第293話・始まりの王座。
ドラキール王国、国王。
エリオット・ド・ラクロワ。
その名前が出ただけで、僕の背筋を冷たい刺激が貫き、ブリアンの顔はみるみると青ざめていった。
ブリアンの国を奪った張本人であり、ドラキールの将軍たちの上に君臨していた男。彼の死後もその計画がブリアンを束縛し、呪いのように心を侵食し続けている。
ブリアンは声を震わせ、アキュレを睨みつけていた。
「なんであなたが……エリオットを知ってるワケ……?」
アキュレは顔を赤らめ、どこか嬉しそうに視線を伏せた。
「エリオット様は、時おりここへと足を運んでおられました……。あの方だけは、優しくて……」
その一言にネオさんは声を曇らせる。
「……お前に自爆スイッチを渡した男だろ」
「はい……ですが、この基地には精神不安定な能力者が沢山いると……。何かが起きた時に、任せられるのは君しかいないと、彼はそう仰ってスイッチを授けてくださいました」
ネオさんは呆れたような口調で空を仰いだ。
「はっ、良い男の常套句だな……」
その皮肉を受けて、アキュレの頭はますます深く俯いていく。
そんなアキュレの肩へと、ネオさんはそっと手を置いた。
「……で、局長ってのはゲーブルトで、ここの指揮をしてたのもゲーブルトって事で、間違いないんだな?」
その質問に、アキュレは小動物のようにビクリと跳ねる。
「局長について……私から話すことは、なにも……ありません」
「言うと殺されるからか?」
「殺す……っ!?」
その質問にアキュレの顔は一気に白くなり、口を両手で抑え、吐き気に苦しみ出した。
「殺すだけで済むなら……まだ、うっ……うぉえ……」
全身を痙攣させ、発作を起こしたように怯える彼女。
ネオさんはその背中を擦りながら、倒れた椅子を立て直して、アキュレを座らせた。
「悪い。嫌なことを思い出したみたいだな……」
アキュレは額から光を弾くほどの汗を吹き出していた。
しかし荒い呼吸を整える彼女に対して、ネオさんは冷淡に宣言をする。
「私達はこれから、ゲーブルトを殺す。お前が情報をくれたら、お前をゲーブルトの支配から、自由にしてやれるかもしれない」
アキュレは激しく身を起こし、むせながらネオさんに対して声を荒らげた。
「局長を殺すなんて、無理です! やめてください、そう言って何人もの人が局長の機嫌を損ねて……!!」
アキュレがそこまで言いかけると、ネオさんは静かに彼女の椅子から離れて、僕たちの方へと向かってきた。
「って訳で、聞いてもらった通り、局長はゲーブルトだと分かった。アキュレは残るそうだから、まずはヤツの探し方から……」
それを聞いてアキュレは椅子から飛び出して転び、床に這いつくばりながらネオさんを見上げた。
「わ、私は言ってないですよ!! 言ってませんから、局長の事は、なにも……っ!!」
「ああ、分かってる。お前は直接言ってないが、私はそう受け取った」
ネオさんは這いつくばるアキュレへと、冷たい視線を下ろした。
「それに、お前がゲーブルトに、私達の侵入を報告してた事も知っている。ゲーブルトが人の姿を奪う事も、記憶を盗み見て一番されたくない事をしてくるヤツだって事も、分かってる」
アキュレはそれを聞きながら、冷たい床に爪を立て、震えながら小さく首を横に振り続けている。
ネオさんはアキュレへの視線を切ると、僕たちの前へと向き合った。
ブリアンが眉を寄せてネオさんを見つめる。
「ゲーブルトって……軍服に白衣を重ねた、赤い髪の人よね……?」
ネオさんは自爆スイッチを持った手で、頭をかいた。
「衣装は知らねぇけど、顔は赤髪白髪混じりのオッサンだったな。私達の前に出てきた時は、ブリアンの姿で現れたんだよ」
ブリアンは、どっと疲れたようにため息を漏らす。
「はぁ……。最悪だわ……」
僕はそんな彼女の横顔を見ながら、ポツリと呟いた。
「でも、あの人って、虫にも変身するじゃないっすか。見つける事なんて、出来るんすかね……?」
ネオさんは頭をかくのをやめて、無言で自爆スイッチを見つめていた。
「その方法を考えないといけない」
明確な行き詰まり。
ゲーブルトをこちらから仕留めることの不可能性が、重い現実として立ちはだかる。
