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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第8章・帝国編

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第306話・彼女の罪。

「スゴミっ! あんた、頭光ってるわよっ!!」


 デフィーナが声を裏返し、僕の腕をつかんでくる。


 白い霧となって消えていくノリコの体を見ていると、僕が犯した『逃亡』という罪。その重責が、僕の胸を強く押し付けるように圧迫してくる。


「僕、僕のせいなんすよ……」


 聖典さんの光の槍は、まもなく発動してしまうのだろう。罪の意識を持たないことなど、今の僕には無理なことだった。


 そんな僕の身体の正面を、柔らかな暖かみが包んだ。


 天使さんがグラウンドに降りてきて、僕の事を正面から抱きしめていたのだ。淡い花の香りが僕の鼻から脳髄へと直接的に多幸感を届け、罪に苛まれた精神にフワッと安堵が広がった。


 僕が死ぬのならば、ココが良い。


 それ以外の思考を排除されていると言わんばかりに、僕の気持ちは天使さんの白一色に染められ、頭部の光は少しだけ和らいでいた。

「スゴミ君は頑張ったからね……っ! 天使さんは君の大事な物語以外を、全部白くしてあげる事ができるよ!!」


 彼女の柔らかく白い指先が、僕の後頭部に絡みつくように回って来る。


「天使さん……。天使さん……」


 僕は何故か、涙が止まらなかった。目からとめどなく零れる水滴が、天使さんの肩を濡らしていく。


 彼女の『物語を消す力』は、僕の都合の悪い物語だけを消し去る事ができるという事なのだろうか。だとしたら僕は、僕の犯した罪の物語を消し去って貰う事で、贖罪の槍による自滅を避けることが出来るのだろうか。


「天使さんは、スゴミ君だけの天使さんだよ。君だけの味方だからね……」


 甘く蕩けるような吐息が耳を撫で、僕の全身に電流が流れるほどの快楽がほとばしる。身体はブルブルと震えて、僕の全てを天使さんに捧げたいと思う、そんな気持ちが僕の心を支配し始めていた。


 そんな僕を見て、デフィーナは近寄れないながらも叫んでいた。

「スゴミッ!! 天使はエクリプスなのよっ!! エクリプスは殺すしかない!! あんた零極に騙されたみたいに、また無様な醜態を晒したいって訳……!?」


 デフィーナの忠告は、僕の白く染まりかけた思考に、町内放送のようなボヤけた反響として届いていた。


 天使さんは僕を抱き締めたままデフィーナへと視線を移し、明るい声で彼女へと告げた。

「エクリプスはエクリプスでね、天使さんは、スゴミ君の天使さんなんだよ!!」


「意味わからない事ばっかり、言ってんじゃないわよ!!」


「えーっと、そっか!! デフィーナちゃんが知ってるのは、支持者《アルハ》としての知識だもんね!!」

 天使さんは僕の肩に頬を置きながら、デフィーナを見下ろしていた。

「天使さんが教えてあげるね! エクリプスはね、シグマのドグマ能力が作った『日を喰らうもの』って意味でね、その太陽は天使さんの事だからね!!」


「どういう……事っすか……」

 僕は虚ろな顔をしたままで、その意味を問いかけた。


「えっとね、シグマは物語を残したいんだって! だから天使さんの心の半分を使って、支持者《アルハ》を生み出したんだよ!!」


「支持者《アルハ》が、天使さんの半分……?」


 デフィーナは声を裏返して否定した。

「嘘だわっ!! そんなこと、私は聞いてない、そんな事、知らないもの……!!」


「天使さんが言うのは、全部本当の事だよっ!! アルハちゃんも天使さんの半分だから、本当の事だけを言うでしょ!!」


 天使さんが明るい声で宣言する程に、デフィーナの顔は青く染まっていった。

「わ、私が……天使の半分? エクリプスの、だってエクリプスは殺すものだって……」


「デフィーナちゃん!! 天使さんが本物の天使さんで、シグマが作ったのがエクリプスなんだよ!! シグマが支持者《アルハ》を作ったって事は、それは全ての支持者《アルハ》が、エクリプスって事だからねっ!!」


