第305話・僕が犯した重罪。
暑い暑い、夏の日だった。
太陽は高く登り、セミの鳴き声はけたたましく、止まらない。
ジィジィ、ジクジク……ジーワジーワ。
僕の心が折られた『最低』の小学二年生の夏。
その記憶を追いかけた罪の意識の再現世界で、黒髪赤目の最初のアルハが泣いていた。
教室の机で伏せて泣き、廊下から見つめる僕の方へと顔を向けると、その顔の下から真っ赤な血溜まりがジクジクと広がってくる。
アルハの口が、僅かに動いた。
「最低の物語だったわ……」
その一言に、背中を焼くほどに温まっていた背中が、一気に冷えた。
「ち、違う……。僕は……っ!!」
何が違うのかも分からない。何が最低だったのかも分からない。
脊髄反射のように出てきた言い訳を断ち切るように、突然に轟音が鳴り響き、地面が揺れた。
巨大な金属塊が石の壁を破砕するような音だった。
僕の隣で同じ光景を見ていたデフィーナが、思わず教室の窓に触れる。
「な、なに……!?」
僕もその振動に、窓へと手をついていた。
「爆発……!?」
すると今まで窓だったものは、突如として緑のフェンスへと置き換わり、僕達の指はフェンスの網目に絡みつくように引っかかっていた。
廊下の日陰だったハズの空間に、脳天を刺すような日光が降り注いだ。
気づけば僕達は屋外にいた。見た所学校のグラウンドだ。
それは小学校のグラウンドではなく、高校のグラウンドの隅のフェンスだった。
そして僕の視界の中に、アルハが居た。
彼女はフェンスの向こうで、熱気の立ち込める陥没したアスファルトの上に倒れ、血の池を作って死んでいた。
そしてその頭上には、白い聖衣にステンドグラスの美しい羽を広げた、僕の理想像……『天使さん』が立っていた。
「て、天使さん……!?」
僕は状況も掴めずに困惑していたが、僕はこの風景を知っている。
だが先に口に出したのはデフィーナだった。
「これ、あんたの序章じゃないの……!?」
そうだ。確かにその光景は、僕のドグマの物語の始まりの日、高校のグラウンド脇のアスファルトの上で、天使さんに襲われ、アルハが殺された、始まりの日の光景その物だった。
天使さんは向こうを見て、手を伸ばしていた。
その先には、民家に突き刺さって轟々と黒煙を巻き上げる配送トラック。
天使さんが僕に対して蹴り飛ばし、僕を巻き込んで爆発を起こしたトラックだ。
僕たちが見ている景色は、まさにその直後の状態だった。
先程の鉄塊の潰れる音の正体も、これだったのだろう。
僕達は、ドグマの物語の始まりの日を確認しに来たようだった。
直後、僕達の横のフェンスに飛びつくように、女子生徒が飛びついてきた。
「うわぁ! 事故だ!! すっごい事故ってるよ、アレはぁ!!」
飛びついたその姿は、完全にノリコだった。
体操着に身を包み、少し日焼けしている。
彼女はスマホを出して、事故現場の撮影を始めていた。
「ノリコちゃん……。居たんすね、最初の世界にも……」
僕はポツリと呟いたが、これはもちろん再現映像だ。声が届く事はない。
するとノリコの横に、ガタイの良い男子生徒が飛びついてくる。野球のユニフォームを着ているので、野球部員の一人だろう。
彼は目を丸くしながら、トラックを見たのち、空を見た。
「もしかして、これが宇宙人侵略の影響なのかぁ!?」
宇宙人侵略……。突拍子も無い一言だと一瞬思ったが、空へと軽く視線を移すと、その発言にはすぐに納得した。空には物語の終着点として登場する、超巨大な漆黒の空中ピラミッド『ムー』が鎮座していた。
僕も実際、物語の始まりの日にムーを見た感想は、宇宙人侵略だった。
きっと彼らは、僕が天使さんに殺されそうになっている間、空を見上げて宇宙人の話でもしてたのだろう。
コレは僕が天使さんによって強制的に鏡面突破をさせられた、直後の出来事だ。
僕はこの出来事を見ていないが、実際にあった出来事だと思って間違い無い。
そして僕の身体は、震え出していた。
これは聖典さんの『贖罪の光』による、僕の罪の確認作業。ならば僕は、この日に物語に巻き込まれ、血まみれのアルハを見捨てて逃げ出し、アルハを死なせてしまった。
シグマは、アルハという柱を失った世界は、本物の天使さんがやって来て抹消すると僕に教えた。
そして天使さんの世界抹消は、実際に僕も見た。
