、あの道路に。
時間は僕達が転倒してから一秒も経っていないようだ。記憶の世界の時間は圧縮されていた。
僕の頭の先の19mで、聖典さんが金属の足を揃える軽快な音がコツンと耳を叩いた。
「どうやらあなた方は、贖罪の光によって、自身を裁かないようですね」
僕はデフィーナを抱えたままで、ゆっくりと起き上がった。
「いいや、裁かれますよ僕達は。ただそれは、今じゃないってだけです」
起き上がった僕の視界に入ったのは、尻もちをついたままのブリアンだった。
彼女は僕を見るなり驚いた顔をして、身を乗り出そうとした。
「スゴミ……! あなた大丈夫なの!?」
僕はそんな彼女に、右手のひらを広げて静止を促した。
「入ってきちゃダメっすよ女神さん。贖罪の光の範囲に入ったら死にます。僕は今、それを延期してるだけなんすから……」
「え、延期……!?」
ブリアンが驚いている一方で、聖典さんは歩みを止めて腕を組んで仁王立ちをしていた。
「どうやら……戦いの準備が整ったみたいですね」
デフィーナは僕の胸に両手を揃えて、僕の顔を覗き込んだ。
「行けるの……? 戦えるの!?」
僕はデフィーナを軽く僕の上からズラして、聖典さんに背を向けたまま立ち上がった。
「やれますよ。天使さんに会えて、僕は聖典さんとの戦い方が、分かったっすから……」
僕の頭の上から、ゴーグルノリコが奇声をあげる。
「うおお!? ラブたん!! 頭ピカピカしたら、ちょっとイケメンになっちゃったかぁ!? 罪の意識なんて、関係ねぇ!! ってかぁ!?」
僕と一体化しているノリコだが、どうやら記憶の世界は見ていないらしい。
僕はゴーグルへと軽く触れながら、聖典さんへと振り返った。
「ははっ、ノリコちゃんが居る世界に戻って来れて、ちょっとホッとしたっすよ……」
「えっ!? ああ……うん!! なんか分からんけど、ウチは元気に亡霊中ってな!?」
僕が振り返ると、僕と聖典さんの間を遮るように、僕のドグマによって生成された、天使さんの彫像が立っていた。
真っ白な彫刻の姿で、両手を広げている。
僕は聖典さんに向かって歩きながら提案した。
「あの……被害出したくないんで、空中戦にしてもらっても良いっすか」
聖典さんは強い瞳で僕のことを見返す。
「私は戦い方を強制していません。君が私を殺せるというのならば、私はそれに従った上で、全力の抵抗を致します」
「そうっすか、じゃあ、お願いします」
僕の天使さん像が、ギチギチと動き始めた。
マジカルエンジェル、セイントハートのその姿に、命が吹き込まれたように、硬い石膏のような動きは、人間的な柔らかさを増していく。
その手のひらに真っ白なロングソードが生成されると、天使さん像は言葉も出さずにドラキール市街の上空へと飛び立って行った。
そして聖典さんも自身の周囲に光の短剣を無数に展開すると、それを追いかけて空中へと飛び立った。
ゴーグルノリコがそれを見あげて声を裏返す。
「あやや!? 天使さん像がいるってことは、天使さんのエッチな夢でも見てたのかい、ラブたん!!」
「エッチかどうかは別として、そんな感じっすね……」
続けてデフィーナが上空を見上げた。
「あんた天使像って、いつ動かせるようになった訳?」
「今に決まってるじゃないっすか。天使さんは僕の為に生まれた、僕だけの天使さんらしいっすから……」
僕は目を細めて、空中で対峙する天使さん像と聖典さんを見つめていた。
「それを僕に気づかせてくれたんだとしたら、聖典さんが言ってた『協力』ってのも、嘘では無かったんだと思います」
像と聖典さんの体が光りを帯びて、激突を開始した。




