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柔らかな地面を踏み、どこか浮遊するような足取りでそれなりに歩いた。最初に感じたのは、空気の冷たさだった。夏の夜風とは全く違う、鋭利な冷感が肌を撫でる。
あたりは暗い、というか黒いのに、なぜか足元はよく見える。ふかふかの土と、無数に生える小さな白い花。植物の知識はあまりないが、今まで一度も見たことのない花であることは分かった。仄かな光を受けて、金色の粉をまいて揺れている。
この光はどこから来るんだろう、とユキナリは上を見上げた。そして思わず息を飲んだ。
見渡す限りの墨色の空に、数え切れない無限個の星々。瞬かず、陰ることもない。綺麗な金属の砂を空に置いたようだ。望遠鏡があったら、何時間でも楽しめるかもしれない。
と、そこまで考えてユキナリはようやくあることに気がついた。気付くのが遅れたのは、あまりに見える星が多過ぎたからかもしれない。
星の位置が違うのだ。というより、ある程度天体の知識があるユキナリの知っている星や星座が一つも無い。見れば、出ている月のクレーターの模様も違う。このことが、扉を通ってからユキナリがうっすらと抱き続けていたある予感を、より確固たるものにした。
すなわち、これはいわゆる《異世界》というやつではないだろうか、という。
「ここにいるのか? 父さん……」
あまり自分の世界に入り過ぎていたからだろうか、これまでとは違った声が聞こえてきたとき、ユキナリは飛び上がりそうになった。
ファーストステージ。お前の望む力を分けてやる。
ユキナリは空に目を奪われたまま質問をこぼした。そんな体勢で声を出したら少し喉が締まったが、構わず言い切る。
「なあ……なんなんだよこれは……。父さんはどこにいるんだ? 今度のあんたは誰なんだよ?」
声は答えて言った。
どっちの質問にも答えるつもりは無い。後者の問いについては、そう長いことかけずに解る。取り敢えず、辺りを見回してみろ。
「畜生、なんなんだよ……」
ずっと上を見ていて痛くなり始めた首を元に戻して周りを見回してみると、ユキナリを取り囲むように台座が並んでいる。その上にはそれぞれ一つずつオブジェのように飾られているものがある。
「剣?」
正面の台座には、一振りの壮麗なロングソードが突き立っていた。それだけではない。ある台座には盾が、またある台座には杖。靴や手袋の台座まである。
選べ。
その言葉の意味するところがユキナリにはなんとなく分かった。望む力を分けてやる、と言っているのだから、当然その力の種類を選ぶのだろう。訳の分からないことが起こり過ぎて、もうユキナリにはそれを拒む気も失せていた。父がいるとしたらここなのだろうし、それに資する力が手に入るなら大助かりだ。
父もゲーム云々と言っていたし、ユキナリの想像は当たらずとも遠からずといったところのはず。さしずめこの剣は筋力に関連する強さか、もしくは物理的な攻撃力の象徴だろうか。
プレイヤーをゲームへ駆り立てるモチベーションは、大別すると、シナリオやゲームの機能を楽しみたいという欲求と、他の誰より強くなりたいという衝動にある。プレイヤーが操るアバターの能力は、そのまま強さの証だ。だからこそ、ユキナリはゲームにおいてはキャラメイクとビルドが面白いと思うし、大多数のゲーマーが自分のキャラは真剣に考えて育成する。
「……よっしゃ」
自分に気合いを入れるように声を出して、ユキナリは他の台座に飾られたアイテムも順次調べることにした。盾・杖・靴・手袋の台座が、それぞれ《頑健さ》、《魔法》、《速さ》、《器用さ》に関連しているようだ。
しかしどんなゲームになるのか皆目見当もつかないし、そもそも本当にゲームなのかも疑わしい。そしてユキナリがここに来たのはゲームをするためではなく、父親を捜すか、あるいは幼馴染の無事を確認するためなのだ。選ぶ力は決まった。
台座の上50cmほど上に、燐光を纏い浮遊するそれは、明らかに市販の運動靴ではない。