それを知ったのは、この日よりも後のことになるのだが、僕は明確に、自分の行動が世界を滅ぼす事に繋がったという、罪悪感を覚えていた。
僕はフェンスから手を離して、口を押さえていた。
「コレって、僕が逃げたから……。その後にどうやって世界が滅んだのか……見せつけるって事なんすか……!?」
……ダメだ。そんなことされたら僕は絶対に、自分の罪に耐えきれない。
贖罪の光は槍となり、僕の顔面を貫く。そんな確信が、ふつふつと湧き出していた。
「だ、ダメっすよコレ……!! 僕はコレは……」
存在しない出口を探して、僕は狼狽えていた。
震え出す僕の右腕を、デフィーナが掴みあげる。
「だ、ダメよ、罪を認めたら……!! あなたは逃げて……その、最悪だったけど。だって、物語の説明も受けて無かったじゃないの!!」
デフィーナは支持者だ。嘘はつけない。
最悪だと思ってるのは本心だ。それに彼女なりの精一杯に理由をつけて取り繕ってくれているのだろうが、僕は悪い所だけを拾って、胸にトゲが刺さったような痛みが加速していた。
「世界も……滅ぼしたけど!! カイみたいにワザと支持者を殺したワケでは無いんだし!!」
僕は頭に手を当ててため息を吐いていた。
「ちょ、ちょっと落ち着いて……。責めるのやめてもらって、良いっすか……」
事実しか言わない慰めが、これ程に傷を抉るだけのストレートパンチになるとは思っていなかった。
僕は僕なりに、この罪悪感を回避する方法を必死に考えていた。
すると、体操着のノリコが天使さんの存在に気づいて声を上げる。
「なんかあの人……天使がいるぞぉ!?」
既にフェンスには校庭にいた野球部員や女子マネージャー達がゾロゾロと集まっていた。その中にはブリアンと同じ顔を持つ、ヒメガミさんの姿もあった。
「天使だよっ!」「……宇宙人じゃない?」
「ってか、人殺してる!?」「なんか、ヤバくない?」
天使さんの足元で絶命したアルハと、煙を上げるトラックと、超巨大空中ピラミッド。
その光景に生徒達の様々な反応が飛び出す中、天使さんはくるりと振り向いてこちら側を見た。
そしてすぐさま片手を上げて、激しく振った。
「あっ! スゴミくぅーん!! 天使さんはね、君を待っていたよぉー!!」
生徒達に困惑が走る。
「本当に天使!?」「え、めっちゃ可愛いじゃん!!」
「ってか、マジカルエンジェルじゃね?」「……何それ」
「昔やってた、エロい深夜アニメっつうか……」
そしてヒメガミさんが小さく反応する。
「スゴミ君……って、今までそこに居たけど……」
ノリコがヒメガミさんを覗き込む。
「スゴミって、誰ぇ?」
「この高校の、同じ学年なんだよっ! さっき私、宇宙船が来る前に、スゴミ君と話してて……!!」
たしかに僕は、天使さんが来る前に、ヒメガミさんと会話していた。
彼女の発言に、僕が消えた後のこの世界がしっかりと生きているという実感が湧いてくる。
それまでは記録の会話をただ眺めていた僕だったが、ふと気づいて再び天使さんを見つめた。
手を振る天使さんの視線は、明らかに僕をロックオンしていた。
「え……僕?」
天使さんはニッコリと笑顔を見せると、ピューと、ひとっ飛びで僕たちのフェンスの前へと飛んできた。
「良かったぁ、スゴミ君が帰ってきてくれるってね、天使さんはずっと信じて、待っていたからねっ!!」
その視線は明らかに僕一人に向いていた。
今の僕は記憶の映像を見ているだけだ。現実に干渉しない精神体のハズの僕なのに、彼女は明確に僕を認識して話しかけている。
僕とは別に、生徒達の困惑と興奮は、様々な反応を見せていた。
「飛んでる!?」と、声を裏返して下がる者。
「綺麗……」と、天使さんに魅了される者。
「マジかよ、エロアニメっつって、見てなかったからなぁ」と、天使さんの白い太ももに目を細める者。
そして、ヒメガミさんは僕を探していた。
「え、スゴミ君……居るの?」
天使さんの視線の先、一般人である彼女には見えない僕の姿を、校庭の奥まで探して、心配そうな視線を移動し続けていた。
そんな中、デフィーナは下がって武器も無いまま格闘の構えを取った。
「なんで天使が、こっち来るのよ!!」
天使さんは優しく微笑んで、僕達の正面のフェンスの前で手のひらを揺らした。
すると消しゴムで軽く擦ったように、フェンスの金網が消滅していく。
「支持者のデフィーナちゃんだね!! わぁ、天使さんは君に会ってみたいなぁってね、ずっと思ってたんだよ!!」
