第273話・零極。絶望の六、頓挫。
激戦の後の静寂。
だとしたら、どれだけ良かっただろうか。
それはおよそ戦いとは呼べない、零極さんによって一方的に作られた凍結空間だった。
僕は自分で作り出した天使像と向き合う氷像になり、ストームは仰向けで倒れて自身の剣を横に添えられた氷像に、デフィーナは零極さんに立ち向かう事すらせず、僕の顔へと体温を送り続けていた。
零極さんの黒い装甲のハイヒールが、工場地帯の中庭に散らばる鉄板の上を小刻みよく叩いて近寄ってくる。
「デフィーナ、よしなさい。私の凍結ならばコールドスリープとなりますが、その触り方では凍傷を起こします、細胞が壊死してしまいますよ」
「うるさい、声かけるな! スゴミッ、起きろっ!! 終わるわ、終わるのよ!!」
零極さんの接近に対して、見向きすらもしないデフィーナ。
零極さんは僕たちの目の前で歩みを止めると、デフィーナの肩へと優しく手を置き、そこから真っ白な霜を広げ始めた。
「支持者は希望を持てないと言うのに、なぜそんなに望み求めるのですか」
「知らないわよ希望なんて、望みだって無い!! ただ私は、このアホがここで止まってるなんて事、嫌がるってことは予想がつくのよ!!」
デフィーナの首筋まで霜が上がってくる。震わす喉が引きつって、その声もかすれ始めている。
「それをこんな……間抜けな形で終わらせるなんて、本当にアホだわコイツ……!!」
零極さんは僕の氷像へと視線を移した。
「彼は幸福の絶頂にいるのです。この笑顔がその証明、あなたは支持者として、彼にこれ程の幸福を与えた事があるのですか?」
「知らないわよ、幸福なんて!! 支持者には無い感情だもの……こんなの、アホ面以外の何ものでもないわ……」
デフィーナのシャーベット状だった涙は流れることすら忘れ、涙腺から氷の塊となってポロリと零れ落ちていた。
デフィーナの顔の半分が氷付き、その発声もままならなく、まつ毛が凍って目も開けられなくなっていく。
「ス……ゴミ……ゥ、ォミ……」
昏倒して、僕の胸へとゆっくりと倒れ込んでくるデフィーナ。
零極さんはデフィーナの肩から頬へと、撫であげるように手のひらを移動した。
「やはり支持者の絶望は、私が作るまでもなかったですね」
零極さんの凍結がデフィーナの頭を、その思考を完全に凍結させる瞬間まで、その最後の瞬間まで僕を呼び続けていたデフィーナの、切ない声。
その声は実際のところ、意識が停止した僕には全く届いていなかった。
僕が聞きたくなかったとか、天使さんに没頭してたとかでは無く、物理的に脳が停止して、思考が一瞬たりとも前に進まなかったからだった。
幸福の一瞬で停止した僕は、その『出来事』を認識できていない。
しかしそれらの『出来事』は、僕のドグマが、僕に起きた『物語』として蓄積していた。
それを認識する者がいた。
僕の凍り付いた目でも、凍り付いた意識でも無く、この世界を『僕として』見つめ続ける者。
凍り付こうとしていたデフィーナの頬を撫でていた、零極さんの黒い装甲の手のひらが『ボトリ』と重い音を立てて、地面へと転がった。
「え……?」
その現象に、今まで慈しみと哀悼に溢れていた零極さんの目が、丸く開いて地面に転がる自身の腕を確認しようとしていた。
しかし零極さんの視界を埋めたのは、灼熱に光る手のひらだった。
僕の左手、ヒーローハートによる灼熱の拳が、零極さんの腕を握って溶かし落としていた。
「な、なんであなた……!! 解凍されてる……っ!?」
零極さんは即座に異常を察して、数メートルをバックステップで遠ざかった。
僕は、動き出していた。
僕に寄りかかって気を失うデフィーナの背中へと手を回し、彼女を包んでいた霜をゆっくりと蒸発させていく。
「すみません、デフィーナさん……心配かけて、でも、ありがとうございますっすよ……」
デフィーナは薄く目を開き、不遜な態度で返した。
「覚えておきなさい、支持者はね、心配はしないのよ。やっと動いて……ったく、面倒な奴だわ……」
言い終わるや否や、デフィーナは僕の胸に頭を預けるようにして再び気を失った。僕はすぐにデフィーナの身体を正面で両手を伸ばす天使さん像の胸へと預けて、デフィーナを抱かせるように腕を閉じた。
