第6話
アウレリアーナ視点
「では殿下、ここで失礼します。ヘロス将軍も」
「ええ、お疲れ様」
「ゆっくり休んでくださいね。静馬くん」
静馬が一礼してから案内の騎士と共にその場を後にする。アウレリアーナはその後ろ姿を見守っていると、ふとヘロスが静かに声をかけてきた。
「やはり気に入りましたね。アウレリアーナ」
「……ええ、素敵な剣士だったわ。彼は」
答えながらアウレリアーナは自身の掌に視線を向けた。その掌に残っているのは確かな痺れだ。彼の剣筋は流れるように軽やかだったが、一撃一撃が確かにアウレリアーナの腕に衝撃を伝えていたのだ。
短い打ち合いだったにも関わらず、今のアウレリアーナの腕は素振りを繰り返した腕のように心地よい疲労感が包み込んでいた。
「貴方が認めるのも納得だったわ。お師匠様」
そう言いながらアウレリアーナは踵を返し、城の中に戻る。ヘロスはその一歩後ろを付き従い、歩みながら言葉を返す。
「お眼鏡に叶ったようで何よりです――しかし、すぐに引き抜こうとするとは思いませんでしたが」
「早急だったわよね。でも、我慢できなかったわ」
本来ならば手合わせしてみるだけのつもりだった。
だが、彼の剣があまりにも魅力的過ぎたのだ。それが地方で眠っているのが惜しくなり、つい誘いをかけてしまった。
彼女は足を止めて庭園に視線を移す。そこには手合わせの後が生々しい傷跡が地面に傷つけられている。最後、静馬が放った斬撃の痕跡を見つめ、小さく吐息をつく。
(――あの技は凄まじかった)
体勢を崩したアウレリアーナに対し、流れるように静馬は斬り掛かってきた。放たれる気迫は静かながら凄烈。それに思わず呑まれて逃げようとも思えなかった。
むしろ、太刀筋があまりにも鮮やかで、斬られたいと思ってしまったほどだ。
ヘロスが割って入られなければ、恐らく彼女は斬られていただろう。
(そして、不完全でもこの威力――)
彼が逸らした刃は地面に突き立つだけではなかった。それだけでなく、そこから一直線に真っ直ぐの斬線が伸びている。思い起こすと、彼の刃は紫紺に輝いていた。
「……なんだったのかしら。あの技は」
「楊心流剣術の、奥義――絶技ですね」
口からこぼれた疑問に答えたのはヘロスだった。彼はアウレリアーナの隣に立ち、庭園に残された傷跡を見つめて言葉を続ける。
「彼の剣術は体内の気を操り、刃を強化させることができます――恐らく、彼が見せたのはその一端でしょう」
「一端……ということは、彼は本気ではなかった?」
「本気ならとっくに貴女は斬られていますよ。アウレリアーナ。あの絶技も敢えて急所を狙わず、貴女の肩や腕を狙っていましたから」
ヘロスはそう言いながら少しだけ苦笑をこぼした。
「男子三日会わざれば刮目して見よ――とは東方のことわざですが、まさにその通りでした。しばらく会わないうちに彼は実力を上げていた。その実力が貴女以上なのは言うまでもないでしょう」
「うん、凄まじい人だった――彼と、また戦いたいわね」
彼の剣技を思い出すだけで胸が疼き、静かな興奮が蘇ってくる。
一度だけでは物足りない。何度でも彼と手合わせしたい。そのためにも彼を自分の騎士としたい。傍でもっと語り合いたい――。
そう思いながら、アウレリアーナはヘロスを振り返って訊ねる。
「彼の目的は武者修行。何者かに仕える気はない、のよね」
「ええ、今、騎士団にいるのも一時的なものだけでしょう」
「そうなると、今回の誘いは彼を困らせてしまったかしら」
「ええ、困っているでしょうけど……少し意外でした」
「……何がかしら?」
「彼があんな戸惑いを露わにするとは」
