第272話・零極。絶望の五、凋落。
デフィーナは激昂していた。
髪は逆立ち、目は野獣のように獰猛に敵を睨みつけ、低く荒々しい声を、対峙したエクリプス『零極』へと浴びせかけていた。
「私の絶望なんて、どうだって良いわ!! そいつがドグマを使わないと、物語が止まるって言ってんのよ……!!」
「はい、スゴミ君の物語は、彼の思うハッピーエンドで停止しました。彼はもう何も望むことは無い、完全な絶望として、完成したのです」
「意思を奪っただけの癖に、よく言えたものね……!!」
デフィーナは赤く腫れあがった手で、クロスソードをカチリと握り直した。
それに対して零極さんはアゴをあげて、無防備にゆっくりとデフィーナへと向かって歩き始める。
「私の知性は成長をして、天使級に至りました。デフィーナ、あなたは支持者であるならば、支持者は走者と協力しなければ、天使には勝てないと言う、物語の絶対的法則を知っているハズです。その剣を握り、私と戦うつもりなのですか?」
「ぐっ、コイツは……」 デフィーナは目を細めて、歯を噛んだ。
僕が最後にデフィーナに補給を行ってから、デフィーナは結構動いている。ドグマによる意思の燃料も、もう残っているのかすらも分からない。
デフィーナは真っ直ぐに右へと走り出した。
二人が居るのは工場地帯の、平屋の工場が並ぶ一角の中庭。狭いと言う程の空間ではないが、大規模な機動が取れるほどの広さでも無い。デフィーナは走る先には工場の扉があった。重そうな錆びた鉄のレール式の引き戸、留め金が合わさっているが南京錠はかかっていない。
「仲間が居ましたね、時間稼ぎですか?」
零極さんは脚部装甲の裏側から強烈な勢いで冷気を噴出。鋭利な足の裏でスケートのように地面を滑走し始めると、その距離は一瞬で詰められていた。中庭の広場全てが最初から零極さんのワンモーション、必殺の間合いだった。
デフィーナは飛び込むように扉の取っ手に触れる。
「やかましいわね、エクリプスと話す事なんて無いわよ!!」
その瞬間『クォーン』とビブラートの効いた鋼鉄が空気を裂く音と共に、両肘についた足の長さ程のブレードを横一文字に振りぬいた。重厚な鉄製扉は食パンのようにあっさりと両断されて、切り口から真っ白な霜が広がる。
だがデフィーナは、転ぶように体を地面へと寝ころばせて、攻撃を回避していた。
「マジカルハート、ハンターシャーク!!」
デフィーナが叫んだのは、影に潜行する隠密スキル『ハンターシャーク』。デフィーナの身体は工場の影へと入り込み、即座に僕と天使さんの見つめあう氷像の足元から出現し、凍った僕と手を取り合う天使さんの像との間に、割り込むように入り込んで来た。
デフィーナは凍り付いた僕の頬を両手で掴み、唾がかかる程の距離で怒鳴り上げた。
「ふざけんじゃないわよスゴミ!! あんた何にも終わらせて無いでしょ!! ブリアンも、シゲルも……それにナラクの物語だって、あんた何一つやり遂げてない!!」
僕は凍ったまま動けない、デフィーナの体温も叫びも、意識が停止した僕には何一つとして届いてはいなかった。僕の顔は笑顔のままで固まっている。全ての苦難から解放された、至福の表情だった。
「なんなのよ、その間抜け面は……!! イラつくわね本当にもうっ!!」
デフィーナの指に力が入ると、彼女の指が僕のもみ上げに触れて、凍り付いた髪の先が『パキッ』と割れて転がった。
そこに零極さんが、ゆっくりと歩を進めながら、手を差し出していた。
「触れないでください、スゴミ君が砕けてしまいます。彼の体はドグマの力によって、内側から凍り続けています、外からの物理的解凍は受け付けません」
「なんなのよ、スゴミをこんな風にして……私を殺したら、本物の天使が来るわ……このアホがそれを許すわけがない!!」
「はい、私はあなたを殺しません。私はこの世界の全てを絶望によって凍結し、永久の停止によって保管致します。天使による終焉という喪失を避ける為の、絶対的安定が約束されたプランです」
「はっ、所詮エクリプスだわ……!! スゴミ、起きなさい!! 早く起きないと、本当に終わるわよ、スゴミ!!」