だがその時、ブリアンが自爆スイッチを見て、目を見開いて指をさした。
「ちょっと、なにそれ……!! ブリディエットの国紋じゃないの……!?」
言われてスイッチを改めて確認する。
それは自爆スイッチと言うにはあまりにも精巧で美しい、アンティークの装飾が施されたハンドルレバーの形をしていた。指に馴染むよう指型に設計されたグリップに、トリガーが備え付けられている。
そして、ハンドルの頭頂部には、気品ある薔薇の花を象った紋章が取り付けられていた。
「見せて、この薔薇の紋章……!! 間違いなく私の国のものよ……!!」
ブリアンは震える手でネオさんからスイッチを受け取り、グリップを握り込んだ。
その瞬間、カチリという乾いた音を立てて、金属製の紋章が蓋を開く。
蓋の中から飛び出したのは、まるで『押してくれ』と誘うかのような赤いボタンだった。
そこには『BB』の文字が刻まれている。
アキュレはボタンを見上げていた。
「そこが開くなんて……知りませんでした」
ネオさんはそれを覗き込み、眉を不快そうに歪める。
「指紋認証か……?」
ボタンに書かれた二文字『BB』は、紛れもなく『ブリアン・ブリディエット』のイニシャルだ。村にもあった『BBの部屋』と同じその二文字に、ブリアンの下顎がカタカタと音を立てて震え始めた。
ブリアンは身体中を硬直させながら、赤いボタンへと親指を伸ばす。
「なんなの……コレ? BBの部屋も、指紋認証で隠し扉が開いたのよ……。そこに短剣と、私への手紙が入ってて……」
彼女は血の気を失った顔で僕へと振り向いた。
「なにこれ……エリオットの悲劇は、まだ私を追いかけて来るの? ねぇ、私、このボタン……押さないといけないの?」
僕は彼女の瞳に宿る恐怖に目を細め、その震える手を包み込んで、ボタンに触れていた指を引き剥がした。
「お、落ち着いてくださいっ!! エリオットの罠って、感情的になるほどハマっていくっていうか……!! 押したら絶対まずいっすから!!」
その瞬間だった。
電気柵の向こう側、王座の裏にある大きな白壁に、プロジェクターの光が走り、映像が映し出された。ドラキール王国の紋章だけの映像と共に、両脇のスピーカーから、聞き違えようのない声が流れてくる。
『やあ、こんにちは。あるいは、こんばんはかも知れないね。ボタンを押さなかったと言うことは、私は相当嫌われてしまったらしい。それはとても、悲劇的なことだね』
落ち着いた口調。諭すような優しさに溢れた、澄み渡る声。
エリオットの声だった。
その全てを見透かしたような語りに、僕とブリアンの警戒心は極限まで引き上げられた。
ブリアンは声を裏返してパニックし始める。
「エリオット……!? なに!? 生きてるの……!? なんで、あなたは私が殺した……!! 私の目の前で、死んだじゃないの!!」
対して、ネオさんが鋭く叱咤する。
「喚くなっ!! これは録音だ!!」
こちらが緊張する一方で、アキュレは希望に満ちた顔をして指を組み、神の降臨を見たように立ち上がり、体を震わせていた。
録音の音声は、優雅なトーンで続く。
「ここは私の、始まりの王座なんだ。君がここへと来てくれたことを、私はとても誇りに思っている。だから少しの間だけ、私の拙い話に耳を傾けて欲しいんだ」
スクリーンの映像が揺れ、一時停止された少年の顔が映し出される。15歳ほどだが、端正で落ち着いた微笑みを浮かべた姿は、目の前の王座にふさわしい高貴さを纏っていた。
それがエリオットの数年前の姿だと、その場にいる全員が瞬時に理解した。
映像の一時停止が解けて、少年の姿が動き始める。
『やあ、いつかの君へ。僕はエリオット・ド・ラクロワ。先日、両親を葬ったんだ。とてもとても、悲しい出来事だった。悲劇的だね……』
ブリアンは首を激しく横に振りながら、後ずさる。
「嘘……嘘だわっ!! だってご両親は、戦争で亡くなったって……!!」
目の前の若いエリオットは、戦慄すべき真実を淡々と白状している。
ブリアンの混乱は、映像の残酷さに追いついていなかった。
僕は息を飲みながら、映像から目を逸らすことは出来なかった。
『僕が両親を葬ったのは、王権が必要だったからだ。本当に優しくも厳格で、良き両親だった……』
