3.嫉妬
わずかな沈黙のあと――
「嫉妬、ですか」
セレフィーナは一切視線を逸らさず、ゆっくりと頷いた。
「ええ。その通りですわ」
静かな声音。だが、そこには誤魔化しの色はない。
「私は――貴女に嫉妬しています」
はっきりと、言い切る。
王女という立場にある者が口にするには、あまりにも露骨で、あまりにも人間臭い言葉だった。
そのまま、セレフィーナは一歩前に出る。
「レイナさん」
呼びかける声は、どこか切実で。
「どうか……仮面を外してはいただけませんか」
そして――
深く、頭を下げた。
場の空気が、僅かに揺れる。
その姿には、取り繕った気品ではない、剥き出しの感情が滲んでいた。
「嫌よ」
だが、返ってきたのは即答だった。
一切の間もなく、冷たく切り捨てる。
レイナは一歩も動かない。
仮面越しの視線が、ただ冷ややかにセレフィーナを見下ろしていた。
「……そう、ですか」
それでもセレフィーナは顔を上げる。
その表情は崩れていない。
けれど――ほんの僅かに、縋るような色が混じっていた。
「きっぱりと、諦めをつけたいのです」
「知らないわ」
あまりにも素っ気ない拒絶。
取り付く島もない。
「……なあ」
空気に耐えかねたように、シュナイダーが口を挟む。
「なんで仮面を外すことが、“諦める”ことに繋がるんだ?」
素朴な疑問だった。
だが、それはこの場の核心に触れる問いでもある。
「それは……」
セレフィーナが言葉を詰まらせる。
唇がわずかに震え、言葉が続かない。
――言えない。
いや、言いたくないのだろう。
その感情の正体を。
「……はぁ」
小さく、ため息。
その沈黙を断ち切ったのはレイナだった。
「この女はね」
吐き捨てるように言う。
「私の素顔を見て、“安心したい”のよ」
「安心?」
シュナイダーが眉をひそめる。
レイナは肩をすくめるようにして続けた。
「自分より“マシな顔”だって確認したいの」
淡々と。
だが、その言葉は鋭く、容赦がない。
「それなら仕方ないって、自分に言い訳できるでしょう?」
「……」
沈黙。
図星だった。
セレフィーナは否定しない。できない。
その代わりに、ゆっくりと息を吐いた。
「……ええ」
そして、静かに認める。
「その通りですわ」
もはや取り繕う意味はない。
「私は――安心したいのです」
声が、わずかに揺れる。
「貴方の素顔を見ることで、私は貴女より醜女。だから仕方ない……そう思いたい」
それは、王女の言葉ではなかった。
一人の、傷ついた人間の言葉だった。
「まあ、いいわ」
そのすべてを受けてもなお、レイナの態度は変わらない。
むしろ、どこか呆れたように。
「そんなに見たいなら、見せてあげる」
「お、おい」
思わずシュナイダーが声を上げる。
「いいのか?」
「いいわよ」
迷いはなかった。
ゆっくりと、レイナの手が仮面に触れる。
一瞬の静寂。
そして――外された。
露わになる、その素顔。
整いすぎた輪郭。透き通るような白い肌。均整の取れた造形。
この世界では“醜い”とされる、完璧な美。
「……嘘……」
セレフィーナの手が、口元を覆う。
目が見開かれ、呼吸が浅くなる。
理解が追いつかない。
だが、視線は逸らせない。
「……ずるい……」
ぽつりと、零れた言葉。
それはあまりにも小さく――
しかし、確かに感情を孕んでいた。
「ずるい……」
繰り返される。
少しずつ、声が強くなる。
そして――
「ずるいずるいずるいっ!!」
感情が、弾けた。
抑えていたものが、一気に溢れ出す。
「セ、セレフィーナ……?」
シュナイダーが戸惑いを隠せない。
だが、セレフィーナはもう止まらない。
その瞳には、怒りとも悲しみともつかない感情が渦巻いていた。
「私と変わらないくらい醜女じゃない!」
叫ぶ。
先ほどまでの上品な口調は崩れ、剥き出しの言葉が飛び出す。
「ええ、そうよ」
対するレイナは、まるで意に介さない。
「それが何?」
冷静すぎるほどの返答。
その温度差が、余計にセレフィーナを追い詰める。
「なんでっ……!」
声が震える。
「なんで貴女は――」
一歩、踏み出す。
「シュナイダー様の側にいられるのですか!!」
悲鳴に近い問いだった。
理解できない。理解したくない。
それでも、知りたくて仕方がない。
「シュナイダーは、私のことが好きだからよ」
あまりにもあっさりと。
当然のように、レイナは言い切った。
