第284話・恐れ知らずのギャンビット5。ヴァリアントサクリファイス
「……あの、ギャンビットって、一体なんすか?」
純粋な疑問として、僕はネオさんに問いかけていた。
「駒を意図的に相手に差し出すことで全体の有利をもぎ取る、チェスの『犠牲戦術』ってやつだな」
ネオさんはガッチリと腕を組んで、真っ直ぐに僕の目を見て返してくる。
「駒を差し出すって……それ、何をする気なんすか……」
僕は本能的に嫌な予感がして、腕の中に抱く火傷まみれの少女の身体を、そっと自分の方へと引き寄せながら持ち直した。
ネオさんはコード付きのナイフの切っ先を、僕たちの行く手にある重々しい扉へと鋭く突きつけた。
「この扉を越えると、敵は『テイク』を仕掛けてきて、先制攻撃を受ける。もし私のカウンターアイによる盗聴が無ければ、何も知らずにそのまま突っ込んで全滅していただろうな」
そこまで言って、ネオさんは顔だけで僕へと振り向いた。
「だから、一人だけが先に部屋に入って、『テイク』を受けてもらう。先制攻撃さえ終われば、自由に動けるようになるから、そこで一気にナイトを攻め落とすってワケだ」
デフィーナがキュッと腰に手を当てて、ネオさんをキツく睨みあげた。
「それは、最初に入った奴が確実に死ぬわね。なら、ストームが行くべきだわ」
「はぁ……!? 動けなくなるやつだろ、殺されるだけじゃねぇか!!」
「だからあんたが行けって言ったんだけど?」
ネオさんは少しだけ目を細め、言い合う二人を静かに見つめた。
「なんで誰かが死ぬ前提で話を進めてんだよ。こっちは『一番防御力の高い奴』を送り込んで、先制攻撃を耐えるんだよ。ダートの先制攻撃の終了条件は、こっちが死ぬことじゃない。向こうが『攻撃をすること』なんだからな」
僕はそのロジックを聞いて、思わず身を乗り出していた。
「なるほどっす! 誰も死なずに済むなら、その方法が一番良いと思うっすよ……!! 僕も今度はちゃんと支援しますんで……っ!!」
すると、ネオさんはどこか呆れたような顔をして、僕へとじっと視線を返してきた。
「……スゴミ。私は今、『一番防御力の高い奴が行く』って言ったよな?」
「え……っ、はい」
一瞬の、痛いほどの沈黙。
デフィーナも、ストームも、そしてネオさんも。全員が何も言わず、ただジッと僕の顔を見つめ続けていた。
「あ……。コレ、もしかして僕が行く感じっすか」
ストームも呆れた声を漏らしながら、面倒そうに目を細めた。
「防御力なら、お前以外いねぇだろ」
デフィーナの瞳も、完全に据わっていた。
「スゴミ、諦めなさい」
「あ……はい」
僕の腹の底から、キリキリとした強烈な緊張感がせり上がってくる。
だがその時、僕の左腕にピタリと張り付くように、ノリコのちゃぶ台『秘密の食卓』の輪郭が瞬時に形成され、盾としての存在感を現してくれた。
ゴーグルの電池切れのせいで、ノリコの声自体にはアクセスできなかったけれど、これはノリコの意志が僕の腕に現れたのだと、はっきりと感じ取っていた。その確かな感覚が、僕の震える背中を優しく押してくれる。
「了解っす……。僕が先制攻撃を受けてきます」
僕は一歩前に足を踏み出し、ネオさんと正面から向き合った。
「……ネオさん。この子、見ててもらって良いっすか……」
僕はそう言いながら、腕の中でぐったりとしている少女をネオさんへと差し出した。
これから敵の強力な上位駒の攻撃を正面から受けに行くのだ。この子を腕に抱えたまま連れていくわけにはいかない。それが僕の当たり前の考えだった。
だが、ネオさんの反応は違った。
「スゴミ……。さっき時間があれば、上の会議室で言おうと思ってたんだけどさ……」
「はい……」
「その子は、ここに置いていけ。私たちはこれから、命懸けの戦いに行くんだ。その子を連れていくには、リスクがデカすぎる……」
ネオさんは僕の腕の中の少女から気まずそうに目を逸らし、その声を微かに震わせていた。
彼女にとってもまた、この何の罪もない、大火傷を負った幼い少女を見捨てるという選択肢は、重く、苦しい事なんだろう。
「ブリアン救出後に、きっとまたここを通る。その時に回収すれば良いだろ……?」
