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自分の家と日乃の家の屋根が見えてきたとき、ユキナリは既に限界に近い疲れを覚えていた。
あの後駅から線路を歩くことで家路を辿ったが、この訳の分からない状況下でも地球は自転しているようで、地元の駅に着く頃にはすっかり日は沈んでいた。やはり人の気配を感じることは一切なく、街灯をのぞけば家々の明りすら無い。その心細さは尋常なものではなく、インドアな少年であるユキナリを更に必要以上に消耗させていた。
自分の家と、隣の日乃の家。どちらにも明りは無い。幼馴染の無事を確かめたくて穂坂家のインターフォンを鳴らすが、やはり返事は無い。ドアの鍵はかかっている。他に出来ることは無い。
自分の家に鍵を開けて入り、やはり家族の姿が無いことを確認すると、ユキナリはそのまま自分の部屋でへたり込んでしまった。
「何なんだよ、これは……」
状況をまとめよう。
こんな風になる前、最後の記憶は自分のクラスで6時限目の授業を受けていたときだ。確かに恐ろしいほど眠く、あそこから寝入ってしまったとしても不思議ではない。
その後、目を覚ました際に何か声が聞こえた。年上の男性の声で、聞き覚えがある。自分以外の人間が消えていて、どういうわけか連絡手段も異常を来している。電車などの一部のインフラも生身で操作する必要があるものに関しては動いていないらしい。
問題はあの声だ。誰もいないところから人間の声が聞こえるはずがない。何か機械のスピーカーから聞こえたのだという可能性はあるが、スピーカーの音と肉声にはそこそこの違いがある。あれは肉声だったはずだ。
「絶対聞いたことがある……あの声……あの声」
考えこんだユキナリの脳裏に、ひらめいた記憶があった。
『ここは父さんの秘密の場所でさ。もう少しユキナリが大きくなったら、好きに使って良いからな』
ユキナリは弾かれたように立ち上がった。
ユキナリは、机の脇に置いてある古くから使い慣れたリュックを背負い、フラッシュライトを手に家を飛び出した。混沌の脳内に唯一くっきりと浮かび上がったヴィジョンは、家の裏手の小高い山に生い茂る木々の中に隠された獣道、その先にあるユキナリとごく限られた人しか知らない洞窟。あまりに鮮明過ぎて、一瞬ふらりと足元が覚束なくなる。壁に手をついて支える。
あの場所へ。あの場所に行くんだ。
その思考だけが身体を打ち、ユキナリは夜闇の奥へ、裏山の頂上付近へと息を切らし、両手で空気を引っ掻くようにしながら走った。
しかしながら、夜の山道は、激烈に走りにくかった。その理由は2つある。
まず、細い獣道は裏山の木々の伸ばした枝が服を引っ掛け、地面を這う根が足を掬ってくるのだ。もともと持久力の無いユキナリにとってこれを走破するのは非武装のヒーラーがドラゴンに肉弾戦を挑むようなものだった。
もう一つは、精神的なダメージである。ただでさえ、ユキナリにはこの裏山で夜に迷子になった経験がある。そのときも日乃はいなかった。風鳴り。踏みつけた木の葉の音。五感を刺激する全てが恐怖の対象だった。その記憶が甦り、フラッシュライトの明りだけを頼りに走る人が一人もいない夜の森は、ユキナリに2倍の原始的な恐怖を与える。
だから、ユキナリはツタで覆われた洞窟の入り口に到達したとき、消耗のあまり倒れ込んでしまった。全身の筋肉と肺に、締め付けるような痛みを感じる。なんとか身体を起こして、浅く速い呼吸を意識的に腹式呼吸に切り替えて洞窟の入り口を見やった。
「判らないかと、思ったけど、意外に変わって、ないんだな……」
はいて、吸っての隙間から嗄れたつぶやきを吐く。昔よく遊んだ、隠された洞窟への入り口は、鳥居のように立った2本の木が目印だ。ライトで照らせばはっきりと分かる。2本の木は古い友人の訪問を歓迎しているように見えた。裏山自体は恐怖の象徴なのだが、ユキナリの胸に小さな安心感の光が灯った。
もともとこの洞窟は、太平洋戦争のおりに防空壕として使われたものを、登山家である父の隼也が子供であったときに見つけて《秘密基地》に改造したものである。彼は行方不明になるまでは、家から散歩に出る度にここに入り浸ってはちょくちょく手入れを行っていたから、居心地のいい隠れ家だった。といっても、それはユキナリが本当に小さい頃の話で、小学二年生の時に父が外国の山中で行方不明になってからは、ここへ来ることは殆ど無かった。父がいた時間を思いだすのが辛かったからだ。
「よっ……、はぁっ」
まともに動ける程度に回復した身体を起こし、邪魔なツタをがさがさとかき払ってユキナリは木製の扉を見つけ出した。古びた取っ手が月明かりに照らされる。ユキナリは僅かな懐かしさとともにそれを掴み、力を込めて引いた。扉が軋んで鳴きながら開く。
ユキナリは中へと足を踏み入れた。3年間全く光源の無かった空間を、頼りないライトが照らした。シートで覆われた、大小様々な箱が置かれている棚は全体にすっかり薄汚れてはいるものの、温かな懐かしさを感じさせてくれて、ユキナリはしばし焦りを忘れた。
「父さん、ここにいるのか……?」
ユキナリは少し奥の方へ歩き、壁の突き当たりで足を止めた。棚と同じく埃まみれになったシートを被った机がある。隼也の使っていたものだ。
そっとシートをめくって、最初に目に入ったのは、懐中電灯の光を受けて鮮やかに透き通る青緑の石だった。見覚えがない。むむ、とユキナリは首を傾げた。
こんな宝石、基地にあっただろうか?