見るからに丈夫そうな、滑らかでしまった革に、星の光輝を受けて輝く銀糸。ところどころ洞窟で見つけた石と同じ色の金属が施されている。鈍重な印象は欠片もなく、その装飾はどことなく鳥の羽根を思わせる。
ユキナリは台座の上に浮かぶ、工芸品のような靴に手をのばした。指先が触れた瞬間、それは光の粒子となってほどけ、ユキナリの身体に吸い込まれかき消えた。
同時に、他のパラメータを表すアイテムが、台座ごと全てかき消えた。軽く驚くユキナリの真後ろ、それも驚くほど近くから、あの正体のわからない声がした。
「ファーストステージ終了。悪くはない感じだけど、俺の好みからすると、微妙だなぁ……」
こんどこそ心臓も止まるほど驚いたユキナリは、ビクゥッ! と硬直した。振り向きざまに飛びすさるが、バランスを崩して見事に尻餅をつく。「ぎゃあ!」
目から火花が飛んだ。立ち上がることも出来ないユキナリは、自分と同じ位の背の少年の姿を両目に捉えた。
金色のおとなしい髪に、熟練の匠が丹念に磨いたような、端正で色素の薄い顔。深い青色の瞳がこちらを見下ろしている。なんというか――めちゃくちゃかっこいい。綺麗だ。インパクトが違うのだ。そいつが視界に入っていたら、例え何を見ていようとそいつの顔が最優先で視神経に焼き付くような。かといって、子供らしくない訳でもなく、むしろあどけない成分の割合が大きい。
男のくせにユキナリはうっかりときめいてしまいそうになった。何か自分の表情が変化したのではないかと、うろたえて赤くなった。ユキナリの名誉は断固として主張するが、決してときめいて赤くなったわけではない。
ゆうに5秒はスタン状態になってから、ようやくユキナリは言葉を発した。そうだ、こいつが二人目の声の主に違いないんだから。
「なあ、さっきから誰なんだよ、あんた」
金髪は答えて言った。確かにさっきまで聞いていた声だったが、もう頭にがんがん響くことはない。クセのない声。
「俺は……あー、トールだ。まぁあんたのパートナーだよ。おめでとうさま」
「パートナー?」
なぜか言い淀んだ金髪に鸚鵡返しに訊くと、さらにわからない言葉が返ってきた。
「あんたは記念すべきエヴォルヴァースのプレイヤー候補に選ばれたんだよ。俺は特定の条件下であんたを助けるパートナー」
「ごめん、とりあえず2つほど言葉の意味が解らない」
「俺は《Thor》。まあ、エヴォルヴァースってのは今俺らがいるこの世界。いわゆる異世界って解釈で問題ない」
「トールって北欧神話の?」
なんなのこの人、というユキナリの質問に、その自称トールは即答した。「ああ」
ユキナリも信じるしかないではないか。
「なるほど」
「あ、信じる訳か」
「違うの?」
「本当だけどさ」
そのトールにもう一つ訊ねる。「プレイヤーってのは?」
トールは少し沈黙してから喋りだした。いちいち一つ一つの挙動が決まっている。「エヴォルヴァースは、あんたが言うところのMMOみたいなもんなんだ。だからそこにこられる奴がプレイヤー」
「MMOみたいなものって何だよ、訳が分からない」
「そのまんまだよ。広い世界があって、そこではみんなが各々自分の力を育ててる。暮らしたいように暮らしている。さっきあんたが選んだような力を育てるんだ」
「みんながいなくなってたのは? あの扉をくぐった先のここがエヴォルなんたらなんだろ? 基地にくるまでは何だったんだよ?」
もう何を言われても驚く気はしないが、それと呑気にゲームをやるといった話は全く別の案件だ。
「みんなはどこなんだよ? 父さんは? 最初に俺に話しかけてきたのは父さんだ、こっちにいるのか?」
「最初に話しかけてきた……? 何を言ってるのか分からないけど、結論から言えば、他の人は大丈夫だよ」
「なんでそう言えるんだよ?」
トールはゆっくり語った。
「えっと……エヴォルヴァースとあんたらの世界との距離ってのはそれなりでさ。まずプレイヤーの資格がある奴でも、そのままだとこっちの世界は、認識も出来ないんだよ。だから、プレイヤーとエヴォルヴァースをつなげる、ちょっとした作業を行わないと、簡単にはこっちにこれないんだ。それで、初めての方には、人間の意識の中で異世界に一番近い場所、つまり夢を細工させてもらって、こっちと繋がるトンネルにするわけさ。つまり扉を通り抜けるまでは、全部あんたの頭の中で事が起きてたんだ。だから、他の人たちは大丈夫。別に自分の世界がそのまま再現されてもいいじゃん、って思うかもしれないけど、1人の力でここへくるまでの行程が、こっちの世界を認識するための作業になってたんだ。つまり、インドアなあんたが彷徨ったこと自体が、本当の第一テストだったんだよ」
