2.来訪
「断るわ」
即答だった。
迷いも、躊躇もない。
あまりにも早いその返答に、場の空気が一瞬止まる。
「そう仰ると思ってましたわ」
セレフィーナは小さく笑みを浮かべる。
だが、その瞳はわずかに細められていた。
「ですが、考え直していただけませんか?」
「無理ね」
即座に切り捨てるレイナ。
完全に拒絶の姿勢だ。
「レイナ」
俺は小さく声をかけた。
このまま押し問答を続けても、いい方向には転ばない。
正直、俺だって分からない。
だが――王女の提案をここで突っぱねるのは、あまり賢いやり方には思えなかった。
「要はさ」
軽く息を吐いて、言う。
「仲良くしようってことだよな?」
「その通りですわ」
間を置かずに返ってくる肯定。
「……」
レイナの視線が、静かにこちらへ向く。
不満は隠していない。だが、完全に拒絶しているわけでもなかった。
「だったら、別にいいんじゃないか?」
肩をすくめる。
大した話じゃない、とでも言うように。
「面倒ごと避けられるなら、それでさ」
「……シュナイダー」
小さく名前を呼ばれる。
その声音には、わずかな迷いが混じっていた。
数秒の沈黙のあと――
「……分かったわ」
渋々、といった様子でレイナが頷く。
「ありがとうございます。これから、よろしくお願いしますわ。――ええ、“これから”。ね?」
含みを持たせたその言葉が、妙に耳に残った。
♢
その後、ひとまず話はまとまり、俺たちは城を後にした。
外へ出た瞬間、張り詰めていた空気が一気にほどける。
「……疲れた」
思わず本音が漏れた。
気づけば、肩に入っていた力が抜けている。
「ええ、そうね。とてつもなく疲れたわ」
レイナも小さく息を吐く。
声音に緊張はなく、ただ純粋な疲労だけが滲んでいた。
少しのあいだ、無言で歩く。
「……まあ、でもさ」
気を取り直すように肩を回す。
「これで面倒ごとは減る……はずだよな」
「……そうね」
わずかな間を置いての返答。
短い言葉。
けれど、その奥に微かな引っかかりが残る。
「……納得してない感じ?」
「別に」
即答だった。
だが――
「ただ、あの女は信用できないわ」
迷いなく、言い切る。
「……まあ、それは俺も分かる」
苦笑が漏れる。
あの余裕、あの距離感――どう考えても、本心を見せているようには見えなかった。
何かを隠している。
そんな気配だけは、はっきりと感じる。
「でもさ」
軽く息を吐く。
「後ろ盾があるのは、正直ありがたいだろ?」
「……」
レイナは答えない。
視線を前に向けたまま、足を止めずに歩き続ける。
やがて――
「……シュナイダー」
ぽつりと名前を呼ばれる。
「何?」
「できるだけ関わらないで」
短い一言。
「……いや、もう関わってるだろ」
苦笑混じりに返す。
ここまで来て距離を取るのは、さすがに無理がある。
「だからよ」
レイナは足を止めないまま言う。
「これ以上、踏み込まないで」
淡々としているのに、強く釘を刺すような声音だった。
「……そんなに信用できない?」
「できないわ」
間髪入れずに返ってくる。
迷いは一切ない。
「ああいう女は、気に入ったものを簡単に手放さない」
「……それ俺のこと?」
「そうよ」
当然のように言い切られる。
「だから嫌なの。貴方が、ああいうのに目をつけられるのが」
その一言にだけ、ほんのわずかに感情が滲んだ。
苛立ちでも怒りでもない――もっと個人的な、守ろうとする色。
「……まあ、気をつけるよ」
軽く返す。
だが、それで納得した様子はなかった。
それでもレイナは、それ以上何も言わず――
ほんの少しだけ歩幅を詰めて、俺の隣に並んだ。
♢
翌朝。
玄関を叩く音で目が覚めた。
「……ん?」
まだ寝ぼけた頭で体を起こす。
こんな時間に来客なんて、珍しいにも程がある。
隣を見ると、レイナの姿はない。
どうやら先に起きているらしい。
コンコン、と再びノック。
「誰だよ、こんな朝から……」
欠伸を噛み殺しながら玄関へ向かうと――
扉の前に立っていたのは、見慣れない騎士が数人。
そして、その中心に――
仮面をつけた、一人の女。
空気が一瞬で張り詰める。
「……は?」
思考が止まった。
だが、仮面を被っていてもこの雰囲気は間違えようがない。
「ごきげんよう」
仮面の奥から、落ち着いた声が響く。
「朝早くに失礼いたしますわ」
「……王女?」
思わず口に出る。
何でいるんだよ、ここに。
「ええ。約束通り、ご挨拶に参りましたの」
――約束、してたか?