それでも作戦を成功させるための非情な割り切りとして、彼女は僕に冷酷な現実を示してくれている。それは彼女のどこか悲しげな目を見るだけで、痛いほどに伝わってきていた。
けれど、僕は迷うことなく、ネオさんの目を真っ直ぐに見つめて答えを返していた。
「ネオさん、嫌です」
ネオさんが真っ直ぐに睨み返す。
僕は零極さんの黒腕で少女を肩を包み込んだ。
「この子はずっと冷やしていないと、本当に死んでしまいます」
その僕の言葉に対して、今度はデフィーナがナイフのように鋭くキツい睨みをぶつけてくる。
「あんた、自分が置かれてる状況分かってんの? その子はあんたが優柔不断だったから燃えたのよ。それを……」
「分かってますよ……っ!」
僕は強く言い返した。
「僕の甘さのせいでこうなったことも、僕が無理を言ってて、全体の危険を増やしてるってことも……全部、分かってます! でも、嫌なんすよ。この子を一人で置いて、先に進むなんてのは、絶対に……嫌なんです!!」
それに反応するように、腕の中の少女が小さく呟いく。
「置いてか……ないで」
気を失ったままの少女の口から僅かに漏れたうわ言。
「行かないで、見捨て……ないで」
火傷まみれの顔、その閉じたまぶたから、涙が滲んで零れ落ちた。僕は彼女を抱く腕を、僅かに持ち上げた。
「もちろん、見捨てないっすよ……」
僕が助けたいと思う気持ちに加えて、少女を手放す事が物理的に出来ないという実感があった。
僕は大きく息を吐いて、D1へと入る扉の前へと立った。
「分かりました。この子は僕のわがままで連れていくので、僕が守ります」
デフィーナが冷たく忠告する。
「連れていくにしても、戦闘中は置いといたら?」
「この子の能力……。多分『引き寄せる抱擁』なんすよ……。僕は今、この子を手放す事が出来ない制限を受けてます……」
僕は左腕に生成された、秘密の食卓をデフィーナへと見せつけた。
「でも僕は……防御力だけには、自信ありますんで」
デフィーナは唖然とした顔で僕を見あげていたが、それ以上は何も言わなかった。
ネオさんは僕の背中へと静かに近寄り、僕の腰へとストームに使っていた拘束具を巻き付けた。
「そうか、だったらその子は、お前が一人で守れ……」
そして拘束具に付いていたハーネスに、ナイフから繋がったワイヤーを引っかける。
「念の為コレでお前を部屋の外と繋いでおく。テイクが来たら、白い部屋になったかどうかだけは叫んで伝えろ」
「了解っす……」
「私の予想では、白い部屋には後からでも入れる。さっき敵も増援いれてきたからな。それで敵が老婆のような幻覚系なら、一気に入ると術中に落ちる。幻覚系なら声で教えてくれ……」
「はい……。幻覚系以外なら……?」
「それは何も言わなくていい、幻覚系以外なら先制攻撃後に即座に突入して、能力を使われる前に制圧する」
「よ、よろしくお願いします……」
僕は息を飲んで、扉にぶら下がる金属のドアノブを掴み、捻った。ギギギと重い音と共に、軍事基地の一部屋目の扉が開かれた。
中の景色は応接間のようで、膝丈ほどの机が置いてあり、ソファーが置いてある八畳間ほどの絨毯の広間だった。
僕は意を決して中へと飛び込み、すぐに前方にちゃぶ台を展開した。
「ドグマ解放────秘密の食卓、五枚っ!!」
僕の掛け声とともに、50センチ大のちゃぶ台が瞬時に五つへと増殖。僕の身を完璧に守るオートガード機能として、全身を綺麗にカバーするように整列した。
だが、僕はそこでは止めず、さらに声を張り上げて叫んだ。
「さらに追加、ドグマ解放───女神の円卓、ビッグシールド!!」
五枚の食卓を内側からぐっと押し退けるようにして、今度は床から天井までを完全に遮るサイズ。3メートルの巨大な円卓を前方へと張り出し、部屋の正面の空間を完全にハメ殺す形で固定した。
僕は心臓の鼓動を跳ね上げ、極限の緊張の中で呼吸を早めながら、円卓の影から必死に左右の様子を確認していた。
「フーッ! フーッ!」
その時、後方のドアの外で待機しているネオさんのヘッドギアが、アキュレの報告を受信した。
『敵、室内に侵入しました。想定内ルート『スゴミ一人が先行し、残りが外で待機』のパターンです。現在、スゴミの目の前に五枚の円盤と──』
アキュレが淡々と状況を言いかけるその通信に、ダートの食い気味の指令が被さった。
