第287話・恐れ知らずのギャンビット8。レディ・ゴー
「まず結論から言います。君の体の操作を私と交代。それであの男の始末は完了します」
彼女の青い瞳が、氷のように煌めく前髪の隙間から僕を静かに射抜いていた。
敵生まれの零極さん。その無数の死の集合体が意思を獲得したという存在は賢く、彼女の口から紡がれる合理的な思考は、概ね正しい。
しかし僕がそれに回答するよりも早く、隣に立つデフィーナが低く唸り声を上げ、彼女を鋭く睨みつけた。
「無しね。エクリプスに意識を渡すなんて、論外だわ」
零極さんは、デフィーナの敵意を受け流すように即座に返す。
「はい。そう言うと思いましたので、結論から言いました」
それを受けて、ノリコがちゃぶ台の上のチェス盤から、氷のナイトを掴んで立ち上がった。
「でもラブたんは足縛られてて、ネオっちがやられるまで0.6秒なんでしょ? 1アクションしか取れないって言うか、ファルコンストライクでちゃぶ台飛ばすしか無くない?」
言いながら前に出て、指先で氷のナイトを指で弾いて無造作に投げ捨てた。
零極さんは、ただ顔の角度だけをノリコへと向ける。
「ファルコンストライクには、起動から発射までの溜めがありますので、間に合いません。冷気や炎の遠隔攻撃ではネオを巻き込みますので、接近するしかありません」
僕は理路整然とした彼女の声に押され、ゆっくりと視線を上げた。
「……零極さんに交代すると、すぐに倒せるんすか?」
デフィーナが苛立ち混じりに僕の服の裾を掴む。
「ちょっと、スゴミ……!?」
零極さんは両手をだらりと下げ、わずかな間を置いて淡々と話し始めた。
「はい。敵の能力は足の拘束。男性は床に縫い付けられ、女性は足を敵に向けられて引っ張られる。極めて不快な能力です」
ノリコが両手を掲げて騒ぎ立てる。
「待って待って、それって、零極さんに交代したら、足パッカァ!って開かされて、戦えなくなっちゃわない!?」
「はい。天使像が拘束の能力を受けている事から、敵の能力はヤツが女性だと認識した者の足を、ヤツへと向ける能力です。私の体は女性なので、交代した瞬間に私はヤツへと足を向けることになるでしょう」
デフィーナは腕を組んで鼻を鳴らした。
「はっ、結局交代しても何も変わらないじゃないの、あんたは氷しか出さないワケだし」
零極さんは即座に否定した。
「いえ、男性は床に縛り付けられるので動けませんが、女性体なら『ヤツに近寄る分には』制限がありません。私は交代してから0.3秒以内に距離を詰めて、ヤツの首を跳ねる事が出来ます」
僕は喉の奥で呼吸を震わせながら、彼女の瞳を見つめた。
「それが一番確実なら……僕は零極さんに任せたいと思うんすけど……」
か細い声で言いかけたその時、デフィーナの拳が僕の腹部へと容赦なく叩き込まれた。
「いい加減にしなさいっ!!」
「ぐふっ!!」
衝撃に呻いた瞬間、零極さんが手首を翻す。見えないほどの速度でブレードが繰り出され、デフィーナの首元に突きつけられていた。
「スゴミ君に暴力を振るわないでください」
デフィーナの身体が、凍りついたようにその場で硬直する。
「ぐっ……何よ、やる気?」
空気が凍りつく中、ノリコが割って入り、零極さんのブレードを掴んで無理やり下ろさせた。
「まぁまぁ! 喧嘩しないでっ! 近寄る分には制限無いってならさ、デフィちゃんが近寄る分にも制限無いって事だよねっ!?」
零極さんは腕をだらりと垂らしたまま、氷のように冷たい息を吐いて告げた。
「そうですが、デフィーナは剣を両方失っていますし、0.6秒で距離を詰めてヤツを殺す手段がありません」
デフィーナは一歩身を引きながら、震えた声で睨み返す。
「……見下してるワケ?」
「いいえ、事実です。事態は一刻を争いますので、無駄な会話は省きましょう」
