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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第7章・潜入編

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第289話・恐れ知らずのギャンビット10。ノース・スター

 ノリコは自身の脇腹を高速で撫でまわしながら、声を裏返して屈伸していた。


「うぉお、危ねぇ!! ラブたんの体を傷モノにする所だったよぉ!!」


 その叫びにデフィーナが壁に背を付けたまま首を伸ばし、淡々と釘を刺す。

「スゴミは左目の無い半身不随、既にかなりの傷モノよ」


「あっはぁ! たしかにっ!! では噂のラブたん、戻っておいでぇー!!」


 ノリコは無邪気に宣言すると、自身のシャツの襟首を大きく広げ、その白磁のような生肌を覗き込んだ。 それに呼応するようにして、僕の身体がノリコの輪郭から男のシルエットへと戻っていき、本来の姿へと回帰していく。


 その光景に、ネオさんは露骨に顔をしかめた。

「お前……。その変身能力、ゲーブルトみたいだな……」


 僕は自身の胸を覗き込むポーズで、元に戻った。


 即座に開かれたシャツを隠すように腕を抱き、身を縮める。覗き込む形だったシャツの内側の暗がりに、見てはいけないものを見てしまったかのような気がして、体温が急激に上昇する。


「そ……そうすかね!? た、多分アイツ程、下品では無いと思うんすけどね……!?」


 僕が動揺して早口になる中、ネオさんのヘッドギアから再びダートの声が苛立ちを孕んで響く。


『はぁ!? ナイトBロストしたぞ、早すぎ……ってか、何!? ナイトのクセに弱すぎねぇか!?』


 ネオさんは、向こうには決して届かない言葉を低い声で呟いた。

「弱すぎんのはテメェの頭だよ……」

 彼女は続いて、ストームによって無残に両断された透明男の死体を見下ろす。

「コイツの能力、持久戦に持ち込まれてたらマジでやばかった……。この先の敵、能力や密室を使われるといちいちマズイな」


 デフィーナが周囲を警戒しながら、ネオさんの様子を伺う。

「敵はあと、どれくらい居るのかしら……?」


「ダートの能力はチェス通りっぽいからな。ポーン8、ナイト2、ビショップ2、ルーク2、クイーン1、キングがダートだろうから……」


「ビショップ、ルークの二人づつと、クイーンで……五人いるって事っすか……?」


「規定通りなら、そうなるな」


 僕達が息を呑んで答えを導きだした瞬間、通信越しにダートが間抜けにも情報漏洩をかましてくる。


『まぁいい、ポーンは様子見、ナイトは当て馬……。真の勝負はビショップとルーク、そしてクイーンの最強駒が決定する……!!』

 上擦った声が、ケタケタと歪な笑いに変わっていく。

『E2マスにて、四人が部屋に入った瞬間、四方向からの同時テイクをかける!! アキュレ、このテイク成功時の、敵の突破確率はいくつだ?』


『はい……その前提条件ですと、突破率は0%です』


 それを受けてダートは鼻で笑い、声を一段と引きつらせた。

『ククク……良いねぇ。突破率0%、つまりはチェックメイトだ』

 ガタンと椅子を跳ねる音が、通信越しに届く。

『では暫くは紅茶でも飲んで、優雅に待機と意気込もうじゃないか。アキュレ、接近報告は怠るなよ?』


『はい……。一番近いスゴミが、E2ルームまで294m42cm。今は立ち止まっています』


 白塗りだった空間が元の応接間の風景へと戻っていくと、僕の背中にピタリと張り付くようにして現れたドアから、ピィと高いすきま風の音が鳴り響いた。まるで、僕たちを暗闇の最深部へと誘う音のようだ。


 僕は扉へと手をかけた。部屋の先には短く薄暗い廊下があり、再び部屋の扉が現れる。

「部屋の先に……部屋……」


 疲れ切った僕のボヤキを塞ぐように、ネオさんが横へと並び立つ。

「昔の防空壕から、地下シェルター基地になっただろうからな。部屋の先に部屋があるのが普通の構造だ。300メートルあるってのは、気が滅入るけどな」

 言いながらネオさんは、胸に抱いていた火傷少女を、僕へとそっと差し出した。

「お前が持ってろ。冷やすんだろ」


「は……はいっ!!」


 幼く眠る瞳に、痛々しく焼けただれた皮膚。僕がしてしまった責任に、向き合う方法があるとすれば、彼女を生き延びさせる事しかない。僕が両手を出してその小さな体を受け取ろうと思った瞬間、少女は目を覚ました。


「置いてかないで……」


 ポツリと呟かれた、小さな一言。


 それと同時に、少女の『強制抱擁』の能力が発動する。


 僕の腕へと少女を渡そうとしていたネオさんの動きは、急遽少女を抱き寄せてその背中へとしっかりと腕を回した。ネオさんは困惑した顔で少女と僕を交互に見る。


「お……おい。私じゃねぇだろ。お前、体冷やさないと……」


 それを見て僕も前へと出た。

「あの……君、ごめんね。僕がその……。君をそんな風に……」


 僕は左腕を零極さんの黒腕に変えて、冷気を出しながら近寄った。

 しかし少女はネオさんの胸へと顔を埋めた。

「ママ……ママ? 離さないで、嫌……」


 そのやり取りを見ていたストームが、にらみを利かせて扉へと近寄って来る。

「何してんだ。さっさと行くんじゃねぇのかよ」


 それに乗るようにして、デフィーナもネオさんの向こうから身を乗り出した。

「ネオに子供は居ないのよ。早くスゴミが持ちなさい」


 少女は声を震わせて、ネオさんの胸へと額を押し付ける。

「嫌、嫌……離さないで、ママ……!!」


 僕はそれを見て、どうすれば良いのか分からなかった。僕は少女を焼いた張本人だ。恐れられても無理はないと思うし、この子がネオさんが良いって言うならば、その方が良い気もするし、作戦の迷惑を作ってしまった罪悪感もある。


