1.呼び出し
今日も、平和だった。
……いや、正確には。
平和すぎると言った方がいいかもしれない。
「シュナイダー」
「んー?」
「こっち来て」
「もういるだろ隣に」
「もっと」
「もっとって何だよ」
レイナが俺の腕を引っ張る。
すでに隣に座っているのに、さらに距離を詰めてくる。
結果――ほぼ密着だ。
「……近いって」
「恋人なら普通よ?」
「その基準やめろって前から言ってるだろ」
だが本人は全く気にしていない。
むしろ満足そうに、俺の肩に頭を預けてくる。
……まあ、嫌じゃないから困る。
「今日も外出るのはダメか?」
「ダメよ」
「聞くだけ無駄だったな」
「ええ、無駄ね」
即答だった。
清々しいほどに迷いがない。
「たまにはいいだろ」
「ダメ」
「理由は?」
「危ないから」
「いつものやつな」
「いつものやつよ」
このやり取りも、もはや日課だ。
結局、今日も外には出られないのだろう――
そう思っていた、その時だった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「……誰だ?」
こんな時間に来客?
レイナの体が、ぴたりと止まる。
さっきまでの柔らかい空気が、一瞬で消えた。
「……シュナイダー、動かないで」
低い声。
さっきまでの甘さは、欠片もない。
レイナはゆっくりと立ち上がると、壁に立てかけてあった剣に手をかけた。
……この反応。この雰囲気。
完全に“外”の顔だ。
「私が出るわ」
「あ、ああ……」
扉に向かう足取りは静かだが、隙がない。
そのまま扉を開けると――
「……失礼する」
そこに立っていたのは、鎧を纏った騎士が数人。
明らかにただの来客じゃない。
「何の用かしら」
レイナの声は冷たい。
警戒も隠さない。
「レイナ・ラーヴァンテ殿、そしてシュナイダー殿で間違いないか」
「そうだけど」
「我々は王国騎士団だ。第1王女セレフィーナ・エレミア様より、お二人に召喚の命が出ている」
「断るわ」
間髪入れずだった。
「おい早いな!?」
俺がツッコむより先に話が終わりかけている。
「行く理由がないもの」
「い、いやでも相手王女様だぞ?」
「だから何?」
真顔で言うな。
騎士達も困惑している。
「……拒否は、推奨できない」
騎士の一人が低く言う。
柔らかい言い方だが、圧はある。
「はぁ……」
レイナが小さくため息をついた。
「面倒ね」
「だろ?」
「でも行かない」
「いやそこは行こう!?」
俺は思わず声を上げた。
「レイナ、これ断ったら絶対後で面倒なことになるぞ」
「なら返り討ちにするわ」
「そういう問題じゃない!」
この人すぐ物理で解決しようとする。
「……頼むから、今回は俺の言うこと聞いてくれ」
少しだけ真面目な声で言う。
「……」
レイナがこちらを見る。
ほんの一瞬、考えるように目を細めて――
「……分かったわ」
渋々、といった様子で頷いた。
「でも、絶対に私から離れないで」
「おう」
「何かあったらすぐ帰る」
「了解」
「……あと」
少しだけ声が小さくなる。
「変なことされたら、全部殺すから」
「怖い怖い怖い!」
騎士達の前で物騒なこと言うな!
そして俺達は、王城へ向かうことになった。
レイナは外に出る前に、いつもの仮面を身に着ける。
さっきまで見えていた素顔は、完全に隠された。
その姿は、どこか距離を感じさせる。
「行くわよ」
「ああ」
外に出ると、周囲の視線が一斉にこちらに向いた。
……いや、正確には。
俺だ。やっぱり目立つらしい。
レイナは何も言わず、俺の少し前を歩く。
いつでも守れる位置。
その距離が、逆に安心できた。
王城に到着すると、騎士達に案内されて中へと通される。
豪華な内装。
高い天井。
磨かれた床。
……完全に場違いだ。
「落ち着かないな」
「私も嫌いよ、こういう場所」
レイナが小さく呟く。
そのまま案内された先の扉が開かれる。
「セレフィーナ様、お二人をお連れしました」
「入りなさい」
凛とした声。
中に入ると――
そこにいたのは、金髪の女性だった。
長いストレートの髪。透き通るような白い肌。整いすぎた顔立ち。
そして、圧倒的な存在感。
「……」
一瞬、言葉を失う。
この人が――
第1王女、セレフィーナ・エレミア。
「よく来てくれました」
柔らかく微笑む。
その視線が、俺に向けられる。
「まあ……本当に噂通りの絶世の美男子なのですね」
「ど、どうも……」
素直に褒められると困る。
だがそれ以上に――
レイナの方へ視線を向ける。
「貴女がレイナ・ラーヴァンテですね」
「……ええ、そうよ」
王女の視線が、レイナをまっすぐに捉える。
その目には、侮りも偏見も――少なくとも表面上は――一切見えなかった。
「お会いできて光栄です」
柔らかく、丁寧で、あまりにも自然な言葉。
――普通だ。
あまりにも、普通すぎる。
だからこそ、妙な引っかかりを覚える。
これまで、レイナにここまで穏やかに接した人間を俺は知らない。
好奇か、恐れか、あるいは露骨な侮蔑か。
大抵はどれかだった。
