第288話・恐れ知らずのギャンビット9。インビジブルソルジャー
ノリコの灼熱の蹴りが男の巨体を跳ね飛ばした瞬間、足を広げるように固定されていた鉄棒とロープの拘束が、パチンと小気味よい音を立てて解除された。
ノリコは着地の衝撃を柔らかく受け流し、両手を高く突き上げた。
「ハイッ!! 本日の轢き逃げはぁ、十点、十点十点十点、百点満点〜!!」
僕の身体がノリコへと変身し、巨漢を蹴り飛ばすまでの一連の動作は、一秒にも満たない瞬間の出来事だった。
動き出した時間の中で、最初に声を出したのはストームだった。僕へと覆いかぶさっていた彼は、弾き飛ばされて床に叩きつけられた先から呻き声を漏らす。
「うぐ……っ、な、何が爆発しやがった……」
次に聞こえたのは、巨漢の鉈攻撃を受ける所だったネオさんの声だ。
「ノ、ノリコ……!? お前どうして……えっ!?」
ネオさんはノリコに変身した僕を見るのは初めてだ。厳密にいえば列車の戦いで顔を合わせているのだが、その記憶は敵の巻き戻し能力によって完全に消去されている。
だがそれを説明している猶予など無い。間髪入れず、背後からデフィーナの鋭い詠唱が飛んで来た。
「シャドープリズン・コンファイン……!!」
彼女の翼の裏から、影の鎖を纏った極大の槍が射出される。音も気配も無く直進して僕の脇を掠めたその矛は、壁へと叩きつけられた巨漢を貫いた。槍による貫通ダメージはないものの、影縫いの効果がその身体を空中で完全に固定した。
ノリコの強烈なキックで胸と背中を強打されていた巨漢は、口からどす黒い血を吐き出しながら、首をあらぬ方向へと固定されたまま硬直する。
「なんだ……女……? 蹴り……? 足だ!! 新しい女の足が、俺を蹴り……」
男は混乱に陥りながらも、その濁った瞳には未だ強い執着が宿っていた。
「見なきゃ、足の裏を!! 全部、体、動かねぇ……なんだ?」
男の独り言のような困惑に、背後からデフィーナの切迫した声が飛ぶ。
「動きは止めたわ! 補給が無い、私、動けないから……! 早く殺せ、その男を……っ!!」
即座に反応したのは、ネオさんだった。
大きな白の機械槍を構え、切っ先を突き出しながら男へと急速に接近する。
「おい、どうだよ、動けない気分ってのは」
「動けない……? 違うぞ!! 動けなくなったのはママンの方だ、毎日毎日蹴り飛ばしやがって、だから足だけにしてやった……ああっ!?」
巨漢は身動きが取れないままに錯乱していたが、引っかかりを得たように歪んだ笑みを浮かべ、声を荒らげていった。
「そうだ女の足……!! 今俺を蹴った女だ、足を見せろぉ! 最高だ、今の蹴りは、この俺に、この俺に足……!!」
ボルテージが昂り、最期まで醜悪な欲求を吐き出す巨漢の喉元へ、ネオさんの大槍が容赦なく突き出された。
「救えねぇな。死刑の代行だ」
「グボッ……!!」
幾重にも重なるたるんだ皮膚に包まれた肉厚な喉を、大槍が突き抜ける。男は盛大に血を噴き出して、白目を剥いて痙攣した。
「最後の蹴り女、足を……見せて……」
最後まで足に執着する男の核心に、ノリコは無言で眉を寄せて自身の太ももをさすっていた。
ついで、デフィーナがシャドープリズンの影縫いを解除する。
「……死んだわね」
巨漢は力なく崩れ落ち、その質量を伴った巨体が鈍い音を立てて床へと転がった。
敵は倒れた。
しかしそこからのネオさんの行動は早かった。彼女は床に転がっていた天使さんの像から火傷の少女を抱き上げると、弾かれるように壁際まで走り、その背中を壁に預けた。