映像の中のエリオットは、少し目を閉じ、目頭を押さえた。自分で殺したと宣言しながら、その所作には確かな慈しみと、拭いきれない喪失感が滲んでいる。
若いエリオットはカメラを真っ直ぐに見つめ、姿勢を正して続ける。
『僕が何故こんな事をしたのか、今の君には分からないのだろう。だからこのメッセージは、それを君へと語るために、準備しているんだ』
エリオットはヒザの上から、一冊の本を取り出して開いた。
『僕はまず、シナリオを書き上げたんだ。これからはそのシナリオを形にする為に、尽力していこうと思っている。王権を手に入れたのは、その第一段階として、必要だったからだ』
ブリアンは顔を両手で隠しながら、指の隙間から映像を凝視していた。
「コレ……映像、私と会うより前だわ……っ!! だって私、彼の両親が亡くなってから、二ヶ月目に彼と初めて会ったんだもの!!」
彼女のパニックをよそに、映像は残酷に続く。
『君がこのメッセージを聞いていると言うことは、僕の書いた『悲劇のシナリオ』は、順調に進んでいるという事だ。そして君には今、君と共に命を賭して戦ってくれる、勇敢な仲間達がいるのだろう』
僕は辺りを見回した。
ストームは興味なさげに大剣のエンジンを調整しているが、デフィーナさんもネオさんも眉をひそめて、鋭くお互いを見つめ合っていた。ポラリスは僕の左手に張り付き、冷たい手のひらをしっかりと握りしめてくれている。
エリオットは、映像の中からカメラを指さした。
『僕の物語の、主人公は君だ』
その手は自然と部屋を示すように広がる。
『僕の物語はこの王座の間から始まり、君の物語もこの王座の間から始まる』
ブリアンは爪が白くなるほど、スイッチを強く握りしめていた。
エリオットの表情が一段と険しくなり、開いていた書物を胸元で閉じた。
『本当の物語はここからだ。これからどんなに辛く、苦しくても、どうか諦めないで欲しい』
エリオットの瞳が真剣味を帯び、強く息を込めて語られる。
『悲劇を越えて、力とせよ。君の物語が完成へと至ることを、僕は願っているよ……』
そう言ってエリオットが目を閉じると、それを最後に映像はプツリと途切れ、プロジェクターも沈黙した。
圧倒される一同。
駆け抜ける沈黙。
圧倒的な静寂が王座の間を支配する中で、最初にそれを打ち破ったのはブリアンの叫びだった。
「な、なによっ!! 何が物語ですって、どこまで私を馬鹿にすれば気が済むのよ!!」
はち切れんばかりの怒声を上げ、ブリアンは顔を真っ赤に膨らませながら、手にしていた自爆スイッチを床へと叩きつけた。
鈍い金属音が石畳を叩き、カラカラと滑って転がる。
「あ……っ!」
アキュレは終始映像を恍惚として眺めていたが、投げ出されたスイッチを見て思わず小さな声を漏らしていた。スイッチへと手を伸ばしかけるが、すぐに怯えたようにそれを引っ込める。
僕はデフィーナへと視線を向け、問い質した。
「デフィーナさん、なんなんすかコイツ……!! 物語って、これもシグマと関係があったりするんすか!?」
デフィーナさんは困惑の色を隠せず、口をぽかんと開けている。
「は? 知らないわよ。この時のエリオットはドグマなんて知らないハズだし……」
僕は拳を握りしめ、次にネオさんへと視線を転じた。
「エリオットって、もしかして心核能力者っすか!? 未来を操る能力。みたいな……」
ネオさんは額に冷や汗を浮かべ、表情を硬くしていた。しかし返ってきた言葉は、いつものように冷静な分析だった。
「能力か、能力じゃないか……。それを今ここで確かめる術は無いな」
ネオさんは冷徹な瞳でアキュレを見た。
「だが、確定的なことがひとつある。おい、アキュレ……」
「は、はい……っ!!」
アキュレはスイッチに手を伸ばそうとしては引っ込める、落ち着きの無い動きをしていたが、呼びかけられた瞬間に手を後ろに隠し、怯えたように視線だけを上げてネオさんを見つめた。
そんな彼女に、ネオさんは容赦なく、決定的な言葉を告げる。
「状況が変わった。もうお前は、ゲーブルトを裏切って、情報を渡せ」
「え……!?」
アキュレは声を裏返して動揺し、首が千切れんばかりに高速で左右に振っていた。