ヘロスは腕を組みながら小さく苦笑し、言葉を続ける。
「彼はよくできた剣士です。精神的にも鍛練を積んでおり、グノーシス将軍からもあまりに落ち着いているのでからかい甲斐がない、とぼやかれたこともあるくらいです。そんな彼がはっきりと心を乱していました」
「そう、なの?」
「それだけ貴女の言葉に惹かれているのかもしれませんね」
ヘロスの言葉に思わずアウレリアーナは目を見開き、師の顔を顧みる。
「じゃあもしかして……勝算は、あるのかしら」
「あるかもしれません。ただそれは静馬くんとアウレリアーナ、二人の心次第でしょう。貴女の心が伝わるように口説けば、あるいはきっと」
「なるほど、口説く……悪くないわね」
アウレリアーナは表情を引き締め、顎に手を当てる。
(彼を引き抜くには、どんな風に口説けばいいのかしら)
彼の剣の腕前は分かった。性格も真っ直ぐなのは伝わってきた。
それでも彼の趣味や嗜好などは分からない。そういったことを調べながら、彼に少しでも惹かれてもらうように口説かねばならない。
それに思考を巡らせていると、不意に背後から響いた声に思考が遮られた。
「アウレリアーナ、またつまらない騎士の真似事をしているようだね」
気取った声に眉を寄せながら振り返る。王城の廊下の奥から現れたのは一人の男だった。
すっきりと端正に整った目鼻立ちの美丈夫であり、身に纏う官服も清潔感だけでなく、金糸の装飾が高級感を漂わせている。
アウレリアーナの兄にて、この国の第一王子であるギルバルドだ。
歩み寄る彼にヘロスは静かに膝をつき、頭を垂れた。
「これは――ギルバルド殿下。ご機嫌麗しゅう」
拝礼するヘロス将軍を見やり、ギルバルドはにこりと笑みを浮かべる。
「やぁ、ヘロス。畏まらなくて結構だ。いつも妹の我がままに付き合ってくれて助かっている」
「……恐縮です」
ヘロスは跪いたまま、表情を動かさずに頭を垂れた。アウレリアーナは現れた青年に固い声で挨拶を返した。
「ご機嫌よう、兄上――本日は伯爵と会食では?」
「早めに終わったんだよ。それよりもアウレリアーナ」
ギルバルドは城門の方を振り返り、わざとらしいため息をこぼした。
「聞いたぞ。そこの中庭で騎士と剣を交わしていたそうじゃないか。そんな騎士の真似事に現を抜かさず、少しは王族としての役目を意識してほしいものだが」
(……騎士の真似事?)
かちんと来る。だが、平静を装い、淡々とした声で応じる。
「……やるべきことは為しています。兄上。それでいて自分の時間をどう使うかは、私の自由でしょう?」
「きちんとできていれば問題はない。だが、そうは見えなくてね。この前の夜会も欠席したそうじゃないか」
「あれは子爵の個人的な夜会です。参加するかどうかは自由のはずでは?」
「ああいう場で顔を繋いでおくのも王族の務めだぞ」
苦言を呈するギルバルドの口ぶりは気取っていて腹立たしい。アウレリアーナは苛立ちを押し隠し、努めて無表情を維持していると、彼はさらに言葉を続ける。
「そろそろアウレリアーナも嫁ぐことを考えて立ち回った方がいい。そんなままごとのような剣術で遊んでいるのではなく――」
「ギルバルド殿下、失礼します」
そこに口を差し挟んだのは、ヘロスだった。ギルバルドは意外そうに顔を向けると、ヘロスは顔を伏せたまま静かな口調で告げる。
「間もなく王女殿下はご予定がございます――申し訳ございませんが」
「ああ……そうか、それはすまなかったな。アウレリアーナ」
「……いえ」
「では、失礼する」
ギルバルドは踵を返して立ち去っていく。その背中が完全に遠ざかったのを見てから、アウレリアーナは全力でため息をつき、握りしめた拳に視線をやった。