 恐らくそれが、デフィーナにとって致命的な告知であった。

 何があろうと、どんな状況であろうと、デフィーナは『エクリプスは殺すしか無い』と僕に言い続けてきた。

 それはきっと彼女の核心であり、エクリプスを殺す為に走者《キュリオス》を支援する。それが支持者《アルハ》としての存在価値だと、彼女は一切の疑いを持たない信念として行動の基盤に置いていた。


「デフィーナさんが、エクリプス……」


「そう、天使さんの影を借りて、ドグマの成長の為に、走者《キュリオス》を戦いに導く者だよ!!」


「デフィーナさんが、僕を戦いに……」


 デフィーナは目を白黒させながら、後退りを始めた。

「違う、違うわスゴミ……私は知らない。戦いに導くだって、そんな、そんなつもりじゃ……」


 その刹那、僕の思考の中に、須賀見カイの記憶がフラッシュバックした。

 カイが支持者《アルハ》を説明した時の、悪辣な一言。

『なんでコイツが無能なクセに、無謀な事するのか分かるか? 走者《キュリオス》に守らせるためだ。俺達に戦いを強制するためなんだよ』


 聞いた時は、無理やりなロジックで支持者《アルハ》を虐げる為の言い訳のように聞こえていた。

 だが天使さんのカミングアウトと、これまでのデフィーナの全ての行動に、符号がつきすぎる。


 天使さんは更に声高く、秘密を打ち明けた。

「天使さんの心はね、楽しい、嬉しい、大好き!! って気持ちだけ残してね、あとは支持者《アルハ》と分け合う事になったの!! だから二人の気持ちは半分こになってるんだよ!!」


「支持者《アルハ》が笑ったり出来ないのって、もしかして……」


「天使さんの半分だからだよ!!」


 僕の納得は深まっていく一方だった。その反面、デフィーナは自分の顔を引っ掻くように爪を立てていた。


「私は、そんな気持ち、知らない……。だって最初から……最初から何も、感じなかったもの……」


 デフィーナは涙を流し始めていた。


 それを見て天使さんは目を細める。

「ああ……綺麗な涙。天使さんはね、その綺麗な感情を持てるデフィーナちゃんの事がね、とっても羨ましいなぁ……」


 嫌味にも皮肉にも聞こえるその一言だったが、天使さんの声のトーンはそんなマイナスの感情ではなく、純粋な憧れで言っているのが分かった。プラスの感情は全て天使さんに、マイナスの感情は全て支持者《アルハ》に。それがシグマが造った『物語へと導く者』の構造だ。


 僕がそれを理解すると、デフィーナの頭部が発光を始めていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい……スゴミ。私がエクリプスなのだとしたら、本当に死ぬべきなのは私だったわ。だって私が本当に天使の言う通りの存在なのだとしたら、私はあなたを何度殺そうとしたの……?」


 ドラキール市街の路上に倒れ、贖罪の光の発光を開始していたデフィーナ。不遜で傲慢でいつだって悪びれも無く殺意や毒舌を口にする。そんな彼女のどこに罪の意識があったのだろうかと僕は思っていたが、今のデフィーナの姿を見て僕は確信していた。