僕がデフィーナと初めて知り合うのは、この出来事の二日後だ。天使さんに通常の時間軸は関係ないらしい。
デフィーナは天使さんを強く睨みつける。
「会ってみたいって……。私を殺して、ナラクの世界を消し去る気!?」
天使さんはアゴに指を当てて、目をパチパチとさせて答える。
「んー、天使さんは物語を真っ白の綺麗にするだけだからね。本当はスゴミ君の所にずっと居たいんだけど、支持者ちゃんがいる間は、待っててね!!」
天使さんの物言いは常に分かりにくいのだが、それは天使さんが『否定』を絶対にしないからだ。否定をしない言い回しで、彼女の言ってる事を解釈すると、コレはシグマが言っていた、支持者という世界の柱のシステムの事だと、僕には分かった。
『アルハちゃんがいる間は待ってて』と言うのは、『デフィーナが居る間は世界を消せない。だからデフィーナが死んだらすぐに世界を消しに来る』という事を意味している。
僕も無邪気に語る天使さんから右足を半歩引き、拳を構えて向き合った。
「天使さんは、聖典さんの贖罪の光の効果で、僕の罪を確定させに来た感じなんすか……?」
天使さんは僕の質問に、目をぱちくりとさせて首を傾げていた。
「ああっ! 聖典さんは、エクリプスだねっ!! そっかぁ、聖典さんが、スゴミ君をここへと連れて来てくれたんだね!!」
会話がチグハグになり始めたが、僕は天使さんが僕の事を絶対に否定しないと言うことは、分かっている。嘘を言わないということも分かっている。
つまりこの『今知りました』的な反応は、天使さんの言葉で言う所の『違う、私は聖典さんとは関係ない』という事だ。
僕は天使さんを睨み上げていた。
「でも天使さんだって、エクリプスじゃ……ないんすか」
僕が質問した瞬間に、デフィーナは取り乱したように声を荒らげた。
「そうよっ!! 天使はエクリプス、殺さなくてはいけない!! この場で天使を殺せば、世界抹消の罪だって……消えるんじゃないの!?」
だが僕はデフィーナには反応せず、ただ息を飲んで天使さんの回答を待っていた。
彼女は目を細めて足を揃え、胸元で指を絡めると、頬を赤らめながら優しく口を結び、語り始めた。
「天使さんはね、スゴミ君だけの、本物の天使さんだからね……」
その発言と共に、天使さんの羽がギラギラと七色の光を弾き飛ばして、世界を歪め始めた。
すると今までガヤガヤと騒ぎ立てていた生徒の集まりが、一斉に気を失って、水を巻いて湿ったグラウンドの上にバタバタと倒れ込んだ。
ヒメガミさんも意識を失い、僕の足元に倒れ込んでいる。
「な、何したんすか!!」
「天使だわ、アルハが死んだから、序章の敵である天使の体に、本物の天使が降りて来たんだわ……!!」
デフィーナはアゴを震わせて後ずさりを始める。
倒れた一般人たちの内、数名の部員とノリコは意識を保って立っていたが、酷いパニック状態で慌てふためいていた。
「うえっ!? みんなどうしたの……集団熱中症……!?」
「ちげぇだろ、コレ、天使の仕業じゃないのか!?」
「俺たち、拐われるのか!?」「地球侵略計画!?」
それぞれがそれぞれの怯え方をして後退する中、ノリコだけは振り向いて校舎に向かって駆け出した。
「良いから職員室だよ……!! 先生、呼んでこないと……!!」
だが、無情にもノリコは10m程走った所で、吊った糸を切ったかのように力を失い、呆気なくグラウンドへと身体を放り投げるように倒れ込んだ。
濡れたグラウンドからは、砂煙すら上がらなかった。
僕は天使さんを見上げて、歯を噛んでいた。
「天使さんがやってるんすか……!!」
「天使さんは、この世界の物語を白くするからね……。人の物語は短いから、先に白くなって行くんだよ」
その説明を受けている間に、倒れた生徒達の身体は、白い泡になって、空気に混じる水蒸気のようにフワフワと消滅して行った。
ヒメガミさんの寝顔が、僕の目の前で光になって消えていく。
「僕のせいっすか……。結局のところ、天使さんは世界のルールで、僕が逃げたから、こうなったって事なんすか……」
僕の声は震えるしか無かった。
そして10m先、コチラに足を向けて倒れるノリコの体が、フワリと風に乗って、粉雪のように空に混じっていった。
それを視界に収めて涙が一粒零れると、僕の頭部は『贖罪の光』による、死の発光を始めていた。




