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あの……天使さん、もう帰っていいっすか? ‐天使に主役を指名されたけど、戦いたくないので帰ります‐  作者: 清水さささ
第7章・潜入編

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第271話・零極。絶望の四、窮極。

「帰る場所に導くって、なんすか……? 僕の帰る世界は、もう天使さんが消しちゃって、真っ白になったんすよ……」


 僕は零極さんの接近と申し出に、息が止まりそうだった。

 『絶望』から生まれて、幾億の死体の集合体に意思が宿ったという彼女。その瞳の澄んだ湖畔のような深い青の中に、僕自身の人影が写っていた。


「エクリプスはね、シグマのドグマによって、人間の中の僅かなドグマを集める為に生まれた存在なの。だからね、私の中にも君が使っているのと同じ、ドグマがある」


 僕の左半身が疼いていた。半身不随となった僕の体を、意思の力で生きているように、自在に動かしてくれている『僕のドグマ』。それが彼女の言葉に反応しているのか、僕の困惑がカタチとして出力されているのか、それを確かめる術は今の僕にはない。


「ドグマを使えるのって、走者《キュリオス》だけって話じゃなかったんすか……?」


「そうだね、でも厳密には……脳の中心、松果体に生源細胞をもつ人間だけが、ドグマを通して意思を出力できるの」


 僕は左手をあげて、自身の左目を覆い隠した。

「そういえば……デフィーナさんが、カイって走者《キュリオス》の頭から脳みそほじくり出して、僕に付けてきたっすよ……」


「そうなんだね。生源細胞は人によって場所が違うんだけど、走者《キュリオス》は脳の中心にある事が条件だから、それを回収するのは支持者《アルハ》の役目の一つになっているね」


 零極さんは一度目を閉じて、息を吸い直してから僕を見上げた。


「エクリプスもね、集めたドグマを頭の中心に置いているの。私のドグマもそこにある。だから私は私のドグマ能力で、君を『絶望』へと導いてあげることが出来るんだよ」


 僕はその一言を聞いて我に返り、氷の壁を這うように左側へと体を反らして、零極さんの抱擁から抜け出した。

「絶望へ導いてあげるって、なんすか……。やっぱり敵、僕を絶望させてやろうって、そういう事なんすか……」


 僕の警戒する姿を見て、零極さんは呆気にとられた表情を取っていた。口を半開きにして、悲しそうな顔にも見える。


「『絶望』って言うのはね、全ての望みが絶たれているって事なんだよ?」


「だ、だから……!! 僕を追い込んで、諦めさせて、絶望させるって事なんじゃ無いんすか!!」


 僕の緊張と怯えるような素振りを見て、零極さんは唇をつまむように指を当てて、静かに涙を流し始めていた。

「違うよ……どうして、どうして君は、私を信じてくれないの……?」


「どうしてって、そもそもエクリプスは敵で……」


「その話は済んだでしょ? 君は満たされていて『最高に幸せだ』『もう何も欲しくない』って思った事は無いの?」


「幸せ……? 絶望の話じゃ無いんすか……」


「そうだよ、絶望の話。不幸な人ってのはね、お金があっても、恋人が出来ても、ずっと欲張り続けて、まだ足りない、もっと欲しい、もっと、もっとって……欲望に終わりが来ない人の事なんだよ」

 零極さんは腕の装甲の中から、再び白いカーネーション、僕が彼女に投げ込んだ『追悼の花』を取り出した。

「人生で最高の瞬間、本当にもう何もいらないって、やりきったって思えるような瞬間……なにも望まない気持ち、それが最高の『絶望』の状態でしょ?」

 彼女は花を額に当てて、祈るように両手で掴んで震えた。

「私はエクリプスとして生まれて、人を殺す事しか出来なかった存在なのに、君は私を見てくれた。声をかけてくれた……その時、私は本当に満たされていて、絶望を確信していたの」


 そして白い花弁を両手で包み込み、自身の喉元へと持って行った。


「でも分かり合えないのなら、私は改めて死者として、この花を受け取って停止するから……」


 その行動を見て、僕は衝動的に身を乗り出して彼女の手首を握り、追悼の花を首から遠ざけさせていた。

「な、なんすかその、ダメなら死ぬみたいな極端なの……!! つまりはアレっすよ!! ハッピーエンドの一枚絵が最高で、その先が要らないなら絶望って、そんな感じの考え方してるって事っすか!?」


