第300話・落日の帝国。
デフィーナの尻に、僕の顔面がめり込んだ。
「ちょっと、止まらないでくださいっすよ!!」
状況的に下心が全くないと言えば嘘になるが、ハッキリ言って暗いし危ない。僕は顔を離すために、思わず彼女の太もものキメ細かい肌へと触れていた。
「はあ!? 何触ってんのよ! ココ狭くて羽が動かしづらいのよ!!」
僕達は動かないエレベーターが設置された、縦一直線の空洞の中を天使の翼を広げて上昇していた。エレベーター室内程度の幅の狭い空間で羽を広げれば、それはもちろん壁に擦れる。
デフィーナは僕の上を先行しており、その不慣れな飛行で引っかかっているのだ。すると僕の尻を、ブリアンが下から押し上げた。彼女の両手が僕の太ももを押し上げて、股間がゾワッとする。
「わひっ!?」
「エッ!? どうして止まってるの!?」
ブリアンが困惑しながら押し上げるほど、僕の頭はデフィーナへと深く押し付けられてゆく。
「押さないでよっ!! この羽で羽ばたいて、浮力を出さないといけないんでしょ!? 動けなくない!?」
返ってくるのは、デフィーナの至極真っ当な物理的解釈だった。しかし僕は即座に返す。
「魔法少女の羽とか、飾りですから!! 無いと飛べないけど、飛んでる最中に羽ばたく必要とか、無いですからっ!!」
元も子もない事を言っている。と言えば、そうなんだろう。しかし、僕は何十回と見た『マジカルエンジェル』で、魔法少女たちが飛び立つ最初の一回は羽ばたくが、それ以降は滞空時も羽ばたくことは無いので、飛行というよりも浮遊をしている事を知っている。
そして僕が確信をもって、そう認識している以上、ドグマから生成された魔法少女の衣装が生み出す物理現象は、僕の確信に従う。
つまり本当に、羽ばたく意味など無いのだ。するとデフィーナは急にフワリと飛び上がり、垂直のエレベーターの空洞を一気に上昇しはじめた。
「えっ!? ホントに羽ばたかなくていいの!? 何これ、羽があっても邪魔なだけじゃないの!?」
「じゃ、邪魔じゃないっすよ!! マジカルエンジェルなんですからね!?」
下らない問答を続けながらも、三人は出口を目指して登っていく。エレベーターのトンネルは長かった。ドラキール旧市街の天井が200mほどあり、その上の強固な岩盤の上に第三層が成り立っているのだから、当然と言えば当然だ。
エレベーターの出口が近づいてくると、明かりが差し込んでいる穴があり、その先からは悲鳴や機関銃の乱射音が届き始めていた。
ゲーブルトによる、自国民の収穫。
プロメティダのワープ能力によって送り込まれたエクリプスの群れが、大量虐殺を執り行っている。その絶望的な戦場は、ブリディエットの悲劇の日を思い出させていた。
「悲鳴が……本当に、始まってるのね……」
ブリアンは険しい顔を浮かべながら、胸に手を当てていた。
光の差し込む先、先行したストームによって蹴り破られた扉をくぐって外に出ると、そこは普通の民家の部屋だった。ドラキール第三層、ニューシティの白いサイコロ状の民家の二階のようだ。
僕達が出てきたエレベーターこ入口はクローゼットにカモフラージュされており、外から来て何も知らなければ、このエレベーターを見つけるのは至難の業だ。
そして、二階の窓が内側から豪快に割れていた。ストームが出ていった窓だろう。
窓から外を眺めると、真っ白なサイコロ状の建物が規則正しく立ち並ぶその都市の至る所で、黒い煙が上がっているのが確認できた。
そして鳴り響く、エクリプスの雄叫び。
電動ノコギリ同士の刃をぶつけ合うような「ギャリィン」という不快な爆音が、僕らのいた住宅の天井を揺らした。