「すみません、デフィーナさんを見ててください、天使さん……」
天使さんの胸の中で眠るデフィーナの姿を目に焼き付けて、僕は炎を纏った体で零極さんへと向かって歩き出した。
「騙したんすね、零極さん……。こんな残酷で、救いのない絶望、君にさせられるなんて思ってなかったっすよ……」
零極さんは溶けて赤い体液が流れ続ける腕を押さえ、氷のブレードを腕の代わりに生やさせた。
「なんで、絶望の凍結は永遠……止まった意識で、解除出来るハズがない……!!」
怯えた様子で後退りを始める零極さんに対して、僕の頭の上のゴーグルがビヨーンと伸びた。
ゴーグルノリコの超ハイテンションのダミ声が、叩きつけられるように放たれる。
「ぎゃっははっ!! かかったなバァーカ!! ノリコちゃんのスペシャルな演技にぃ!!」
「え、演技!?」
「あっはは、こりゃあ主演女優賞はいただきだなぁ!! ウチが電池切れなんてのは真っ赤な嘘さっ! テメェが本性表すまで黙ってようって、出てこれないフリしてたんだよぉ!! まぁ、凍っちまった時は動けなくなって焦ったけどもなぁ!!」
「そうだよ! 動けるハズが無い、動けるはずが……!!」
首を横に振る零極さんに対して、僕は近寄りながらクリティカルソードを生成して握りしめ、炎を纏わせていた。
「零極さん、言ってたっすよね。僕の体は内側から凍結され続けてて、外からは解凍出来ないって……」
「そう、だから……」
ゴーグルノリコは、ニヤける歪みで零極さんを見下ろしていた。
「ノリコちゃんはゴーグルだからなぁ、ラブたんと一体化してるけど、ゴーグルは体の一部じゃねぇってなぁ!! ウチが動けりゃな、ヒーローハートの熱はアツアツになるんだよ!!」
僕が続く。
「デフィーナさんの指先の体温が、ゴーグルのバッテリーを温めて、動けるまで溶かしてくれたんすよ、ストームがその時間を作ってくれた。ノリコちゃんが内側から熱で復活してくれた。僕はもう、凍らされたりしないっすよ……!!」
零極さんは後退して、工場の壁へと追い詰められていた。
「なんで、だって、幸せで止めた、絶望、させてあげたのに、なんで、なんで……」
そこに僕は突きつけるように、クリティカルソードを構えていた。
「僕は、僕の物語を止めるつもりは無いんすよ。天使さんとも約束したし、亡くなった走者達の分まで走るって決めてるんすよ」
ノリコが合いの手を挟む。
「ぎゃっはー!! ラブたんのくせに、言ってることかっちょええー!!」
「いや、割と……真面目に言ってるんで……」
「そっか、そっか、でももう大丈夫そうだな!! ノリコちゃん次はマジで電池切れだから、もう誑かされるんじゃないぞ!!」
「はい……勿論っすよ!!」
「アデュー! 行ったれ、ラブたん!! ……ぴっ」
壁に背をつけた零極さんは、自身の頭を抱えて姿勢を落としていた。
「理解範疇、55688。ゴーグルと熱、1454、332。氷結、氷結、24、24……。ああ、絶望、絶望、絶望……」
瞳が揺れて、瞳孔が開いていく。狂気に落ちたような彼女の姿に僕は言葉を失っていた。
すると、零極さんは何事も無かったようにケロッと起き上がり、目を見開いて笑顔を作った。
「スゴミ君、君を愛しています!! 私は君に、絶望を与えてあげますよ!!」
もはや空虚にすら思えるその言葉に、僕は目を細めた。
「またそれっすか、もう騙されないっすよ。今度は、本気なんで……!!」
僕はヒーローハートの爆発ステップで、一気に壁際の零極さんへと横薙ぎで斬りかかった。
零極さんはブレードの腕で軽く受け止めて、僕の顔に迫る勢いで体を伸ばして怒鳴った。
「騙してないもん!! 本当に本当に、君の最高の幸せ、絶望だけを願っているんだよ!! 私だって本気本気本気本気……!!」
そのあまりの圧力に一瞬首を引くと、零極さんは地面へと片腕を向けて、氷の柱を突き出して飛び上がった。
空中で回転して工場の屋根に飛び乗ると、背中から鉄格子のような黒い羽を大きく展開し、両手を広げて地下都市の天井を仰いだ。
「命名します、グラシアル・サンクチュアリ……!!」
その命名と共に、鉄格子の羽の各所から真上に向かって白い光が伸びて行った。光は200m先の地下都市の天井に当たると、赤茶けた錆の天井を、真っ白な霜の色へと変色させて広げていった。それと共に、天井からは豪勢な氷の宮殿が逆さまに形成されて、地下都市の温度を一気に氷点下まで下がらせた。