「もう一人は見えないヤツだ。壁を背にして機関銃の攻撃に備えろっ!!」
鋭い指示を受けて、ノリコとデフィーナは即座に動き、ネオさんが張り付いた壁の隣へとピタリと張り付く。
ネオさんは隣に並んだノリコの胸元から足先まで、怪訝そうな眼差しで値踏みするように目配せをした。
「ノリコ……だよな? なんだよそれ、スゴミはどうした……?」
ノリコは声を裏返して、照れ隠しのように頬をかいた。
「ううん、ウチはスゴミっちだよぉ!? 今は訳あって美少女天使ノリコちゃんに変身中なんだよぉ!?」
ネオは床に転がったままの天使さん像へ視線を移し、小さく溜息をついて目を細めた。
「そうか、アイツの能力だってなら、今更何も言わねぇけどさ……」
そしてその視線は、流れるように部屋の中央へと向けられる。
「おいバカか、ストーム!! 壁際って言っただろうがっ!!」
その視線の先、部屋のど真ん中にストームが孤立して立っていた。
肩からは鮮血を滴らせ、エンジン付きの大剣を引き摺りながら、重低音の唸りを上げるエンジン音と共に佇んでいる。
ストームは顎をしゃくりあげ、ネオさんを見下ろして不敵に鼻で笑った。
「ああっ? 馬鹿はテメェらだろ!!」
そう吐き捨てながらも、その鋭い視線は獲物を探すように、右へ左へと目まぐるしく走る。
「敵は見えねぇんだぞ。姿を出した瞬間にぶっ殺すには、部屋の真ん中が一番良いに決まってんだろうが!!」
それを聞いたノリコは、冷めた感情を瞳に宿し、気の抜けた棒読みで返す。
「わぁお、そりゃあ、先手必勝の極地だねぇー」
ストームはニヤりと唇を歪め、ノリコを獲物を狙う獣のように睨み返した。
「おう、バイク女は分かってんな!! 先手必勝、一撃必殺だ!!」
ノリコはネオさんに向かって悪戯っぽく舌を出し、こめかみで指をクルクルと回してからパーの手に開いた。無言で伝える『アイツ馬鹿』のジェスチャーだった。
するとネオさんのヘッドギアがノイズを孕んだ通信を拾い、敵将ダートの卑劣な笑い声を傍受する。
『バカだなぁ……。せっかく先制攻撃、させたのにさぁ?』
気だるげに響くしゃがれた声が、毒のように僕の意識を黒いモヤで汚していく。
『はいはい、ナイトAはロストね。おいアキュレ、敵は何人生き残った?』
返ってきたのは、アキュレの自信なさげで消え入りそうな声だ。
『えっと、女性が一人増えて……。スゴミが居なくなって……? ええと、五名……いや、子供のポーンが抜きなので……四名、です』
『はぁ? 何人って……?』
『……四名です』
その報告で、ダートの声がヒステリックに裏返る。
『えっ!? なんで、こっちは先制攻撃したんだぞっ!! なんで一人も死んで無いんだよ……っ!!』
『えっと、先制攻撃は、スゴミが壁を持っていて、止めました。でも今はスゴミは居なくて、女性が増えてます……』
『なにそれ、壁ぇ!? ある訳ないだろ、俺のギャンビットは戦闘マスの障害物を全部消すんだぞ!? 機関銃防げるわけないでしょ……!!』
『はい……すみません。でも、壁が……あったので……』
通信の全容を聞いていたノリコは、ネオの顔を覗き込みながら、これ以上ないほどのドヤ顔で親指を立ててみせた。
「いやぁ、すみませんねぇ。ウチのラブたんが大活躍でぇ?」
それをネオの肩越しに、デフィーナが冷ややかな視線で覗き込む。
