4.二度目の来訪
レイナは、ほんの僅かも揺らがない声音で言った。
「貴女は、勘違いしているわ」
静かだが、はっきりとした拒絶にセレフィーナの肩が、ぴくりと震える。
「私は――シュナイダーが美男子だから好きなんじゃない」
一歩も引かないまま、言葉を重ねる。
「心から、愛しているの」
その一言には、飾りも迷いもなかった。
ただ真っ直ぐに、相手を貫く。
「だから――渡せないわ」
間を置かず、言い切る。
「諦めなさい」
空気が、凍りついたように静まり返る。
しばらくの沈黙の後――
「……そう、ですか」
セレフィーナは、小さく息を吐いた。
先ほどまでの取り乱した様子は消え、再び王女としての仮面を被る。
だが、その瞳の奥にある熱だけは、消えていなかった。
「では――また参りますわ」
暫くして、それだけを残して静かに踵を返す。
先程までの騒がしさが嘘のように、部屋には静けさだけが残った。
「……レイナ」
残された静寂の中で、俺はぽつりと声をかける。
レイナはしばらく何も言わず、扉の方を見つめていたが――やがて、ゆっくりと視線をこちらに向けた。
「王女のことは、忘れて」
短い一言だが、その裏にある感情には重いがある。
「忘れるったって……」
苦笑が漏れる。
さすがに、あれだけのことがあって何事もなかったように、とはいかない。
「無理だろ」
「無理でも、意識しないで」
ぴしゃりと言い切る。
「ああいう女は――」
わずかに眉をひそめる。
「貴方の“上辺”だけを見て近付いてくる」
吐き捨てるような声音。
「いちいち相手にしていたら、きりがないわ」
「……手厳しいな」
「事実よ」
即答だった。
迷いも遠慮もない。
「私は――」
一瞬だけ言葉を切る。
そして、ほんの僅かに視線を逸らしてから。
「そんな女に、譲るつもりはない」
小さく、だが確かに言い切った。
「……ああ」
自然と、口元が緩む。
「俺も、レイナから離れるつもりはないよ」
その言葉に、レイナの肩からふっと力が抜けた。
「……なら、いいわ」
そう言って。
当たり前のように、俺の腕に抱きついてくる。
「おいおい、急だな」
「急じゃないわ」
すり、と頬を寄せてくる。
「……シュナイダー」
少しだけ甘えた声。
レイナは小さく呟いて、さらに距離を詰めてくる。
まるで、逃がさないとでも言うように。
――だが。
その日を境に。
“平穏だったはずの日常”は、少しずつ形を変えていくことになる。
王女は、一度で諦めるような女ではない。
それは、あの目を見れば理解できた。
♢
翌日。
「……いる」
「いるわね」
玄関の外に立つ気配に、俺とレイナは同時に顔をしかめた。
「どうする?」
「出ない」
「だよな」
即答だった。 だが――
コンコン、と遠慮のないノック音が響く。
「シュナイダー様。レイナさん。いらっしゃるのでしょう?」
外から聞こえてくる、落ち着いた声。
聞き間違えるはずもない。
「……帰る気配ないな」
「だから言ったでしょう」
レイナが不機嫌そうに呟く。
「あれはそう簡単に諦めるような女じゃないわ」
言い方に容赦はないが、妙に納得してしまう。
このまま無視し続けるのも手だが――
「……このままだと長引きそうだな」
そう呟くと、
「いいわ」
レイナがすっと立ち上がった。
「なら、私が出る」
「え?」
「貴方はここにいなさい」
有無を言わせない声音。
そのまま立ち上がると、迷いなく扉へ向かっていく。
扉が開く音が聞こえてくる。
「何しに来たのよ」
外へ向けられた声は、室内で聞くよりもさらに冷たい。
取り繕いも何もない、剥き出しの拒絶だった。
「ごきげんよう、レイナさん」
返ってきたのは、昨日の取り乱した時とは違う落ち着いた声。
整った口調、乱れのない佇まい。
昨日の出来事など、最初からなかったかのようだった。
「少し、お時間をいただけませんか?」
「必要ないわ」
一切の余地を残さない即答。
「昨日で終わった話でしょう?」
「終わっておりませんわ」
静かな返答。だが、その奥には確かな意志がある。
