第275話・零極。絶望の八、矛盾。
天使さん像の胸の中で、眠りについたデフィーナ。
それが今、僕の目の届く所で、煌めく氷結のオブジェにされていた。
「お前の相手は僕じゃないんすか、何やってんだよ、お前はァ!!」
零極さんはデフィーナの氷像を慈しむように撫で上げた。
「コールドスリープですよ、スゴミ君。君が見ていない所で、君が失って、心に傷を負う……その実演、体感を君に……」
僕は彼女の言葉を待たずに、爆発ステップで工場の屋根の鋼材を蹴り飛ばし、弾けるように飛び出していた。
「そんなもん、お前に見せられなくても、僕は十分味わって来たんすよ!!」
僕の真っすぐな突撃を、零極さんはヒラリと避けた。
「ああ……そうですね。失うのが辛いから、義務を背負うんですね」
返しのステップで一回転し、空気を攫うように手を振ると、零極さんの足元から冷気の輝きが光線のように伸びてきて、空気が凍った。氷の丸鋸のような壁が、僕の耳を掠めて背後の工場の壁へと突き刺さる。
僕は歯を食いしばり、デフィーナの氷像の位置に注意しながら、灼熱の剣を振り抜いた。
「だから失いたくなくて、戦ってるんじゃないっすか……!!」
零極さんは片手の人差し指をピンと上げると、僕の剣の軌道を大きく頭上へと跳ね上げさせた。
「でも必ず失います。それは避けられません。今だって私が待たなければ、デフィーナは殺せました。失った後で絶望しても、その絶望には苦しみしかありません」
「だから絶望なんてゴメンだって、言ってんすよっ!!」
「やはり戦う理由が残ってるのが悪いのですね。君の絶望を私が作る。君を絶望に、私が連れていきます」
零極さんは踊るように宙を舞って距離を取ると、両腕を突き出して巨大な氷のハンマーを生成した。そして即座にデフィーナの氷像へと視線を移して、ハンマーを低く構えて飛び上がろうとする姿勢を取った。
一秒後に何が起きるか、考えるまでもなく僕は飛び出していた。
「い……いい加減にしろって、言ってんすよォー!!」
彼女へと剣をまっすぐに突き出し、爆発ステップで体を押し出す。
彼女に到達するまでの刹那の映像の中で、零極さんはハンマーの柄を手放して僕へと向けて両腕を突き出してきた。
罠にかけられた。反射的に思った。
僕を煽って無謀な突撃を行わせ、迎撃をする構えだと思った。
だが、零極さんはスッと両手を広げて、正面から逸らし、抱きしめるようなポーズを取った。
「君に……最高のハッピーエンドを、贈ってあげる!!」
僕の勢いは止められなかった。
灼熱の剣は零極さんの胸のど真ん中を貫いて、二人の体を強引な力で吹き飛ばしていた。
二人は折り重なるように工場の鉄の扉へと叩きつけられて、鐘のような轟音を立てて止まった。
僕の耳に、零極さんの耳が当たっている。
その下で、零極さんの胸から吹き出した血が、僕の手のひらを濡らしていた。
「……え!?」
攻撃が当たった事は間違いない。
だが、僕は違和感を覚えていた。
僕は正直、彼女に攻撃は当たらない、むしろカウンターで殺されると思っていた。
零極さんの実力は明確に格上。
だが、彼女は反撃も防御すらもせずに、受け入れるように刺し貫かれていた。
「た、倒した……?」
彼女の体を通して、鉄の扉に突き刺さった剣。
顔を引こうとすると、重なるように触れていた零極さんの青く透き通る頭髪が頬をくすぐった。
剣の柄を強く握る僕の手。手の甲をくすぐる、彼女の柔らかな下乳。
その温かみを震わせて、零れるように囁かれる彼女の小さな言葉。
「うん、致命傷だよ……スゴミ君」
零極さんの両腕が、僕の背中へと優しく回った。
湿って震えたその声に、僕はハッとして顔をあげた。
目の前の零極さんが、口から血を流して笑っていた。
「ごめんね、強くしちゃって……でも君は、頑張って私に立ち向かったんだね」
僕の腕が、震えていた。
上がってきては行けない感情が、僕の心を黄金色の一色に染めあげていく。
零極さんは咳き込みながら、丁寧に告げた。
「ケホッ……おめでとう、スゴミ君。君は、私を倒して、デフィーナちゃん達を、救ったんだね……」
