第8話
ギルバルドが調練場に足を踏み入れると、ヘロスはすぐに気づき、副官に手を挙げて指示を出す。副官の騎士は調練場に置かれた太鼓に駆け寄ると、どん、どん、と二度音を鳴らした。
その音に騎士たちが打ち合いを止め、一礼して剣を納める。
全員が手を止めたことを確かめると、ヘロスは視線を男の方に向けて頭を垂れた。
「これはギルバルド殿下――ご機嫌麗しゅう」
その声に調練していた騎士たちはその姿に気づき、慌てて跪いて拝礼する。静馬も跪こうとすると、アウレリアーナは手で制した。
「いいわ。シズマ。今の貴方は私の客人であり、畏まる必要はないわ」
「……しかし……」
「いいから」
強い語気で言われる。静馬は逡巡していると、ギルバルドは手を振って拝礼を解くように合図しながら、アウレリアーナの方に歩いてきながら口を開く。
「皆、崩してくれ。王城から諸君たちの懸命な姿が目に入ってね、激励しようと思って足を運んだんだ。気迫のこもった見事な調練に感服した。その調子で頑張ってくれ」
彼はにこやかに激励の言葉をかけながら、アウレリアーナの傍で足を止める。王族からの言葉に近衛騎士の顔が引き締まり、誇らしげに胸を張る。
ギルバルドは満足げに一つ頷くと、アウレリアーナに視線を向けて笑いかける。
「アウレリアーナもご苦労だ。調練を視察してみた感想はいかがかね」
「……兄上と同感です。気迫のこもった打ち合いで感服しました」
兄に答えるアウレリアーナの声は淡々としており、表情も微かに強張っているように見えた。静馬は視線を伏せさせながら眉を寄せていると、ふとギルバルドの視線がアウレリアーナの周りに向けられる。無言で頭を垂れるユーラを視線が素通りし、静馬を捉える。
「……そこの彼は何者かな」
「私の客人です。兄上」
「……ふむ。直答して構わない。声を聞かせてくれるかな」
ギルバルドの声に静馬は視線を上げた。間近で見るギルバルドは、確かにアウレリアーナの兄なのだろう、目元がよく似ている。だがその眼差しはアウレリアーナとは打って変わって冷たい。まるで値踏みするような目だ。
静馬は拝礼をすると、頭を垂れながらはっきりと名乗る。
「シズマ・ナカトミと申します。第三軍に所属する騎士です」
「第三軍? ああ、グノーシス将軍の部下か」
ギルバルド殿下は納得いったように頷いた。その言葉は微かに嘲りを含み、見下すような視線で静馬を一瞥すると、アウレリアーナに視線を戻した。
「アウレリアーナ、彼を招いたのは何か理由があるのかい?」
「彼は剣術に秀でていると聞いていたので、彼の意見を聞こうかと思い、伴いました――何か異論がありますか? 兄上」
「はは、まさか。面白いことを考えるな、と思っただけだよ」
ギルバルドが空々しい笑い声を上げ、なぁ、と背後の騎士を振り返る。ギルバルドの護衛はそれに追従するように口角を吊り上げ、頭を垂れた。
「アウレリアーナ殿下のお考えはいかにも斬新でございます」
「はたして第三軍の騎士に、この調練の激しさが分かるか、それだけが不安ですが」
「まぁ、良いではないか。彼女曰く、この男も剣が分かるそうだからな」
ギルバルドと護衛のやり取りに静馬は怒るを通り越して、呆れ返った。
(……なんだ、このつまらない男は。この男が王子?)