「えっと……」


 後頭部に手を当てて、出す言葉が見つからない。

 ネオさんも眉間にシワを寄せて考えているようだった。

 デフィーナも苛立ちを隠しきれずに、近寄って行く。

「ちょっと、ネオ……?」


 しかしネオさんは、急に真剣な真顔になると、少女を抱きしめたままでデフィーナへと停止のハンドサインを出した。

 そして少女を覗き込むようにして声をかける。その声は急遽に高く、従来の野性的な声からは遠い、柔らかいものに変わっていた。


「だいじょうぶ、ママはどこにも行かないよ」


 言いながら彼女は少女の背中を軽くさすりながらしゃがみ、少女の足を地につかせた。

 少女は自分の足で立ったが、その体はネオさんへと寄りかかるように前へと伸びている。

「ママっ!! ママ、いや……!! 置いてかないで……!!」


 その声に縛られるように、ネオさんが少女の背中へと回す腕に力が籠る。

「置いてかない。ママはずっと一緒だよ。そうだお名前、お名前はなんて言うのかな?」


 そのやり取りに、僕は口をポカンと開けていた。ママを自称しながら、子供の名前を聞くという一見矛盾したやり取りが、優しく諭すようであり自然で、不思議なのに、全然おかしく見えなかった。


 少女はネオさんの肩へと頭を当てて、首を横に振って声を強めた。

「名前……。名前なんて知らないっ!! いい子にするの! だから、だから……!!」


 ネオさんは、少女の頭をそっと撫でて、顔を離して目を合わせた。

「そっか、いい子は、ママのお話、聞いてくれるかな?」


「うん……。聞くの。いい子にするの……」


「えらいね。じゃあ、ママがあなたのお名前、つけても良いかな?」


 少女は静かに一回、小さく頷いた。

 それに合わせてネオさんは慈しむような笑顔を作り、少女の華奢な両肩へと優しく手を置く。

「じゃあね、お名前は『ポラリス』。そう呼ぶけど、大丈夫かな?」


「ポラリス……?」


「そう、みんなが探したがる、お空の真ん中のお星様と、同じ名前!」


 ネオがそう言って屈託のない笑顔を近づけると、少女は焼けた顔の口元を僅かに緩め、何度も頭を縦に振った。

 続いてネオは少女としっかりと手を繋ぎ、立ち上がる。その表情は一瞬にして切り替わり、戦場に立つ強者のそれへと引き締まっていた。


「能力は解除された。だがこの子は連れていく」


 それは僕にとって、何よりも救いとなる一言だった。

「はいっ! よろしくお願いします!!」


 僕が威勢よく返事をすると、少女の澄んだ視線が真っ直ぐに僕を射抜く。顔の皮膚は痛々しく赤く腫れ上がり、髪の毛先も熱に焼かれて縮れていた。しかし、その白目は穢れひとつなく輝いて、青みがかった瞳は透き通るように美しい。


「わたしね、ポラリスって言うのっ!! お星様の名前なの!!」


 少女は僕を見るなり、たった今授けられたばかりの名前を誇らしげに掲げ、元気いっぱいに自己紹介をしてきた。

 ほんの少し前まで瀕死の状態にあったとは思えないほどの生命力に、僕は圧倒されるように言葉を返す。


「えっと、僕はスゴミっす……。凄い蛇って意味です……」


 その距離のあるやり取りに、ネオさんが優しく割り込む。ポラリスの手を引いたまま、目線を合わせて語り掛けた。

「ポラリスは身体、ヒリヒリするだろ? このお兄ちゃんが冷やしてくれるから、一緒に行けるか?」


 ポラリスはネオの顔を見上げて、どこか不安げに問いかける。

「ママは?」


「もちろん一緒さ、このお兄ちゃんとママは、とっても仲良しなんだ。ポラリスのことは、どこにも置いて行かないからな」


「うんっ! じゃあポラリスはスゴミと居れば良いんだねっ!!」


 そう言うとポラリスはネオさんの手を引いて僕の側まで歩み寄り、僕の左手をぎゅっと握りしめた。

 ポラリスを挟んで、左右に僕とネオさんが並ぶ形になる。思わず僕とネオさんは視線を交わした。


 ネオさんは少し気まずそうに、ポラリスへと視線を落とす。

「あのな、スゴミお兄ちゃんと一緒にいれば、冷やせるからな……?」


「うんっ! ずっと一緒に居るからねっ! 行こっ!!」


 敵の拠点の最深部。


 その奥へと続く重厚な扉を、最初にくぐり抜けたのはポラリスだった。

 彼女の無垢な背中に引かれるようにして、僕とネオは狭い扉の間を譲り合うように通過する。後方からは、ストームとデフィーナが静かに、しかし警戒を怠らずに続いてきた。


 それと同時に、ネオさんのヘッドホンがアキュレの通信を拾い上げる。


『目標、移動を開始しました。E2ルームまで、293m84cm……』


 ダートの用意したデストラップ。上位駒四体による包囲先制攻撃。

 その死地へと向かう先頭を導くのは、無力で傷ついた、ただの少女だった。

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