デフィーナは零極さんを無視して、僕の顔を掴んで声をかけ続けていた。
零極さんは手を差し伸べたまま、一歩一歩デフィーナへと近づいてくる。
その冷気に煌めく指先が、僕と天使像の腕による境界を跨ごうとした、その時だった。
平屋の工場内部で、けたたましい爆音が響き渡った。
『ドルゥン、ドルゥン』というエンジンの音と共に、零極さんが切り裂いた鋼鉄の扉を蹴とばして、狂気の男が血まみれの顔で歯茎を見せてニヤけていた。
「こっちを向け、数字のやつ!!」
大声を上げてエンジンの付いた大剣を引きずる男、ストームが立ち上がっていた。
「小細工使いやがってよぉ、俺は正面突破だ……!! 俺が今から、正々堂々、テメェを暗殺してやるぜ!!」
それに対して零極さんは振り向き、冷えた眼光を飛ばす。
「やめてください。その武器の横暴さで近寄れば、スゴミ君が砕けてしまいます」
ストームは剣のグリップを捻り、エンジンの回転数をあげて轟音と共に排気の黒煙を撒き散らした。
「ハッ、命乞いしてんじゃねぇよ、雑魚が死ぬなら、それはそこまでって事だろうが!!」
今にも飛び出して来そうなストームを前に、零極さんは僕達から離れて、ストームの直進の射線をずらして、手のひらを突き出して彼へと手招きを行った。
「分かりました。正々堂々の正面から、その条件で受けて立ちます。開戦はあなたのタイミングで、いつでもどうぞ」
「ああ? ちっとは話分かるな、テメェ!!」
ストームは叫び散らすと共に、エンジンの剣による爆発的な加速で飛び出した。それは駆け出すのでは無く、彼の体が爆風に吹き飛ばされただけのような荒々しいキリモミ発射だったが、零極さんとの距離を詰め切る瞬間には大剣による縦の大振りへとキッチリと軌道修正されていた。
「死ねぇー!!」
重量100kgを超えるバイクのような鉄塊が、刃となって零極さんの鼻先からヘソまでを一直線に断つ勢いで容赦なく振り下ろされる。
零極さんの動きは少なかった。
その場から一歩足りとも動かず、両手のブレードを正面でクロスして受け止めるガードの姿勢。
激しい金属の衝突音と共に、ストームの剣が叩きつけられる。しかし零極さんの両腕は微動だにせず、ストームの大剣が少し弾かれてから鍔迫り合いとなった。
「んだと……! コイツっ!!」
ストームが渾身の一撃を止められたことにより意識がブレた一瞬に、零極さんは冷たく唱えていた。
「ステイシス……」
その瞬間に、ストームは剣を叩きつけた飛行姿勢のまま、全身を氷で覆われていた。
頭から胸部のみを残して、全身を包む氷が地面から樹木のように繋がっており、その身体を刀剣ごと空中静止させていた。
「ぐ……っ! 動かねぇ……!!」
「正面から受けました。決着です。他に望みはありますか? あなたの願望を排泄し、絶望を完成させます」
「はぁ? 決着だと!? 俺の勝負は生きるか死ぬかだ、俺が生きてる限り、決着なんてしてねぇぞ!!」
「それは初回に提示されたルールではありません。あなたが正々堂々を語るなら、ルール追加はしないでください」
「やかましいんだよ、このクソ氷がぁ!!」
ストームは、氷に覆われたままで腕を曲げ、氷の外装を纏ったままで動き出した。
「凍ってる状態で曲げると、手足折れますよ」
零極さんはブレードを弾くように広げて、ストームの大剣を宙へと跳ね除ける。ストームはその勢いに任せて足の氷も無理矢理に蹴り飛ばした。片足のズボンが破けて皮膚を氷に残して引き剥がして、ふくらはぎから大量の血を流す。
しかしストームは一切怯まず、顔は愉悦に染まっていた。
「馬鹿がっ!! 首だけ残ってりゃ戦えるんだよっ!! 凍らすなら首にしとくんだったなぁ!!」
ストームは空中高く飛び上がり、剣のエンジンに取り付けられたハンドルをガチガチと捻って変速ギアを入れ替えていく。
そしてエンジンの内側が青い光を解き放ち、高く鋭い回転音が工業地帯に鳴り響いた。
「行くぜ。一撃必殺、急降下神風爆雷……正面突破だ!!」
それを見た零極さんは、即座に駆け出していた。
「3212……ああ、破滅に挑む者の絶望へのルートは……」