なかなか信じがたい話ではあったが、取り敢えず日乃は大丈夫らしい。しかし。
「父さんは? この世界にいるんだって、あの変な石の近くに手紙があったんだけど」
するとトールは少し驚いた後、また冷静な表情で言った。
「悪いけど、俺にはなんとも解らないな。そもそも第一テストで間接的にでも他者と連絡を取れること自体がまずない話なんだ。どういうことなのか説明出来たら良いんだけど……エヴォルヴァースにおいて、俺は神としての役割を何も持ってないからな。千里眼じゃないんだよ。まぁもともと千里眼はオーディンだが」
「そんな……」
ユキナリがあまりに無力そうな顔をしたからだろうか、トールは気遣うような優しげな表情になった。
「でもまぁ、せっかくあんたはプレイヤー候補になったんだ。こっから頑張れば、いつか見つかるさ」
安心出来るわけではないが、もう一つ気になることを訊いてみる。
「なぁ、MMOで、異世界ってことはさ……自分の使うキャラって、まさか」
「おいおい、気付くのが遅過ぎるだろ」
トールは苦笑しながらそこで言葉を切った。ユキナリの表情が変わるのを待って、口が開かれる。「あんたが戦うんだよ」
「いや喧嘩とか無理なんだけど」
「大丈夫、心配すんなって!」
「あの、武道なんか殆どしたことも無いんだけど」
「全てのプレイヤーは同等のポテンシャルを持つように設定されてる、問題ない」
「突然ゲームとか言われて、訳分からない世界に打ち込まれて、で戦えなんて、受け入れられない」
「そう急くなよ。まだあんたは、プレイヤーに、決まったわけじゃない」
「…………え?」
「さっき、ファーストって言ったろ? まだ最後のテストが残ってるんだよ」
驚きはしない。しないが、話の流れに乗れるかどうかは全く別の話だ。
「エヴォルヴァースで最低限戦う力があるか無いか。実戦ってことだ」
「……不合格でいいんで拒否させて下さい」
「ご愁傷様。これから俺が出すエネミーを倒すか、死ぬかだよ。あの扉を開けて入って来たのが運の尽きだったな」
トールが右手を挙げ、空中を掴むように動かすと、手品のように彼の手の中に音も無く一本の木の枝が出現した。ユキナリは問う。「何それ?」
木の枝を見たままトールは答える。「このテストのエネミー」
「はあ…………?」
木の枝がエネミー? 叩き折れば良いのだろうか? いくらユキナリでも簡単過ぎやしないか。それにどうやったら木の枝相手に死ねるというのか。訝しむユキナリの前で、トールは木の枝を地面へ突き刺し、呟いた。
「《想起》。エルムゴースト」
すると、地面に突き立った木の枝が突如成長を始めた。恐ろしいスピードでその長さを増し、くねり、枝と枝が絡み合う。大まかな円筒形が細分化し、やがてユキナリより50センチメートルほど背の低い人型へ変わっていく。
驚かないと決めていたのに呆気にとられるユキナリの前で、人型の木はなおも成長を続ける。腕と脚の先は枝が集中してその質量を増加し、頭には兜のようなものが形成される。面頬が音を立てて下りると、それで成長は完了した。一本の木の枝が、小さな騎士へ姿をかえてしまった。騎士の頭上には緑の四角い枠のような光が現れた。厚さを持たず、騎士の頭上30センチメートル程度の高さに浮いている。ユキナリは慌てて叫んだ。
「まった、武器! 武器は無いのか? 何か武器!!」
騎士の後ろに立つトールが言った。「足元、見てみろ」
「はあ? …………!」
見れば、自分の履いている靴が、さっき台座にあった靴に変わっていた。金属のあしらってあるそれは先が尖っていて、確かに蹴られれば痛そうだが。
剣選んどけばよかったのか。
早くも全力で後悔するユキナリをよそに、トールは戦いの始まりを告げる。
「戦闘開始」




