第283話・恐れ知らずのギャンビット4。ハンギングガール
彼女は、僕の腕の中で激しく燃えていた。
少女の身長は、僕のヘソくらいだろうか。本当に、小さい。
指だけで簡単に掴めてしまいそうなほどに細い腕。ついさっきまで穢れひとつ無かった、もちもちとした柔らかいほっぺ。
その背中に僕の灼熱を超えた右腕が回り、彼女の身体から引き裂くような悲鳴と、容赦のない炎を吹き出させていた。
「あづっ……あづいぃ!! いやぁぁあ!!」
僕の腕の中で必死に暴れる、生きた人間の生々しい感触。
密着した肌からダイレクトに伝わってくる、声の激しい振動。そして、ジクジクと焼ける肉の匂い。
彼女の身体が燃え上がると同時に、僕の能力の制御から漏れ出た狂気的な熱は、僕自身の顔をも容赦なく焼き焦がしてきた。
だが、そんな肉体の熱さよりも、腕の中で彼女の命がみるみる弱っていく感覚……僕のこの腕が彼女を確実に殺しかけているという恐ろしい実感が、僕の胸に凍りつくような鋭い痛みを与えていた。
「止まれ……!! 止まれぇーっ!!」
熱の暴走はどうしても解除できず、左腕の零極さんの腕による冷却では、絶望的に間に合わない。
僕の左腕が少女の身体越しに、自身の右腕を必死に掴む。だが、掴んだ左手さえもが、右手の熱に焼かれていく。
凄まじい蒸気音と白い煙が視界を覆うだけで、何一つ好転しない無意味な拒絶反応。
その絶望の瞬間に、デフィーナが動いていた。
デフィーナは先ほど弾き飛ばされたクロスソードを一本素早く拾い上げると、僕たちの左脇で顔を押さえて悶絶していたタバコ男へと一気に飛び掛かった。そして、超高速の一閃の元に、男の首を容赦なくはね飛ばしたのだ。
「お前が放火魔……お前が悪……っ」
首を飛ばされた男の断末魔は、最後まで放火魔に対する異常なまでの執着を語りながら消えていった。
その瞬間に、僕の右手の熱暴走は完全に収まった。
急停止した熱に対し、それまで出力を極限まで上げていた左手の冷気が一気に勝り、今度は凶暴な冷気となって少女の背中と、部屋の右半分を瞬時に氷結させた。
少女は完全に気を失い、グッタリとしたまま僕の胸に身を預けている。
密着した距離から、かすかに聞こえる小さな呼吸音。……それは、彼女の命がまだ辛うじて繋がっているという、唯一の証明だった。
僕は顔を跳ね上げて叫んだ。
「すぐに戻って、病院に……っ!!」
焦りのままに口にする僕の目の前へ、デフィーナが音もなく静かに歩み寄ってきた。
「デフィーナさん、この子、今すぐ手当てしないと……!!」
デフィーナは無言で片手を上げると、その平手で僕の頬を容赦なく打ち抜いた。
『パァン!』と、乾いた衝撃音が静まり返った白い部屋に激しく響く。
僕に痛烈な平手打ちを浴びせたデフィーナは、その薄い唇を悔しそうに震わせていた。
「あんた、この男を殺せば熱が止まるの、分からなかったわけ?」
僕は首を飛ばされて床に横たわる、タバコ男の遺体の背中を見つめながら、情けなく肩を震わせた。
「いえ……気づいてました。熱暴走が、この人の能力だって……分かってました……」
「あっそう。だったら殺せる敵は殺しなさい。無意味に泣き喚いてる暇があるならね」
冷たくそう言い放った直後だった。少女の頭に被さっていた、チェック柄の帽子が黒く焦げてズレ落ちた。
すると同時に、今まで周囲を覆っていた白く無機質な部屋の形状が強制解除され、視界は最初の、赤い絨毯が敷かれた会議室の景色へと戻っていった。
デフィーナはすぐさま背後へと振り返り、会議室の奥にある薄暗い階段を見つめた。
「戻ったわね、さっさと行くわよ」
冷たくそう告げて背中を向けると、彼女は迷いのない足取りで階段から地下へと歩いていった。
「あの……でも、この子……っ!!」
身を乗り出そうとする僕の背後から、ネオさんが静かに歩み寄ってきて、僕の肩をガシリと掴んだ。
「スゴミ、退路は無い。この部屋に留まっていればポーンの増援が次々に来るし、次に『テイク』で強制先制攻撃を仕掛けられたら、今度こそ全員終わりだ。とにかく進むぞ」
「は、はい……」
僕は部屋の半分を埋めていた氷を解除し、患者服や髪まで黒く焼けてしまった少女をそっと胸に抱え直して立ち上がった。
左腕は零極さんの漆黒の腕のままにして、その小さな肉体を、壊れ物を扱うような柔らかな冷気で包み込みながら必死に冷やし続ける。
