8.貴族(改稿後)
パリンッ――と、甲高い音が部屋に響いた。
続いて、小さく「きゃっ」と可愛らしい悲鳴。
何事かとキッチンへ向かうと、そこには箒を手にしたレイナが立っていた。足元には割れた皿の破片が散らばっている。
どうやら、手を滑らせたらしい。
「手伝うか?」
そう声をかけると、レイナは一瞬こちらを見て――すぐに視線を逸らした。
「大丈夫よ。危ないから向こうに行ってて」
やんわりと、けれど有無を言わせない口調。
……いつも通りだ。
結局、俺は何もさせてもらえず、リビングに戻ってソファに寝転がる。
しばらくして片付けを終えたレイナが戻ってきたので、俺は体を起こして隣を空けた。
「あのお皿、お気に入りだったのに……」
ぽつりと、少しだけ残念そうに呟く。
その声に、ほんの少しだけ罪悪感みたいなものが混じっている気がした。
「なら新しいの買いに行くか?」
「そうね……そうしようかしら」
「よし、今から行こうぜ」
勢いよく立ち上がると、レイナは少し驚いたように目を瞬かせた。
「え? 貴方も行くの?」
「買い物くらいいいだろ?」
「……まあ、それくらいなら」
少し間を置いてからの許可。
それだけのことなのに、胸の奥がほんの少しだけ軽くなる。
外に出る理由ができるだけで、こんなに気分が上がるなんて――我ながら単純だと思う。
それでも今の生活は嫌いじゃない。
けど、やっぱり――たまには外に出たい。
そんな小さな欲求を満たすだけの外出だったはずなのに。
この後、それが面倒なことになるなんて、この時の俺は思ってもいなかった。
◇
世界の中心地にあるエレミア王国。
その国の西側に位置するガレル領と呼ばれる街の端にレイナの家は建っていた。
この付近は比較的治安が良い。出店が並ぶ市場も非常に賑わっていた。
「どんな皿にするんだ?」
「そうねぇ。拘りとはないけど、お洒落なのがいいわね」
俺達は小洒落た店に入ると、目当ての皿を物色する。
こういう技術は発展してないのか、大体が柄も何もないシンプルな見た目をしていた。
その中に、一つだけ目立った皿を見つけた。
「なぁ、これなんてどうだ?」
「あ...そ、それは辞めておいた方がいいわ」
「え、何で?」
この店の中ではどう見てもこれが1番見た目が良かった。
派手すぎず控えめな柄が、上品さを際立たせている。
これの何がダメなんだ?
もしかして、値段が高すぎたのだろうか。
「こ、これセットなのよ」
「あーなるほど」
言われてみれば、同じ柄で色が違う皿が隣り合わせで飾られていた。
確かにセットだとは思わなかったが、それ程問題があるだろうか?
俺は2枚買えばいいのでは?と思ってしまった。
「2枚買うのはダメなのか?」
「......この国ではね、結婚する時に同じ柄の色違いのお皿を買って結婚生活を送る風習があるの」
「つまりこれを買う時に夫婦だと思われると」
「ふう!?……ま、まあ、そう言う事よ」
なるほど。店員に夫婦だと思われるから躊躇っていたのか。
「何か問題あるの?それ」
「も、問題って...嫌でしょう?私とその、そういう風に思われるって」
このやり取りも何度目になるだろうか。
今までの扱いから仕方ないとはいえ、自分を卑下するレイナを見てると、昔の自分を思い出して溜息が出る。
この場合は自分が嫌なのではなく、相手に嫌がられるのが怖いから一歩引いてしまうのだ。
それが理解出来るからこそ、俺はこういう時多少強引でも押し切る事にしていた。
「そんなの気にしないって」
「で、でも」
「レイナは俺とそうだと思われるのは嫌か」
「わ、私が嫌なわけないわ」
「なら皿の見た目は?」
「お洒落だと思うわ」
「値段は?」
「お手頃ね」
「よしなら買おう」
「あ」
俺は皿を掴むと、レイナの手を取り強引にレジに向かった。
案の定店員からは疑わしげな視線を感じたが、俺は気にせず財布を取り出して商品分の金をテーブルに置く。