「とにかく外へ……!!」
僕たちは窓から空へと飛び出した。
広がる真っ白で整然と並べられた街並みの中に、20mクラスのエクリプスが点在している。都市の端まで5kmはありそうな巨大な地下都市の中を、満遍なく襲うように等間隔で出現しているそれらの数は、100か200か。
各地を回って倒そうとしたら、いくら時間があっても足りないくらいだ。
そんな中、僕たちの足元でライフルを手に走る少年の姿があった。僕たちとは面識の無い、ドラキール国民の一般人であろう少年は、目の前の道路の真ん中で、怯えて泣き叫ぶ一組の女性たちへと向かっているようだった。
そして、そのすぐ先には20mのエクリプスが、住宅の屋根に長くて黒い爪をかけ、建物に亀裂を入れながら、歯茎からヨダレのように赤黒い液体を垂れ流している。
少年はその巨大な黒い装甲の怪物に向かって、ライフルを構えた。
「ひ、悲劇を越えて、力とせよっ!! 僕は、引き金を引きます……!!」
彼が大声で叫んだのは、エリオットが遺したドラキール王国の訓示だった。その一言と共に彼はライフルの引き金を引き、その反動で後ろ回転をしながら吹っ飛んでいく。
彼は転んで頭に怪我をしながらも、怯える女性たちに対して声を上げた。
「逃げてくださいっ!! た、建物の中へ……!!」
彼の発砲した弾丸が、エクリプスの黒い装甲へ虚しい砂粒のように降りかかった。その僅かな衝撃に、エクリプスの顔のない黒仮面が、少年たちを狙うべく振り向いた。
瞬間、僕の頭によぎったのは誰でも想像しうる展開だった。エクリプスはもちろん、少年を殺すために動きだす。無論、僕がそれを黙って見ていられるわけがない。
飛び込んで、助ける。
それだけだ。
それだけのハズだったのに、意識を引き裂くかのように、ネオさんからの通信が入った。
「スゴミっ!! 外に出たな、まずは中央の黒い塔を見て、2時の方向に進め!! そこに神格クラスのエクリプスがいる!!」
僕は即座に通信機のボタンを押して返した。
「はいっ!! 一人助けたら、すぐに……っ!!」
僕は究極的に真っ当に返したつもりだった。
目の前には助けられる少年と女性がいる。
今の僕ならば、20mのエクリプスも一発で倒せるはずだ。
だから、助けてから次へ行く。
それは僕にとって当然の流れだった。
しかし、ネオさんは違った。
「ダメだ、すぐ行けっ!! お前そうやって、見た人、見た人、全員を助けるつもりかっ!!」
「え、ええ……!?」
僕はネオさんの言っていることが理解できず、思考も追いついていなかった。しかしネオさんは畳み掛けるように声を荒らげる。
「お前が今している戦いは、10を救うために1を捨てる戦いだ!! 神格エクリプスは、どう考えても通常兵器で倒せる相手じゃねぇ!! お前達がやるしかない、お前たちが早く行けっ!!」
その言葉に反応するように、デフィーナが僕の腕を掴んだ。
「ネオの言う通りだわ、行くわよ、向こうへ……!!」
だが、そのやり取りをしている間にも、巨大エクリプスは少年と女性たちの前まで距離を詰め、5mはあろうかという巨大な日本刀のような爪を振り上げていた。
少年は再びライフルを構えて、エクリプスに射撃をしようとしていた。
「うわあああ!! 死ねっ! 死ねよこいつ!!」
その瞬間に、デフィーナはネオさんの指定ポイントに向けて飛び出して、僕の腕を引っ張っていた。しかし、僕を掴んでいたその指は僕からすっぽ抜け、拳となって握り込まれた。
「ス、スゴミ……ッ!?」
僕はデフィーナの手を振り払っていた。