僕とネオさんが地下階段へと足を踏み入れたところで、ネオさんのヘッドギアが再び盗聴通信の音声を拾った。
通信から聞こえてきたのは、ダートの、悔しさと嬉しさが入り混じったような上擦った声だった。
『ククク、テイクを受けてもポーンを三体も削り取るとはね。やるじゃない? さてアキュレ、敵は何人殺せたんだ?』
それを受けて、アキュレはひどく落ち着いたトーンで淡々と報告を返していた。
『はい。ポーンの大人二人が倒れ……現在、五名が地下階段へと進みました』
『ふーん、五名ねぇ……』
そこまで言って、ダートの声が奇妙にひっくり返る。
『は、はあ!? ご、五名……!? 誰も殺せてないの……!? こっちは先制攻撃のハメ技を仕掛けたんだぞっ!! ってか、最初は四名だったよな、なんで人数が増えてんだよ!?』
『あ……あの、ポーンの子供を、スゴミが腕に抱えて連れています……』
『子供……!? ああ……なんかいたな、変な戦力外っぽいの……!! それのせいかぁ、敗因! 最悪だよ、味方が雑魚過ぎて負けるってよぉ……完璧にハメて取ったのにさぁ!』
ダートの声は、一気に激しい落胆から、投げやりな気だるさへと変わっていく。
『じゃあ、そのポーンの死体。もうロストしてるし、これ以上カウントしなくていいよ……』
『えっと……まだ、呼吸している程度の動きはあるようですが……』
『ロストって言っただろっ!! 俺のギャンビットは『駒』の生死が全部分かるのっ!! 二回言わせんなよクソかったりぃ……』
薄暗い階段を降りながら入ってくるその冷酷な通信に、ネオさんは静かに耳を傾けながら、ある確信に満ちた推測を口にした。
「どうやら、あの『チェック柄の帽子』がついているか否かが、ダートの能力におけるロスト判定の基準っぽいな……」
僕は腕の中の女の子を冷やし続けながら、前を歩くネオさんの後頭部を見つめた。
「それ、どういうことっすか……?」
「その子は生きてるのに、ダートのシステム上はロスト扱いになった。そして、あの帽子が脱げると同時に、あの白い空間は元に戻った」
ネオさんは確信を深めるように深く顎を引いた。
「つまり、ダートの能力の本質は、あの帽子を被せることで『駒』としてシステムに登録・発動し、駒となった人間を強制操作して戦わせるルールだ。帽子を被っている奴が死ぬか、あるいは帽子そのものが完全に外れると、ロスト扱いになるってことだ」
「じゃあ……殺さなくても、あの帽子さえ剥ぎ取れば、能力は終わりってことっすか……?」
「まあ、私の推論が合っているなら、そういうことになるな」
「ああ……。それを、最初から……知っていれば……」
僕が血を吐き出すような思いで呟くと、ネオさんは階段の途中でピタリと足を止めた。
「スゴミ、戦場での『たら、れば』はやめろ。キリが無いし、何の意味もない……」
彼女はゆっくりと振り向き、下の段から僕の目を真っ直ぐに睨みすえた。
「ノリコが死んだ時にも言ったよな。後悔があるなら、次の戦いに備えろって……」
ネオさんが言いかけたその言葉を割るように、ダートのしゃがれた通信音声が再びスピーカーから鳴り響いた。
『ってか、もう地下階段に居るの? ソイツら……』
『はい、先頭がフードを被っているのでデフィーナと思われます。現在、第一層まであと15mの所まで進んでいます』
『それさぁ、ポーンをまだ四枚も使い残してるんだよね。はぁ、せっかく配備したのに、本当にもったいないわ』
『はい、残るポーン四名は現在、玄関ホールに──』
『そんなの分かってんのっ!! 誰のせいでポーンを無駄にしたのかって話をしてんだよ、お前分かる!?』
『え……えっと、ええと……すみません……』
そのあまりにも非道な通信を聞いているうちに、僕が胸に強く抱いた少女を掴む両腕に、自然とギリギリと力がこもっていった。
「コイツ……ポーンの人たちの命を、一体なんだと思ってるんすか……っ!!」
ネオさんは腰に手を当てたまま、僕を厳しく睨みつけ続けていた。
「この男は殺す。命乞いしようがどんな事情があろうが絶対に許さねぇ。ドラキールはコイツを法で裁かない。だったら、私たちがここで殺さないといけない相手だ。……異論はねぇな?」
「は、はい……」
ダートの通信は、ひとしきりアキュレを理不尽に責め立てると、一転して不気味なほど自信に満ちたトーンへと変わった。