いや、してない。絶対してない。
混乱していると、背後から足音。
「……何の用?」
振り返ると、既に仮面をつけたレイナが立っていた。
さっきまで家の中にいたはずなのに、いつの間にか完全に“外用の顔”になっている。
声音は冷え切っていた。
「まあ、そんなに警戒なさらず」
王女は柔らかく笑う。
「ただの訪問ですわ」
「帰って」
即答だった。
迷いも遠慮もない。
「レイナ……」
さすがに早すぎる。
だが王女は気にした様子もなく、
「そう仰らずに。少しだけ、お時間をいただけませんか?」
穏やかな声音のまま、頭を下げる。
王女が、だ。
騎士たちがざわめく気配がしたが、本人は意に介していない。
「……」
レイナは何も言わない。
ただ、じっと睨むように見つめている。
数秒の沈黙。
空気が重くなる。
「……入れるだけ入れて、さっさと帰ってもらうか」
俺が小さく呟くと、
「シュナイダー」
レイナの低い声が飛んできた。
「分かってるって」
軽く肩をすくめる。
「外で騒がれる方が面倒だろ?」
「……」
一瞬だけ間。
そして、
「……好きにして」
不機嫌を隠さないまま、レイナが扉から離れる。
「ありがとうございます」
王女は微笑み、ゆっくりと中へ入ってきた。
その後ろに控えていた騎士たちも続こうとするが、
「貴方たちはここで待機を」
静かな一言で制される。
「しかし――」
「命令ですわ」
それ以上の反論は許さない声音。
「……はっ」
騎士たちはその場に残り、扉が閉まる。
家の中に入った瞬間。
王女は仮面に手をかけ――外した。
現れたのは、息を呑むほど整った顔立ち。
レイナと同じ、“この世界では醜女と呼ばれる側の美貌”。
だが、その表情は穏やかで、どこか人懐こさすらある。
「改めまして」
ゆっくりと一歩踏み出し、
「昨日はありがとうございました」
丁寧に頭を下げる。
そして視線は、まっすぐレイナへ。
「今は私たちだけですわ」
柔らかく、けれど逃がさない声音で続ける。
「仮面を外していただけませんか?」
「……嫌よ」
間髪入れずに拒絶。
「帰って」
今度はさっきよりも強い。
明確な拒絶だった。
空気が一気に冷える。
だが王女は、退かない。
「お願い致します」
再び、深く頭を下げた。
「少しだけで構いません」
「……」
レイナは動かない。
その場に立ったまま、沈黙を保っている。
今まで、どれだけ頼まれても。
どんな状況でも。
レイナは絶対に仮面を外さなかった。
それを、俺は知っている。
「レイナ」
小さく声をかける。
「無理しなくていい」
それだけを、はっきりと伝える。
「……」
レイナの肩が、ほんのわずかに揺れた。
レイナを庇うように一歩前へ出る。
自然と体が動いていた。
視線の先――セレフィーナと、真正面から向き合う。
「……王女様。少し、よろしいですか」
できるだけ丁寧に、言葉を選ぶ。
だが、
「まあ、シュナイダー様」
柔らかな声が返ってくる。
「そんなに畏まらなくて結構ですわ」
優雅に微笑みながら、続ける。
「どうか私にも、レイナさんに接する時のようにお話しくださいませ」
「いや、それは……」
「それと」
言葉を重ねるように、さらに踏み込んでくる。
「セレフィーナ、とお呼びください」
「え?」
一瞬、言葉が止まった。
「いや、さすがにそれは――」
「セレフィーナと」
間髪入れず、静かに押し切る声音。
「……いや、でも」
「どうか」
柔らかいのに、逃げ場がない。
――ああ、これ折れないやつだ。
変に突っぱねて話が進まなくなる方が面倒だ。
内心で覚悟を決める。
「……セ、セレフィーナ」
ぎこちなく呼ぶ。
「これでいいか?」
「……っ」
一瞬、セレフィーナの呼吸が止まったように見えた。
そして次の瞬間、
「ええ。この上なく」
満足げに微笑む。
……そんなにか?