だが、この王女は違う。
まるで最初から、レイナを“そういうもの”として扱っていないかのような――
「……私は、別に光栄じゃないけど」
静かに、レイナが返す。
空気が、わずかに張り詰めた。
「おい、レイナ」
思わず声が出る。
王女に対してその言い方は――まずい。
背後の騎士達の気配が、一瞬で鋭くなるのが分かった。
殺気、というほどではないが、明確な警戒。
この場の空気が一気に硬くなる。
……頼むから普通にしてくれ。
レイナは平気でも、こっちはただの一般人なんだ。
胃が持たない。
だが――
「ふふ」
その緊張を、軽く溶かすように。
王女は小さく笑った。
「構いませんわ。率直なお方なのですね」
優雅で、余裕のある笑み。
「そのような反応も、嫌いではありません」
――動じていない。
むしろ、楽しんでいるようにすら見える。
レイナの態度を“試す”でもなく、“咎める”でもなく。
ただ、そのまま受け入れている。
その姿勢が、逆に不気味だった。
「……」
レイナは一瞬だけ黙り込み――
それ以上は何も言わなかった。
代わりに、わずかに俺の方へ視線を寄越す。
「どうするの」とでも言いたげな目。
いや、こっちが聞きたいんだけど。
王女はそんなやり取りを見逃さず、ふと視線を細める。
「お二人の関係、とても興味深いですね」
柔らかな声音。
だが、どこか核心に触れようとするような響きが混じっていた。
「……何が言いたいのよ」
レイナの声が、少しだけ低くなる。
その問いに、王女はすぐには答えない。
ただ、ほんの一拍だけ間を置いて――
「いいえ」
王女は小さく首を振った。
「少し踏み込みすぎましたかね。申し訳ございませんわ」
柔らかく、淀みのない謝罪。
先ほどまでの言葉が、なかったかのように流れていく。
その一瞬で、張り詰めていた空気がすっと緩んだ。
「……いえ、気にしないでください」
俺が思わずそう返す。
「では、改めて」
王女は自然に話題を切り替える。
その流れはあまりにも滑らかで、思考を追いかける隙を与えない。
「まずは謝罪をさせていただきます」
セレフィーナは静かに一歩、前へ出た。
その動きに合わせて、周囲の空気がわずかに引き締まる。
「先日のデブーリの件――本来であれば、王国が未然に防ぐべき事案でした」
一度、言葉を区切る。
その声音には、先程までの柔らかさとは違う、はっきりとした責任を負う者としての響きがあった。
「それを許し、結果として貴方達に危険が及んだ」
そして
「王国を代表する立場として、深くお詫び申し上げます」
そう言って、王女はゆっくりと頭を下げた。
形式的ではない。
ほんの数秒だが、確かに“間”を置いた、誠意を示すための動作だった。
「然るべき処分は既に進めています。関係者の処遇についても、例外なく対処いたします」
顔を上げたセレフィーナは、まっすぐにこちらを見る。
「……同様の事態は、二度と起こさせません」
断言だった。
静かで、だが揺るぎのない言葉である。
「……」
レイナは何も答えない。
ただ、仮面の奥から、じっとセレフィーナを見据えていた。
「そして、本題ですが」
セレフィーナは再び、柔らかな微笑みを浮かべた。
先程までのやり取りなどなかったかのように、空気を整え直すその所作は、あまりにも自然で――だからこそ、隙がない。
「貴方達と、良い関係を築きたいと思っていますの」
「良い関係?」
思わず問い返す。
王族が“平民と良い関係を築く”なんて言葉を、こうも軽く口にするものなのか。
「ええ。簡単に言えば――」
そこで一拍。
わざとなのか、こちらに考える間を与えるように、ほんの僅かに沈黙が落ちる。
その静寂の中で、俺は無意識に息を呑んでいた。
「私が、貴方達の後ろ盾になりましょう」
静かな部屋に、その言葉がゆっくりと広がる。
重くもなく、強くもなく。
けれど、確かに逃げ場を塞ぐような響きで。
「……後ろ盾って」
思わず呟く。
それがどれほどの意味を持つのか、分からないほど馬鹿じゃない。
王族の後ろ盾。
それはつまり――
この国において、ほとんど“敵がいなくなる”ということだ。
同時に。
無関係でもいられなくなる、ということでもある。
「先日の件のような理不尽な干渉も、今後は防げますわ。貴族であろうと、軽々しく手を出すことはできなくなるでしょう」
穏やかに、だが断言する。
その声音には、一切の揺らぎがない。
それが“できる立場の人間”の言葉だと、嫌でも理解させられる。
「もちろん、見返りを求めるつもりはありません」
さらりと付け加えられた一言。
だが――
そんなはずがない。
王族が、何の理由もなくこんな提案をするはずがない。
分かっている。
分かっているのに。
その“安心”が魅力的すぎる。
レイナがこれ以上、不当な扱いを受けなくて済むのなら。
「……どうする?」
小さく、隣に問いかける。
答えは、俺一人で決めるものじゃない。
これは、俺達二人の話だ。
――そして。
この提案の真の意味を俺は、まだ深く理解できていなかった。