「何やってんすかそれぇ!! 被害広げるつもりなんすか……!!」
僕は工場の屋根へと飛び上がり、星のエフェクトを撒き散らす光のキックで飛び込んだ。
「マジカルハート・シューティング スター シュート!!」
零極さんは足をスケートにして、後ろ向きのまま高速滑走して回避。両腕を広げて笑顔で回転をはじめた。
「素敵なお城でしょ!! ココが私とスゴミ君の始まりの聖域、ここから世界を停止して、全世界に絶望を……」
「だから何やってんだって、言ってんすよ……っ!!」
再び追いかけて豪炎の横薙ぎを放つ僕。
トランポリンの選手のように飛び越えて回避して僕の背中に立ち、目元を押さえる零極さん。
「はい、何をしているのかと言えば、アテナ第三虚数定理における位数空間への分子接続による……」
「はぁ!? 何言ってんすか、分からないんすよ!!」
僕は振り向きざまに剣を叩きつけた。
零極さんはブレードを使って鍔迫り合いを演じる。
「なんで怒るのっ!! 怒らないでスゴミ君っ!! スゴミ君はちゃんと話したら、私の事を分かってくれるでしょ!! 私は君の為、君の為になりたいのっ!! 本当に、本当なの!!」
「だからそれなら、僕を手伝うとかあるって、僕は提案しましたよねっ!! あんた裏切りましたよね!!」
僕の灼熱の剣が、零極さんのブレードを溶かして侵食した。
零極さんは脚部の冷気ブースターを衝撃方向へ緊急噴出、真横に水平に滑走した。
「裏切ってない!! 裏切って無いもん!!」
十数メートル先でブレードの溶解を氷で補強、更にブレードを身長程の長さへと伸ばし、三段重ねの氷のクローへと変形、体を浮かせてブレードでカニのように歩行を始めた。
「スゴミ君は幸福で停止出来たのに、なんで動き出したの!! 君の意思が幸福を認めていれば、幸せのままだったのに!!」
僕は背中から天使の翼を生やして広げて、宙に舞って拳を構えた。
「確かに僕は、夢見ちゃいましたよ……!! でも止まって何もしないのが幸福なんて、違うでしょそれは!!」
僕の翼がジェット噴射のように僕の体を押し出して、零極さんへと真っ直ぐに飛んでいく。
「マジカルハート、ブレイジング・メテオ!!」
炎と空気を拳に集め、光る炎の拳が零極さんの胸を狙う。
零極さんは飛び上がり、左右合計六本のブレードを中央に集めて拳を受け止めた。
しかし衝突の威力は僕の拳が勝っていた。
六本のブレードは一斉に砕けて、零極さんは両手を広げて後退噴射をするしかなかった。距離を取った零極さんは、空中で猫背になって両肩から霧状の氷を噴出させた。
「君が物語を続ければ、君の友達がまた死ぬよ!! 君は怪我をするし、死ぬかもしれない。もっと苦しい思いをするんだよ!!」
言いながら、霧の中でキラキラと光が明滅する。
それと共に零極さんの身体は霧の中を、空気が抜けていく風船のように、不規則な超高速で飛び回り始めた。
「私はスゴミ君に、なにも失って欲しくないの!!」
零極さんの霧のフィールドは凄まじい速さで広がっていき、僕の周囲までもを完全に包み込んだ。
それと同時に、零極さんが両腕を突き出して迫ってきた。
「私が止める、ココで、スゴミ君の辛いの、全部引き受けてあげる!!」
僕はすかさず剣でいなして回避する。
「そんなの僕だって、失いたくなんて無いっすよ……!! でも、それでも、助けに行きたいんすよ! 僕の事を助けてくれた人が、捕まってるんすよ!!」
「だってそんなの、私が世界を停止すれば、捕まってる子だって保存されるんだよ!!」
零極さんは高速で下から接近し、剣を構える僕の両腕の中へと滑り込んで来た。
彼女の腕が僕の腰を取り、下半身を擦り付ける形で彼女の泣き顔が目の前に迫った。
「デフィーナだって、死ぬよ!? 続けたら、動いたら……!! いつか、必ず……!!」
僕はその距離と接触に思わず息を大きく吸った。
肺が凍るような冷たい冷気が、僕の舌先に氷の幕を作る。
「だから死なせない為に……僕だって、頑張ってるんでしょうが!!」
工業地帯の空中の白煙の中で、僕と零極さんのゼロ距離の死闘は、加速を始めていた。