固く握った拳はなかなか解れず、何度か深呼吸を繰り返してようやく解けた。
「……ありがとう。お師匠様。うっかり兄上を殴るところだったわ」
「危ないところだったようですね。忍耐が足りませんよ。アウレリアーナ。どんなときでも焦らずに冷静に対応するのは、剣術と同じです」
ヘロスの諭すように言葉にアウレリアーナは無言で頷いた。ふつふつと沸き立っている怒りを無表情で覆い隠すと、視線をヘロスに向けた。
「ごめんなさい、お師匠様――もう大丈夫」
「大丈夫のようには見えませんがね。まぁ、ゆっくり離宮に戻りましょう。お送りします」
「ええ、ありがとう」
苦笑いをこぼしたヘロスが先を歩き、アウレリアーナはその後に続く。
未だに彼の言葉が脳裏にこびりつき、苛立ちが込み上げてくる。
(……本当に、あの人は嫌い)
ギルバルドは文武両道、才色兼備として知られ、社交界では魅力ある人柄で貴族たちの受けも良い。だが、その一方で身分に対して歪なこだわりを持っていた。
彼が重視するのは伝統や歴史、そして、階級や出自だ。
積み上げてきた偉大な功績に敬意を払うが、それを感じさせない者には殊更冷淡にあたり、見下す。彼からすればアウレリアーナの剣術もただのままごとにしか感じないのだ。
そんな悪癖を持つ兄のことを、彼女は毛嫌いしていた。
(シズマと出会えて、折角いい気分だったのに)
小さくため息をつきながら、薄暗くなりつつある王宮の廊下を歩いていると、ヘロスが振り返ると、何気ない口調で告げる。
「そういえば、アウレリアーナ、明日は第一軍と第五軍の合同訓練でしたね」
「ええ、そうね。私がそれを見に行く予定だけど」
第一軍――近衛騎士からは王城警護の部隊が選抜されており。
第五軍――ヘロスが指揮する軍からは、彼直属の部隊が選抜されている。
名分はどちらも精鋭と謳われる部隊だ。その両者の激しい訓練が見られる、ということにはなっている。
(けど、王城警護、ってことは兄上肝煎りの騎士たちなのよね……)
ヘロスの部下が精鋭なのは間違いないだろう。だが、王城警護部隊はギルバルドが選抜した名門閥の騎士たちだ。騎士でありながら、貴族の社交界に忙しなく顔を出しており、騎士としての修練を積んでいるところを見たことがない。
つまり、精鋭というのはあくまで彼らの自称――実際の腕前はたかが知れている。
そんな騎士たちが関わる合同訓練。あまり面白いものは見られなさそうだ。
そう思っていると、ヘロスの言葉が続いた。
「きっと彼は興味があるでしょうね。騎士たちの訓練となれば」
鬱々とした気持ちがぴたりと止まった。
確かにそうだ。彼――静馬は恐らく、騎士たちの訓練があるとすれば、興味津々で来てくれるだろう。再び言葉を交わす機会が生まれる。
(そうすれば口説き落とすきっかけを掴めるかもしれないわね……!)
そう考え始めると、自然と笑みがこぼれ始める。退屈そうだった明日の予定も楽しみに思えてきた。アウレリアーナは一つ頷くと、ヘロスに声を掛ける。
「明日、シズマに声をかけましょう。訓練の見学に来ないか、と」
「いいお考えです。そのように計らいます」
「ええ、お願い――あと、お師匠様」
「はい?」
「ありがとう、いろいろと」
「いえいえ、可愛い弟子のためですから」
そう笑ったヘロスは人懐っこい笑みを浮かべていた。ギルバルドの気取った笑顔とは大違いで、安心できる。アウレリアーナは外に視線を向けながら思わず小さく息をこぼす。
(来てほしいな、シズマ……)
彼と何を話そうか考えるだけで、今日の夜は楽しめそうだった。