 押し迫る僕に対して、零極さんは涙を人差し指で掬いながら、小さな笑顔を作った。


「ああ……ハッピーエンド。とても素敵な言葉だね。私はね、スゴミ君にハッピーエンドを届けたいと思っているの」

 そして僕に手首を掴まれたまま僕の肩へと頭を預けるように飛び込んでくる。

「スゴミ君の望みは、この世界での出来事を解決して、物語の運命から解放された時に、自分の場所へと帰る事なんだよね……?」


「えっ、まあ……まとめると、そうなるっすよね……」


「出来るよ、ドグマは意思を形にするんだから。目を閉じて、自分の心を意識してみて、私が君のハッピーエンドを教えてあげる」


 その声は嬉しそうであり、照れているようでもあった。僕に恋人がいたことは無いが、恋人に耳元で囁かれると言うのは、こういう感じなんだろうと思わせるに十分な甘い音色だった。

 僕は言われるままに目を閉じて、意識を自分の中へと集中した。胸へと寄りかかる零極さんの暖かさと、頬を撫でる彼女の青い髪、頭皮の体温が視界を閉じた事でより一層、鋭敏に感じ取ることが出来た。


 そして、音も鮮明に頬骨を伝わって頭の中へと響いてくる。


「君は全てを解決した。ブリアンは救われたし、王国も救われた。それは君と仲間たちの、頑張りの成果だった。この世界に思い残すことは、もう何もない」

 語る彼女の言葉。突拍子もなくて、想像もつかない内容だが、僕はただ黙って聞いていた。

「君は帰って来た、どこだろう、自分の世界かな、君が帰りたい場所は……どこ?」


「えっと、僕の部屋……みたいな?」


「それは、君が人生で一番幸せだった所?」


「人生で一番……っすか?」


「そう、思い浮かべてみて、自分の部屋にいた君は、なによりも満たされていたの?」

 彼女の問いかけは、ゆっくりだった。その問いかけが僕の凍った思考を次第にほぐしていく。彼女は質問を続ける。

「部屋には何があるの? それが君を満足させている?」


「部屋にはフィギュアがあるんすよ、マジカルエンジェルってアニメのやつで、フィギュア買ったり眺めてると、結構満足するっすけどね……」


「そっか……結構なら、そこはまだ最高じゃないよ。君は自分の部屋にいても、なにかが足りなかったんじゃないの?」


「う、うぅ……」


 僕は考える事に痛みを感じ始めていた。痛い所を指摘されているからだ。実際そうだった、僕は部屋に帰って鍵を閉めても、ベッドで寝転がってスマホをいじってる時も、ずっとずっと僕の居場所はココじゃない、帰りたい、もっとずっと帰りたいと、願い続けて来たんだ。


 唸っていると、零極さんは優しく導いてくれる。

「無理しないで、君の人生の中にも、きっと一番幸せだった時があるよ。それは誕生日? 初めてのお友達? 君が本当に満たされていた時を、思い出してみて……」


「一番……。一番っすよね……でも、僕ずっと、最低だったっすから……」


 思えば僕の人生は小学二年生の夏、シゲル君に敗北して不登校になってから、空っぽだった。

 マジカルエンジェルにハマったのも、セイントハートのキャラが気に入ったからだったし、セイントハートにハマったのもその見た目だけだ。中身なんかじゃない。


 言葉に詰まっていると、零極さんが動かしてくる。

 

「どうして、最低なの……?」


「僕は弱くて、友達を守れなくて、それで、友達に嫌われて……」


「そうか、それは辛かったんだね。でも友達になったって事は、一緒に遊んでて、楽しかった思い出もあるんじゃないの?」


 友達の顔は思い出せない。名前……名前は死に際の記憶の中で見た。

『白羽 歩波』それが僕の友達だった女の子の名前だ。


「名前はアルハ……アルハなんすよ、多分。でも何にも覚えて無いんすよ、その子と遊んだ事も、声も、顔も……」


「そうか、そうなんだね。幼い記憶は曖昧で、溶けていってしまうから……でも体験はね、君の物語として記憶の奥に眠っているハズなんだよ。それは夢のようにあやふやで、チグハグに入れ替わっているのかもしれない」