僕は腹をさすりながら、すがるような思いでデフィーナへと振り向いた。
「いやでも、デフィーナさんの『シャドープリズンコンファイン』なら!! アレなら鉈男の動き止めるの、間に合うんじゃないっすか!?」
「無理よ……。だってあれ、変なポーズしないと出て来ないじゃない……」
「あ、あぁ……」
魔法少女アニメ、マジカルエンジェルにおいて『シャドープリズンコンファイン』は一度だけ登場する必殺技だった。胸元に指でハートを作り、解き放つように両腕を広げる特殊ポーズ。僕が何十回と閲覧したそのシーンは、記憶の中で『この技と言えばコレ』と完全に紐付いている。デフィーナの主張は、紛れもない事実だった。
僕は零極さんへと、チラリと流し目を送る。
デフィーナさえ拒否しなければ、零極さんに身体を渡すのが最短の道だ。
火傷少女を焼いてしまった時は、選択をするのに考える時間すらなかったが、あの絶望と違い、今はまだデフィーナと直接言葉を交わす時間がある。
僕はデフィーナの肩へと、そっと手を置いた。
「デフィーナさん……。僕は零極さんは、悪いエクリプスじゃないと思うんすよ……」
デフィーナは僕が口を開くや否や、刃物のような鋭い瞳で僕を睨み上げた。
「ダメよ。エクリプスに渡させるくらいなら、あなたを殺して物語を終わらせるわ。最初からそう言ってるわよね……」
──沈黙。
会議が停止する。
張り詰めた空気が空間を支配し、思考が停止する。
重圧が肌にまとわりつく中、僕は焦燥に駆られて右手を前に突き出した。
右手の先が白くうねり、秘密の食卓のちゃぶ台が生成される。
「ファルコンストライクを詠唱しないで……いきなり発射とか。エンジンかけないで、0.6秒で飛ばして……」
零極さんは表情を変えぬまま、冷徹に告げた。
「着弾までに0.1秒かかるとして、猶予は0.5秒。ヤツの鉈がネオに届くのが0.6秒なので、実際はもっと時間はありません……」
彼女の瞳に、わずかなゆらぎが生じる。
「スゴミ君、君に出来るのですか? 君が出来るという信念を持つならば止めませんが、私は君に損失の絶望を与えたくはない」
「出来るかは……。やるしかないって言うか……」
僕が声を震わせていると、ノリコが前に出てちゃぶ台を抱きしめ、場違いなほど高い声を上げた。
「いやぁ、ラブたんってばさぁ!! 困ればすぐにノリコちゃんの『秘密の食卓』って感じだよねぇ!!」
「ノリコちゃん……?」
「ラブたん、ココはウチが交代して行こうじゃないかっ!! あのキモイオッサンに足向けるのは嫌だけどさ、ウチはラブたんの為ならお股のひとつやふたつ、開いたってなんの事は無いからねっ!!」
デフィーナが今度はノリコを睨みあげる。
「何言ってるの? 言ってること気持ち悪いんだけど……」
ノリコは自慢げに胸を張り、自身の心臓あたりに手を当てた。
「ラブたんとウチが交代する! そしたらノリコちゃんは可愛い女の子だから? 敵に接近できるって訳でしょ?」
ノリコは狭い場所で、弾けるようにキックの素振りを始めた。
「ノリコちゃんのスペシャルな足技を、あのオッサンにお見舞いしてやろうじゃないの!!」
零極さんはノリコの後ろから、その肩へと静かに手を置いた。
「間に合うのですか? 私の見た中では、寝転んだ体勢で正面へ飛んで一撃を与える攻撃は、ヒーローハートの中には無いようですが」
ノリコは得意げに人差し指を振る。
「ちっちっち、ゼロちゃん、ドグマはラブたんが出来ると思うかって話なんでしょ?」
彼女の群青色の瞳が、僕の深くを突き刺すように、まっすぐと向けられた。
「ウチがネオっちを助けるために、真っ直ぐ爆走して、速攻で敵をぶっ飛ばす!! ラブたんがソレを出来るって信じられるか。重要なのってソコじゃなぁい?」