顔が良く、確かに近衛騎士たちの受けは良さそうだ。だが、今の言葉を耳にしたヘロスの騎士たちは無表情だ。中にはため息を隠さない者もいる。
静馬もまたそのやり取りに徐々に心が冷えていくのを感じる。
王族に理想を抱いていたわけではないが、それにしてもひどい男だ。
(……仕えた相手がグノーシス将軍で良かったな……)
ため息をつきたくなるのを堪え、静馬は淡々とした目でギルバルドを見ていると、ふとアウレリアーナの肩が震えていることに気づいた。
組んだ後ろ手は拳が握りしめられ、爪が掌に食い込んでいる。下手をすれば、肌を破って血が滴りかねない。
(……ここまで怒ってくれるのか、この人は)
思わず目を見開いていると、ギルバルドは静馬を振り返って、そうだ、と手を打つ。
「その方――ナカトミ、だったか。剣の腕が立つのだろう? ならば、一つ、模擬戦をやってみないか?」
「……模擬戦、ですか」
「ああ――そうだな……相手は誰が良いか」
ギルバルドは近衛騎士たちを振り返り、わずかに眉を寄せる。と、その背後に控えていた護衛が口を開いた。
「殿下、僭越ながら具申しますに、モスト男爵のご子息はいかがでしょうか」
「ん、おお、そうだな。確か男爵の子息が入団されていたな――モストくん、いるかな」
「はっ、ここに!」
ギルバルドの声に応じ、近衛騎士の中から一人の騎士が手を挙げる。ギルバルドはにこやかに微笑み、手招きする。
「近う寄るといい。モストくん。キミにナカトミの相手を任せたいのだが、良いかな」
ギルバルドの前まで駆けてきた騎士は跪くと、はっ、と力強く応じた。
「お任せください。殿下!」
「その意気や良し。アウレリアーナも構わないかな? 私もぜひナカトミの剣術とやらを見てみたいのだが」
「……っ」
アウレリアーナは唇をぐっと引き結ぶと、静馬を振り返った。その真紅の瞳は微かに揺れていた。その迷いを感じ取り、静馬は目を細めた。
(……この人は、本当に――真っ直ぐだ)
ギルバルドと比べることが烏滸がましいほど、真っ直ぐで眩しい。
今も御前試合を徹底して避けてきた静馬を慮り、断るかどうか迷っている。それは静馬に対して真っ直ぐに向き合っている何よりの証拠だ。
(ならば――自分も彼女に真っ直ぐ応えるべきだろう)
静馬は両手を持ち上げると、掌に拳を押し当てて拝礼する。それからその場で膝をつき、アウレリアーナに対して頭を垂れた。
息を呑んだ彼女に向かい、彼ははっきりとした口調で告げる。
「お命じ下さい。殿下。私は今、貴女に招かれた剣士――貴女の求めに応じて、剣を振るわせていただきます」
「……いいのかしら、シズマ」
「何なりと、お命じ下さい。どんな相手であっても臆しません」
静馬はその言葉に気迫を込めると、アウレリアーナから迷いの気配が消える。彼女は深呼吸を一つしてから、凛とした声を発した。
「顔を上げなさい。シズマ」
静馬が顔を上げると、アウレリアーナと目が合う。揺るぎない瞳を宿した真紅の瞳で彼女は静馬を見据えていた。その視線は熱く強く、頼もしい。
そして彼女ははっきりとした口調で告げた。
「命じます――この立ち合いで必ず勝利しなさい。シズマ」
覇気を込めた命令。その声に思わず静馬の心が強く震える。今一度頭を垂れ、静馬は胸の熱を込めて言葉を返す。
「仰せのままに、殿下!」
「ええ――立ちなさい。シズマ」
アウレリアーナの言葉に静馬は立ち上がると、彼女はすでにギルバルドに向き合っていた。その強い眼差しで兄を見据え、はっきりと言う。
「良いでしょう、兄上。シズマの実力、とくとご覧にいれます」
物怖じしない視線と態度。それにギルバルドは微かに目を見開いたが、すぐに余裕たっぷりの笑みと共に鷹揚に頷いた。
「よし――ならば、二人の手合わせを見させてもらおうか」