 この罪のある過去を見せるという過程の中で、デフィーナに罪の意識が芽生えること──そこまでが聖典さんの能力『贖罪の光』の効果によって確定していたんだ。


 僕は僕の全身を包む、天国のような幸福感を振り払い、天使さんの両脇へと手を差し込んで、抱擁を引き離した。


「天使さん、天使さんは僕の罪の物語を消してくれるって言いましたけど……僕はそれは、断りますよ」


 天使さんはキョトンとした顔をして、首を傾げた。

「聖典さんの断罪は、もう発動してるんだよ?」


「はい……でも、自分の罪を無かったことにして逃げるって、違うと思いますから……」


「罪の物語は、記憶も白くなるし、起きた事が全部が真っ白になるからね! 天使さんはね、ちゃんと全部を綺麗に出来るんだよっ!!」


 僕は天使さんの腕に掴まれた背中をそのまま真っ直ぐに引き、彼女の赤い瞳を見つめながら答えた。


「それが一番、重い罪なんじゃ無いっすか……」


 僕が重く静かに一言を発すると、天使さんは目を丸くして口を結び、僕への抱擁を解いた。その両腕が力なくぶら下がった。

 天使さんは今までずっと、笑って、微笑んで、慈愛の瞳だけを僕に向け続けていてくれた。

 今までに一回もブレた事のない、慈しみの表情。それが無表情に変わっていた。

 それは天使さんの根底を覆すような、初めての表情。心の在り処を一切感じない、完全なる無表情だった。


 僕はその顔に恐怖と罪悪感を覚えながらも、彼女の正面を離れて、デフィーナの肩を掴んだ。

 デフィーナの頭部の光は増していき、今にも光の槍が飛び出してきそうだった。


「デフィーナさん、死なないでくださいよっ!! 僕はなんとも思ってないですから!!」


「スゴミ……ごめんなさい、私が死んだら、天使が来ちゃうのに……」


「ってか、ずっと僕の事、守ってくれてたじゃないっすか!! デフィーナさん居なかったら、それこそ僕、既に生きて無いですから!!」


「ダメだわ。スゴミ……だって私、ナラクの事も15年間、死地に導いてた。自覚があるのよ。エクリプスと戦うことは当然の事だと思って、疑う事すらなかった……」


 デフィーナの瞳が閉じて、大粒の涙が零れ落ちる。それと同時に彼女は足の力を失い、ガクリと膝を曲げていた。僕はデフィーナが倒れないように、脇の下から腕をつっこんで、自分の胸の中へめり込むほどに強く抱きしめた。


 そして僕は、腹の底から無茶を叫んだ。


「だったら自分で自分を裁いてないで、僕に裁かせろぉ―――!!」


「スゴミが……裁く?」


 僕の胸の中で力を失い、なされるがままのデフィーナは小さく呟いた。


「そうっすよ!! 出会った日から、死ねだの殺すだの、雑魚だのキモいだのの暴言の連続!!」

 僕はデフィーナの背を、爪が白く変色するほどにきつく締め付けた。

「敵が出たら、殺しなさい、勝手にしろ、何とかしなさいだのの、無理注文!!」


「……っ、はあ?」

 デフィーナの身体が、一瞬僕を拒絶するようにピクリと動いた。


 だが僕は逃がさなかった。

「挙句にフォートレス級には無謀に突っ込んでくし、戦ってる風に見えて結局のところ他人任せ!!」


「なにそれ、最後に文句、言っておこうってワケ?」


「違うっすよ!! デフィーナさんの罪が走者《キュリオス》に対してのみの罪悪感だってなら、その隣にずっと居た、僕にこそデフィーナさんを裁く権利ってもんがあるんじゃないっすか!!」


 デフィーナは抵抗していたが、僕が言い切ると力を抜いて頭を落とした。

「あっそう……もういいわ、勝手にしなさい……」


「はい、勝手にします!! デフィーナさんの罪は、僕が裁く!! だから他の誰にも裁かせない!!」

 僕は天を埋める空中ピラミッド、ムーへと視線を上げて、声を上げた。

「おい、見てんのか! 聞いてんのか聖典さん!! お前の裁きでデフィーナさん殺すのルール違反!! たった今、それは反則って事にしましたからね……!!」


 その声が、聖典さんに届いたのかどうかは分からない。


 ただ、デフィーナの頭部を包む光は、スッと収まって、彼女の体から抜けていた力が沸々と回復を始めていた。デフィーナは顔を上げて、自分の顔に手を置いた。


「え……? これって……」


「ああ、届いたんすかね……」


 その反応を見て、天使さんの表情に笑顔が戻っていた。

「ああー! 良いなぁ、デフィーナちゃんは、羨ましいなぁ!!」

 彼女は両腕を後ろに組んで、ニッコリとこちらを見つめている。

「贖罪の光が発動するかを決めるのは、自分自身の心だからね!! デフィーナちゃんは、スゴミ君に全部預けるって、決めたんだね!!」


「私が……預ける?」


 デフィーナは僕の抱擁の中で、顔を上げて僕の事を見つめ返していた。

 僕はそれに対して、光ったままの顔面で、軽くニヤけた笑いを作って見せた。


「ええ、僕が裁くまで、勝手に死んじゃ……ダメっすからね?」


 デフィーナは金色の瞳を揺らしながら、その額をゆっくり僕の胸へと押し当てて、毒づいた。


「はぁ、勝手にしなさい。暑苦しいのよ、ほんと……」


 照り付ける真夏の太陽の下で、デフィーナの額に浮き出た汗が、僕のシャツに丸い跡を残していた。

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