「ってかあんた、いつまで出てるのよ。スゴミは戻ってくるんでしょうね……」
「大丈夫よぉ、透明人間倒したら出てくるってさ」
「あっそう……」
通信音声ではダートの中身のない小言が続いていたが、やがて彼はフッと意識を別の場所へと逸らした。
『ってか、戦闘マス出ててナイトB残ってんだけど、ナイトBは何してるわけ……?』
畳み掛けられる責め言葉に、アキュレの呼吸音は極限まで細く、震えていた。
『えっと……いま……せん。敵は、四名。コチラに兵士、無し……。突破率は、100%……』
『はあっ!? いない訳ねぇだろっ!! ナイトB、その部屋にいるから!! 俺の能力はそれが分かるのっ!! 何その機械、壊れてんじゃないの!? ちゃんと整備してんの!?』
『い……ひぐっ……。私、機械、分からなくて……』
苛立つダートの怒鳴り声に、こちら側の苛立ちも募っていく。ネオさんは険しい表情で眉間に深い皺を寄せて呟いた。
「アキュレの場所感知は、能力じゃなくてソナーみたいな機械でやってるって事か……。それが感知出来ないってなると、このナイトBは単に見えないって訳じゃねぇな……」
ノリコはネオの顔を覗き込み、首を傾げた。
「どーゆー事?」
「実体があって見えないだけなら、火炎放射器とかで炙り出せると思ったがな。消えてる間はそもそも物理干渉を受けないって事なのかも」
「それって、敵が自分で出て来るまで、何も出来ないって事……?」
ネオさんの額から、一筋の冷や汗が滴る。
「ああ……そうなるな。こっちが疲れて寝るまで待つとか、追加援軍で先制攻撃されると、かなりマズイが……」
ノリコは両手で口を押さえ、おろおろと周囲を見渡した。
「うわぁ……。おトイレ行きたくなったら、どうしよう……」
ネオさんは息を呑み、天井を見上げて絶望的な顔で歯を噛みしめた。
「それは……ヤベェな……」
しかし、その杞憂はすぐに断ち切られた。
沈黙を破ったのは、癇癪を起こしたダートの苛烈な罵声だった。
『何やってんだよ、ナイトBはっ!! 早く殺せよ!! ナイトB攻撃! 攻撃攻撃攻撃ぃー!! ナイトの能力で敵四人をまとめて抹殺……ッ!!』
その言葉が合図となるかのように、ノリコの僅か50cm隣の空間が歪んだ。
まるでコマが切り替わったかのように、ナイトBである眉毛の長い中年男性が出現する。
気づかないうちに、触れられる程の距離にまで迫っていた男。
その出現にノリコがビクリと跳ね上がった瞬間、彼は焦燥に駆られた様子で機関銃を持ち上げながら喚き散らした。
「ああああ!! 何やってんだよアイツゥ!! 攻撃って!? 馬鹿じゃねぇのかっ!!」
命令に縛られた男は、即座に機関銃の銃口を、ノリコの脇腹へと押し当てる。
「見るな見るな見るな! 俺を見つけるな、俺は居ない、俺は居な……」
肝が冷える一瞬。
男がトリガーを引くよりも早く動き出していたのは、部屋の中央で好機をうかがっていたストームだった。
ストームは男の出現に脊髄反射の如き速度で反応すると、エンジンが唸る大剣のアクセルを全力で捻った。大剣の爆発機構が作動して、鋼鉄の巨塊が轟音と共に唸りを上げる。
「出たなカスがっ!! 死ねェー!!」
大振りの大剣が天井を削りながら振り下ろされる。暴力的な速度と質量が、ノリコの真横にいたナイトBを捉え、その身体を縦真っ二つに切断した。
男は絶叫さえ上げられず、壁に縦一文字の鮮血を刻んで絶命する。
耳を擦り付けるようにして、その亡骸は床へと崩れ落ちた。