 零極さんの柔らかな手のひらが、僕の後頭部を包んだ。

「そこからがきっと大変、だからしっかり集中して。君のドグマは覚えている、君が辿った物語、君の核心の場所。急がなくていい、意識を深めてみて……」


 僕は零極さんの言われるままに、意識を流していた。


 彼女との接触時間が長くなり、湿った体温が籠って、フワフワと眠りに落ちる寸前のような温かみが僕の体中を包んだ。そうすると、今まで暗かった地下の氷球の中だったハズの僕の視界は、スゥっと明るく、白く染まっていった。


 まるで、瞑想に入った時のようだ。


 白い空間から浮き出るように、狭いグラウンドの光景が視界に焼き付いていた。

 そこは幼稚園のグラウンド、はしゃぐ子供たちが『キャー』と高い声をあげて、走り回っている。


 その園庭の端の木陰に、真っ白な人影があった。

 人影はまるで、絵画をハサミで切り取ったかのように、真っ白で何も映っていない。


 そして、幼い僕の声が聞こえてきた。


『てんしさん、てんしさん! 君は、てんしさんなんでしょ!!』


 幼い頃に見た、手書きの絵本『アトラスと天使』。その登場キャラクターである『天使《てんし》』に憧れていた幼い僕の、現実とフィクションの差も分からない、酷い勘違い発言だ。


 切り取られた空間からは、何も返っては来ない。


 だが次の瞬間に、妄想の幼稚園とは違う生の暖かさで、耳元に囁きが届いた。


「わぁ……嬉しいなぁ、天使さんはね、君が帰って来るのを、ずっと、ずっと待っていたんだよ」


 その耳を掠めるような息遣い、完全に天使さんである僕が世界で一番好きな声に、全身が電撃を受けたように跳ねあがり、脳天からつま先へと駆け抜けるように鳥肌が走った。


 僕は反射的に目を開けていた。


「天使さん!?」


 僕の目の前にあったのは、マジカルエンジェル・セイントハートの姿。パッチリとした大きな赤い瞳に、真っ白なツインテールをなびかせる、完全なる体温を持った天使さんの姿だった。


 溢れ出す涙と共に口角は上がり、僕は全ての苦難から救われた絶対的な幸福感と、充足感に満ち溢れていた。


「ああ……て、天使さん……僕はここに……」









『ピシ……ッ』




 その瞬間に、全てが停止した。


 その音は、僕の全身が凍り付く音だ。

 僕自身が聞く事のなかったその音が、氷球の中の小さな空間に寂しく響いた。


 僕の目の前に、天使さんの姿は確かに存在した。


 だがそれは僕自身のドグマが作り出した、天使さんの形をした動かない人形だった。僕は零極さんの誘導で天使さんを自作し、それを天使さんだと信じ込み、自分でも気づかない速度で凍り付いていたのだ。


 僕の固まった顔は、至福の笑顔だった。


 零極さんは僕の脇にそれ、僕の耳に手を当てて、感情の無い真顔で天使さんの声真似をしていた。


「天使さんが君の希望だったんだねっ!! やったね、スゴミ君ッ!!」


 その瞬間に、僕らを閉じ込めていた氷球は解除されて、煌めく氷の結晶が宙を舞った。


 天使さんの人形と向きあって手を取り合い、氷の煌めきに飾られた僕の氷像は、紛れもなく『ハッピーエンド』を切り抜いた一枚絵と言う他になかった。


 その光景を、氷球の外にいたデフィーナが見て顔を歪めた。

「スゴミ……!! だからこいつは言ったのに、アホだから……ッ!!」


 零極さんは氷のような青い瞳で、再会したデフィーナを睨みつけた。

「大丈夫です。スゴミ君の『最高の絶望』は、永久の保存を持って完成されました」


「なにが絶望よっ!! その氷、解除しなさいよ!!」


 デフィーナはずっと剣で氷球を叩き続けていたようで、その手は赤く腫れあがりながらも、刃の欠けたクロスソードを握り続けていた。そして目を細めて、憎悪に染まった黄金の瞳で零極さんを睨み返していた。


 零極さんは一切視線を反らさずに、デフィーナに対して正面へと向きかえる。

「デフィーナ、あなたは支持者《アルハ》。支持者《アルハ》に正の感情は存在しないので、あなたは願望を持つことが出来ない」


 その指先が、鋭い爪の形となってデフィーナを指さした。


「……あなたの絶望は、最初から完成しています」

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