正直よく分からないが、ひとまず機嫌は悪くなさそうだ。
「それで、本題なんだけど」
「はい。何でも仰ってくださいませ」
即答。
こちらの言葉を待っていたかのような態度だった。
「レイナに、仮面を外すことを強要しないでほしい」
はっきりと告げる。
「……っ」
小さく、背後から息を呑む気配。
「シュナイダー……」
レイナの声が、かすかに震える。
振り返らない。
今は、前を見る。
――分かっているはずだ。
この王女は、城では素顔を晒していた。
それなのに、ここへ来るためにわざわざ仮面を被っている。
その意味を。
仮面を被る理由を。
そして――外すという行為が、どれほどのものかを。
レイナと同じ“側”にいる人間なら、理解できないはずがない。
「……申し訳ございません」
わずかな間の後、セレフィーナが静かに頭を下げた。
「配慮に欠けておりましたわ」
「ああ、いや。俺は別に――」
「いいえ」
言葉を遮るように、首を振る。
「謝罪は、私が向けるべき相手へ」
ゆっくりと顔を上げ、その視線がレイナへと向く。
「レイナさん」
そして、再び深く頭を下げる。
「申し訳ございませんでした」
――この人、本当によく頭を下げるな。
そんな感想が、ふと浮かぶ。
王女だ。
この国で、王の次に高い立場にいる人間のはずだ。
それがここまで躊躇なく頭を下げるのは、どこか不自然で――
少しだけ、薄気味悪い。
「……」
レイナは、何も答えない。
ただ、じっと見ているだけ。
沈黙が落ちる。
「……少しだけ、お話を聞いていただけませんか?」
セレフィーナが静かに言った。
その声には、先ほどまでの余裕とは違う、わずかな色が混じっている。
レイナの方を見る。
一瞬だけ目が合ったが、すぐに逸らされた。
拒絶も、肯定もない。
――任せる、ということか。
「……分かった。話してくれ」
「ありがとうございます」
小さく微笑み、セレフィーナは語り始めた。
「私は、この通り“醜女”です」
「それは――」
「大丈夫ですわ」
穏やかに遮る。
「事実ですから」
迷いのない言い方だった。
「ですが同時に、私はこの国の第一王女でもあります」
「ですので、あからさまに“醜女”として扱われることはありませんでした」
一拍、置く。
「……けれど」
その先の声は、ほんの少しだけ温度を変えた。
「それでも、この顔で王女であることに不満を持つ者がいることは、嫌というほど分かります」
「視線は逸らされる。顔を見ようともしない」
「陰では、好き勝手に囁かれる」
「ですが――誰も、何も言いません」
淡々と続ける。
「表では皆、笑顔で接してくるのです」
そして、ほんのわずかに目を伏せた。
「……それが、何よりも苦しかった」
静かな言葉だった。
叫びでも、嘆きでもない。
ただ、押し殺された本音。
「それでも私は、第一王女です」
再び顔を上げる。
「この国を、民を、愛さなければならない立場にあります」
「私の感情など、関係ありません」
「この国を背負う者に、不要なものですから」
その言葉には、長い時間をかけて積み重ねてきた“諦め”が滲んでいた。
「……だから私は、全てを押し殺してきました」
「今、この瞬間まで」
そして――
「そんな時に、貴方達の話を耳にしました」
「俺達の?」
「ええ」
セレフィーナは小さく頷く。
「仮面を被った醜女が、この国一番の美男子を侍らせていると」
「その殿方も、自ら望んでその側にいると」
「……正直、耳を疑いました」
その視線が、真っ直ぐレイナへ向けられる。
「私は“醜女”です」
「愛される資格などない」
「誰にも愛されないと、そう理解して生きてきました」
「それでも王女である以上、私はこの国を愛さなければならない」
「――一方通行の愛です」
静かに、言い切る。
「私はそれを受け入れました」
「割り切ったのです」
だが。
「……なのに、貴女は」
そこで、言葉が止まる。
ほんの一瞬の空白。
「ああ」
静かに、レイナの声が落ちた。
「そういうことなのね」
初めて、はっきりと口を開く。
そして、
「要するに――」
淡々と、だが確信を持って言い切る。
「私に、嫉妬してるのね」