「ちが……僕は……っ!!」
「君の勝利だよ、スゴミ君!! 私はね、君なら出来るって、信じていたからっ!! コレで君は、ハッピーエンドを向かえるね!!」
賞賛。祝福。目標の達成を告げる、賛美の言葉。
僕は勝った。デフィーナを守った。
強敵を、打ち倒した。
「や、やめ……っ!!」
『ピシィッ!!』
それを認識した瞬間に、僕の身体は凍結させられていた。
湧き上がってしまった、優越感。勝利の余韻。カタルシス。
僕の本能は虐げられたストレスから解放されて、それらを押さえ切ることが出来なかった。
その瞬間の僕は『デフィーナを助ける』という全思考以外を排泄させられていた。
ブリアンの事も、帰ることも忘れさせられ、デフィーナを助ける事だけに勝利条件を固定されていた。
零極さんに攻撃が当たった瞬間には、確かに『やった』と思ってしまった。
零極さんは凍った僕の胸へと体を預けて、足元から一気に氷結を広げ始めた。
「ああ、良かった。ちゃんと絶望してくれて……君のハッピーエンドに私を捧げられて。ココは私の、特等席だね……」
静寂に堕ちたドラキール旧市街。
赤錆た地下都市の天井は白い宮殿が、足元からは霜の原野が花のような氷の結晶を咲かせて、幻想的な庭園を広げていく。
零極さんの『世界凍結』が、この狭い地下都市から始まろうとしている。
僕はその景色を、認識していた。
僕のドグマが、その風景を観察していた。
それは、ノリコの視界としてではない。
僕自身の意思として、僕自身の信念が見た映像だ。
ドグマは起動され、凍り付いた脳へと、映像をゼロ時間に送信していた。
もし、僕が勝利の余韻に浸り切り、幸福の絶頂であったならば、この微細なノイズは発生できなかっただろう。
僕の確信。
僕が間違いなく『そう』だと思えるもの。
それだけが僕を再起動して、体の奥からの熱を呼び起こし、彼女による凍結を一瞬で解除させていた。
「ああああああ……!!」
その瞬間に、僕は信念を叫んだ。
「僕ごときが、零極さんに、勝てるわけないじゃないっすかぁあああ!!」
僕の背中から生えた天使の翼が、炎の翼へと姿を変えて広場を明るく照らした。
「ええっ!? スゴミ君……!?」
零極さんは寝耳に水をかけらたよう飛び起きた。
僕は剣から手を離して、零極さんから二歩引いた。
「危ないんすよっ!! 何がハッピーエンドなんすか、こんなの!! 僕の戦いたくないってのはね、自分が死ぬとか、人が死ぬとかが怖いってもありますけどね。僕はそもそも、人を傷つけるのが嫌なんすよ!!」
僕は零極さんの血で真っ赤に濡れた両手を広げて、自分の顔の前へと持ち上げた。
「それがなんすか、勢い余って君をこんなに傷つけて、最悪、気分最悪ってやつですよ!!」
零極さんは顔を青くしながら、自身の胸へと突き刺さる剣へと手をかけた。
「私、人じゃない、エクリプスで、君に殺される為に……」
「僕にとっちゃ、君は人間となんら変わりないっすよ!! そんな綺麗な顔して、人の言葉喋って、感情があって……だから追悼の花だって変に作用して、そうなってんじゃ無いんすか……!!」
零極さんは目を見開いて、首を横に振っていた。
僕は遠慮することなく、彼女の胸に突き刺さる剣へと手を伸ばした。
「その状態でまだ生きてんなら、氷で止血、自分で出来ますよね、抜きますよこれ、痛そうだから……」
僕は宣言だけして、容赦なく剣を引き抜いて、一振りして血をはらった。
零極さんは口から大きく血を吹いて一瞬よろけるも、血を凍らせて踏みとどまった。
「何をして……私をどうするの? 私は君の絶望を完成させる。さもなくば討伐される。それだけが私に運命られた……」
「知らないっすよ、運命だのなんだの、難し事は……」
僕は剣を下ろして、右手を零極さんの顔の前へと向けた。
零極さんは鉄の扉へと寄りかかり、青い顔で浅い息を繰り返していた。
「そうですか、ドグマ吸収ですか……分かりました。私の意思を断絶し、ここで走者への譲渡とし……」
「なんすかその、さっさと殺せみたいなの」