勿論、この財布と中身の金はレイナのものだ。
何故俺が持っているのかといえば、レイナよりも俺が会計をした方が店員からのウケがいいからだ。
そうすると、たまに何も言わなくても値引いてくれるからな。
「ふふ、ありがとう」
「レイナが買ったんだけどな」
会計を終えて店から出ると、レイナがお礼を言ってくるが、俺はただ人の財布から金を出しただけである。
それだけでお礼を言われるなんて、どこまでも俺に優しい世界だと思う。
そしてレイナのようなこの世界では醜女と呼ばれる女性達にはどこまでも厳しい。
醜女にとって、生きていくのさえ難しいこの世界で、どのように生きたらレイナのように強くて優しい女性が育つのだろうか。
世界が厳しい分、俺がレイナに優しくしていこう。
店を出た後。
ふと、周囲の視線が少しだけ気になった。
……いや、正確には「レイナに向けられている視線」だ。
露骨に逸らされる目、ひそひそと交わされる小声。
この世界では当たり前の光景。
分かっているつもりでも、やっぱり気分のいいものじゃない。
「お前が噂の男だねぇ」
不意に、背後から声がかかる。
振り返ると、そこには護衛を数人引き連れた、肥え太った中年の女が立っていた。
服の質、装飾品の数――どう見ても、ただの平民じゃない。
というか、見た目の圧がすごい。
「……貴方は?」
「この方はエレミア王国ブヨント公爵家当主、デブーリ・ブヨント公爵であらせられます」
護衛の一人がそう告げる。
やっぱり貴族か。
面倒なのに絡まれたな、というのが正直な感想だった。
「貴族様でしたか。俺のような平民に何かご用でしょうか?」
貴族が一体俺に何の用だろうか。
「何やら醜女がとんでもない男前を囲っていると噂を聞いて来てみれば、いいわねぇ貴方。アタシのタ・イ・プよ」
デブーリと呼ばれた公爵はそう言うと、厭やらしい笑みを浮かべて此方にねっとりとした嫌な視線を向ける。
正直言って気持ちが悪い。
「うっ‥‥‥ご冗談を」
我慢出来ず嗚咽が漏れたが、何とか耐える。
「冗談なんかじゃないわぁ。今まで醜女の相手をさせられてさぞ辛かったでしょう?今日からはワタシが貴方のご主人になってあげるわぁ。感謝なさい」
「申し訳ございませんが、お断りします」
デブーリが俺の元に来た理由はわかった。
だが、俺は間髪入れずに断った。
俺に断る以外の選択肢はない。
誰がこんな気色の悪いババアをご主人にしたがるんだ。
貴族だからと丁寧に接していたが此方にも限界があるぞ。
「‥‥‥なんですってぇ」
「ですからお断りすると言いました。俺は彼女から離れるつもりはないんです」
「貴方に選択権があると思ってぇ?これは強制なのよぉ。お前達ぃ、あの男を捕らえなさいぃ」
「し、しかし公爵様、男性を無理矢理手篭めにした事が王国にバレたら」
「黙りなさいぃ。貴方達はぁ、ワタシの言う事を聞いていればいいのよぉ」
「‥‥‥はっ」
デブーリの号令で、護衛の数人が俺を取り囲んだと思えば、申し訳なさそうな顔をしながら俺を拘束していく。
護衛に腕を掴まれた瞬間、背筋に嫌な汗が流れた。
力が違いすぎる。振りほどけない。
「は、離せっ……!」
必死に抵抗するが、びくともしない。
このまま連れていかれる――
そう思った、その時だった。
――ドンッ!!
鈍い衝撃音と共に、俺を掴んでいた護衛達の体が一斉に吹き飛んだ。
何が起きたのか理解するより先に、視界の端に“それ”が映る。
ゆっくりと振り返る。
そこにいたのは――
いつもと同じ仮面をつけた、レイナ。
なのに、まるで別人だった。
空気が違う。温度が違う。
あの柔らかくて優しい雰囲気は、どこにもない。
ただ、圧倒的な“殺気”だけがそこにあった。
「死ね、下女共が」
低く、冷え切った声。
聞いたことのない声音に、思わず息を呑んだ。