零極さんの困惑に揺れる視線と、ノリコの情熱的な視線が、僕に選択を迫っていた。
だが、この選択は僕にとってあまりにも容易で、揺るぎなく視線を返すことができた。
「それは、出来ますね。それで行きましょう」
「さっすがラブたん、信頼の証~ぃ!!」
デフィーナは、救いを求めるような、あるいは何かに恐れおののくような瞳で、僕を見上げていた。
「スゴミ……」
零極さんもまた、言葉を失ったように呆気にとられた表情でノリコを見つめている。
しかし当のノリコは、周囲の困惑などどこ吹く風で。鳥のように両腕を後ろへと伸ばし、パタパタと小刻みに揺らした。
「きぇえ!! アタシは鳥っ!! 真っ直ぐにぶっ飛ばすのは、ロケットブースター!!」
その光景に、零極さんは眉間に深い皺を刻んで一歩身を引いた。
「何をしてるのですか……?」
「イメトレだよぉ! イメトレ!! 0.6秒以内にぶっ飛んでく、イメージトレーニングっ!!」
零極は焦燥に駆られた様子で、僕へと視線を投げかける。
「だ、大丈夫なんですか……!? この人、本当に……っ!!」
僕は真っ直ぐに彼女達を視界に収め、迷いのない声で告げた。
「大丈夫っすよ。ノリコちゃんとネオさんの連携は凄いんですから。ただ、ぶっ飛んく時の決めゼリフは、決めといた方が良いっすよ。ノリコちゃん……」
ノリコはキョトンとした顔で停止して僕を見つめ返したのち、弾けるような笑顔で親指を立てた。
「大丈夫、大丈夫!! ノリコちゃんはねぇ、決めゼリフは、バッチリ決めてあるからっ!!」
流れるように手を組み替え、三本の指を立てる。
「スリーツーワンで行っちゃってぇー!! ウチはいつでもばっちこーい!!」
「はい、お願いします……」
僕は右手からちゃぶ台を霧散させると、ノリコに歩み寄ってその肩に手を置いた。
「僕とノリコは一体化。僕の体をノリコに預け、ヒーローハートを発動します」
ノリコの身体が眩い光に包まれる。空色のバイクウェアが瞬く間に変身し、勇者の魔法少女の姿へと書き換わっていった。
ノリコは天を指し、高らかに叫ぶ。
「エンジェルハート・フォールインっ!!」
青い鎧、赤く翻るマントとスカート、金のティアラに白い翼。果敢なる魔法天使、ノリコを包むヒーローハートの顕現が、デフィーナの精神空間を熱気で満たしていく。
僕は静かにカウントダウンを開始した。
「行きます、0.6秒の救出劇まで……3……2……1……」
「盤面ひっくり返すぜぇ!! レディ・ゴォー!!」
ノリコの裏返るような奇声と共に、精神空間は白く反転して現実が戻って来た。
視界に戻ったのは白い天井、ダートが展開したデスゲームの部屋だ。
僕の意識はノリコの身体に収まったまま、状況を眺めていた。
ノリコの体は、僕を守る為に覆いかぶさった、ストームの下へと埋まっていた。
敵へと身を乗り出す向きだった僕の身体は、ノリコの身体になることで強制的に敵へと足を向ける形へと反転する。
その勢いが被さっていたストームを跳ね飛ばした。
「おいっ!?」
だが、その刹那の回転の中で、ノリコは背中の翼を炎へと変貌させた。
ジェット噴射のごとき炎の翼が床を焦がし、凄まじい推進力を生み出す。
ここまでが0.1秒。
足首には女性拘束用の忌まわしき鉄棒がついていた。ノリコの足もキッチリと固定され、肩幅ほどの広さに強制的に開かされている。
ノリコはスカートを両手でしっかりと押さえ込み、必殺の決めゼリフを戦場に響かせた。
「パンツ見てんじゃねぇ!! このデブがぁ――!!」
足が固定されようとも、ロープの弛みは接近を許していた。光輝くノリコの足が巨漢の胸元へ突き刺さった瞬間、ダイナマイトのような爆音が鼓膜を打つ。
「ぐぼぁっ!!」
灼熱の炎に包まれ、巨漢は壁面まで吹き飛ばされた。その太い腕に握られていた鉈が、無情に力を失い、空を舞った。