「分かり合えない、だから争う。その結末は、敗者が搾取されることによって……」
「いや、零極さん。僕は分かりましたよ。君の言いたい、絶望ってやつが……」
僕は彼女へと向かって歩き、右手を顔へと近づけていった。
零極さんは死を受け入れるような覚悟の表情で、目を閉じて顎をあげ、口を結んで震えていた。
僕は右手を彼女の耳の脇から後頭部へと回し、自分の胸へと抱き寄せた。
「え……?」
「エクリプスはドグマの育成構文。だったら僕は零極さんの意思を残したまま、ドグマとして君を連れていきます」
零極さんは抵抗して起き上がろうとしたが、その力は既に幼子のように弱々しかった。
「なぜ、そんな事……私の意思が残る限り、私は君の絶望を目指しますよ……」
「絶望なら、もう、してますよ……」
「君が絶望、している……!?」
「そうっすよ、僕は失っても苦しくても、進み続けます。希望とかじゃなくて、僕のわがままでそうします。姫様を助けても、物語を片付けても、僕が帰る場所を見つけても、もっと、もっと、もっとを求め続けますよ……」
「それは、最悪の選択肢です……それではいつまで経っても、君が満たされることはない……」
「そうっすよ。僕は満たされません。たとえ結婚したとして、結婚式がハッピーエンドだなんて嫌ですし、この先力尽きるまで、僕はハッピーエンドなんて認めるつもりは無いんすよ」
「満たされない、欲望を持ち続けるなんて……なんて破滅的な……」
僕は彼女の肩に手を置いて、白い宮殿を見上げながら笑った。
「……でも、それって絶望的でしょ?」
僕がそう言って零極さんの顔を見下ろすと、彼女は口をポカンと空けて僕を見上げていた。
「欲望を持ち続けるのが、絶望……?」
「そう、僕は強欲で、永遠に満たされない。何をやっても絶望確定っすよ。ただその中で、ちょっとでも楽しい事、拾って行けたらなって、ただ、それだけの事っすよ……」
僕は零極さんの背中へと腕を回して、細い身体を引き寄せた。
「僕の物語は、ハッピーエンド如きでは終わらない。その絶望を、零極さん。君の意思を残して、君に見せ続けてやりますよ」
「私に、絶望を……見せ続ける?」
「そうっすよ、僕だけ絶望なんて嫌なんで、君に思い知らせてやります。終わらない絶望ってやつをね」
その瞬間に、澄んだブルーの瞳に初めて光が灯った。
零極さんの清廉とした瞳を、溢れ出る涙が覆っていた。
「スゴミ君……君は、本当に絶望的ですね……」
「任せてください。自信が無い事だけには、自信あるんで……」
その言葉を受け取ると、彼女の全身は真っ白なドグマの氷像となり、溶ける雪のように僕の左半身へと吸収されていった。
その瞬間に僕の左目だけがグルリと回転し、僕の声帯の操作権が奪われた。
僕の喉から出てきたのは、ノリコの声だった。
「ああーん!? お客さんかぁ? って零極ぅ!? お前なに? ここに住む気ぃ!??」
そして次は僕の声帯から零極さんの冷たい声が漏れ出してくる。
「ああ、ノリコって私の事騙そうとした女ね。スゴミ君の中で暴れないで貰えます?」
「にゃ、にゃんだとぉ!? 新参が正妻気取りかぁー!?」
僕の左腕が、勝手にシャドウボクシングをし始めていた。
僕は自身の首を絞めて、無理矢理に声帯の操作を取り戻した。
「ちょ、僕の中で喧嘩しないでくださいよっ!! ノリコちゃんは今まで通りヒーローハートでサポート、零極さんは強いんだから、その、なんか、助けて下さいよねっ!!」
二人からの返事は、帰ってこなかった。
僕は際限ない死体の集積体である、零極さんを取り込んでしまった。
ドグマが元々そういう物だと言う事は、零極さんからカミングアウトされたものの、勢い任せの感覚が途切れてみると、自分の中が多人数になっていくのは、やはり気分の良いものではない。
零極さんが消えた事で、都市を包んでいた冷凍庫の中のような寒さは、一瞬で生ぬるい錆鉄の臭いへと戻った。
天井を覆っていた宮殿も、足元を埋めてた氷の華の原野も、何事も無かったように元に戻り、目の前の剣の穴だけを残した鉄扉から、すきま風が『ボゥ』と音を立てて反響していた。