「私は、まだ諦めておりませんので」
「……」
言葉は短いのに、空気が重くなる。
視線と視線がぶつかる。
まるで互いに一歩も引くつもりがないと示すように。
やがて――
「上がってもよろしいかしら?」
にこやかな声。
「図々しいわね」
レイナの声が、わずかに低くなる。
「そうかもしれませんわ」
否定はしない。だが、一歩も引かない。
――これは、長引くな。
そう思って、立ち上がる。
玄関へ向かうと、向かい合う二人の姿が見えた。
ぴんと張り詰めた空気。
温度差が、そのまま形になったみたいだった。
「……何やってんだよ、朝から」
呆れ混じりに声をかける。
レイナがちらりと振り返る。
「来なくていいって言ったでしょ」
「いや、気になるだろこれは」
肩をすくめる。
セレフィーナの視線が、こちらへ向く。
「シュナイダー様」
セレフィーナが此方を向く。
「少しだけ、お話をさせていただけませんか?」
「だから必要ないって言ってるのよ」
間髪入れずにレイナが答える。
「貴女と話すことなんて何もないわ」
「私はありますわ」
静かな返答。レイナの目が細くなる。
「帰りなさい」
「お断りしますわ」
ぴたり、と空気が張る。拒絶と拒否。どちらも譲らない。このままだと、本当に埒が明かない。
「……まあ」
軽く息を吐いて、口を挟む。
「外でやる話でもないだろ」
「シュナイダー」
「レイナ」
名前を呼んで、視線を合わせる。
「とりあえず中で話そう。外で揉めるのも面倒だしな」
数秒の沈黙。やがて、レイナが深くため息を吐いた。
「……はぁ。分かったわ」
渋々、といった様子。
「ありがとうございますわ」
セレフィーナはにこやかに頭を下げた。そのまま自然な動きで中へ入り――迷いなく椅子に腰を下ろす。
「本当に図々しいわね」
「まあ、そんなに褒めないでくださいませ」
「褒めてるわけないでしょ!」
思わずレイナの声が荒くなる。だが、セレフィーナはまったく気にした様子もなく。
「ふふ。楽しいですわね」
穏やかに笑った。
「……頭がおかしいんじゃないの?」
「今のやり取りのどこに楽しむ要素があるのよ」
「私、こういうのが初めてなんですの」
少しだけ、声音が柔らかくなる。
「今まで、気を遣わない会話というものをしたことがなくて」
淡々としているが、どこか本音が滲む。
「そう」
レイナは興味なさそうに返す。
「ですから」
セレフィーナは、ほんの少しだけ身を乗り出した。
「レイナさんとも、もっとお話ししてみたいのです」
「間に合ってるわ」
即答。容赦がない。
「……そういえばさ」
二人の間に軽く割って入る。
「レイナって友達とかいないのか?」
「?」
「シュナイダーがいるじゃない」
当然のように言われる。
「え、俺達友達だったの?」
「何言ってるの。恋人同士でしょう?」
「???」
「シュナイダーがいれば、それでいいわ」
迷いのない一言。
「……ああ、そういう」
つまり、いないってことか。
「羨ましいですわ」
ぽつりと、セレフィーナが呟く。
「……何がよ」
「お二人の、そういうところです」
視線は穏やかだが、その奥に微かな熱がある。
「私も、少し混ぜていただけませんか?」
「嫌に決まってるでしょ」
「そんな事おっしゃらずに」
「嫌」
「どうか」
「ああもうっ、鬱陶しい!」
レイナが苛立ちを隠さずに声を荒げる。
――こんなレイナは、初めて見た。他人にここまで感情を出すことなんて、ほとんどなかったはずだ。
「ふふ」
セレフィーナが笑う。それは、今までの作られた笑みではなく、どこか無邪気で素の感情に近い笑顔だった。――ああ、こっちが本来の顔なのかもしれないな、と思う。
やがて――
「……本日は、このあたりで」
セレフィーナが静かに立ち上がる。
「お時間をいただき、ありがとうございました」
丁寧に一礼する。
「貴女が勝手に来たんでしょ」
レイナの一言にも、気分を害した様子はない。
「ええ、それでも」
小さく微笑んで、
「またお二人にお会いしに参りますわ」
そう告げると、ゆっくりと玄関へ向かっていった。




