第29話 手首の傷跡、また一つ増えて。①
なんだろう、頭も視界もぼんやりとしてる。薄く見えるのはたくさんの大人。
「大丈夫ですかー?聞こえてますかー?」
聞こえてるよ?あれ、喋れない。なんで?
「隼人、隼人!」
大悟の声だ。大悟、何で泣いてるの?
大悟が泣いているのを聞いた直後。僕は意識を失った。
次に目が覚めて、真っ先に目に映ったのは、白い天井だった。横にはお父さんとお母さん。
「隼人?隼人!」
「隼人、私たちが分かるか?」
「お父さんに、お母さん?」
「そうだ!そうだぞ隼人!」
そう言って僕を抱きしめたのは、お父さん。瞬間、僕の記憶に映像が流れた。そして、
「うわ、うわぁぁぁぁ!!」
「まずい、セルシン2アンプル!早く!」
「隼人?大丈夫だからね隼人!」
記憶の中の映像は未だに流れ続けている。そこに、懐かしい声が聞こえた。
「隼人!!」
僕を抱きしめたのは、大悟だった。気が付くと周りにはお医者さんや看護師さん、お父さんお母さん、そして、僕を抱きしめ泣く大悟。
「僕は…」
「何も言わなくていいよ。何にも。大丈夫だから。」
大悟の泣き笑いした顔が、何故か幼く見えた。
「解離性健忘、ですか?」
「あぁ、その可能性は高い。」
俺は隼人の家でおじさんとおばさんの話を聞いていた。
隼人に乱暴をしたMRは現行犯逮捕され、該当MRの所属していた製薬会社の社員は全員出入り禁止。その製薬会社の製造する医薬品は全て処方停止となった。お偉方3人と該当MRの所属支店長がやってきて謝罪していたが、ダメだった。
あの時のおじさんの剣幕はすごかった。俺でさえ震え上がるほどだった。というより、殴りかかりそうになっていて、それを必死に抑えていた。
「時々記憶が途切れるんだ。いわゆるまだらぼけってやつだな。これにプラスして大悟くんも知ってる、PTSDになる確率は高い。」
「なるほど…すいません、俺が無理矢理MR巡りさせたから…」
「いや、こちらにも落ち度はあるんだ。うちには別のMRが入っているんだが、そこから情報が漏れたんだろうな。受付にも言っていなかったしな。」
「しばらく隼人には俺が付いてます。失った記憶のかけらが埋められるかもしれない。」
「悪いな。」
「いえ、俺は小さい頃からずっと隼人と一緒でしたから。恩返しの意味も込めて一緒にいさせてください。」
自然と口に出していた。それはおじさんとおばさんへの宣言でもあったかもしれない。
隼人が退院した。俺とおじさんとおばさんで迎えに行った。
「隼人、迎えに来たぞ。」
「あ、お父さん、お母さん、大悟まで?」
「心配だったからな。」
「ふふ、ありがと。」
「さ、帰るぞ。」
「うん!」
車に乗り込む。隼人は大学をしばらく休学するとのことだ。それが一番良い。大学の勉強よりも治療が優先だ。
「隼人、家に帰ったら叔母さんと父さんと3人でちょっとお話しよう。入院していた時に飲んでた薬はやめて、父さんが新しく処方するからな。」
「うん、分かった。」
隼人のお父さんのお姉さんは公認心理士らしい。外部のカウンセラーに任せるよりも安心だな。
隼人がカウンセリングを受けている間、……おばさんと二人話をする。
「あの男のことっておばさんは知ってたんですか?」
「一回あの人が怒りながら帰ってきて、話は聞いていたけどよく知らないのよねぇ。ほら、大悟くんのお父さんお母さんと私がやってるクリニックと、あの人のクリニックは違う区画だから」
うちのマンションは1階部分はスーパー、2階部分はクリニックモールになっていて、そこにうちの父母と隼人のお母さんが3人でやっているクリニックと、隼人のお父さんがやっている精神科クリニックと薬局が2店舗あるという少し変わったマンションなのだ。
「それにしても本当に許せないです。出所したら1発やってやろうかな」
「ふふっ」
「どうかしましたか?」
「大悟くんは本当に隼人が好きねぇ。さすが小さい時に婚約を果たしただけあるわ。」
「え!?」
婚約を果たしたの!?俺!?
「小さい頃、滑り台の上で大人になったら結婚して下さい!って大きい声で言ってたのよ。」
「知らなかった…」
「でも嬉しかったなぁ。少し内気な隼人にそう言ってくれる子がいて。それが今でも続いてるって、ほんとにありがたい…あり…」
「おばさん…」
隼人のお母さんが泣きだす。俺はその肩を撫でることしか出来なかった。