よく見るとその宝石の光は妙に流動的で、それ自体が青緑の炎を出して燃え上がっているようだ。ユキナリは怪訝に思ってフラッシュライトのスイッチをオフにした。石の燐光は失せなかった。
「なんだこれ……」
眉根にしわをよせて、もう一度ライトを向けてさらに石を観察する。その石の置かれた場所の奥に、折り畳まれた紙があることに気がついた。開いてみると、手紙のようだ。光を当てて読んでみる。
「どういうことだ……?」
そこには、ユキナリの想定外の文章が綴られていた。
『雪成へ
この手紙を読んでいるってことは、もう父さん、天沢隼也は行方不明になっているんだろうなあ。みんな元気か? 母さん心配してるか? してないか。いや、してるか。』
「父さん……」
ユキナリは続きを読む。
『同時に、この手紙を読むことが出来たってことは、父さんを発見する可能性がお前にはあるってことだ。
父さんは今、まぁこの手紙を書いている《今》は無事だ。ただちょっとした事情でとある場所から帰ることが出来ない。そこへどういったらいいかというと、その石だ。取り敢えずそいつを調べるのが、父さんを見つけてくれる第一歩だ。
多少危険な場所だし、なんせ広いから、父さんと出会うまでにかなりの時間がかかると思う。もちろん来たくなければ来なくていい。帰るにしても、その石を使うことになるけれどな。
……とまあ、伝えたいのはせいぜいこのくらいだ。あぁ、幼馴染は大切にしておくんだぞ?
それじゃあな。
天沢隼也』
その手紙に書かれた幼馴染の3文字で、日乃の顔が胸をよぎる。そうだ、日乃も探さなくてはならないのだ。
「相変わらず意味わかんね……。父さんどころか全員行方不明だよ、こっちは」
懐かしい筆跡と口調は間違い無く父さんのものだ。
「他に現状を打開出来そうなフラグが立ってる訳でもないし……。その通りにしてみるしかないか」
帰るにしても、という言葉が自分が寝入る前のまともだった状態を指すのならば、日乃を探すためにもこの石を使う必要があるらしい。父を見つけてその上で帰れるなら、それが一番良いのだが。
ユキナリは手を石にかざした。指先がひんやりとした石の表面に触れた瞬間。
「あっ……! なん……!?」
燐光が突如として激しく増幅し、ごうごうと音をたててユキナリの体を包みこむ。視界が青緑に染まる。
炎の渦となった光は勢いをとめることなく体を分厚く取り巻き、視界が霞む。やがて、うなる轟音が次第に変化し、ユキナリの耳に意味のある言葉として聞こえ始めた。
ゲームの時間だ。
教室で目覚めたときと同じ声。父さんの声のはずなのに、頭蓋骨の内側で妙に陰々と響き、鈍い頭痛が起こる。光の増幅とともに、声と鈍痛は大きくなっていく。
ゲームの時間だ。
「……うぅっ!」
痛い。頭痛に耐えかねてユキナリは石から手を離した。痛みは引いたが、しかし光と音は止まない。ユキナリを囲む鮮やかな炎の渦と同じように、頭の中で言葉がぐるぐると回転する。
被験者の夢幻回路シンクロ率、100パーセント。オリジナル記憶損傷率、27パーセント。復元能力偏差値、71。人格スキャン、異常なし。エヴォルヴァースへの適応を確認。
その言葉が終わると、渦巻く光が勢いを弱めた。視界に再び映った秘密基地に、また見覚えのないものが出現していた。
「どこでもドア?」
某国民的漫画の秘密道具のように、ドアがそれ単体で立っていた。あれとは違って、造りは昔のヨーロッパ的な、緑の重厚な扉で、土台もしっかりしている。ドーニアだかコリントだか何式なのかはしらないが、ところどころ優美な彫刻と金の装飾がしてある。
通れってことだよな。
もう今までの驚きの連続の反動からか、ユキナリはさして戸惑うことなく、硬く冷たい両開きの石板を押した。合わせ目から溢れる光がユキナリの身体を包み、何も見えなくなる。
ユキナリはまばゆい光を受け止めて、その向こうへと足を踏み出した。