『かかったな、カモがぁっ!! ナイトAをD1へ、テイクで先制攻撃っ!! さらにナイトBもD1へ、テイクで先制攻撃……!!』
その不吉な宣言が響いた瞬間に、僕の緊張は最大値まで跳ね上がっていた。
「うぉおおお!! ドグマ解放───零極さんのぉ、氷の障壁……っ!!」
パッキーン!! という鼓膜を刺すような鋭い氷結音が炸裂する。室内の温度が一瞬で氷点下まで吹き飛び、展開していた『女神の円卓』をも巻き込むような形で、部屋を真っ二つに分断する巨大な氷の防壁を作り出した。
「よしっ!! どこからでも……来いっ!!」
僕は興奮で頭を熱くさせながら、ガタガタと足を震わせつつも、全力でその場に身構えていた。
すると、後ろのドアの向こうから、ストームの呆れた声がボソリと聞こえてきた。
「いや……守りすぎだろ……」
過剰防御? 臆病すぎる? そうかもしれない。
だが、そんな他人の評価なんて今の僕には関係ない。僕は、僕自身と、この腕の中にいる小さな少女を、敵の先制攻撃から絶対に守り抜く。ただそれだけの任務を、全力を尽くしてやり切るだけだ。
直後、さっきまで応接間だったはずの部屋の輪郭がドロリと反転し、真っ白で無機質な戦闘ルームへと急激に変化した。僕はすかさず、背後の扉に向かって叫んだ。
「白い部屋になりましたぁー!!」
「よし、外からは普通に見えるぞっ!!」
ネオさんからの応答が来た瞬間、僕の肉体からすべての自由が剥ぎ取られた。まるで全身をコンクリートで固められたかのように、指一本すら動かせない。視覚も見えている、聴覚も聞こえているのに、自分の身体のすべての制御が一切利かない。ダートのチェスの能力が、僕のことを『取られる駒』として認識しているのだと、理解が追いついていた。
「先制攻撃の効果です、動けませんっ!!」
叫び、報告だけを入れる。そして、動けない僕の視界の先で、巨大な氷の壁と円卓の向こう側から、機関銃を狂ったように乱射する鈍い重低音が激しく響き渡った。
だが、僕が展開した『女神の円卓』は物理無敵の盾だ。
激しい弾丸は氷の壁を派手に砕いて火花を散らしているようだったが、こちらの領域まで貫通してくる弾はただの一発も存在しない。
「無駄なんすよ、普通の攻撃はァー!!」
僕が極限の気持ちの昂りを叫ぶと、敵の激しい銃声がピタリと止むと同時に、僕の身体を縛り付けていた理不尽な拘束が解け、自由が戻ってきた。
僕はネオさんの作戦通りに、防御役をやり切った。
「先制攻撃、終わりっすよ! ネオさん……! ネオさん……っ!? 」
求める僕の声に対して、先に聞こえてきたのは、重厚な大剣のエンジンを荒々しく吹かす爆音と、それに負けないストームの蛮声だった。
「正面突破ァ!! その壁をどけろ、スゴミィ!!」
「あ、はい……っ!!」
僕は即座に、目の前に張り巡らせていたすべての障壁──五枚の食卓も、巨大な女神の円卓も、零極さんの氷の防壁も、そのすべてを一瞬で完全解除した。
視界を遮っていた強固な盾が消失したその刹那、僕の両脇をすり抜けるようにして、ネオさんとデフィーナの二人が極限まで姿勢を低くし、前方に駆け抜けようとしていた。
遮る壁が無くなり、一気に開けた視界。
僕の真正面には、機関銃を首からぶら下げた一人の巨漢が、ポツンと不気味に佇んでいた。
その風貌は、これまでのポーンたちと同じように患者服を纏い、頭にはチェック柄の帽子を被っている。
……だが、これまで遭遇したどの敵とも決定的に違う、明確に『別種のバケモノ』だと一目で察することができる異様なプレッシャーを放っていた。
男は、破裂しそうなほどに大きく張り出した腹を揺らし、ブヨブヨと波打つ皮膚の顔に、歪んだ醜い笑みをべっとりと浮かべている。
その患者服には、赤黒い血痕が何層にもこびり付いており、右手には肉切り包丁を巨大化させたような、おぞましい鉈を握りしめていた。
「うひ……大漁……♪」
『こいつは、絶対にヤバい奴だ──』
僕の本能が最大級の警鐘を鳴らし、全身の毛穴が逆立った、まさにその瞬間。
僕のすぐ横を追い抜いて敵へ肉薄しようとしていたはずの、ネオさんとデフィーナの姿が、僕の視界から忽然と消え去っていた。