「すみません、ほっとけなんて、僕、無理っすから……!!」
「おい、スゴミ……ッ!!」
僕は一言叫ぶとネオさんからの声を潰すように通信を切り、少年とエクリプスに向かって急降下していた。
「ドグマ解放────アトラスの剣!!」
僕の右手には真っ白なしょぼい玩具の剣『アトラスの剣』が生成される。僕は少年とエクリプスの間へ割って入ると、すぐさま剣を振り抜いた。
『ピッ』という玩具の剣の効果音が鳴ると共に、エクリプスの巨体が不自然なまでの絶対加速の効果を与える。
切断は無い。
打撃音もない。
衝撃も無い。
飛び上がったその巨体が速度に乗ると、空気を打ち砕く衝撃波と爆裂音が、吹っ飛び中の空中から、遅れて飛んでくる。追うように暴風が巻き上がり、発生した衝撃波が周囲の住宅の窓を一斉に叩き割った。
エクリプスの黒い装甲の体は、その形を一切変えずにニューシティの空を横断し、数キロ先の都市の外壁にぶつかって墨汁のような体液を撒き散らして無惨に潰れた。
住宅地の路地の一角で起きた、一瞬の戦闘。
ガラスが道路へパラパラと落ちてくる音に囲まれ、吹き戻してくる逆風の中で、ライフルの少年はその髪を風に揺らしていた。
「あ、ありがとう……ございます。英雄様……!?」
僕の背中の彼は、僕を賞賛してくれているようだ。
「僕は、英雄じゃないっすよ……」
僕は「やるべきことはやった」という思いとは裏腹に、ネオさんの指示を正面切って断ったという罪悪感にも飲まれていた。
「僕は力を持ってるだけで、勇敢に立ち向かった、君の方が、英雄だと思うっすよ……」
振り向いて少年を見た。エリオットの訓示によって教育されて、無茶な戦場で引き金を引き、英雄になろうとしたのが、彼の行動の本質なんだろう。僕にはそれは分かっていた。
「そんな事無いよ!! こんな強い人、初めて見た……!! エリオット様か、それ以上にカッコよくて……!!」
彼の瞳は純粋に透き通り、憧れを目の当たりにした者の持つ瞳として、光り輝いていた。
僕はそれを、直視することはできなかった。
「とにかく、僕、行く所があるんで……家の中に避難しててくださいっすよ……」
僕はそれだけ言い残し、ふわりと地面を蹴って空中へと飛び上がった。
「はいっ!! 英雄様も、お気をつけて!!」
声高く送り出す少年。それに呼応するように、ずっと怯えていた女性たちが指を組んで祈るように頭を下げて、組んだ手を額に押し当てた。
「ああ、あなたこそ、真の英雄……」
「私の英雄に、心からのありがとうを」
出てくるのは、エリオットの訓示ばかり。僕は確かに彼らを助けたのだが、彼らが一体誰に感謝しているのか、僕にはそれすらも曖昧になり、掴めなくなっていた。
飛び上がる僕を、ブリアンが迎えてくれた。
「私、スゴミは正しいと思うっ!! 目の前の救える命を、見捨てる理由なんて無いもの……!!」
彼女の励ましの言葉は、本気で言っているのが分かったし、僕の事を分かろうとしてくれている事も分かった。
それでも僕は、自分の行動に自信が持てなかった。僕の中では決定的に、ネオさんの指示に背いたと言う事実がのしかかっていたからだ。
「はい、とにかくデフィーナさんを追いましょう……!!」
きっと効率の面で言えば、ネオさんの言っていることが正しくて、僕が少年を助けるために使った数秒で、僕は数十人を見捨てたのだろう。
そんな時間の残酷さが、僕の罪悪感を無意識に逃がさないように繋ぎ止めていたんだと…多分、今はそう思う。
飛び立つ僕の首元で「ジジ……」とノイズ混じりのネオさんからの通信が届き始めて、僕は身構えていた。