「っ……!」
息を呑む音。
その言葉は、何よりも残酷だった。
「そんな……嘘ですわ……!」
首を振る。否定する。
「私達のような醜女を……好きになる殿方など、いるはずがありません!」
それは、これまで信じてきた“常識”。
崩れてはならない、心の支え。
「私にはいるわ」
だが、それをレイナは簡単に壊す。
現実として、突きつける。
「どうして……っ」
声がかすれる。
「どうして貴女には……」
言葉が続かない。
代わりに、膝から力が抜けた。
崩れ落ちるように、その場に座り込む。
「どうして私には……現れないのよ……っ」
絞り出すような声。
それはもう、王女のものではなかった。
ただの、救われなかった少女の声だった。
「……」
しばらくの沈黙。
その中で、レイナはただ一言。
「どうでもいいわ」
冷たく、言い放つ。
レイナの一言が、静かに落ちた。
突き放す言葉だった。
だが――
セレフィーナは、もう反論しなかった。
俯いたまま、微動だにしない。
長い沈黙。
やがて。
「……っ」
小さく、喉が震える音が漏れた。
次の瞬間――
「……あ、ぁ……」
押し殺していた何かが、決壊した。
声にならない嗚咽が零れ、肩が震え出す。
止まらない。止められない。
今まで積み上げてきた理性も、誇りも、王女としての仮面も――すべてが崩れ落ちていく。
「ぅ……ぁ……っ、ぁあ……」
崩れるように両手を床につき、そのまま俯く。
涙がぽたぽたと床に落ちていく。
美しい顔が歪み、ぐしゃぐしゃに崩れていく。
それでも、誰も何も言わない。
レイナはただ黙って見ている。
シュナイダーも、軽口を叩く余裕を失っていた。
やがて――
ひとしきり泣いた後。
セレフィーナは、震える体をどうにか起こし――
そのまま、両手を揃えて床に着いた。
深く、深く。頭を下げる。
――土下座だった。
「……どうか、お願い致します」
かすれた声。
先ほどまでの気品は、もうどこにもない。
「私にも……御寵愛を、頂けませんか……」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が漏れる。
あまりにも突拍子もない言葉だった。
理解が追いつかない。
だが、セレフィーナは続ける。
「何でも、致します……」
顔を上げないまま。
「どうか……どうか……」
その姿は、王女ではなかった。
ただ必死に縋る、一人の女だった。
「ちょ、ちょっと待てって……」
シュナイダーが困惑する。
完全に想定外だ。
どう返せばいいのか分からない。
助けを求めるように視線を横に向けると――
「駄目よ」
即答だった。冷たく、はっきりと。
レイナは一歩も譲らない。
「……っ」
その一言で、セレフィーナの肩がびくりと揺れる。
だが、それでも顔は上げない。
「……レイナさん」
震える声で、呼ぶ。
「貴女なら……分かるはずです」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「醜女を愛してくれる殿方など、いない」
「それが……常識であり、絶対でした」
ぽつり、ぽつりと。
積み重ねるように語る。
「だからこそ……愚かな夢を見ずに済んだのです」
期待しなければ、傷つかない。
信じなければ、裏切られない。
そうやって、生きてきた。
「ですが――」
わずかに、顔を上げる。
涙で濡れた瞳が、レイナを捉える。
「現れてしまった」
震える声。
「私と変わらない“醜女”である貴女が」
「……」
「絶世の美男子と、隣に立っているという現実が」
その事実が、すべてを壊した。
「なら……思ってしまうではありませんか」
縋るように。
壊れた理屈のままに。
「私にも、と」
「……」
「少しでもいいのです」
必死に言葉を重ねる。
「片手間でも構いません」
「お二人の邪魔をするつもりもありません」
どこまでも低く、自分を落としながら。
「ですから……」
再び、深く頭を下げる。
「レイナさん」
その声は、もはや誇りなど一欠片も残っていなかった。
「どうか……お溢れを、頂けませんか」
静まり返る室内。
その言葉だけが、重く、重く響いた。
――あまりにも歪で。
あまりにも、切実な願いだった。
シュナイダーは、何も言えない。
軽口も、冗談も出てこない。
ただ、目の前の光景に――
どう応えるべきか、分からず立ち尽くしていた。