呟きながら、工場の屋根へとひと飛びで飛び乗り、僕達との距離を取って構え、真上のストームを見上げる。
「その出力だと、衝撃波が出ますね。死にますよ、あなた」
「だったらテメェが、先に死ねっ!!」
僕がストームと初めて戦った時にストームが使っていた『スサノオ・テンペスト』は、一瞬で音速に至る、一直線の捨て身の特攻技だ。
ストームの体は青い閃光と化して、空中に砕けた氷と衝撃波を残しながら、垂直に音速の急降下をおこなった。
『パシュオーン』とジェット機が通り過ぎるような音が空気を震わせて、廃工場のガラス窓がカタカタと震える。
零極さんが避ければ、ストームは音速で地面に激突する。
零極さんが受け止めても、零極さんを貫いてその肉をクッションにしても、ストームが迎える結末に大差は無いだろう。
まさに死をも恐れぬ全開の殺意。
それこそがストームの持つ、欲望を超えた執念の塊だった。
零極さんは、ストームが飛び出すと同時に工場の屋根に氷の円盤を貼り付けて足場を固めて、ストームへと真っ直ぐに飛び上がっていた。
ストームが発射してから、音が重なる程の刹那に、空中で花火のような激しい衝突音が鳴り響く。
零極さんは突き出されたストームの剣の、エンジンの部分を両手で支えるように掴んでいた。そして、ストームの直滑降の威力を殺すように足の裏から冷気を噴出して、ストームの剣を抱きしめるようようにして、ゆっくりと静かに、氷のフィールドを張った工場の屋根へと着地した。
「何が起きて……スサノオ・テンペストだぞ……!?」
その停止に衝撃を受けるストームの耳元で、零極さんは静かに告げた。
「はい、技名ですね。なので速度の指数減衰を行いました」
そして、零極さんはストームを剣ごと氷のフィールドへと叩きつけ、ストームは背中を強く打って剣を手放した。
「うがっ……!!」
零極さんは、すかさずストームの剣を氷の上に突き刺して、彼の顔面の真上に自身の腕から伸びるブレードの先端を突きつけた。
「ルールはどちらかの死によって決着、あなたの望み通りに首を切り落として決着とします」
「うぉおあ!!」
ストームはすぐに起き上がろうと、背筋を縮めて身体を跳ねさせた。しかし既に両手両足が氷のフィールドに沈むように埋設されており、身動きひとつ取れない状態だった。
その時、デフィーナは変わらず僕の氷像へと寄り添い、真っ赤に霜焼けした手で僕の顔を掴みながら、シャーベット状の涙を流し続けていた。
「スゴミ、さっさと起きなさいよ、ねぇ、聞こえないの、アイツ死ぬわよ、あんたそういうの、嫌がるでしょ、ねぇ! 何とか言いなさいよ、ねぇ!!」
僕の氷像は反応しない。僕の意識は依然として最高の感動で停止しており、デフィーナの言葉は全く届いていなかった。
零極さんの側では、彼女の腕のブレードがストームの額に一瞬触れて、目印のように赤い切り込みを入れていた。
「では、ストームさんでしたね。武人の情けに基づいて、あなたを殺します……残念ですが、さようなら」
血を引くようにして冷気を纏ったブレードが振り上げられた。
「く、クソがァああ!!」
零極さんがブレードを振り抜く時の、凍った空気を切り裂く音が、ストームの命に向かって振り下ろされた。
ストームは観念したように目を閉じて、ただ歯を食いしばって痛みを受け入れようとしていた。
だが、ブレードはストームの耳の外を掠めるようにして、氷のフィールドを削る高音だけを弾き出していた。
その音と衝撃に、ストームの瞳がギョロリと開いて驚愕の顔を示した。
その時、零極さんは四つん這いとなり、寝転ぶストームの耳元で甘く優しく囁いていた。
「私はストームを殺さないからね、大丈夫だよ」
「え……っ?」
ストームの口から出たのは、小さな驚きの一言だった。
それと共に、ストームの身体は『ピシッ』と言う音と共に、一瞬にして真っ白に凍り付いた。
零極さんは四つん這いからゆっくり立ち上がると、仰向けで凍り付いたストームを見下ろしていた。
「あなたは死の覚悟の上に命を与えられ、それ以上を望みませんでしたね。あなたの絶望は完成しました」
零極さんはそれだけ告げて、デフィーナへと冷たい視線を再び向けていた。