『まっ、ポーン戦なんてただの様子見だ。本番はここからさ。勝負の決め手は、強力な上位駒による一方的な蹂躙だっ!! そうだろ?』
『えっ? そ、そうなんですか……』
『やれやれだな。ナイトAをC3に待機、ナイトBをC3に待機。奴らがD1のマスに入った瞬間に『テイク』をかける。アキュレ、奴らのD1侵入は確認次第すぐに報告しろっ!!』
『はい……デフィーナのD1到達まで、あと10m21cm。侵攻パターン240、突破ルート23……敵の突破率は、9.583%……』
その瞬間、ネオさんがすべてを察したように鋭く叫び、もの凄い勢いで階段を駆け下りた。
「デフィーナ、止まれっ!! 一旦ここで会議する……っ!!」
長かった石階段の終わり。岩肌を荒々しく削り出しただけの、天然の短い廊下の先に、一枚の重々しい扉が立ちはだかっていた。
完全な一本道であり、周囲を見回しても、他に通り抜けられそうなルートはどこにも存在しない。
デフィーナはネオさんの突然の制止に対して、苛立ちを隠そうともしなかった。
「急ぐんでしょ? なによ今さら会議って……」
ストームもひどく気怠そうに、今まで引き摺っていた大剣を床に立て、その柄頭に顎を乗せて退屈そうに吐き捨てる。
「道はここ一本だぞ。正面突破しかねぇだろうが」
そんな二人の反発を、ネオさんは低くドスの効いた声で一蹴した。
「黙れ」
有無を言わせぬ威圧感。そしてネオさんは僕の方へと振り向き、僕の腕の中で静かに眠る少女へと鋭い視線を合わせた。
「敵将ダートには、『テイク』という先制攻撃の能力がある」
「……身体が、動かなくなるやつっすか……」
「そうだ。テイクされると、周囲の部屋が白く反転して逃げ場を失い、敵からの一撃を受けるまでこちらは一切の行動が不能になる。さっきの部屋で、私たちがテイクを受けても全員が無事だったのは、送られてきたのがその子供で、その子が機関銃を扱えるほど筋力が無かった……ただそれだけの、奇跡的な幸運に過ぎない」
僕はネオさんの言葉を聞きながら、攻撃指令が下った直後のあの少女の動きを必死に思い出していた。
あの時、この子はたしかに、僕を引き寄せながら必死に機関銃を構え、トリガーを引こうとしていたのだ。その小さな指では、重い引き金を引ききれなかっただけで。
「たしかに……あの状態でまともに機関銃を撃たれたら、どうしようも無いっすね……」
デフィーナが、不満げにネオさんを睨みあげる。
「じゃあ、どうすんのよ。道はこれ以上、他に無いわよ」
ネオさんは、じっと次に行く先の扉を見つめたまま呟いた。
「もしも私がダートの能力を持っていたら、歩兵の使い方は、あんなに雑にはしない」
「それは……アイツの性格が酷いっていうか……」
「心理的な問題じゃない、戦術的な問題だ」
ネオさんの口調が、一段と重く、冷徹になっていく。
「手持ちの能力者の特性を知っているなら、私なら入口の『爆発女』と『熱暴走男』は、絶対にセットにして同時に仕掛けさせる。爆発女の爆炎の熱を、あの男にさらに熱暴走させれば、火力が跳ね上がって殺傷威力が何倍にも膨れ上がるからな……」
「それ、ただの味方を巻き込んだ自爆じゃ……」
「敵は駒の命のことなんて何とも思ってないんでしょ? だったら、殺傷力を極限まで高めるべきだわ」
デフィーナの冷静な指摘に、ネオさんが深く頷く。
「ああ。それに、この少女やさっきの老婆みたいな『敵を引きつける』能力者を、さっきの会議室のような『絶対に通過しなければならない部屋』に予め待機させておいて、侵入した瞬間にポーンで確実にテイクをかける方が、ハメ技として遥かに強固だ」
ストームが、じりじりとした視線でネオさんを睨みつける。
「おい、そんなことより次だ。ナイトってのは、一体なんの能力を使ってくるんだよ」
「知るか。ただ、ポーンより格段に厄介で、向こうの意識も戦闘型としてハッキリしてるだろうってことだけは分かる」
ネオさんは、一歩も引かずに扉の先を指し示した。
「無防備にこの扉を潜れば、その瞬間に即、アウトだ」
「それって、どうしようも無くないっすか……」
僕の不安が漏れ出すと、ネオさんは不敵に顔をニヤつかせた。
「ああ、完璧に厄介な能力だが、私相手だったのがコイツの運の尽きさ」
彼女はコードつきのナイフを取りだして、正面に突き出した。
「敵の能力名が『ギャンビット』だってなら、こちらも『犠牲戦術』で攻めようじゃねぇか」




